月夜の邂逅
其は黒く、深く、冷たく、重く、それでいて不思議と心地よさまで感じてしまうほどに優しく包まれる。
闇とは、光なくして存在せず。
闇とは、光なくして対立せず。
闇とは、万物に蔓延るモノ。
そんな何もないともとれる闇に、グラフェルはただ一人残されていた。
いや、自ら残ったと言ったほうが適当だろう。
「一人では生きていけぬ者。」
どこからか声がする。だが、どこかで聞き覚えのある強く、そして儚さが混じる凛々しい声。
「他人を信じられなくなった者。」
「怨み、妬み、怒り、悲しみ、憎しみ、様々な負の感情が偏ることなく、混じり合い、溶け合い、悉くを踏みにじるその手に、足に、幾つもの命が奪われてきた。約束などとうに忘れ、現在を生き、過去を求めたその後に、お前は何と答える?」
暗闇から現れた声の主は、紛れもなく自分自身だった。
今まで見てきたものが、全てまやかしと言われればそれまでかもしれない。
しかし、グラフェルにはそうは思えなかった。数々の惨状を目にし、数多の屍を掻き分け、鼻に突き刺さる鉄分が酸化した匂い、血にまみれた自分の手を。
あれは幻想だの夢だのと、そうはいっていられないほどに感覚がはっきりと伝わったていた。実際に経験したような感触が無意識下に染み着いてしまっているため
あれが真実だと受け入れざるを得ない。
だが、今更何を見せるのか、グラフェルには分からない。顔には出してはいないが内心は警戒心と困惑で埋め尽くされている。それが分かっているのか『彼』は何もしなかった。ただそこに突っ立っていただけだった。まるで、全てが見えているかのような動きだった。
「私は」
(私?)
「私は変えられなかった。変えることができなかった。」
(何だ?何を言っているんだ?)
分からない。ただそれだけが、グラフェルの思考を埋めつくししていた。
「お前だけは、いや、貴方なら変えることができるかもしれない。」
「・・・・・・・・・な、何を・・・だ?」
『彼』はグラフェルなら、きっと変えられるかもしれない。そう言った。
だが、グラフェルには何のことだか分かる筈もなかった。今、戦争が始まろうとしているこの時に、何も分からないままでは寝覚めが悪い。しかし、何を変えるのかが聞かされていないので無理な臆測は我が身を滅ぼす、そう父に教わった。
「これから起こる事から目を背けてはならない。優しさを捨ててはいけない。その身を焦がされてはならない。・・・・・・今の私に言えることはここまでだ。」
「ちょっと待て。まだ何も分からない。俺は一体どうすれば、何を変えなければならないんだ。答えろ!」
何も聞かされないままこの場から離れて行く『彼』をグラフェルはその手を懸命に伸ばす。だが、届かない。『彼』が言っていた変えなければならないものとは何か、これから起こることとは何なのか、少しだけでもその答えが聞きたいがために
『彼』の下へ進んだ。しかし、どんどん離れていき、いつの間にか消えていなくなった。
いつしか、この場にはグラフェル一人だけ取り残された。空を見上げると、美しく輝く月明かりがこの闇すら慈しむかのような優しい光で辺りを照らし出す。
気づけば外はもうすっかり夜に移り変わっていた。寝ていたのか起きていたのか分からないほどに時間の流れが狂わされていた。今いる場所はいつもの屋敷から少し離れた森の入り口。
(あれは・・・一体)
考えても分からないものは後回しだ。そう思い、右足を前に出した。
次の瞬間、突然辺り一帯が爆発にみまわれた。
背後から爆弾が雨のごとく降り注ぐ。それを上手く紙一重に、最低限の動きで全てをかわす。夜なので人影が見えにくいが、森の中に誰かがこちらに矛先を向けてきたのが分かり、すぐさま追いかける。
ガサガサと草を掻き分ける音が聞こえる。走る足音に耳を澄ましながら犯人の特徴を少しずつ仮定していく。足音のリズムからして20か30の間、ガチャガチャとした音がしないため霊装ないし鎧ではなく軽装での襲撃。息づかいが少し荒く、服がところどころ何かにかする音が聞こえる。木々の間を潜り抜けようとしている動き、この森の枝は160㎝のあたりから生えているため襲撃者の身長はおそらく160から165。しかもそこまで速くない、とすれば女性だと断定できる。
少しずつ距離が縮まり、身を乗り出せば届く範囲にまで近づいた。
女性が足を引っ掛けたその瞬間に身柄を拘束する。
「ふぅ。ようやく捕まえ・・・た。」
月明かりが二人の真上に来たときに、お互いに認識できる明るさになった。
だが、グラフェルが見たのは燃えるような赤い髪、優しくおおらかな深紅の双眸を持ち、左目の下にある泣き黒子の見目麗しき少女、イシュリア・ディン・アルガントナークその人だった。
遂にであった二人