第二章2 『被害者』
連続放火事件。
その単語が浅野前さんの口から出るだけでも予想の範疇外だった。
冷静に、しかしやや呆れ気味に郷ちゃんが付け加える。
「わたしは、子供が首を突っ込むことではないと言ったのだが、こいつが聞かなくてな」
浅野前さんはすぐに反駁する。
「なにを言いますか! 蒲生さんが無関心過ぎるんです! だからわたしがこうして引っ張り出したというのに。蒲生さんはこのままでいいんですか?」
どうやら浅野前さんは、誰に対しても常に敬語でしゃべる慇懃さがある半面、押しの強い性格であるらしい。郷ちゃんをここまで連れてくるような行動力と意志の強さから、これで意外に初志貫徹で頑固な性格かもしれないなと推測してみる。
郷ちゃんは浅野前さんのそんな性質にも慣れっこなのか嘆息して、
「この通り、好奇心で動く、昆虫採集家のようなヤツなんだ。だから、少し話を聞いてやってくれ」
「はい。わかりました」
「開。わたしたちの仲ではないか。敬語は不要だぞ」
「うん。じゃあ、郷ちゃんにはそうさせてもらうね」
さすがに初対面であり目上でありお客様である浅野前さんにタメ口はきけないけれど、郷ちゃん本人が言うのだから普通に接しさせてもらおう。俺も仲のよかった人に距離を取られるようなしゃべり方はされたくないし。
「で、この件に、二人はどう関わっているわけ?」
さっそく郷ちゃんにそう聞いた。
「うむ。わたしから説明しよう。一言で言えば被害者だ。浅野前もわたしも、被害者なのだ」
なんでもザックリと説明する郷ちゃんらしい言い方だ。この癖はどうやら昔から変わっていないようで、なんだか少しホッとするというか、落ち着いた。でもそれだと困るんだよな。情報を把握できない。
「それでは明智さんもわかりませんよ、蒲生さん。もっと詳しく説明をしないと」
話を聞くには郷ちゃんより浅野前さんのほうがいいだろう。対象を郷ちゃんから浅野前さんに移す。
「というと? 住宅が直接放火されたことはなかったと思いますけれど」
浅野前さんが溌剌とした口調で説明をはじめた。
「わたしの被害というのは、父の会社が連続放火事件のターゲットのひとつに選ばれたことです。幸い、ケガ人はいませんでしたが。ええ、そうです。わたしのことはいいんです。問題は蒲生さんです! 蒲生さんの場合は被害があります。なんと、蒲生さんの家の壁が燃やされてしまったんです。火の手はあまり大きくありませんが、どうもよろしくないです。二次被害というところでしょうか」
「で、その家の壁は?」
目線を郷ちゃんに戻して聞くと、
「実際、焼けたと言っても、穴が空くほどではないし、業者に壁を塗り直してもらうということで、話は進んでいる。まだ手つかずではあるが」
「そっか」
だとすれば、昨日凪と見た現場の家がそうかもしれない。これは偶然か? 運命のような必然を感じてしまう。
「わたしは、わざわざ探偵に相談するのはやめようと言ったのだ。学校の帰りに寄り道は校則で禁じられているのでな」
「そこ?」
いや、まあ……気真面目にも気真面目過ぎる郷ちゃんが校則を馬鹿正直に重んじているのは、相変わらずと笑うところではあるのだけれど。
「それに、父は仕方のないことだと言っていたし、わたしもそう思う。だからこの件には深く関わるつもりはないのだが、浅野前がどうしてもと言うのでな。来てしまったのだ」
なるほど。ということはつまり、被害を受けた郷ちゃんのために、浅野前さんがその犯人を見つけてなんとかその落とし前をつけさせようとしているのだろう。
泰然自若とした声の郷ちゃんとは異なり、浅野前さんは高らかに宣誓するような元気な声で言う。
「ダメですよ! 蒲生さんは被害者なんです! 被害を受けたからには、糾弾する権利があります! 危害を加えたからには、処罰される責務があります! 許せませんっ」
気持ちはわかる。けれど、本人がいいと言っているのにそれを押し切って糾弾し犯人を捕まえようとするなんて、少し強引だ。しかし二人はデコボココンビのようでいて、実は相性がいいのかもしれないとも思った。浅野前さんの友達を想う気持ちも嫌いじゃないし。
俺は浅野前さんをなだめるでもなく、賛意を示すように、
「そうですね。北高でも噂になっているみたいですし、できる限りのことはしましょう。犯人を捕まえるための情報は現在少ないようなので、まずは一度、所長のほうに話をしてみます」
浅野前さんはツインテールと赤いリボンを揺らして、
「はい。お願いします」
とうなずいた。
頭が動くたびに揺れる赤いリボンは炎のようでもあるなと、ふとそう思った。
「事件について知っていることがあれば、教えてください」
「はいっ。いくつかありますよ!」
浅野前さんはブレザーの胸ポケットから手帳を取り出した。その様子が俺の友人である柳屋凪を思わせ、そういえばこの連続放火事件については、凪から話を聞いたことが俺の認識の大きなウェイトを占めていたな、と思い出す。
浅野前さんは手帳を繰っていき、手を止める。
「えっと、やっぱり! そうです。今日ですよ、今日! 今日、大通りの古本屋さんの近くで放火があるって聞きました」
場所が限定されている。おそらくだけれど、この情報が正しいものなら、大通りの古本屋の壁に、例のタロットカードが貼られていたのだろう。確認してもいいかもしれないな。
「それって、誰から聞いたんですか?」
「噂です」
と言い切る。浅野前さんはリスのように首をかしげて、
「誰だろう。たぶん、わたしたち北高生の誰かか、もしくはこの学区内の他の高校の誰かだと思います。でも、噂は二年生のほうが盛り上がっているし、うちの生徒の場合は二年生のが怪しいですね」
「そうですか。確かに僕も、北高では二年生のほうから噂が流れると、友人から聞いた覚えがあります」
それも今日聞いた話だ。晴ちゃんにそれを教えてもらっていなかったら、浅野前さんの情報も新鮮だったろう。
「どうして放火される日と場所がわかったんでしょう」
「言われてみれば、不思議だな」
いまその不思議さに気づいたような郷ちゃんである。昔からあまり頭を使わない人だったからな。噂は噂として聞き流していたのだろう。では、浅野前さんはどうかと見てみると、開いた手帳を眺めるようにしてペンのお尻を唇に当て、
「そんな情報は誰からも入ってきてませんねぇ……。どの子も毎回、聞いた先は別らしいですから。特定は難しそうです」
新聞部が記事の内容に頭をひねっているような浅野前さんである。行動力や押しの強さは新聞部向きに思えた。
「もちろん、卒業した三年生からは、聞けることはなさそうですからね。また今度、友達に聞いて回って、情報を集めてみます」
「はい」
俺のもうひとりの幼なじみのお姉さんである蒲生郷里とその友人の浅野前まひるは、今日にでも大通りの古本屋近くで放火事件が発生するということ以外に、話せることは特にないといった様子だった。個人的な感想を聞いても仕方がないので、今日のところは引き取ってもらうことにした。
探偵事務所の住所と電話番号が記された所長の名刺を渡してはいたが、俺の連絡先を知りたいと郷ちゃんが言うので連絡先を交換した。ついでに浅野前さんの連絡先も教えてもらい、結局四人で連絡先を交換し合った形になった。
郷ちゃんは事務所を出るときには、入ってきたばかりのときの気の進まない顔から清々しい顔になって、
「久しぶりに話せて楽しかったぞ、開。いつでも連絡するがよい。家は少し離れてしまったが、開がどうしてもと言うなら、開の家に行ってやらないこともない」
うちに来たいんだろうな、この顔は。ちょっとドヤ顔になっている。しかし、こんな言い方だけれど嫌味のない郷ちゃんである。
「どうだろう。花音はさ、郷ちゃんに遊んでもらったこともないくらいだから、どうしていいか困ると思うよ」
「おお。花音か。いたな、そういえば。わたしが開と遊んでやっていた頃は、花音は赤ん坊だったからな。わたしが引っ越したのが小学校二年のときだったから、開は小学一年生、花音は三つくらいか。遊んでやったことがなくても当然だ。わたしのことも知るまい」
確かに知らないくらいだろうな。俺が物心ついたときの、一番古い遊び相手なのだ。
「花音には軽く挨拶をすればよい。急にわたしと話せと言われても戸惑ってしまう。それより、わたしには気を遣うな、開。なにかあれば、姉さんが相談に乗ってやる」
「あはは。そのときはよろしく」
とはいっても、逆に相談をもちかけられている立場なのだが、とりあえずうなずいておく俺だった。
浅野前さんはずいっと俺に詰め寄って、
「もしなにかありましたら、すぐに報告しますね、明智さんっ。もし噂通り今日事件が起こったら、明日はきっとその話題で持ちきりです。そしたらいろんな話が聞けます。友達に聞いた情報は明智さんも知りたいでしょ? 明智さんもなにかわかったことがありましたら、いつでもわたしの元までご連絡ください。いつでも待ってますので」
「はい。僕のほうも、連絡待ってます」
押しの強さに若干たじろぎながらそう答えると、浅野前さんは、仕事の厳しさを知らない一年目の海軍兵が曹長に敬礼するようにポーズを決めて、
「了解ですっ! 任せてください!」
いつもならここで、「期待してます」とか適当なことを言ってしまう俺だけれど、彼女相手には「はい」くらいがちょうどよさそうだと思い、余計なことは言わなかった。
さしあたっては所長への報告が第一だ。
昨日今日と耳にタコができるくらいにその話に触れた俺は、事件の真相が気になってきてもいた。
できれば郷ちゃんのためにも、さっさとこの連続放火事件の犯人を所長に捕まえてほしかった。
浅野前さんと郷ちゃんを見送りソファーに座る。
ふうと一息つく。
「今日は知り合いとかが相手だったから、なんだか気が楽だったな」
そんな感想を漏らすと逸美ちゃんが目くじらを立てて、
「開くん。わたし初耳なんだけど。わたし以外に開くんにお姉ちゃんがいたなんて。しかも家に行く約束までするし」
おお、珍しい。逸美ちゃんが嫉妬してくれるなんて。ただ、姉としての嫉妬なのがちょっぴり複雑だけど。
「別に家に行く約束とかはしてないでしょ」
「でも、相談するとか連絡するとか言ってたもーん」
「もしも相談するようなことがあったらだよ」
「ふーん。こんなに近くにお姉ちゃんがいるのに、久しぶりに話をしたような人に相談するんだ、開くんは」
拗ねてる逸美ちゃんはかなりレアで可愛いけど、なんか面倒くさくなってきたぞ。開くんのお世話をするのはわたしなのよと言わんばかりのお姉ちゃん精神である。逸美ちゃんの世話好きにも困ったものだ。
「でも、連続放火事件かぁ……」
俺の独り言を受けて逸美ちゃんが、
「なんかタイムリーだね。開くんが昨日この事件の話をしてるとき、きっと間接的にでも関わる気がしていたけど、まさか昨日の今日とはね」
半分お姉さんぶりたいだけにも見える、逸美ちゃんの俺を注意するような態度も、連続放火事件の単語ひとつでおとなしくなった。
俺もそうだけれど、いまはこの奇妙な巡り合わせに二人共驚いているのだ。これ以上被害が広まる前に、所長に解決してもらえれば気苦労せずに済むというものだ。
まもなく所長が来るまで、俺は少し考えることをやめた。