第三章6 『おじいさんと白い犬』
おじいさんはフリスビーを取ってきた犬をわしわしと可愛がっているところだった。品が良さそうな白い犬だ(飼い主を除いて見てみれば)。
「すみませんが、連続放火事件について話を聞かせてくれませんか」
「へい?」
まるで日本とは別の南国の民族として今日まで育ってきた人が、突如としてこの公園に降り立ったかのような根幹からの違いを感じる。郷ちゃんを見る目は犬へのそれとは百八十度異なり冷たかった。
「犯人を見ませんでしたか?」
「おらが? まさか。放火ってのは、深夜だろう? おらはここに住んでるんでもねえからな」
「どこに住んでるんですか?」
こら、関係ないこと聞くな。せめて相手を選んでくれ。
俺の心の嘆きなどお構いなしな顔をして答えを待つ郷ちゃんと、郷ちゃんの顔をすっと目を細めて見るおじいさん。
「おらの家は橋の下じゃねえ。一応、息子の世話になってるんでな。息子の家だ」
「わたしは両親と三人暮らしなのだ」
また変なことを教えるな。聞かれてもないことは黙っておけよ。郷ちゃんはやっぱり危なっかしいな。
おじいさんはニッと笑った。
「あんた、いい目をしてるな。ホントは、おらは教えるつもりなんかなかったんだ。でも、あんたには教えてやる」
なんか気に入られてしまった郷ちゃんのことが心配にもなったけれど、それよりそのおじいさんが知っているのがなんなのか、気になる。
「昼間、公園を見ている高校生が二人いた。別々に見かけた。観察してるみたいだったな。放火のための下見だろう。おら目が悪いから、一メール以内じゃないと顔が見れねえ。だから顔はわからねえが、あんたの着てるのと同じ制服を着てた。女だな。もう一人は別の高校だった。そっちは男だ。もしやあんたがその犯人かと思ったが、あんたが犯人なら、それ相応の理由がある気がするしな。あんたには教えてやってもいいと思った」
「なんでわたしには、教えていいと思ったんですか?」
「おらは人間が好きじゃねえ。なんでもひとくくりにしようとして、少しでも人と違うやつをはじきだそうとする。くだらない。その点、動物はいい。おらは動物が好きなんだ。特に犬はいい。最高だ。人間のくだらなさがない。でも、あんたはそういう人間とは違う感じがしたんだ」
最初は言葉が通じるのかと不安になったくらいだったけれど、話してみると自分の考察も交えた話をしてくれて、さっきの子連れの母親なんかよりよっぽどしっかりと話をする人だった。だんだん声にも深みが増していったような錯覚すらあった。
お礼を言って立ち去るとき、おじいさんは俺のほうに一瞥をくれて、犬に視線を移した。俺のことは嫌いな人間かどうか判断し兼ねる顔をしていた。
まあ無理もない。俺は人と違うことをいいことだと思っているが、かといってしかし、認められるべき個性とそうでない個性があるとも思っている。この感覚が俺とおじいさんで通じるかどうかは微妙だ。
「ま、関わらないが吉だよな、普通」
それを臆せず平気でコミュニケーションを図ろうとする郷ちゃんはさすがだ。そんな郷ちゃんは辺りを見回し、次のターゲットを決め兼ねていた。
聞き込みが終わって浅野前さんと集合したときには、俺たちは結局四人からしか話を聞けていなかった。
おじいさん以降の二人からはなにも聞き出せなかったので、実質的には一人分の目撃情報しか仕入れられなかったことになる。
「ほう。そうでしたか。なるほど」
浅野前さんに話すとうなずきながらメモをしていた。
「で、浅野前さんのほうはどうだったんですか?」
「はい。わたしのほうもあまり結果は芳しくなかったわけです。しかし! ひとつおもしろい情報がありました。男子高校生を見かけた人がいるらしいんです! 制服は中央高校のものだと言っていました。上にコートを着ていたそうなんですが、ズボンがそうじゃないかと」
ふと、晴ちゃんの言葉が耳元で再生される。
――凪くんを見かけた人がいたって聞いたよ。
これは、凪のことなんだろうか。ことによると、さっきのおじいさんが見たというのも凪なのかもしれず、しかし俺はそれを確認できなかった。
「これは、柳屋さんにも聞いておきましょうか」
俺にも聞こえるような独り言をつぶやく浅野前さんだった。
公園をあとにした俺たち。
本日最後の放火現場はオフィスビルだった。
四階建のビルにはいくつかの会社が入っている。
このビルの隣が郷ちゃんの家ということなのだろう。両隣を見てみると、一軒家と二階建のアパートのようだった。その一軒家が郷ちゃんの家だ。
観察するまでもなく、家の壁は黒くすすけていた。
「あれが郷ちゃんの家?」
「そうなのだ」
「結構やられちゃってるね。業者に頼まないとダメだね」
「うむ。仕方あるまい。塗り直しと一部補修でなんとかなる」
郷ちゃんの家は、ビルの左側。方角的に見て日当たりは良く、隣が四階建のオフィスビルでも日陰になることはなさそうだ。まあ、さらに隣のアパ―トも南向きには日が差すので特別問題もないだろうけれど。
しかし。ここでの聞き込みなんてできるのだろうか。
放火現場がすぐ家の横だったという郷ちゃんが見ていないのだ。それをその辺を歩く人に聞いたところで、結果は予想できる。
しかして、三人で聞き込みをしたけれど、やはり犯人を見たという人はいなかった。
これではもう、今日は解散だな。三人で顔を見合せてそんな空気を感じ取ると、郷ちゃんが俺に言った。
「開、うちに寄っていくか?」
どうしようか。時間的な問題はないし、むしろここまで来て挨拶のひとつもないほうが問題かもしれないな。
「久しぶりにおばさんの顔も見たいし、挨拶だけしておこうかな」
「悪いな、開。気持ちはうれしいが、母さんはいま、仕事でいないのだ」
「そっか。じゃあ、また今度来るね」
「うむ。そうしろ」
俺と郷ちゃんのやり取りを聞いていた浅野前さんが駄々っ子みたいに郷ちゃんの腕に手を回し、
「蒲生さーん、わたしのことは招待してくれたことなかったじゃないですかー。わたしも蒲生さんのお部屋見たいですよー」
「ええい、離れんか! また今度、呼んでやる。今日は帰るのだ」
「わかりました。約束ですよ? ぜひ、明智さんといっしょに呼んでください」
「うむ」
郷ちゃんの返事を聞いてやっと腕から手を離す浅野前さん。浅野前さんの押しの強さにやや気遅れ気味な郷ちゃんだった。
「じゃあまた今度ね、郷ちゃん」
「じゃあな」
「では蒲生さん、失礼します」
慇懃な挨拶をする浅野前さんと共に、俺は郷ちゃんの家から自宅へ帰ることにした。
現在十七時。
まだ活動するには十分な時間である。方角がいっしょだということで、毎朝の登校のように浅野前さんと並んで歩いた。
今日はタロットカードについては調べられなかったが、また明日調べるとしよう。
いや。
やはり、逸美ちゃんへの報告をしないと。
なにもうちから探偵事務所まで歩いて一時間もかかるわけじゃない。
普通に景色を見ながらゆったり歩いても、三十分はかからない。せかせかまっすぐ歩けば二十分くらいで行けると思う。
ということで、俺は浅野前さんに言った。
「ごめんなさい。ちょっと急用で、探偵事務所へ行ってきます」
「もしかして、報告とかですか?」
「ええ。そんなところです」
すると、浅野前さんはつまらないそうな顔で、
「せっかくながら、年上のお姉さんとして明智さんを送らせてくれてもいいじゃないですか。あと五分、いや三分もすれば明智さんちの前です」
「あはは、ごめんなさい」
と、また謝る。
この先輩にも自分のほうが年上でお姉さんだって自覚はあったのだな、とそんなささいなことを考える。
しかし、浅野前さんは残念がったかと思えばすぐに微笑を浮かべた。
「でも、それが探偵なんですもんね。いってらっしゃいませ! お次は、いえ今度こそは、最後まで送らせてくださいね」
俺も笑顔を返す。
「はい。ではいってきます!」
俺は走り出した。
本当は特別急いでいるわけでもないから歩いてもよかったのだけれど、なんだかその場に――彼女を背に、留まっていたくなかった。
さあ。
逸美ちゃんに会いに行こう。
角を曲がって、走る速度をさらに上げる。




