第二章17 『一件目と二件目』
俺は、約十年前に郷ちゃんと二人でやってきた、当時とあまり変わらない古びたままの廃工場に到着した。
時間が経って風化しているのかもしれないけれど、俺の印象としてはなにも変わっていなかった。きっと元々ボロボロのいまにも崩れそうな外観には、これ以上の風化の余地は残されていなかったのかもしれない。
だから俺は当時のことを思い出しながら辺りを見回し、ああ、あそこで郷ちゃんとヒーローごっこをしたなと思い出しつつ、なんとも言いづらい郷愁を感じていた。
観察するまでもなく、どこが燃えたのか、一目でわかった。トタンの壁が燃やされていて、まるで巨大な岩が左半分だけ貫通して、大きくえぐられたように壁が破損していた。
「ひどい焼け跡ね」
「でも、カタチは大体残ったままだし、マシなほうかもね」
「そうね。パッて見たところ、現場にはなにも落ちていたりしないしね」
「うん。でも、この現場も写真だけは撮っておこうか」
俺と逸美ちゃんは現場の写真を撮影して、廃工場を離れ、タロットカードが貼られている壁へと移動することにした。
凪に送ってもらったメールで確認したところ、それはすぐ近くだった。歩いて一分で着いた。やはりどこも、大体徒歩三分圏内になるのだろう。
石で作られた塀にカードがあった。
カードを確認する。
杖の先に袋を括りつけ、それを肩に担いでいる青年の絵があった。その隣には犬がいる。
まあ、なんというか、予想通りだ。
「THE FOOL」
と凪が言っていたように読み上げる。
「『愚者』の正位置。カードの番号はゼロ。大アルカナの一番始めのカードよ。意味は、冒険・無知・自由・無邪気・可能性・発想力・天才、とかだったかしら」
「最初のカード。一件目には、まさにピッタリだね」
しかし逸美ちゃんは曖昧に首をかしげた。
「どうかしら。そうでもないと思うわ。カードとしてはそうかもしれないけどね。意味としては、『魔術師』のほうがそれらしいと、わたしは思うのよ」
「どうして?」
「なぜなら、正位置における『魔術師』の意味は、創造・物事の始まり・起源。他にも才能・感覚とかって意味もあるんだけどね。でも、意味としてはやっぱり、普通は『魔術師』を選ばない?」
どうだろう。逸美ちゃんの主張は正しいと思う。かといって、俺は最初に『愚者』をもってくるのも、いかにもそれっぽいと思う。
「あれだね。俺はタロットをよく知らない。だから、『愚者』が最初っていうのは番号の関係上ぽいと思う。でも、『魔術師』のほうが状況を捉えている、と言うことができる。つまり、犯人は厳密な意味・絵解きより、それらしさを重視しているのかもしれない。なんなら、タロットに詳しくない可能性すらある」
「そうかもしれないわね」
他にも、相手に伝えるべきメッセージが『愚者』のカードにあるのか、そのカードから始めなければならないから、という線も考えられる。まあ、いずれにしろ、思考を深めたカードの絵解きなり結果分析はあとからやるべきものだ。
「次は、どこが近い?」
俺たちはまだ見に行かねばならない現場が残っているのだ。
メモと写真を撮り終えた逸美ちゃんは、
「パチンコ屋さんね。でも、パチンコ屋さんには聞きづらいのよね。開くんをパチンコ屋に入れたくないっていうのもあるけど、やっぱり深夜の犯行だから、みんな知らないって言いそう。会社には入れないし」
それもそうなんだよな。これまでのレンタルビデオ店と喫茶店での聞き込みがそう言っている。噂というのは、すぐに広がるクセにその進行方向なんてわからない。ただの拡散でもあるからこそ、凪や晴ちゃんや浅野前さんなんかのほうが詳細を知っていたりするのだ。
「じゃあさ、現場だけ見ておこうよ。もしちょうど話を聞けそうな人がいたら聞く、くらいのスタンスでさ」
「そうね。じゃあ行こう、開くん」
パチンコ屋に着いてから、建物自体を観察しながらどこが燃やされたかわかるか逸美ちゃんに聞いてみると、
「開くんはきっとそう言うと思って、午前中に調べておいたわ。過去の新聞を調べて手帳にまとめておいたの」
案の定、逸美ちゃんはそれらの情報の把握はすでにしているようだった。さすがは逸美ちゃん。手際のよさは折り紙つきだ。持っているバッグから手帳を取り出した。
「えっと。パチンコ屋さんでは、建物自体が燃やされたみたい。ほら、あそこ」
と壁を指す。
「壁自体修理したんだと思うわ。新しくなってるでしょ?」
「確かにね。壁の色が違う」
「ここの被害は大きかったみたい。ケガ人はいないんだけどね。歯科医院の犬の置物やオフィルスビルのゴミ置き場も火が大きく上がっているし、ちょうどパチンコ屋のときくらいから被害も拡大しているのかな?」
「なるほどね」
言われてみれば確かにそうだ。思い返せば、俺が初めて凪と見たオフィスビルは壁がすすけていて、燃えた跡が残っていた。きっとゴミ置き場自体の炎は大きかっただろうし、歯科医院の犬の置物も燃え方は大きかったと聞く。
「大体のところは、燃やされたら、そのモノを新しいモノに換えるから、現場検証も難しいね」
「けど、一応見ておく必要はあるわ。次、いこっか」
気を取り直した逸美ちゃんは一歩進み出て、ふわりとした栗色の髪をなびかせて頭だけ振り返る。
「こっちよ」
タロットカードの確認。
壁に貼ってあったのは、巨大な天使がラッパを吹いている絵だった。その音を仰ぎ聞くように数人の人間が天使を見上げている。正位置だ。
「『審判』ね」
「JUDGEMENT」
「正位置での主な意味は、復活・結果・発展」
続けて逸美ちゃんは和歌でも諳んじるように知識を披露する。
「絵柄を見ると、決意と審判のイメージがわかるわよね。スポーツなんかでも審判って笛を吹くでしょ。それといっしょだと思うの、この絵にあるラッパは。だからストレートな表現だと思う」
「決意っていうのは個人の感覚的な絵解きだと思ったけど、審判の結果は決まったっていうメッセージだと考えると繋がるね」
ここまで解いてもらったら、出る幕がないな。でもその通りだ。審判は、決定したことを伝えるためのダイレクトなメッセージ。そこに間違いはなさそうだ。
「よし。じゃあ次だね」
「うん。次で最後ね。二件目に放火された会社。会社名は確か、ワールド・オブ・システム」
ワールド……。直訳して世界。
「そういえばタロットには、『世界』ってカードがあったはずだけど、関係はあるのかな? 放火現場にはタロットカードの名前に関連する場所が選ばれるとか」
「なるほど! 開くん、そうかも」
しかし即、俺は自身の意見を取り下げる。
「いや。でもそうでもないか」
「なんで?」
「だって。喫茶店は『メイ・コーヒー』。和訳してみてくださいと言いたげなネーミングだ」
「五月・喫茶?」
「『さつききっさ』と読めて回文になる。これには言葉遊び以上の意味はなさそうだし、だったらパチンコ屋はというと、『FIRE=POINT』。『FIRE』の背景に『火』と書かれたデザインだ」
「火って、なんか放火と関係ありそうじゃない?」
「そうでもないよ。『火』と書いて『か(KA)』って読むんだよ。『FIRE』を『KA』に置き換えた、アナグラム的くだらない洒落としての意味しかなさそうな名前だ」
「えっとつまり、『KAPOINT』を並び替えて……」と逸美ちゃんは考えるようにして、ポンと手を叩いた。
「『PATINKO』」
「意味ありげな『FIRE』と『火』の文字はあるけど、カードの繋がりはないとみていい。燃やされたモノにも関連性は感じないし、いまはタロットを追うのが一番だと思う」
「けど、普通ローマ字で書くと、パチンコのチはCHIじゃない?」
「ああ。でも、ほら」
と、俺はそばのノボリを親指で指す。
「あはっ。ホントだね」
これじゃパティンコだ。くだらないことに頭を使ってしまった。けれど、解説を聞いた逸美ちゃんが喜んでくれたし、まあいいか。