エピローグ1 『桜の約束』
後日、俺は近所の公園にやってきていた。
うららかな陽ざしが、景色を柔らかく包んでいる。
桜吹雪が舞っていた。
逸美ちゃんや凪に鈴ちゃん、郷ちゃんや晴ちゃんもいっしょだ。ついでに花音もいる。今回の事件に関わった中で、浅野前さんだけは来られなかったけど、「あとで桜の写真でも撮って見せるのだ」と郷ちゃんは言っている。
初めての面会に行ったとき、所長の権限で郷ちゃんと会いに行ったのだが、そのとき浅野前さんは、
「出所したら、明智さんに伝えたいことがあります」
と、照れくさそうに言っていた。郷ちゃんはなぜか決まり悪そうだったけど、俺は単純に浅野前さんの出所が楽しみだった。
そしていま、俺は桜を見上げていた。
そんな俺の横に、いつのまにか、郷ちゃんが来ていた。
「開、どうかしたか?」
「別に」
郷ちゃんとふたり、公園で白い犬とフリスビーで遊ぶおじいさんを見る。
おじいさんは俺と郷ちゃんに気づくと、微笑みを投げかけ、また犬との遊びに興じる。そんなおじいさんから視線を外して、郷ちゃんは俺を横目に見た。
「開、ちょっと聞いてくれるか?」
改まってどうしたのだろう。
みんなのほうをチラと見るが、五人は俺たちに構わず先にお弁当を広げていた。
郷ちゃんに向き直ると、この端然とした佇まいのお姉さんは、物憂げに言った。
「開。久しぶりにいっしょに過ごしてこられて、わたしは楽しかったぞ」
「どうしたの? 急に」
まるで、十年前のようじゃないか。
と、そう思って、そうなのかと察した。
うまく言葉が出ないでいる不器用な姉貴分に、俺は言ってやる。
「郷ちゃん、引っ越すの?」
「う……!」
虚を突かれたように声を喉に詰まらせる郷ちゃん。
「わかるよ、それくらい。十年前と顔がいっしょだったから」
「さすがだな、開。それがわかるほど、おまえは探偵として成長したのだな。実は、わたしは引っ越すのだ。親の仕事の都合でな、また二年前まで住んでいた場所へ、戻ることになった」
「そっか。寂しくなるね」
と、俺は視線を落とす。
「なにをしんみりしておる。これまでと変わらんではないか。こうして今回久しぶりに会えただけで、わたしはご機嫌だったのだ。今度は遠慮はいらん。また会おう。また当時に戻ったように、しゃべろうではないか」
「うん。そうだよね」
「だ、だが……。その前に、ひとつ聞いてもいいか?」
「どうぞ。俺に答えられることなら」
郷ちゃんはらしくもなく、瞳に影を落とした顔で言った。
「わたしは、浅野前の家族を殺してしまった。わたし自身も覚えていないほどの昔だが、それは許されない過ちだ。開、そんなわたしだが、おまえはこれからもわたしを、いままでと変わらず、接してくれるか?」
なんだ、そんなことか。
こんなたったひとつしか答えがないような簡単な問いに、俺は迷うはずもなかった。
「もちろん。浅野前さんも、もう恨んでないって言ってたじゃん」
「あいつは、いいやつだからな」
きっとそれは、向こうも郷ちゃんに対して思っていることだ。
郷ちゃんはちょっぴり照れくさそうに髪を触る。
「ありがとな、開」
「お礼を言われることじゃないよ」
そして照れ隠しついでというように、郷ちゃんは俺の肩についた桜の花びらを手に取り、ニヤリとする。
「もうひとつ言っておいてやるぞ。開、昔『大きくなったら、きょうちゃんとけっこんする』と言っていたあの約束を、反故にしてやろう」
「え? なんの話?」
そんな昔のことをそんな得意げに言われてもな。……いや、そんなこと言っていたのか。覚えているような気もするし、なんだか少し恥ずかしくなるな。
「おまえは自分から言っておいて忘れたのか?」
「うん。で、反故になったら、どうなるの?」
本当はうっすら記憶にある気もするけど、そう聞き返してみた。
ゴホン、と郷ちゃんは気を取り直すような咳をして、
「いや、そんな約束をして、そのままでいるというのもあれだと思ってな。そういうのは、改めてだな……そういうときに言う言葉だから、とりあえずは反故にしたワケだ」
まったく、郷ちゃんはそんな昔の約束まできっちり覚えていて、わざわざそれを反故にするという話をするほどに律儀で、俺はそれが郷ちゃんらしくて笑ってしまった。
「こら、開。なにを笑っておるか。大事な話だぞ」
「うん。ごめんごめん」
「ふっ。開は泣いている顔もかわゆかったが、笑顔が一番似合うな」
急になにを言い出すんだ、と俺が照れそうになったとき、凪と花音が呼びに来た。
「なにやってるんだい?」
「ほら、二人共。お弁当なくなっちゃうよ」
「おう。わかったぞ、花音。わかったから引っ張るな」
花音に腕を取られて引きずられるようにする郷ちゃん。
俺もみんなの元へ行こうとしたとき、
やわらかい風に桜吹雪が吹き上げる。
綺麗な桜吹雪に見とれて足を止めると、凪が俺の横に来て、桜を見上げた。
「約束、果たせたね」
そう言われたけど、俺にはなんのことだかわからない。
「なんの話?」
「ただの小さな約束の話さ」
「ふーん」
凪が見られた約束は、世界は、どんなものだったんだろう。まあ、みんなで桜を見られているし、細かいことはいいか。
「開くーん」
「先輩」
「さあ、お弁当食べるよ」
「お兄ちゃんも凪ちゃんも早くー」
逸美ちゃん、鈴ちゃん、晴ちゃん、花音と四人が順番に俺たちに呼びかけ、凪はみんなの元に駆け出した。
俺もみんなのほうへ歩き出したが、ふと振り返って、再度、桜を見上げた。
そして浅野前さんとの会話を思い出す。
なるほど。
確かに浅野前さんが言っていた通り、彼女が言ったあと二週間というところでしょうかの言葉通り、花はまだ咲き始めたばかりで、桜の木が広がって花が爛々としていた。
世界はすっかり春だった。