第二章14 『節制』
俺と逸美ちゃんは店を出た。
「そうだ。店の脇、見てみようよ」
「焼けたメニュー看板を見るのね」
うん、とうなずき、店の脇に移動する。
焼けたというメニュー看板はなるほど確かにもう使えない有様になっていた。輪郭もはっきりしていない、黒くなって字も読めない看板だ。
この看板には、犯人に繋がる証拠はないだろう。
俺と逸美ちゃんはとりあえずケータイを取り出して喫茶店とメニュー看板の写真を撮っておいた。
また、この喫茶店が燃やされたときのタロットカードも見ておかねばならないだろう。
もし浅野前さんがいたとしても、彼女はタロットカードの存在は知らないだろうから意見を求められないし、郷ちゃんも同様だ。けれど、凪がいたら、聞くことができる。
考えたら、浅野前さんがタロットカードの話を俺にしてこないところを見ると、凪は浅野前さんにはその情報を教えていないことになる。
できることなら、凪に話を聞きたいところだ。
幸い凪の連絡先は登録してあるので、連絡手段がないわけではない。しかし凪が電話に出るだろうか。何時からかは知らないけれど、今日は予備校があるというし。
一応、メールだけは送っておく。タロットカードがあった場所とこれまでのカードの詳細を教えてくれという業務メールに、果たして返信はあるのだろうか。
タロットカードは大体目の高さにあったように思う。正確には目に入る場所というだけで、肩くらいから顔の辺りまでに、俺の確認した『運命の輪』と『太陽』と『死神』の三つのカードが収まっていた。
歩き始めてから五分ほどして、二人でいい年してかくれんぼをしているみたいに辺りをキョロキョロしていると。
「開くん。踏切、渡ってみる?」
「うん、そうしよっか」
この先にちょうど踏切もあるところだ。見ればバーが下がってきている。電車が通り過ぎてバーが上がったら、渡るとしよう。
逸美ちゃんと踏切まで歩いて行く。
俺たちの進行方向とは逆から電車が来ていた。
踏切まで行き、電車が通り過ぎるのを待つ。
ここを渡ったところで、そう遠くない場所なら徒歩三分圏内というテリトリーに含まれているはずだ。それなら十分範囲内だ。
とか思いつつ電車の車輪や下部の辺りを見ていると、やがて電車が通り過ぎると共に騒音も過ぎ行き、バーが上がった。
ふうと息を吐いて、顔を上げる。
すると。
正面に、よく知る顔があった。
「やあ」
まるでここでの再会を知っていたかのような、何事にも動じない神経の図太さを顔に張り付け、飄々と片手を上げて近づいてくる元クラスメート、柳屋凪だった。
俺は足を止めて、
「こんなところでなにしてるの?」
柔らかく笑って、凪はケータイを取り出し、真っ暗な画面を俺に向ける。
「開。メール見たよ。いま返信をしたところさ」
直後、俺の右ポケットに入っていたケータイが振動し、それを手に取って見てみると、さもありなん、凪からの返信だった。情報が詳細に書いてある。
「サンキュー、凪。で、お前はここでなにしてるわけ?」
「予備校に向かって歩いてるんだ。やあ、逸美さん。久しぶりだね」
「凪くん、久しぶり~。全然変わってないわね。最近はまた、開くんがお世話になってるみたいで。ありがとうね」
「いやいや」
「ていうか凪。学校と予備校の通り道にここはあったのか?」
さも当然のことだと言わんばかりに凪は言った。
「含まれていないね。ぼくは参考書を見るため、本屋に立ち寄っていたんだ。それゆえにこの経路になったわけさ」
こいつが勉強をするとはあまり思えないんだよな。
「凪、いまからヒマ?」
「ヒマだね。予備校での授業は夕方に開始されるんだけど、それまでの時間は自習室で勉強でもしようと思っていたところだしね」
「聞きたいんだけど、凪は高校に入ったら勉強するようになったの? 以前の凪なら勉強なんて試験前にしかしなかったろ」
凪はやれやれと手を広げる。
「まいったね。キミはぼくをなんだと思ってるんだか。ぼくの勉強は、試験勉強に限らないとだけ言っておこう」
考えたらこいつは、無駄な知識が豊富なのだ。机に向かって勉強しているかと思いきや、実は雑学とかなんかの図鑑を読み込んでいる、ってパターンのほうがそれっぽい。
「なんか微妙に納得したよ」
「それはそうと、なんだい開? 捜査に付き合えということかい?」
察しがいいな。
凪には、俺がこの事件の犯人を捕まえてほしいという依頼が来たことを、前回会ったときすでに話していた。だから隠すようなことなく言う。
「そ。二回も凪に付き合ってやったんだから、それくらいの義理はあるだろ?」
「あるね。ぼくは義理や人情で動く種類の人間ではないけど、少し開と話したいと思っていたところだ。開なりの進展状況を聞かせてほしいしね」
たぶん、持ってる情報は凪より少ないに決まっている。でも、それを開示するのは問題ないレベルだ。
「いいよ。聞かせる。でも、とりあえずは移動だ。まずは喫茶店が放火されたときのカードはどこにある? 案内して」
「オーケー。ぼくはすべての箇所を歩いて確認済みだ。しかしね、開。ぼくもそう遅くまでは相手をしてられないんだ。時間になったら、失礼させてもらうよ」
「わかってる。その時間になったら言ってよ」
「了解」
かくして、凪の案内で俺たちはタロットカードがある場所まで行くことになった。
その場所は、すぐ近くにあった。
俺たちが向かっていたほうへさらに進み、ひとつ左に折れた先の石壁に貼られていた。
「ここさ。タロットカードがなんなのか。それをぼくから聞いたいま、わざわざカードまで見る必要があるのかい?」
「一応ね。百聞は一見に如かずって言ったのはおまえだろ?」
「だ。その通りだよ。読書家で知識量が多い逸美さんに話を聞くのもいいし、見る価値はあると思うよ」
逸美ちゃんが少しうれしそうに、
「凪くん、わたしが本好きなことも覚えてくれてたんだね。感心しちゃうな」
「珍しいモノと優れているモノは記憶に残るからね。逸美さんはついで、名前も珍しい。逆に、ぼくは未だにクラスメートの顔と名前を覚え切れてないんだ。顔と名前が一致しない以前の問題さ。ただ、悪気はないんだけどね」
と、凪は肩をすくめた。
「凪らしいな」
我が探偵事務所の所長である鳴沢千秋も人の顔と名前を覚えない困った人なのだけれど、彼らは似ているようで、その性質は全く異なっているように思った。
「TEMPERANCE」
「カードは、『節制』ね。正位置だわ」
凪、逸美ちゃんと言って、俺は聞いた。
「カードの意味はなんだっけ?」
「確か『節制』は、調和・自制・節度・献身というのが、正位置での一般的な意味よ」
どんなふうに意味を持たせるだろう。
「調和を図る? 自制している? 節度を重んじている? 献身している? どれも犯人がする行動には思えないけど」
と、俺は腕を組む。
凪は小さく微笑みを浮かべて俺を見た。
「カードの意味で解いてるんだね。メソッドとしては、確かにそれが正攻法だ。でもね、開。犯人が取る言動ではなく、ターゲットへ向けた、そのターゲットの性質を言っているのかもしれないよ。一概には言えないね」
「だな」
続いて絵解き。
絵を見てみる。
羽根の生えた天使のような人が、杯を持っている。杯には水が入っていて、その受け渡しをしているみたいだ。
「なんとなく、繋がりを表しているように見えるかな。なんていうか、公平な繋がりとか」
「開くん、絵解きね」
俺は顎に手を当てて、
「うん。それを、意味と繋げて考えると、公平にするための調和や自制、献身ないし自己犠牲……ってところかな」
とまとめる。
「フレキシブルな考え方だね。実に開らしい。その点に関して、ぼくから批評を加えるつもりはないよ。ぼくはこの先も探偵をするつもりはないから、開の思考はいつ聞いても新鮮だな。いい刺激になるよ」
なに言ってんだか。こいつは昔から、いい刺激を受けるとかじゃなく、俺の邪魔ばかりして楽しんでいたようなやつなのに。
「あ。そうだ」
写真だ。一応撮っておこう。カードは絵解きだと逸美ちゃんは言うし、次見たときにはまた違った印象を受けるだろうから、画像をデータとして残しておく価値はある。
俺は凪に聞いた。
「まだ時間は平気?」
「うん。そうだね。あと一件分付き合おうか。できればぼくの都合に合わせてくれると助かるのだけど、次はレンタルビデオ屋でもいいかい?」
チラリと逸美ちゃんを見る。逸美ちゃんがうなずくのを確認して、俺も凪にオーケーを出す。
「いいよ」