第三章3 『蒲生風呂』
自動販売機の前にまだたむろしていた俺と郷ちゃんは、飲み物を買いに来た生徒がいたので、少しだけ場所を移動する。この前みたいに二階には上がらず、一階の適当な廊下で立ち話だ。
「ところで開。お前は浅野前と連絡を取っているのか? わたしに内緒で現場に行こうなどしおって」
「別に隠してたわけじゃないよ。浅野前さんから行きたいってメールが来たから、俺は郷ちゃんも来るものと思っていただけだし」
郷ちゃんは安心した顔でうなずく。
「そうか。ならよい。陰でこそこそ密会していたわけでもないのならな」
「密会って。普通にいっしょに登校するくらいでしか、浅野前さんとは会ってないよ」
一瞬にして、郷ちゃんの顔から余裕がなくなり、落ち着かなそうなそわそわした顔になる。
「いっしょに登校だと!? 開、それは真実か」
この場合、真実と書いて『まこと』と読む。
「う、うん。どうしたの? 郷ちゃん」
「なぜわたしに隠す! わたしだって、開の家に行って、おばさんにあいさつをしたいのだ。なぜ黙っていたのだ」
言う必要はないと思って。とはさすがに言えないので、別に隠していたわけでもないけれど、適当な言葉を並べて口八丁にごまかす。
「浅野前さんが事件についての話をしたいっていうからさ、浅野前さんがせっかく家の前まで迎えに来てくれたし、だから話していただけだよ。それより郷ちゃんでしょ? 俺の家教えたの」
と質問にして切り返す。すると郷ちゃんは首をひねった。
「わたしが? うーむ。どうであったか。……ああ。話したぞ、そういえば。開の家に行くつもりだと言ってなかったから印象になかったが、教えたのはわたしだ」
俺は肩を下げて、はぁと嘆息してみせた。
「やっぱり郷ちゃんか。ビックリしたんだよ、浅野前さんが家の前にいたときは。やっぱりそういうことだったんだね。ところで郷ちゃん、今度うちにおいでよ。明後日くらいなら、お母さんパート休みだったと思うんだけど」
郷ちゃんはパッと笑顔になる。
「うむ。明後日だな。部活もないことだし、行くとしよう。お邪魔させてもらうぞ、開」
「どうぞ」
「何時頃に行けばよいのだ?」
何時でもいいが、明日の夜は放火現場の張り込みをする予定で寝るのは遅くなりそうだし、だったらいっそのこと午後のほうがいいだろう。
「そうだね。時間は、午後の一時くらいでいいかな?」
「大丈夫だ」
いつになるかいつになるかと思っていた郷ちゃんの訪問も、こうして日時が決定した。郷ちゃんがうちに上がるのなんて、ほんと十年ぶりくらいになるだろう。元郷ちゃんが住んでいた家はなくなってしまったけど、俺の家だけでも懐かしさを感じるはずだ。
郷ちゃんはおもむろに携帯電話を取り出して、時間を確認した。
「もう昼休みも終わりだな。開、それでは放課後、下駄箱の前で待ってるぞ」
「うん。わかった」
「またな、開」
「うん、また」
階段へ向かって歩いて行く郷ちゃんの凛とした背中を見送り、俺もきびすを返した。やっぱり郷ちゃんとの会話はおもしろいな、と改めて思いながら一年一組教室へと戻る。
「……にしても、子供の頃に戻った気分になるよな、二人でしゃべってると」
なんだか昔を思い出すというより、自分自身が昔にフィードバックしている感覚になる。郷ちゃんはどうなんだろう。案外郷ちゃんも、同じことを思っている気がした。
そういえば、昔は明後日の午後一時だ、とか時間を決めたっけか。なにも打ち合わせなしで、もしくは明日遊ぼうとだけ約束して、時間なんておかまいなくお互いの家を行き来していた気がする。まあ、家も隣同士だったし。
たとえばあれは、俺が幼稚園の年中さんだった頃――。
郷ちゃんは怪談が好きだった。だから、幼稚園でおもしろい怪談を聞いた俺は、すぐに教えに行ったのだ。
「きょうちゃん、かいだんだよー」
それだけ言って、郷ちゃんの家に上がり込む。郷ちゃんはうきうきと目を輝かせて、「はなせはなせ」と紙芝居を楽しみにする子供のように言った。
俺は自信があった。おもしろい話だと思っていたし、一生懸命ちゃんと話した。
だから、話を聞き終わった郷ちゃんが満足そうに喜ぶのを見て、俺もうれしくなった。
「開、よくやったぞ。おもしろかったぞ。これは、おれいをしないといけないのだ」
「おれい?」
首をかしげてぽーっとしている俺を横目に、郷ちゃんは自分のおもちゃやらゲームやらを漁りはじめる。しかしちょうどいいものが見つからなかった。
「しかたない。あれだ」
言うと、郷ちゃんは庭に飛び出して、なにやら作業をはじめた。石を組んでドラム缶を立て、その中に水を入れていく。ドラム缶風呂だった。
「キャンプにいって、父さんがやっていたのだ」
「そうなんだ」
「『がもうぶろ』だ。父さんがそういっていた」
「きょうちゃんのなまえといっしょだ」
「うむ。そうなのだ。だから、まってろ」
落ちていた木の枝を集めてライターで火を起こし、気がつけば、郷ちゃん本人が焼けてしまったようにすすで真っ黒になっていた。
買い物から帰ってきた郷ちゃんの母がそれを発見し、やめさせて、郷ちゃんは叱られた。「危ないでしょ!」と言われて、郷ちゃんは全身真っ黒のまま、謝ることしかできない。しかし郷ちゃんの母も娘が反省したのをちゃんと確認すると、
「いいから、お風呂に入りなさい」
温かい笑顔でそう言って、結局、そのあと二人でお風呂に入ったのだった。
まったく、なつかしい話を思い出したものだ。
また郷ちゃんの顔が見たくなる。
浅野前さんと郷ちゃんが下駄箱前で俺を待っていたのは、授業と清掃が終わって、それからすぐのことである。
下駄箱前ではすでに浅野前さんと郷ちゃんが待っていた。
「開。やっと来たな」
「お待ちしておりました、明智さんっ」
挑戦的な笑みを浮かべる郷ちゃんと明るく溌剌とした表情の浅野前さんである。思っていた通りの表情で待ってくれていた二人の元へ、上履きから靴に履き替えて歩み寄る。
「お待たせしました。二人共早いですね」
「なあに、わたしたちも五分前に来たばかりなのだ」
「そっか」
「それじゃあ、行きましょうか。どこからにしましょうか。近いところから順番というのもいいですが、明智さんはなにか案はありますか? わたしはそれに従いますよ」
遠足の予定を組み立てる小学生のように、俺を見上げるようにしてメモ帳から顔を上げ、浅野前さんは唯々諾々と俺に意見を求めた。
実際、昨日回った場所には行かないので行く場所は限られているし、つまり、凪といっしょに行った公園とオフィスビル、そして歯科医院の三つだけでいいのだ。あまり時間もかからないしどんな経路でも構わなかった。
「えっと。確か一番近いのは、歯科医院だったかな。そこからでいいですか?」
「はい、もちろんです!」
「うむ。あそこだな。いいぞ」
まあ、回るところが三つしかないことは歩きながら浅野前さんと郷ちゃんの二人に説明すればいいだろう。
「では行きましょう! もたもたしてると、今日中に回り切らないですからね!」
うん。やっぱり浅野前さんにはすぐに説明しようと思った。