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第六章1   『routeM 9』

 月曜日が始まった。

 いつも通りに浅野前さんが家の前まで迎えに来る。これも日課になりつつあって、事前連絡がなくても少し早めに起きて玄関を出て、ついに妹の報告的な呼びかけもなくなったけれど、それでもやはり浅野前さんはいた。

「おはようございますっ! 明智さんっ」

 朝から元気よくリボンを揺らして頭を下げる浅野前さんに、親しみをもって挨拶する。

「おはようございます」

 それでは行きましょうか、と浅野前さんが歩き出す。浅野前さんは楽しげに花音の話を始めた。

「花音さん、随分わたしになついてくれましたよ。わたしうれしくて、朝から元気もらえました」

 確かに花音が浅野前さんになついているのは本当で、そんな妹と仲良くしてくれる人のいい先輩を少し微笑ましく思いながらも、しかしまた別のことを考えている自分がいた。

 浅野前さんは兄弟がいたのだろうか。妹の話をしているいま、これはちょうどいい機会だし、単刀直入に聞いてみるか。

「ところで。浅野前さんには、兄弟はいるんですか?」

 急な質問に戸惑った様子は見せず、ええと、と前置きしてから話し出した。

「兄弟。わたしにもいました」

「いましたってことは、いまは……」

「ええ。いまは帰らぬ人となってしまいました。よかったら聞いてくれませんか? わたしの昔の話のこと」

 それはいままで切り出すタイミングのなかった話を、ようやく切り出せたような、決壊が壊れて流れ出した川のようだった。

「聞かせてください」

「では、この登校中に話し切るようにまとめますね。昔、わたしには兄がいました。唯一の兄妹です。わたしと兄のふたりだけ。亡くなった兄以外にわたしに兄弟はなく、兄弟と呼べるような……そう、明智さんと蒲生さんのような、特別な、兄弟のような存在もありませんでした。兄はわたしが五歳の頃に亡くなりました。それでも覚えてるんですよ、兄のこと。わたしは兄が大好きで、いつもくっついて歩いていました。一つしか年が違わないのに、すごく頼りになって。蒲生さんと明智さんもそうですよね。年齢差がいっしょです」

「そうですね」

「兄との思い出は、いまでも覚えているんですよ。エピソードにして語れるくらいにです。アルバムの写真で見たり両親から話を聴いたりして、それで補正されている分もあるかもしれませんね。でも覚えてるんです。それは絶対に」

 そう言い切る浅野前さんに、俺はなにも相槌を打ったりせず聞き役に徹した。

「わたしは許せないんですよ。今回の放火事件のこと。わたしの兄が死んだのは、放火が原因なんです。家が放火されてしまい、兄だけが助からずに死んでしまいました。そのとき父はかなりのやけどを負い、いまも完全には治っていません。父の顔を見るたびにわたしは思い出してしまうんですよ、あの放火事件を」

「だから今回の放火も、許せないんですね」

 力なくうなずく浅野前さん。

「はい。放火なんかするヒトは許せません。たとえ誰かが許しても、わたしが許しません。絶対です」

 その声は落ち着いていた。興奮しているようなこともなく、ただ淡々と兄の話を紐解くついでのように話していた。

「その放火は、犯人は捕まったんですか?」

 浅野前さんは首を横に振った。ゆらゆらと赤いリボンが揺れる。

「いいえ。不審火とのことでした。原因はわからず仕舞い。しかしそうでもなかったんです。あとから子供が誤って火を放ってしまったという事実が出てきたらしいのです。でも、子供のしたことですから、結局は仕方のないことです。なにも仕方なくなんかないのに、おかしいですよね」

 辛そうな笑顔を向けられると、どうしようもなくなってしまう。俺は顔をそむけて前だけを見る。

「わたしね、思うんですよ。もしいまでも兄が生きていたら、明智さんと花音さんみたいだったのかな、それとも、蒲生さんと明智さんみたいだったのかなって。最近いろんな兄弟を見て、それを見ていると幸せな気持ちにもなるんです。いろんなことを考えてしまいます」

「…………」

「ごめんなさい。こんな話をしても、なにも言えませんよね。困りますよね」

 いいえ、とかぶりを振る。

「俺でも話を聞くくらいならできますから。それくらいはさせてください。これで、気の利いた相槌やアドバイスができればいいんですけどね」

 苦笑してみせる。

 俺の言葉が予想外だったのか、浅野前さんは戸惑ったように目をパチパチさせると、それからふふふっと目尻を下げて笑った。流れるように口から出ていた言葉もせき止められ、普段の彼女らしく元気な明るい笑顔で、ひょっと俺の前に立った。

「明智さんっ。わたし、明智さんと出会えてよかったです。もしかしたら明智さんって、話を引き出すのがすごくうまいのかもしれません。こんな話、いままで誰にもしたことありませんでしたから」

「俺は普通に聞いただけですよ」

「きっと違うんですよ。明智さんには、しゃべりたくさせる空気があるんです。おかげさまですっかりおしゃべりさせてもらいました。ありがとうございます」

 ペコリと浅野前さんは頭を下げる。

 再び歩き出して、浅野前さんは言う。

「あ、もう校門ですね。困りました」

「どうして困るんですか?」

「明智さんにおしゃべりを聞いてもらうのも、あと少ししかできないからですよ」

 俺はくすっと笑った。

「まだしゃべるんですか? そんなしゃべることなんてありましたっけ?」

「女の子のおしゃべりは尽きないものなんです」

 郷ちゃんが言うよりは説得力があった。それを郷ちゃんが言ったらツッコミを入れてるところだ。

 校門を通り抜けて校舎内までにある桜の木の下で、浅野前さんが足を止めて天を仰ぐ。

「見てください。もう少しですよ。開花まで、あと二週間というところでしょうか」

「わかるんですか?」

「大抵そういうものなんです。桜のつぼみもふくらみかけてきました。いい季節になりましたね」

「ですね」

 浅野前さんは唐突に言う。

「あと十分あります。どうですか? ここで少しお話しませんか? 今度はわたしが話を聞きますよ」

 断る理由もないし、いいか。

「いいですよ。なんの話にしましょう。郷ちゃんの話でもいいですか?」

「もちろんです」

 そうは言ったものの、なんの話をしたらいいものか。別段このときのために用意しているエピソードもないしな。……ああ、桜の木でひとつ思い出した。

「春の話です。俺と郷ちゃんが最後にケンカした話で、郷ちゃんが引っ越す直前の話です」


 いまから九年前の春。桜の花が満開になっていた頃のことだ。

 俺と郷ちゃんで、母親二人と赤ん坊だった花音もいっしょに近所の公園に桜を見に行ったことがあった。しかし正確な場所も覚えていない。花見というにはなんの余興もない、ただ桜を見に行っただけのささいな日常だ。

 桜吹雪が舞っていた。

 まだ葉桜にはならない、桜の木が広がって花が爛々としていたとき。

 郷ちゃんが桜の枝を振り回して、お茶を飲んでいた俺を引っ張り出した。

「行くぞ! 探検だ」

「探検ってどこに?」

「そこらへんだ!」

「うん」

 どこに行くのか結局わからないままうなずく俺だった。

「こっちだ」

 かけ声に合わせて走り出す俺と郷ちゃん。

 このとき、俺は郷ちゃんが引っ越すことを知らなかった。郷ちゃんがそれを俺に打ち明けたのは、二人で公園だかどこだかの林の中をうろついていたときだった。

郷ちゃんは枝をピュンピュン振りながら、

「もうひっこしか………」

 とつぶやいた。

「ひっこし?」

 聞き返すと、郷ちゃんはわかりやすく「しまった」というように口を手で押さえる。

「ひっこしってなあに?」

「聞かれてしまったらしかたない。ひっこしは、どこかちがうところに住むことだ。わたしは、遠くにひっこすのだ」

 最初はピンとこなくて首をひねったけれど、すぐに理解した。そういえば引っ越しを聞いたことがあったと思い出す。

「ほんとに?」

「うむ。そうだ」

 郷ちゃんの顔で、嘘でないとわかる。そもそも郷ちゃんは嘘をついたりしないのだ。

「いつ?」

「来週だ。もうわたしはひっこす準備もできているのだ」

 そのとき、俺の目には涙がじんわりと浮かび上がってきていた。

 なんでいままで黙っていたんだ。

 どうして教えてくれなかったんだ。

 悔しい気持ちと悲しい気持ち、そして寂しい気持ちで、俺はどうしようもなくなってしまった。

「きょうちゃんのばかーっ! きょうちゃんなんてだいっきらい!」

 俺は郷ちゃんを押し飛ばした。そのとき郷ちゃんがころんで尻餅をついたのか、全然動じなかったのか、俺は覚えていない。いや、見てもいなかった。

「開ー!」

 呼び止める声も聞かず俺は走り去っていた。

 それから俺は、母たちの元に戻って郷ちゃんの母親に聞いた。

「ひっこすの?」

「うん。そうよ。郷里から聞いたの? ごめんね。あの子、『開には自分で言うのだ』ってきかなくて」

 横から俺の母も言った。

「開。郷ちゃんとケンカしたの?」

 こくりとうなずく。

「ひっこすって、教えてくれなかったから。だから、ばかって言っちゃった。あと、きらいって」

「そう。じゃあ、謝らないとだめよね。ちゃんとごめんなさいって」

 ふてくされ気味だった俺の頭に、郷ちゃんの母がポンと手をやった。

「開くん。郷里と仲直りしてあげて。別に秘密にしてたわけじゃないのよ。あの子なりに考えてたの。開くんに嫌いって言われて、あの子すごく落ち込んでると思うな」

 ね? と郷ちゃんの母は優しくにこりと微笑んだ。

「うん。あやまってくる」

 俺は急いで郷ちゃんの元まで走って行った。

 郷ちゃんは、寂しそうに桜の木の根元に座っていた。来ない親を待つ保育園児のような悲しい顔でうつむいている。

 駆け寄って、俺もうつむきながら謝った。

「ごめんね、きょうちゃん。ごめん」

 郷ちゃんは顔を上げて、俺の顔を見る。俺はまだ、郷ちゃんの顔を見返せないでいる。

「きょうちゃんのこと、きらいじゃないよ。ほんとは、すごくだいすきだよ」

 そして、やっと、郷ちゃんを見る。

「開ー」

 俺が郷ちゃんの顔を捕らえたときには、郷ちゃんは俺に抱きついてきていた。

「まったく。開のばかもの!」

 すっと俺の身体から手を離し、肩に手を置いて、

「開。わたしとすもうをとれ!」

「え?」

「いいからすもうだ」

 うなずいて、相撲を取った。郷ちゃんと競り合って、なんとか俺は郷ちゃんを投げ飛ばした。たぶん、郷ちゃんは本気ではなかったのだと思う。投げられた郷ちゃんは、芝生の上で横になったものだから服に桜の花びらをくっつけて、はははと笑った。

「すもうをして、わかったぞ。開はやっぱり昔の開のままだ」

 なにが昔のままなのかわからなかったけれど、俺は郷ちゃんと仲直りができてうれしかった。きっと相撲というのが、郷ちゃんにとって、照れくささを紛らわせる仲直りの方法だったのだろう。

「きょうちゃん、探検しようっ」

 すぐにまた、走り出した俺と郷ちゃんだった。

 そして一週間後、郷ちゃんは引っ越した。

 これから毎日電話するとか手紙を書くとか、達成されない約束なんかして。

 ただひとつ、達成された約束があった。

「また会おうな。絶対だ」

「うん。ばいばい」

「ばいばいじゃなく、またな、だ」

「うん。またね」

 車に乗って遠ざかっていく郷ちゃんを、俺はずっと、いつまでも見送っていた。


 話を聞き終えた浅野前さんは桜を見上げた。

「これが、明智さんと蒲生さんの桜と別れの思い出なんですね。なんだかいいです。うらやましい」

「ケンカしたってだけの話なんですけどね。俺、ケンカなんてほとんどしたことないくらいです」

 なんせ、晴ちゃんともケンカしたことがあったかどうか。凪には苛立たされることはあっても、それこそあいつは柳に風と受け流すので、ケンカというケンカになった記憶はあまりなかった。まあ、妹の花音とはすぐにケンカしてすぐに忘れる、の繰り返しだったけれど。

「あっと。もう時間ですね。そろそろ教室に入りましょうか」

「そうですね」

 下駄箱までいっしょに行って、そこでいつものように浅野前さんとは別れた。

 しかし思い返せば小さなことでケンカして、随分すんなり仲直りしたものだ。

 逸美ちゃんとのケンカだったら、くだらないことで口喧嘩になって、そしていつの間にか仲直り、だろうか。いや、よく「開くんは頑固で意地っぱりだもんね」と言われるから、気づいてないだけで逸美ちゃんに仲直りのきっかけを作ってもらっていたろうか。結局、なんだったかな……。

「まあ、なんでもいいよな」

 つぶやきつつ、浅野前さんの過去話と郷ちゃんとの思い出話が頭の中で糸を引いて、「さて」とつぶやくことで、頭の中を切り替えたつもりになって一年一組教室に歩いて行った。

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