第二章18 『知ってるおばさん』
ワールド・オブ・システムが放火されたのは、会社の横に設置されている自動販売機なのだそうだ。正確には自動販売機の横のゴミ箱とのことである。
こうしてみると、ゴミ置き場やゴミ箱が多い(公園やオフィスビルなど)。放火現場八件のうち実に三件がゴミ箱やゴミ置き場というのは、あまり放火衝動でやったわけではないと思われる。
「ここら辺は人通りが多いね」
「大通りほどはないけど、適度に人が通る感じよね。会社や民家が混じっていて。でも、民家のほうが多いのかな」
何人かの人にすれ違いながら歩く。
逸美ちゃんはが説明を終える頃には現場に到着し、観察を始めた。
プラスチック製のグレーのゴミ箱が燃えたらということだが、当のゴミ箱は新調したらしく、どこにも傷はなかった。
「全焼したワケではないそうよ。でも、新しいモノに取り換えたんだって」
「まあ、そうだよな。一部が焼けて溶けたしまったモノを、そのままにはしないし」
「でも、ここは人通りがあるから話を聞けるかもしれないよ」
「誰かに声かけてみる?」
「そうね」
道行く人の中から適任そうな人を探す。夕方になったこの時間になると、スーツに身を包んだサラリーマンも増えてきていて、主婦らしき人や学生らしい人だってちらほら見かけた。噂に敏感なのは、主婦あたりか。
スポットライトを浴びたような黄色い自転車が横切る。
この近所に住んでいそうなおばさんだ。歩きよりも遅いんじゃないかというスピードでペダルをこぎ、いまにも自転車から降りそうな、前髪にパーマをあてた四十代くらいのおばさんである。自転車から降りるところならちょうどいい。声をかける。
「すみません。前にここであった放火のことで話を聞きたいんですけど、いいですか?」
なるべくにこやかに聞いた。
その自転車のおばさんは自転車からは降りず、よろよろしながら通り過ぎて弧を描くようによろよろと戻ってきた。無表情にこちらに顔を向ける。おばさんは自転車から降りることなく、サドルを跨いだまま言った。
「いいわよ。なに?」
自転車からは降りないのか。降りる気配はあったのに。
「あの。このゴミ箱が燃やされたって聞きましたけど」
「そうね。燃やされたわ。わたしは見てないんだけどね、知ってるのよ、わたし。噂で聞いたの」
「噂では、犯人がどんな人だったとか聞いてないですか?」
「聞いてはいないわね。でもなにも知らないワケじゃないの。その日、高校生くらいの男の子を見たっていうのは聞いてるし。一応、そういう意味では知ってることになるわね」
男子高校生か。ゾーンが広過ぎるな。しかしこのおばさん、やたらと自分が知っていることを強調してくる人だ。無知だと思われるのが嫌なのかもしれない。さて、それじゃあ、そこに付け込んだように質問させてもらうか、悪いけど。
「じゃあ、その男子高校生がどこの学校の生徒なのかは、知ってますか? 僕が知ってる情報と違っているか、確認したいので」
おばさんは苦渋に満ちた顔をした。目の前の高校生が知っている情報を自分が知らないとは言えないだろう。知っていたら迷わず話してくれるだろうし、知らない場合、適当な理由を並べてごまかすはずだ。
「知らないこともないわね。でも、どうなのかしら。ただの噂を話すのも悪いわ。学校側に迷惑かもしれないわね。できればわたしも、知ってることは話したいんだけどね」
どうやら知らないようだった。それに、犯行時間は深夜だというから、見かけた人がどこの学校の制服かまでは判別できなくても仕方ない。暗闇に紛れやすい濃い色の制服が多いのだ、この近辺は。
「そうでしたか。ありがとうございます」
「気にしなくていいわよ。これ以上知ってることを話すのもアレだし、わたしから言えることはもうないわ」
逸美ちゃんが律儀に「ありがとうございました」と言うのを横で聞いて、やけに目立つ黄色い自転車をよろよろとこぎ出すおばさんを見送った。
「おもしろい人だったね」
「ね~。おもしろかったね。でも開くん、ちょっと意地悪な質問の仕方したよね。おばさん、困った顔してたよ」
「そんなつもりじゃないんだけどね」
このあと逸美ちゃんがあのおばさんを『知ってるおばさん』と命名した。俺が、それを言うなら知らないおばさんでしょと言っても、「それじゃかわいそう」と言うので、俺はそれ以上なにも言わなかった。
しかし、ひとつは情報が入った。そして、あの知ってるおばさんが知っていることがこの近辺の人が知っていることとイコールなのだろう。これ以上の成果は望めまい。
天を仰げば、もう西の空にぼんやりとピンク色の雲が広がっていた。いい天気だ。今日は曇りだから、このあとすぐに暗くなるだろうな。残すはタロットカード一枚分とはいえ、できるだけ明るいうちに確認しておきたい。写真を撮るにしても暗いより明るいほうがあとで見やすいし。
暗くならないうちにカードが貼られているという壁に移動することにした。
カードは徒歩で約三分のところにあった。
一般の民家、一軒家のお宅の石塀に貼ってあった。
戦車に乗った若い王の姿が悠然と書かれている。ただ、戦車といっても動物がそれを引いており、王の手には杖のようなものが握られている。
「THE CHARIOT」
「これは『戦車』の正位置だわ。意味は、勝利・前進・行動力・突進力とか。ここで勝利というのはなそうだけれどね」
「だね。意味としては、前進や行動力のほうがそれらしい。けど、どうともとらえきらない感じだな」
逸美ちゃんがつぶやく。
「わからないことが、増えていく感じね」
「うん」
でも、まだまだ捜査も始まったばかりだ。
とりあえず、今日のところは終わりにして。明日は凪や浅野前さんがなにかを教えてくれるかもしれないし、晴ちゃんに聞くこともあるかもしれない。
おそらくだけど、真っ先に情報をくれそうなのは浅野前さんだ。
また明日の朝にも俺の家の前に来て、運動部の後輩よろしく待っているツインテールの先輩の姿が目に浮かんだ。