第二章1 『二人の依頼人』
転換点。
転機。
変化。
これが『運命の輪』の正位置における意味だと逸美ちゃんは言った。チャンスや出会い、定められた運命などの意味もあるらしいけれど、端的に言えば、「そうは言っても、タロットカードは絵解き。啓示をどう捉えるかなのよ」とまとめられた。
放課後まっすぐに探偵事務所にやってきた俺は、タロットカードの本を膝の上に広げて小さな古書店の店主よろしく店番をしていた逸美ちゃんに、真っ先にそう説明を受けた。
ソファーに座ってつぶやく。
「転換点、ねぇ……」
いまの俺には、転換点や転機という単語はいろいろなものを連想させる。今年の春から大学生になる逸美ちゃん、同じく春から中学に上がる妹の花音、この二人はまさしくそうだし、進学しない俺も文理選択があってクラス替えがある。おそらく、来年度から同じクラスになる晴ちゃんだってそうだろう。そう考えると、まったく変化がない人なんていないのかもしれないな。
転機についていろいろと思いを巡らせているあいだに、逸美ちゃんがお茶を淹れてきてくれた。
「どうぞ~」
「ありがと」
「熱いから気をつけるのよ」
一応報告。
逸美ちゃんに、今日の昼休み晴ちゃんから聞いた話を一通り話した。
すると逸美ちゃんは確認するように、
「タロットカードについては、知られてないの?」
「うん。それについてはなにも。いつ、どこが。その情報だけが出回るらしい」
「問題は、それが当たっているかどうかよね。もし当たっているなら、情報を流した人もタロットカードの存在に気づいていることになるし」
実は、他にも可能性がある。
「それと。その情報を流している人が、放火犯であるかもしれない。おそらくそのどちらかだね」
「そうね。どちらの可能性も、十分にあるわ」
「ま。これ以上考えても意味がない。情報が足りない。だから、あとはまた情報が入ったら考えたら?」
「うん」
逸美ちゃんは素直にうなずいた。そしてまたタロットカードの本を読み始める。いまはタロットカードについての知識を供給することで知的好奇心が満たされているようである。
俺はお茶を飲んで、コップで手を温める。
言うまでもないことだけれど、所長は今日も探偵事務所には来ていなかった。今日は現場まで遠くなかったはずだし、また夕方、俺が帰る頃になるとノコノコとやってくるのだろう。
つまり、この時間に依頼人が来たら、俺と逸美ちゃんで対応することになる。
そのため普段お客様から依頼を受け付けるのは、俺と逸美ちゃんであることがほとんどだ。
もちろん誰も来ない日が多いのだけれど、だから俺は今日もヒマつぶしがてらに勉強をしていた。
と、そこへ。
コツコツと階段を上る足音がいくつか聞こえる。
高い声でヒソヒソ話すその会話の内容は聞こえない。
やがて足音が止む。
コンコン。ドアをノックする音がする。ベルもなにもない小さな事務所では、そうするのが普通だ。
「どうぞ」
声をかけると、ドアが開かれた。
立っていたのは、二人の少女だった。
二人共北高――俺と同じ高校の制服を着ている――緑色のリボンということは、二年生だ(一年生の俺は赤いネクタイをしている)。
背が低いほうの少女が、背が高いほうの少女の背中を押して、
「こんにちは」
元気に挨拶し、ドアを閉めた。
あとから入った少女は、短いツインテールが赤いリボンで結ばれており、背丈は標準くらい、子供らしさの残った愛嬌のある瞳とポッと赤く血色のいい頬が明るく活動的な印象を与え、学年的にはひとつ上になるけれど、同級生のような雰囲気である。
「あ、わたしたちと同じ北高の一年生じゃありませんか!」
と、彼女はうれしそうに笑みを浮かべた。
「こんにちは」
もうひとりの少女――彼女は俺の知っている人だった。ひとつ年上の幼なじみで、俺が小学校二年生に上がる前までは近所に住んでいたので、当時は姉のように慕っていた。
名前は、蒲生郷里。俺は彼女を郷ちゃんと呼んでいた。
昔から発育がよくて小さい頃からずっと俺より背が高かったが、いまになってもまだ俺より高い。四、五センチくらい高そう……てことは、一七二、三センチくらいだろうか。おまけに胸も大きい。勇ましい切れ長の瞳と高い鼻、しなやかな筋肉がついていそうな身体を持つ郷ちゃんは、袴が似合いそうなほど、凛としていた。
郷ちゃんは顔見知りの俺にも気づかず気真面目なお辞儀をしたあと、顔を上げてから、口を大きく開けた。
「お、おまえっ! 開! 開じゃないか! どうしてこんなところにいる」
「こんにちは」
と、俺は笑顔で頭を下げた。
「え? なんですか? 蒲生さんのお知り合いですか?」
二つ結びの少女が興味津々に問いかけると、
「うむ。それより」
あっさりと隣の少女の話を打ち切り、郷ちゃんは白いリボンで括られた長いポニーテールを揺らし、つかつかと俺の前まで来て、
「お前も相談をしに来たのか?」
「いや。俺はここで探偵として働いてるんだ」
ちょっとオーバーなリアクションで郷ちゃんは驚く。
「ぬぬっ! 開が探偵だと!?」
「小学生の頃からね」
「では、あのあとからということになるな」
「うん。それで、相談があるんでしょ? まずは座って」
と、手を向けてソファーに座るよう促した。
それにしても懐かしい人に会ったものだ。同じ学校に通っているとはいえ、学年も部活も違うと案外会う機会というのは少ないもので、会ったところで、俺が小学一年生のときに郷ちゃんが引っ越してしまい、それで距離ができてしまったので、学校ではあまり話すことはなかった。
「失礼する」
「わたしも失礼しますっ」
子犬がご主人様のあとにくっついてくるように短いツインテールをぴょこぴょこ跳ねさせ、郷ちゃんが座るのに倣って二つ結びの少女も腰を下ろした。
さて。
「まずは自己紹介をしますね。明智開といいます。この探偵事務所で探偵をしています。所長はいま出ていますので、僕たちがご相談をお聞きします」
俺の紹介が終わると、すかさず逸美ちゃんがそれに続ける。
「わたしは密逸美です。いまは高校三年生です。この事務所の管理と助手をしています。よろしくお願いします」
郷ちゃんは逸美ちゃんに目礼すると、
「では、次はわたしたちだな。わたしは蒲生郷里。故郷の郷里と書く。開とは幼なじみであった。わたしは昔、姉のように可愛がってやったものだ。開は昔のように接してくれてよい。よろしく頼む」
まるで剣道家の家の跡取り娘のようなしゃべり口調と佇まいである。これも昔と変わっていない。
やっと自分に順番が回ってきた二つ結びの少女は、笑顔を作ってしゃべりはじめた。
「はじめまして。わたしは浅野前まひるです。高校二年生です。蒲生さんとは同じクラスです。よろしくお願いします、明智さん、密さん」
明るくて綺麗に響く声だ。しかし高過ぎない、アルトより少し高い音域が耳に心地いい。浅野前さんは自己紹介の笑顔からもわかるけれど、明るい性格の持ち主のようだった。
「二人共わたしよりひとつ下なのね。逸美でいいわよ」
「はい。逸美さん」
と、浅野前さんが答える。
郷ちゃんは「は、はい」と緊張気味に返事した。
浅野前さんは明るい瞳で俺と郷ちゃんを見比べ、
「あの。わたし、お二人の話を聞きたいです」
「悪いな、浅野前。わたしたちは相談に来たのだ。その話をするのはあとだ」
「えー。いいじゃないですか蒲生さん。わたし、知らないですよ、蒲生さんにこんな可愛い幼なじみ兼後輩さんがいたことなんて」
「前に弟みたいな幼なじみがいると話したことはあったぞ」
「そういえば、何度か聞いたことがあった気もします。わたしたちがお友達になったのも、高校二年生になって、同じクラスになってからですので、まだまだ知らないことばかりですね。でも少しくらい明智さんの話をしてくれてもいいじゃないですかっ! わたし、蒲生さんの昔話聞きたいです!」
「わかったわかった。あとでな」
「はーい。わかりました」
郷ちゃんが誰に対してもお堅いしゃべりをすることは知っていたけれど、浅野前さんもある意味でお堅いしゃべりと言えるかもしれない。いまの会話を聞く限り、浅野前さんは誰に対しても(同級生の郷ちゃんに対しても)敬語を使うようである。そのせいもあって、なんとなくこの二人は先輩と後輩に見えてしまう。だからこれで、
「明智さん。今度蒲生さんのお話聞かせてくださいね」
丁寧な言葉遣いと明るいトーンでしゃべられると、見た目の印象も手伝ってあまり先輩という感じがしなかった。
「それで、依頼は郷ちゃんのほうかな?」
「おお。そうだ。よくわかったな」
「階段を上る足音が聞こえて、人数が二人ってわかった。二人の声のボリュームが違うことから、ここに来るにあたっての二人の意思疎通はできているとは言い難い。どちらかが引っ張って来ている形だと思った。事務所に入るときも、浅野前さんが郷ちゃんの背中を押すようにして入ったから、相談があるけどもじもじしてる郷ちゃんを浅野前さんが引っ張ってきたのかなって考えたんだ」
「なんと。すごいな、開。探偵のようであるぞ。だが、わたしはもじもじなどしておらん」
と、子供のように腕を組む郷ちゃん。
俺は苦笑しつつ、
「じゃあ、相談を聞きましょう」
と言って、逸美ちゃんに向き直る。
「逸美ちゃん。記録を取ってもらえる?」
「はーい」
逸美ちゃんは席を立ってノートパソコンを取ってきて、また腰を下ろした。電源オン。準備はできた。
「どうぞ、郷ちゃん」
「うむ。それがだな。その……」
なかなか言い出せないでいる郷ちゃんに代わり、浅野前さんが口を開いた。
「連続放火事件の犯人を、捕まえてほしいんですよ!」