第五章2 『routeM 5』
郷ちゃんを部屋に招く。
「こっちだよ」
小学校に上がるときまでは子供部屋があっただけで、それから俺の勉強机が我が家にやってくると同時にいまの部屋になったのだが、この部屋は郷ちゃんも知っているはずだった。しかし、部屋は昔よりだいぶスッキリしている。俺ももう高校生なので、ゲームやオモチャで散らかっていることもない。
部屋を見た郷ちゃんは感嘆の声を上げた。
「ほう。これが開の部屋か。昔とはまた随分変わった気がするな。片付いている」
当然。俺が未だに部屋を散らかしていると思われているとは心外だ。俺は普段からちゃんと片付けを怠らないのだ。うちの家族の中で唯一整理整頓が得意なのは、この俺だからな。
郷ちゃんはうれしそうに俺のベッドの上に座る。かと思えばすぐさま勉強机に座り直して、
「開はこの机で勉強しているのか」
と、なつかしむような感慨にふけるような調子で言った。
そういえば郷ちゃんに勉強を見てもらう約束をしたんだっけ、と思っていると、ポケットの中の携帯電話が鳴った。取り出して確認する。逸美ちゃんからのメールだ。それも二件目。一件目はちょうど一時に来ていたらしい。
『今日も事務所にお客さんは来てないよ』
これが一件目。
『なにか事件についてわかったこととかない?』
そしてこれが二件目だった。
普段は連絡なんてあんまり寄越さないのに、今日はえらく小さなことでも連絡をしてくるな。
「返信はいいか」
右手に握ったケータイをそのままポケットに戻す。
「開、いまなにか言ったか?」
「ううん。別に」
「そうか。それより開。ゲームでもするか。なんだかやりたくなってきたのだ」
昔は二人でよくやったし、古いハードならいまでもあるから、それでもしようか。
二人でゲームの準備をする。
「そうそう。これだ。この古いヤツがいい」
ゲームの準備が終わると、郷ちゃんは子供時代に戻ったようにコントローラーを握った。
「このキャラは使ってはダメなのだ」
いざゲームがはじまると、昔作ったルールをしっかりと踏襲し、当時と同じように遊んだ。郷ちゃんを横目に、こっそりまた逸美ちゃんから連絡があったかなと確認してみると、またメールが一通来ていた。
「落ち着かないな」
次気づいたら電話に出て話すか。
「開。落ち着かないとはなにを言っておるか。いくら異性と二人きりで部屋にいようと、気心知れたわたしたちの仲ではないか。しかし、わたしにドキドキして落ち着かないと言われるのも、悪い気分ではないのだ。はっはっは」
「ドキドキなんて言ってないよ。郷ちゃんが思ってるより俺、郷ちゃんのことを、ただの姉みたいにしか思ってないから」
「ん?」
と。俺がなにを言っているのかわかっていない目だった。そんなの当たり前ではないか、と顔に書いてある。
「さ。ゲームの続きでもしよう」
「ならば、次のソフトをやろう」
郷ちゃんはソフトを漁り、レースゲームを取り出していたずらっぽい笑顔で聞く。
「これでいいか?」
「いいよ」
これも郷ちゃんとはやり込んだゲームだ。新しいハードでは晴ちゃんともやったし、なんなら花音とも随分やった。花音とやり倒したゲームだし、いまの郷ちゃんに負けることはあり得ない。
白熱したレースの最中に母がおやつをもってきてくれて、それをつまみながら続けた。
一旦区切りがついたところで、急に思い出して、俺は恐る恐るケータイをポケットから取り出した。
「…………やっぱり」
電話が一件にメールが八件。どうせ内容なんてないのだろうけれど、よっぽど落ち着いていないのか、『いまおもしろい本を読んでたの。錬金術についての本よ』とか、『探偵事務所にひとりでいるってヒマね~。誰もいないし、踊っちゃおうかしら。なんてね』とか、内容はどうでもいいことばかりだった。
「開、どうした。顔がこわばってるぞ」
たぶん、こわばっているというより、呆れた顔だろう。
「いや。なんでもないよ。それより、これからどうする?」
「時間もあるし、あれをクリアしよう。よくふたりでやったではないか」
そう言って郷ちゃんがソフトを漁り取り出したのは、ピンク色で悪魔のように食いしん坊なキャラクターが主人公のアクションゲームだった。
「あっ! 懐かしい! なら、やっちゃうか」
しばらくゲームに熱中して、気がつくといい時間になっていた。コントローラーを置いて、郷ちゃんは時計を見る。
「もうこんな時間か。時間が経つのは早いな」
「楽しいときは早いって言うよね」
「うむ。楽しかったのだ。昔は外を探検したり、虫をつかまえたりもしたもんだがな」
「でも、いまじゃ難しいね。ていうか、この歳で虫取りはないでしょ」
虫取りに熱中する高校生というのもあれだし、まして二人で虫取りなんてしていたら、なんのイベントかと怪しまれること請け合いだ。郷ちゃんはゆっくり立ち上がり、俺のベッドによたよた歩いていって、バタンと横になった。
疲れたのかな?
さすがに布団の中には入らなかったけれど、枕に顔を埋め、それから俺とは反対側に顔を向けつぶやく。
「開。また遊ぼうな」
「……うん」
らしくもなく、しおらしいくらいな大人しさで郷ちゃんは言葉を続ける。
「開。また来てもいいか?」
「うん。当たり前じゃん。今度は俺が郷ちゃんの家に行きたいな。おばさんにも挨拶したいしさ。いいよね?」
フッと息を漏らす。笑ったような息だ。
「当り前だ。……………なあ、開。おまえはホントに変わらないんだな。昔と」
なんて答えればいいだろう。
変わったよ。俺も郷ちゃんも。
なんて。そんなこと言ったら郷ちゃんを突き放しているような気がして、言えなかった。代わりに口をついたのは当たり障りもない言葉だった。
「俺は俺さ。郷ちゃんも変わってないよ」
「……そうだな。開、おまえは変わらないよな?」
一昨日も真っ黒に日焼けしたおじいさんを見て、開も少しは健康的に焼けるといいとか言ってたくせに、なに郷愁じみているんだか。
「変わらないよ」
「おまえはそういうヤツだ。成長したな、開。わたしにとっては、おまえの代わりは…………いや、やめた。こういうのは、もっと別の機会に言うべきことだったな」
ガバッと身体を起こして、郷ちゃんは燃える太陽のように笑った。うん。その顔のほうが似合ってるよ。
「そうだ郷ちゃん。俺、今度いつ郷ちゃんちに行こうか?」
ベッドの上であぐらをかいて、郷ちゃんは昭和の父親みたいに胸の前で腕を組んだ。
「ふうむ。わたしはいつでも構わんのだが、母さんに会わせてやりたいからな。うむ。だから、また都合がいい日がわかったら連絡するということでどうだ」
「オッケー。了解」
玄関ではお母さんが、郷ちゃんが帰るのを名残り惜しそうにしていた。
「またおいでね。郷ちゃんならいつでも大歓迎だから。事前連絡なしでもいいからね」
「また来ます」
あえて敬語を使わず昔の調子で話そうとしたらしい郷ちゃんだけど、ここではうっかり敬語になっていた。
「開。送って行ってあげて。郷ちゃんは女の子なんだから、夜道は危ないでしょう」
「いや。大丈夫。わたしは大丈夫なのだ。わたしは女の子という感じではないと、開にも言われたしな」
「それじゃあ、俺が失礼なこと言ったみたいだろ。俺は、乙女って感じじゃないって言ったんだよ」
あんまり変わらないけど。
まあ心配ないとは思うけれど、でも、せっかくだし送っていってやるか。
「途中まで送って行くよ」
「そうか。じゃあ、頼む」
母が再度、「またおいでね」と手を振って、郷ちゃんが元気にうなずいて手を振り返す。
歩く道にも、桜の木があった。まだ冬の装いだが、そろそろつぼみもふくらみかけてきていい頃だ。
「もう春も近いね」
郷ちゃんはすぐに言った。
「そうだな。桜もあと何週で咲くだろうな。桜といえば昔、いっしょに花見に行ったな。場所は忘れたが、近所の公園に」
「……ああ、行った。行ったね」
しかし、よくすぐにそれが出るものだ。
「ところで。郷ちゃんから浅野前さんの話は聞いてないな。浅野前さんってどんな人?」
「気になるのか? まあ、わたしは探偵については知らんが、依頼人のことを気にし過ぎるのもどうかと思うぞ」
「それほど気にしてるとかじゃなくてさ。郷ちゃんの友達って、郷ちゃんからはどんなふうに見えてるのかなって。浅野前さんからは郷ちゃんの話を聞くけど、郷ちゃんからは聞かないなって思ってさ」
また、郷ちゃんは悩むように胸の前で腕を組んだ。
「あいつはな、いいヤツだと思う。開とはタイプが違うが、可愛いヤツでな。敬語でしゃべるから距離を感じそうなものだが、親近感もある。明るいせいもあるだろうが」
「好きなモノとか嫌いなモノとかは?」
「好きなモノか。噂話が好きなヤツではあるぞ。なんでもよくしゃべるからな。嫌いものは、はて……。あったろうか」
郷ちゃんはちょっと悩んでから言葉を継ぐ。
「……ああ、嫌いなモノってワケじゃないと思うんだがな、前に『おまえは、兄弟はいるのか?』と聞いたことがあったのだ。そしたら、あいつ、普段はまったく怒らないのに、珍しく怒ったような目でわたしを見て、『兄弟の話はしたくありません』と言ったのだ。あれにはいささか驚かされた」
へえ。なにか事情があって話したくないこともあるだろう。しかし、ちょっと待て。浅野前さんは俺の妹を見て、「兄妹っていいですね」と言っていた。矛盾だろうか? それとも、ただ郷ちゃんが質問したそのとき、タイミング悪く兄弟とケンカしていたのか……?
考えたら、浅野前さんは俺と花音をうらやましがってはいたけど、自分に兄弟がいないとは言っていない。いまや郷ちゃんとも聞けないパンドラの箱と化しているそれだけど、機会があるなら、今度聞いてみてもいいかもしれない。
そんなことを考えている横で郷ちゃんとは、浅野前さんがいかに理系科目が苦手であるか、文系科目が優秀であるかなど、いろいろと話してくれていた。
ふと、郷ちゃんの白いリボンが目に入った。
「ねえ、郷ちゃん。そのリボン、どうしたの? 矢にでも引っかけちゃった?」
「む! なんでわかったのだ!」
やっぱりね。昨日郷ちゃんが出かけただろう場所は、部活のある弓道場以外ないしな。
「さすがは探偵だな」
「そんな大したもんじゃないよ」
しかし郷ちゃんがリボンに矢を引っかけるなんて、ちゃんと集中できていなかったのだろうか。
「でもさ、郷ちゃん。だったら、そのリボンを新しいモノに替えればいいのに」
「新調する時間がなかったのだ」
そうだな。だから俺のさっきの推理があったのだから。
「なら、うちに来るよりリボンを買いに行けばよかったんじゃない?」
「そんなこと、できるワケがないだろ。おばさんに挨拶をするのが最優先だからな」
うれしいことを言ってくれると思っていると、洋菓子店があった。ケーキを焼く甘い香りが店の前にも漂う。絵本の中みたいにカラフルなお菓子が並ぶ、小さなお店だ。
「こんなところにお菓子屋さんあったんだね」
「ああ、入ったことはないが。いい匂いがするから、少しお腹が減ってしまったな」
あと五分十分で家に着くが、せっかくだしお菓子を食べてもいいかもしれない。俺もちょっと食べたくなってきたし。
「郷ちゃん。ちょっとなにか買おうよ。俺もお腹減ったし」
「うーむ。もう夕飯だが、まあいいか」
二人で店内に入る。小さなお店なので歩き回るほどの広さはないけれど、並べられたお菓子はたくさんあった。
「郷ちゃん、なにが食べたい?」
「そうだな…………」
郷ちゃんは腕を組んで悩み始めてしまった。考えたら、郷ちゃんは選ぶのに時間がかかるんだよな。なら、こっちで決めてしまうか。
「クッキーでいい?」
「おお、いいぞ」
即答。よし、そうしよう。俺はクッキーを手に取る。白いリボンでラッピングされた小箱だ。俺がレジへ持っていこうとすると、郷ちゃんが引き留めた。
「開、ここはわたしが払ってやる。言い出したのはわたしだからな」
「いや、いいよ。この前ジュースおごってもらった分ってことで。それに、食べたいのは俺もいっしょだし」
「そうか。ありがとな」
ただジュースをおごってもらうだけにするつもりが、三倍返しくらいのお返しになってしまった。まあ、そうは言っても、俺もいっしょに食べるのだけれど。
会計を済ませてお店を出て、白いリボンを解いて小箱を開ける。包装されたクッキーが二列に三枚ずつ入っている。
「はい。どうぞ。一人三枚ずつね」
「うむ。いただこう」
しかしクッキーを取る手を止めて、
「開。その白いリボンなんだが」
「これ?」と包装用のリボンを手に聞き返す。
「わたしがもらってもいいか?」
「うん。まあ、いいけど。どうするの?」
口元を緩ませてうれしそうに受け取ると、現在髪を束ねているリボンをするりと解き、すとんと落ちた流れる髪をもう一度まとめ直して、無造作な手つきでリボンを付け替えた。
「どうだ? 似合うか?」
そのリボンは包装用だと言っても、とても綺麗なリボンだったから、これまで郷ちゃんがしていたモノよりずっと映えた。うれしそうな笑顔でそう問いかける郷ちゃんに、似合っていた。似合っていると素直に言うのは照れたけれど、
「うん。似合ってる」
頬をうっすらと赤くして笑む郷ちゃんに、照れた微笑みを返す。
昔、俺が小学校一年生のときの運動会、赤いハチマキを頭に巻いて白いリボンで髪を束ねる郷ちゃんがひどくアンバランスに思えて、聞いたことがあった。
「なんできょうちゃんはいつも白いリボンをつけるの?」
俺が物心ついた頃から郷ちゃんはいつも白いリボンをついている。でも、考えたら郷ちゃんは赤色が好きなのだ。
すると郷ちゃんは得意げに答えた。
「だって、わたしは赤が好きだろう? 服だって赤が好きだ。だから、白を髪につけると、赤が目立つのだ」
つまり、赤色を引き立たせるために白色を添えるということだ。俺はよくわかってないくせに、「へー。すごーい」と納得したものだった。
クッキーをかじりながら歩く。甘くてふわふわと柔らかいクッキーだった。郷ちゃんが一足先に三枚全部食べ切って、俺も最後の一枚を口に押し込む。
「郷ちゃんちはもうちょっとかな?」
「うむ。昔住んでいたところから、あまり遠くならない場所がいいと不動産屋に頼んでな。でも、開の家まで徒歩で二十分近くかかってしまう」
……ふーん。もしかして、
「その不動産って、昨日放火があった――」
「そうだ。でも、昨日も怪我人が出なくてよかった」
それも確かにそうだけれど、こう身近でばかり放火があるのは嫌なものだ。そんなことを考え歩いていると。
交差点の青い信号が点滅する。
郷ちゃんは走り出した。振り向きながら、
「開! ここまでで大丈夫だ! ありがとな!」
と一気に渡り切ると、信号が赤になった。
「じゃあなー! また学校でなー!」
大きく手を振る郷ちゃんに、俺も手を振り返す。
「またね」
それだけ小さく言って、くるりと身を翻して歩き出す郷ちゃんに背を向ける。
……ああ、そうだ。タロットカードについて聞くのを忘れていた。まあいいか。それより、気になっていた携帯電話を取り出して確認してみる。
「やっぱりな。まったく。しゃあないな」
またメールが一通増えてる。不在通知から、そこに電話を掛ける。電話はすぐに出た。
『開くん。どうしたの? なにかあった?』
「俺のセリフだよ。いま、郷ちゃんを送ったところ。そっちはどうだった?」
『お客さんはひとりも来てないわ。開くん、今日は楽しめた?』
あんなにメールを送られて楽しめるか。いや、実際は楽しめたけど。
「楽しかったよ。ゲームとかした」
『そう。よかったわね。いいなぁ。開くん、楽しそうだなぁ。お姉ちゃんも混ぜてほしかったなぁ』
こういうとき、なんて言えばいいんだろう。
「じゃあさ。今度、事務所でゲームやろう? いつも逸美ちゃん本読んでるかパソコンしてるし、俺は俺で勉強したりテレビ見たり本読んだりだしさ。たまにはいいでしょ?」
昔なんか凪もいっしょに三人でよくやったものだった。凪と出会う前は二人でもやったっけ。
二秒ほど間が空いて、
『うん。いいかも。じゃあ明日も待ってるからね』
「わかった。じゃあまた明日」
電話を切って、ひとつ息をつく。
これでひとまず落ち着いたか。
さて。
俺も家に帰るとしよう。
郷ちゃんが今日、家に来てくれたのはうれしかったし、なにより楽しかった。久しぶりに充実した休日を過ごせた気分である。まあ、充実とはいっても、ゲームばっかりしていたのだけれど。
俺が自宅の前まで来たとき、うちの庭の前、表札の辺りで立ち尽くしている少女がいた。
少女は俺に気づくと満面の笑みになって、
「こんにちは。いえ、もう暗いので、こんばんは。ですねっ」
元気な声でそう言った。赤いリボンとツインテールを揺らして一歩二歩とリズムよく近寄ってくる。
俺はそんな彼女に聞いた。
「どうして、浅野前さんがここに?」