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第六章6   『routeM 14』

 晴ちゃんにはファミレスとその駐車場周辺を見張ってもらうことにした。

「なんなら中で温かいものを飲みながらでも構わないよ」

 と言ったのだけれど、それはためらわれたらしい。車道を挟んだ向こう側に一本の木とベンチしかない小さな公園のような休憩所のような場所があるため、そこで待つとのことだ。

 さて。

 俺はというと、すぐに逸美ちゃんと合流した。逸美ちゃんにも一言挨拶しておきたいと晴ちゃんは言ったが、それはまた今度ということになった。

 コンビニで逸美ちゃんを待たせるのは今回これで二回目だ。逸美ちゃんは今日もマフラーまでして、温かなそうな恰好をしていた。

「あ、開くーん」

「逸美ちゃん」

 と歩み寄る。

「ねえ開くん。晴気くんは?」

「晴ちゃんも張り込み手伝ってくれるっていうからさ、ファミレスを見張ってもらうことにした」

「そっか。今度、お礼しなくちゃね。あとでまた、ちゃんとありがとうしなきゃダメよ?」

 まったく。子供扱いして。

「言うよ。ちゃんと言うから大丈夫」

 そんな助けを借りながらの最終張り込みとなる今晩、放火犯はどこでなにを燃やすのか、学校周辺ということでそれこそコンビニやファミレス、はたまた本屋に薬局回転寿司屋、焼肉屋さんに日本料理屋ホームセンター保育園に神社まで、あらゆる候補が目白押しだった。駅も近いし、学習塾だって何件かある。

「さて、どこに絞ればいいのだろう」

「ファミレスの横には学習塾があって、本屋も車道を挟んですぐにあるわ。さらに近くには保育園もあったけど、さすがにそこはないわよね」

 放火犯に良心があるとしたらだけれど、保育園はないだろうな。いや、放火犯に良心を求めること自体おかしい話だが。

「学校の正門側に集中してるのよね。学校より駅側に学習塾や神社、ファミレスがあるでしょ。わたしとしては学校側で起きそうな気がするんだけど、そっちに張り込むとしたら、駅のほうはどうしたらいいかな」

「駅か学校。俺もどっちかが怪しいと思う。でも逸美ちゃん、学校側で放火が起きそうっていうのは、勘?」

 それによっては俺の中での選択が随分変わる。高い的中率を誇る逸美ちゃんの勘がそう言うのなら、俺は十人の占い師に同じ占い結果を言われるよりも逸美ちゃんの勘を信じる。

 どちらかと答えを待てば、

「勘よ」

 とさらりと答えた。

「そっか。ならちょうどいい。俺が学校側に行こう。で、逸美ちゃんが駅周辺。駅なら人も多いし安全だろ」

 俺が歩き出そうとした途端。

「ちょっと待って」

 なにか問題でもあったのか?

「それじゃ、開くんが危ないでしょ! わたしは開くんを危険から守るために来てるんだから、絶対離れないからね、絶対に」

 念を押すように言われてしまった。

 逸美ちゃんの俺に対する過保護も心配性も理解しているつもりだったが、ここにきてついうっかり忘れていた。

 それにしても、郷ちゃんが危険から守ると言ってくれたならSPを雇った政治家気分でどこであろうと安心して闊歩できるというものだが、逸美ちゃんは俺が守ってやらないとダメだからな……と、俺は苦笑いを浮かべる。

「仕方ないか。じゃあ。いっしょに学校側を張り込もうか」

「うん」

 まあ。大胆にも駅で放火が起きようものなら、駅員さんか乗客かわからないが、誰かしらが即座に駆け付けることだろう。そっちはそれほど心配あるまい。

 そういうことに決まり、俺たちは学校の正門へ向けて歩き出す。


 そしていざ正門前に来て、どこで張り込むべきか考える。

 近いところで正門を見張ることができて目立たず動けるちょうどいい場所は、ホームセンターの駐車場だ。夜に店が閉まってからは、駐車場に車が出入りできないようにとチェーン付きのポールが立てられている。だから、人が入ってくることはないだろう。俺たちはそこで張り込むことにした。

 チェーンを跨いで駐車場に入って行く。

 物陰に隠れて、学校の様子を見張った。

 一応、回転寿司屋も焼き肉屋も薬局も、ここからなら見ることができる。

 さあ、犯人はどこを狙うのだろう。

 もしも俺が犯人だったら、最後ということもあるし、恨みがある場所を燃やしたいと思うだろう。日常の大半を送る学校というのは、そういう意味で高校生がなにかしらの想いを抱え解放したくなる場所としては、なるほど的確だった。むしろそれ以外には考えられない、唯一無二のうってつけの場所だ。

 逸美ちゃんの勘だからというだけではない。論理的に考えても確かに学校という線が一番それらしい。

 犯人のことを考えながら、しばらく張り込みを続けていた。

 もう。結構な時間が経っているはずだ。

「逸美ちゃん、いま何時?」

「十一時半を過ぎたところよ」

 そんな時間か。

 神経をすり減らしてとまでは言わないけれど、それなりに注意力を使っていたのでだいぶ疲れてきた。

 しかし。

 一向に、犯人が放火を起こしている気配がないのである。

 なんて寒さと静けさだろう。身が凍るようだ。まったく。なんでいま、身の毛がよだつ思いがするかな。

「ところで開くん」

「なに?」

 逸美ちゃんが指差したのは空だった。

「煙が上がっているように見えない?」

 暗い空。

 真っ黒く濁った海よりもくすみない黒い暗い空だった。

 指差すほうを見れば、確かに薄く細く煙が立ち上っていた。

 放火――。

 やっと起きたか。

 場所は学校の校舎のほうだった。

「行こう!」

 俺が言うと逸美ちゃんもうなずいて、急いで走って行った。

 このまま犯人に遭遇できるだろうか。できないかもしれない。火を放ってすぐに逃げられていたとしたら、もう現場にはいないけれど、それでも……。

 正門はすでに閉まっていたけれどそれは乗り越えて、校内に侵入する。

 うちの高校は校門を抜けると駐車場があり、するとすぐに校舎がある。校舎の中庭を抜けて俺は走った。

 周囲に気を張りながらも煙が立ち上る場所へ向かってまっすぐ。

 走って走って走った。

 俺の遥か後方を逸美ちゃんが駆けていたのだが、そんなことおかまいなしに全力で走った。

 息が切れる。

 呼吸が乱れる。

 心臓が高鳴る。

 そしてやっと。

 辿り着いたのは、校庭の真ん中だった。

 逸美ちゃんはまだ来ない。

 風で煙が流れる。

 独特の臭いが鼻をついた。

 肉を燃やす臭い。

 髪が燃える臭い。

「…………っ……」

 なんだか吐き気がしてきた。嫌な予感がしていて、それがここにきて、ドクドクと心臓が跳ねるように鼓動した。きっと、その予感を嗅ぎ取ったからかもしれない。

「うっ……」

 来た瞬間にわかっていた。けれど、改めて見てしまうと、正気を失いそうだった。

 なぜならそこで――


 蒲生郷里が死んでいた。


 立っていられない。

 頭が真っ白になる。

 膝から崩れ落ちた。

 地面に膝をついて。

 落ちているリボンを拾った。

 見覚えのある、見間違えるはずもない、白いリボン。

 俺があげた、白いリボン。

 郷ちゃんのリボン。

 あれからずっと、郷ちゃんが身につけてくれていたリボン。

 今日だって身についていたリボン。

 リボンを握り締めるが、手に力が入らない。

「……………っ………ぐ……ぁ…」

 なにも言葉にならない。

 気分が悪い。気持ち悪い。

 妙に気真面目で寄り道すらもできない郷ちゃん。

 すぐ自分勝手にルールを作ってしまう郷ちゃん。

 昼休みに自動販売機の前で悩んでいた郷ちゃん。

 バンザイジャンプで恐怖に打ち勝った郷ちゃん。

 いっしょに赤レンジャーごっこをした郷ちゃん。

 怪談話のお礼にお風呂を焚いてくれた郷ちゃん。

 ケンカしたら相撲を取って仲直りした郷ちゃん。

 そんな郷ちゃんの生首が、燃えていた。

 血の気が引いた。

 なにも考えられない。茫然自失だった。もうなんの意識もなかった。とにかく、激しい動悸と過呼吸に襲われた。

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


「開くん」

 その声で、意識が戻る。

 背中に手の感触を感じる。逸美ちゃんが手をやっていたらしい。その手が、背中をさすっているのがわかる。

 激しい動悸を必死で堪えて、俺は言った。

「蒲生郷里が、死んだ」

 ここで郷ちゃんなんて、まるで彼女が生きているみたいに言っては、俺の中でなにもかもが崩壊しそうだった。

「開くん」

 名前だけ呼んで、逸美ちゃんは俺を抱きしめた。

 逸美ちゃんの温もり。逸美ちゃんは生きているのだ。

 でも。郷ちゃんは死んでいる。

「開くん」

 また名前を言う。

 死んでしまった郷ちゃんは、生き返らない。

 ただ燃やされているだけではないのだ。

 郷ちゃんの死体からは、血が流れていた。

 つまり、刺殺された可能性がある。もうだいぶ焼かれて傷痕はほとんど見えないけど、刺殺されたあと、燃やされたと思われる。

 だがもう、どうやったって修復は不可能だった。

 死体は。

 顔は切り刻まれてはないだろうけど、ちゃんと見られない。

 また見たら、次こそ吐きそうだ。

 しかし。

 現実感がない。

 こういうとき、自分はもっと冷静でいられると思っていた。なのになにも考えられない。

 郷ちゃんを見た瞬間、心が砕けてしまった。

 逸美ちゃんは、もう立てなくなっている俺を胸に抱き寄せ、俺を優しく包んだ。

 本当は泣きたかった。

 しかし、涙は出なかった。

 こんなときに限って、泣けないんだな。

 そう思うと、自分はなんて人間なのだろうと呆れた。薄情さにではない。死を現実のものと受け止め切れていない人間が泣けるはずもないのだから。いや、死んだとは頭でわかっているのに、身体が受け付けていないだけなのかもしれない。

 …………まったく。

 なんなんだよ。

 郷ちゃんとは再会をして時間も経って、そしてやっと昔みたいに話せる仲になってきて、それでもまだまだ話し足りないというのに、なんなんだよ。

 今度言いたいことがあるとか聞きたいことがあるとか言っていたけれど、まだなにも聞いてないんだよ。

 最後の質問にも…………。

「……くっ」

 でも。

 いつまでもこうしてはいられない。

 ここで泣いたら、犯人を捕まえるどころじゃなく、立ち上がれなくなる。

 徐々に頭の中で目の前の事象が輪郭を帯びてきて、次第に冷静さを取り戻していった。

 凄惨な光景を目の当たりにして、それでも俺が前を向いていないと、そうしないといけないのだ。少なくとも、この事件を片づけるまでは――。

 まだ過呼吸のような、動悸はあった。

 けれど俺は逸美ちゃんから離れて、顔を上げた。

「ごめん」

「いいのよ。謝らなくて。開くん、事件がすべて終わったら泣きなさい。そのときはわたしが、そばにいてあげるから。だから、いまはやり残したことをしなさい」

 まったく。さすがだ、逸美ちゃんは。

 俺は立ち上がる。

「うん。片はつける」

 郷ちゃんの白いリボンを、ポケットにねじ込んだ。

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