第六章10 『routeW 18』
放課後。
教室を出たところでばったり出会った晴ちゃんと途中までいっしょに帰ることにした。
今日は終業式だったから、授業もなく、午前中で学校は終わり。
昼食も探偵事務所で食べる予定なので、まっすぐ探偵事務所に向かう。晴ちゃんはこのまま帰って自宅で食べるそうだ。
「開ちゃん。いよいよ今日だね。今日が最後の放火だって聞いたよ」
「うん。俺も聞いた。だから、片をつけないと」
すると、晴ちゃんは頬をぽりぽりかいて、
「実はさ、昨日偶然凪くんに会ったんだ。そこで、凪くんから聞いた」
「へえ。凪と」
内心驚いていたが、表には出ない。元来そういうリアクションが表に出にくいタチなのだけど、仲間になった凪だし、晴ちゃんと会っても大丈夫だって安心感があったのだろうか。
果たして晴ちゃんは、思い出したようにふっと笑って言った。
「凪くんって、やっぱりおもしろいね。昨日はなんだかちょっとクールな感じだったけど、この放火事件が終わったらまたいつもの凪くんに戻る気がするよ」
「あのただのトラブルメーカーに? 勘弁してもらいたいね」
「そう言っても、開ちゃんはきっと、そのほうが自分らしく凪くんに接することができるはずさ。凪くんについて、以前はああ言ったけど……」
晴ちゃんは言葉を切った。ああ言った、というのは、怜悧さや危うさについてだろう。それから数秒して、晴ちゃんは言葉を継いだ。
「でも、凪くんは信用できるよ。凪くんから、開ちゃんとまたコンビ組んで事件に挑んでるって聞いてさ、凪くんともちょっと話して、おれは思ったよ。開ちゃんの思考の能率を上げられるのは逸美さんだけだと思うけど、凪くんがいれば、化学反応が起こせる。きっと彼は、開ちゃんを導き、警告し、無から有を生む、普通じゃ解決できない問題を解決できる導き手になるだろうって、そう思った」
なんだかおおげさな話だ。
「あいつは、いつでもただのトラブルメーカーだよ。台風の目なんだよ」
「台風の目?」
晴ちゃんはそう繰り返して、そして気づいてふっと笑った。
「なるほど。凪くんの凪は風が止んでいる状態。でも、その周りは常に暴風雨ってことだね。よく考えるね」
「いつも俺がその一番近くにいる被害者なんだ」
と、俺は肩をすくめた。
「でも、いっしょにその台風の目に入れるのも開ちゃんだけだと思う。事件も今日で最後みたいだし、おれに手伝えることがあったら言って」
いつでも味方でいてくれる晴ちゃんの言葉に、俺は返答する。
「いや、大丈夫。これは俺が、解決すべき問題だから」
「そっか。わかった。いい報告を待ってる」
俺はしかとうなずいた。
「うん。じゃあまたね」
晴ちゃんとも別れて、俺はまた探偵事務所に向かって歩き出した。
だらだら坂を登り始めたとき、歩く俺を後ろから車が抜き去り、停止した。
その車はタクシーで、そこから人が降りてきた。
スラリと伸びた脚と高い上背、長髪をなびかせこちらに歩いてくる様はいつ見てもモデルのように格好がついている。
「こんにちは、所長」
所長鳴沢千秋は優雅に俺の元まで歩み寄り、わざとらしく格好つけて言った。
「やあ開くん。わたしもいまから探偵事務所に行くところなのさ。乗ってくかい?」
「はい。所長、お仕事終わったんですね」
「まあな。終わったと言えば終わった。というより、わたしがすべて終わらせてきてやった。まずは乗ろう」
はい、と再度返事して俺はタクシーに乗り込んだ。しかし所長、大阪で三件も事件を抱えてたんじゃないのか。三日で帰ってきたぞ。さすがは所長だと舌を巻く。
タクシーが発進すると、所長はおもむろに長い脚を組んだ。
「それにしても開くん、今日は随分と帰りが早いことだね。終業式か。なるほど」
まだこちらはなにも言っていないのに、勝手に納得する所長である。
「実は、今日帰ると逸美に連絡したのだが、そのときに聞かせてもらった。キミが今回関わっている連続放火事件について。その全部というワケではないが、簡単にな」
「そうでしたか。それで、俺にアドバイスでもくれるんですか?」
しかし所長は端正な顔を一ミリも崩さずフッと笑った。
「いまのキミは、そんなものいらないだろう?」
「ええ。いりませんよ。俺が片付けてみせますから」
「ん。ようやく、意志も固まり、あとは決着を残すのみといったところか。まだ逸美には話してないのか?」
「はい。誰にも」
と、俺は口を引き結ぶ。
「キミが真実へとたどり着き、みんなを救える結論を導き出したと信じて、わたしは口をつぐむとしよう。ただひとつ、言っておくよ」
なんだろう。
俺が所長の横顔を見つめていると、所長はそっと目を閉じた。
「カタルシスは本人の気持ちを動かすだけでは与えられない」
「え? それって、どういう……」
詳しく聞こうとすると、タクシーが探偵事務所の前で止まった。
もう到着してしまった。
俺と所長はタクシーを出て、所長は荷物を俺に渡す。
「さて、準備をしないとな」
「どういうことですか?」
「ん。わたしは今日からまた、事件があるのさ」
またか。本当に常に忙しい人だ。
「じゃあ、この荷物は三階まで運んでおきますね」
「一階の物置でも構わんぞ」
「物置はそういう使い方をする場所じゃないです。洗濯物とかもあるでしょう?」
「そうか。なら任せる」
「はい。持っていってあげます」
生活能力がない人ではあるけど、それはそう装っているだけで、本当はちゃんとしようと思えばできる人なんだよな、所長は。
俺が荷物を持って上がろうとする中、所長はまだ外で立ち尽くしているので聞いた。
「あの、所長。上がらないんですか?」
「ん。そろそろ迎えが来ると思ってな。開くんはその荷物を運んでおいてくれ」
「はい」
きびすを返して俺が階段を上り始めると、車のエンジン音がした。本当に迎えに来た。なんでそういうことまでわるんだろう、あの人は。
所長の荷物を三階の部屋に入れるには、三階の鍵が必要だ。鍵は逸美ちゃんが持っているので、俺は一度二階に行った。
「あら。開くんおかえり」
「うん。ただいま。逸美ちゃん、三階の鍵貸して」
「その荷物、千秋さんに頼まれたの?」
「そ。あの人、また次の事件だって」
「忙しいからね」
いそいそと逸美ちゃんが鍵を取り出して、俺はその鍵を預かり三階の部屋に置いて、部屋の鍵を閉めた。
あ! さっき所長が言っていた言葉の意味を聞くのを忘れてた。
もうとっくに所長は迎えの車に乗って出かけちゃったろうから、自分で考えよう。連絡しても教えてくれなそうだしな。所長は俺や逸美ちゃんの電話に出ないしメールにも返信しない。たまに一方的に電話してくるだけなのだ。経験則からそれがわかっているので、俺は諦めて自分で考えることにした。
俺は二階に戻って、ソファーに腰を落ち着けた。