第六章3 『routeM 11』
「久しぶりだね、凪くん」
晴ちゃんはうれしそうに言った。それはそうか。いくら俺に気をつけろと言っても、旧友に再会する喜びは素直に持っているだろう。
一方の凪はというと、特段普段と変わることなく、口元を緩めて飄々と言葉を紡ぐ。
「元北中生が三人もそろうと、ぼくなんかはそれだけで同窓会気分だよ。こうして三人で顔を合わせると、そのまま中学に足が向いてしまいそうだ」
俺と凪と晴ちゃんは北中だった。浅野前さんは東中だと言っていたか。郷ちゃんに関しては高校からこちらに戻ってきたから俺の知らない中学だったにしろ、確かに凪の言う通り、三人もそろうと中学時代を思い出す。
俺は凪への挨拶もなしに、
「まあ、中学時代もあんまりこの三人でいたって記憶はないけどね」
「開。挨拶もなくいきなりそれかい? ヒドイなあ」
「おまえも俺への挨拶はなかっただろ?」
「そうだったね」
と凪は肩をすくめる。わざとらしい仕草だ。それから凪は晴ちゃんへと向き直る。
「伊倉くんは、開とは同じクラスなのかい?」
「いや。来年は同じクラスになる予定だけど、いまは違うよ」
「予定? 北高ではクラス編成に生徒が関与できるのかい?」
晴ちゃんは苦笑いを浮かべながら謙虚そうに言う。
「成績優秀者は選抜クラスになるんだよ。その意思確認がこの前あってね、おれも開ちゃんもそうだったんだ」
「確かに」
いや、その相槌はおかしいだろ。凪はそれを平気な顔でするから困る。
「凪くんのほうはどう? 凪くん頭よかったでしょ?」
「自慢にならないことを自慢すると、つい先日の試験では学年で三位だったよ。でもね、学校のレベルが開や伊倉くんとは違う。ぼくがそっちの学校に行けば平民だ。その選抜クラスとやらにも入れはしないだろうさ」
「そんなことないって。凪くんならうちでも全然大丈夫だよ。むしろ、さらにもうちょっと上も狙えたと思うけど」
優しいお母さんか先生かみたいな口調で晴ちゃんが言うけれど、凪は緩やかに笑うだけだった。
「上を狙っても仕方がないさ。なんなら、もう少しぼくにも見えるモノがあれば、勉強すらしなくていいと思ってる。勉強なんてやめて、もっと有意義に時間を使うべきだとね。いまのところ、ぼくは目を養うのに時間を使いたいくらいだ。さりとてぼくに夢や目標があれば、勉強なんていますぐやめるだろう」
「そうだね。おれも夢があれば、そうしたいかも。でもできないだろうな。おれは、凪くんみたいに時間の使い方がうまそうなタイプではないから」
と晴ちゃんは苦笑する。
「そんなことはないよ。ぼくは効率的でも事務的でもないんだ。常にマイペースでいたい。そのための余分を取り除くくらいでしか時間を作れないだろうね。その点、伊倉くんはあくまでも勉強を優先させそうだ。性質の問題だよ」
「そうだね。おれはそうかも。それで、開ちゃんはバランスよくこなしそうだ」
どうかな、と俺は頬を掻く。
でも確かに、俺は勉強もしそうだし、凪はあっさりと勉強なんてほっぽり出しそうだ。中学生時代も平気でほっぽり出して学年でも下位の成績になったこともあったやつだしな。
凪はくいとまぶたを上げて、晴ちゃんを見てから俺に視線を移す。
「連続放火事件。伊倉くんからは有力な情報は聞けたかい? なにか開の中でヒットする情報が入っていると思っていたんだけど、よかったらぼくにも教えてほしい」
そんな情報、目撃談におまえの名前があったくらいしかねえよ。なんて。さすがにそうは言えないので、呆れるように嘆息してみせ、
「残念ながらなかったよ。あれから、そっちはなにか、有益そうな情報はあった?」
「残念ながらなかったよ」
大仰に手を開いてみせ、凪は続けた。
「火災というのは、日本においては二月・三月が最も多い時期なんだ。ちょうどいまの時期だね。これはまあ、わかりやすい話さ。おもしろいのが次だ。日本で放火は、殺人と同じ刑が定められている。これってすごいと思わないかい? 人殺しと放火が同じなんて。それなのに、放火の動機は社会への不満が多いんだ。そんな理由で殺人を犯した人と、放火した人が同じなのは、おかしいと思わないかい?」
凪は、それについて不満があるという感じではなく、むしろ法のおかしさを指摘し揶揄するようだった。
「いや。怨恨が理由であればいいとか、そういう話ではないんだ。ぼくは、放火というと本能寺の変を思い浮かべる。視覚的イメージを喚起させるからね。伊倉くんはどうだい?」
「ああ、本能寺の変か。あれは確かに火のイメージが強いね。……おれは、そうだな、江戸の火事かな。江戸時代は多かったっていうし」
「江戸では、破壊消火が一般的であったらしいね。そして被害が大きかった。木造建築だからね。その考えが引き継がれているために、罪が殺人罪と同じ扱いなのさ」
「なるほどね。さすがは凪くん、物知りだね。勉強になるよ。でも気になったんだけど、本能寺の変の黒幕は明智光秀なのかな?」
俺は合の手を入れる。
「世間一般ではそうだよね」
しかし凪は鷹揚に手を広げる。
「ぼくはその真偽はあまり気にならないね。それよりぼくは、光秀黒幕説を採用した場合において、変を起こした要因がなんであったのか、そのほうが気になる。本能寺の変という物語においては、そこが軸だとぼくは考える。だからぼくは、一番メジャーであるけれど怨恨説を押すね。野望説やノイローゼ説なんて論外だ。そんな理由じゃたまらない」
「おまえがたまらないかは関係ないだろ」
「関係大アリさ。世界はぼくにとっては、ぼくが見ているモノがすべてなんだ。その世界がおもしろいのとつまらないのとではまるで違う。なにも認識の話ではなくてね」
ふと晴ちゃんがつぶやくように言う。
「認識といえば……。思い出したんだけど、放火現場について、犯人らしき人物を見たという証言はいくつもあるんだ。実はその中に凪くんも含まれている」
と凪を見る晴ちゃん。
「でも、いくつかでは、犯行の前日にも高校生を見たという証言があるんだ。北高の女子って話も聞いた。最初は噂になってるから、その現場に足を運んだヒトを見られたと思ったんだけど、認識を変えれば、タロットカードを貼ったり確認したりしていたのかなって」
凪は目を細めて俺を見る。
「開、話したね?」
話した、とはタロットカードについてのことだろう。
「話したよ。晴ちゃんならいいでしょ。いけなかった?」
「いや。むしろなぜこれまで話さなかったのかと思った」
「一応、凪の許可が必要かと思っただけだよ」
まあ、浅野前さんに伝言するくらいだから、いいと判断したのだけど。
「で、晴ちゃんの話に戻るけど、その線は俺も考えた。もっとも、犯行の下見ってことも含めてね。それを踏まえて、晴ちゃんはなにか聞いてない?」
「さっきも言ったけど、北高の女子生徒を見かけたって話はいくつか聞いたよ。ただ、噂好きな子が野次馬で見たのかもしれないけど、目撃談では髪を結んだ子や髪の長い子、背が高い子、緑色のリボンをつけた子、何人もいるんだ」
「なるほど」
髪を結んだ子と言われても、俺の周りだけで浅野前さんと郷ちゃんが二人ともそうなのだ。髪の長い子なんてのもいくらでもいる。しかし緑のリボンは制服のことであり、おそらく二年生だろうと思われる。
「晴ちゃんの証言の中でも、どれとどれが同一人物であるかはわからないよね」
「うん。全部別口で入ってきた情報だから。五組の小中高大くんは、緑のリボンだから二年だって言ってたよ」
「だれそれ」
と言う凪に、晴ちゃんが解説を加える。
「うん。別のクラスの子だよ。小さいに真ん中の中って書いて、高いに大きいで、小中高大」
「へー。幼稚園か保育園には行かなかったのかな」
そういう名前じゃねえよ、とツッコミを入れてやる。仮にそれまで入れたら、保小中高大になってしまう。なんというか露骨だ。
「それより、続きを考えない?」
俺が仕切り直すと、凪が横から言った。
「ならば、背の高い子というのを、他のどれかと結びつけるのはやめたほうがいいね」
「どうして?」
「なぜなら、背が高いという特徴は大きいからだよ。知り合いの背の高いヒトを思い浮かべればいい。その人物を評するとき、まずは背の高さを挙げるだろう。ぼくが伊倉くんを言い表す場面があっても、そうするよ。でもね、髪を結んでいるという特徴は割合当てはまりやすいから、背の高いヒトに関してはあえて挙げないんだ」
「なるほどね。そこで、心当たりを簡単にリンクさせるのは禁物だってことか」
「うん。早計だ」
確かに凪の言う通りかもしれない。郷ちゃんの特徴を挙げろと言われたら、俺はまず背が高いと答えるだろう。それから、白いリボンで髪をひとつに結んでいると続けるはずだ。
晴ちゃんが常に張り付けている温和な笑みで、
「しかし凪くんの和して同ぜずなスタンスはすごいと思うよ」
と褒めそやす。晴ちゃんはよく人を褒める傾向がある。褒められて嫌な人はいないから、相手も話したくなって情報が集まるのだと俺は思っている。
「すごくなんてないさ。自分の意見がある場合もあるけど、どうでもいいことのほうが多いんだ」
そして凪は袖をまくって、文字板が綺麗な青色をした腕時計を確認した。
「そろそろ行かないと。ぼくはこれから予備校なんだ」
「そっか。凪くんは予備校に行ってるんだね」
「伊倉くんは塾や予備校には通ってるかい?」
「おれは塾に行ってるよ。今日は休みだけどね」
ということはここでお別れだ。凪は正面から来たみたいだし、俺はその正面に進んでいくわけだし。
「じゃあまたね、凪」
「ばいばい、凪くん」
「うん、またそのうち」
そう言いながら俺と晴ちゃんの横を通り過ぎて行く凪を、軽い微笑みを浮かべて見送って、互いに振り返ることなく、俺たちは歩き出した。
歩きながら、晴ちゃんは一度凪を振り返り、そしてまた前を向く。
「やっぱり凪くんはおもしろい子だね」
おもしろいというよりは、変わってると言ったほうが正しいな。
「そういえば、凪の目撃談は?」
「えっと、聞きたいのは、放火より以前に凪くんを見たヒトはいないかってことでいい?」
「うん」
「凪くんとは特定できてないけど、中央高校の男子生徒を見かけたって声もあるよ。背はあまり高くなかったって」
「そっか」
やはり凪の言うように、人は特徴を挙げるとき、背の高さや髪の長さのようにサイズを持ち出すことが多いのかもしれない。あとは、目立ったポイントだろう。文字板が鮮やかで綺麗な青色の腕時計をしているとか、燃えるような派手な赤いリボンをしているとか。
俺も晴ちゃんも閉口して歩く。水を打ったようとは言わないまでも静かだった。なにか他に聞くことはあったろうか。まあ、晴ちゃんのほうからなにも情報を提供してこないところを見ると、他にこれといったモノはないのだろう。
「この事件、早く解決できるといいね」
晴ちゃんが落ち着いた声で言った。
「うん。でも、次――今日の放火が最後だと思うんだ」
「へえ。どうして?」
「今回のタロットカードが『世界』っていうカードなんだけど、意味としては最後だから、これで終わりかなって。だから今日の張り込みで捕まえないといけないんだ」
「そっか。がんばって。おれに手伝えることがあればいいんだけど」
「今日の夜の帳尻合わせだけで十分過ぎるよ」
「勉強会ってことにでもしておこうか。開ちゃん、他は大丈夫?」
「大丈夫だよ。たぶん、なにかしらの決着はつくから」
晴ちゃんは、それ以上はなにも言わなかった。言いにくい雰囲気を俺が出していたのかもしれない。
晴ちゃんは軽く手を上げて、
「開ちゃん。おれはこっちだから。またね」
「ああ。うん。また」
いつの間に交差点まで来ていたのか、晴ちゃんはそれだけ言ってさっさと帰って行った。信号を渡る俺は、信号が赤から青に変わるのを待ち立ち止まって、晴ちゃんの後姿をぼんやりと眺める。
信号が青になった。
さて。
「これから決戦か……。いや、その前に家に帰って準備して、打ち合わせもしないとだけど」
この場合、戦うという表現が合っているのだろうか。相手はもちろん放火犯。放火をやめさせて、捕まえることが目的ではあるけれど、向こうはなにを想っているのだろう……。
まあ、とりあえずは、まずは家に帰ろう。
しかし俺は、いまも家で誰かが待っている可能性など、一ミリも考えていなかった。