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第二章13  『喫茶店、メイ・コーヒー』

 放課後。

 昨晩、逸美ちゃんと電話で打ち合わせた通り、四件目の放火現場に当たる喫茶店、メイ・コーヒーにやってきた。

 オリエンタルな看板が下がっていて、なかなか雰囲気のいい佇まいの店だ。

外から見るとどこが燃えたのはわかりにくいけれど、よくよく視線を下げてみると、メニュー看板がなくなっていた。あれが燃えたのか。

 俺は昔、この店に来たことがあったので、メニュー看板の存在も覚えていた。おぼろげながら店内をイメージすることもできる。そういえば、いっしょに来たのは郷ちゃんだったかな……? いや、そこはあまり覚えていない。

 しかし郷ちゃんがスパゲティのおいしいお店だと言っていたのは記憶に新しい。ちっちゃい郷ちゃんが口の周りを真っ赤にしてナポリタンを頬張る姿が想像されて、きっとこんなんだったろうな、と思うとつい口元が緩む。

 店内に入ると、逸美ちゃんが読書をしていた。確かにいまは騒がしい客がいないから、読書にはちょうどいいかもしれない。曲名の知らないジャズが穏やかに流れるのみである。

 俺は歩きながら、逸美ちゃんの様子を見てみる。

 今日は陽気がいいので逸美ちゃんの服装も少しだけ春めいていた。桜色のコートは椅子にかけられ、現在はブラウスにクリーム色のセーターと、水色のスカートを穿いていた。

 テーブルにはコーヒーカップがある。ホットコーヒーを飲んでいたらしかった。しかし湯気がないということは、待たせてしまっていたということだろうか。

 どうやら逸美ちゃんは俺が来たことに気づいていないようなので、

「逸美ちゃん」

 と声をかけた。

 逸美ちゃんは本から顔を上げて、にこりと微笑んだ。

「あら。開くん、早かったのね」

「放課後すぐに来たつもりなんだけど、待たせちゃった?」

「ううん。せっかくだから早く来ただけよ。座って」

「うん」

 テーブルは二人掛けで、俺は逸美ちゃんの向かいに座った。

「何時くらいに来たの?」

「えっと。一時間くらい前かな」

 と腕時計を確認しながら逸美ちゃんは言った。

「結構待たせちゃったね」

「だから、早く来たかっただけよ。わたし、普段は喫茶店なんて入らないしね。それに、こうやって待つのも、なんだかちょっと楽しかったんだ」

 早く来たかった、と今朝浅野前さんにも言われ、いま逸美ちゃんにも言われてしまった。なんだか今日は待たせる日だ。

 でも逸美ちゃんはいつも待ってくれる。俺が推理をして考えているときも隣で俺の話をうなずきながら聞いてくれるし、探偵事務所に行くときも、毎日先に事務所を開けて店番をしているし、常に俺の先を歩いて、俺の成長をも待っていてくれている。

 せっかく喫茶店に来たのだし、なにか注文しよう。

「はい、メニュー」

「ありがとう」

 メニューを見ると、コーヒー類が並んでいた。俺はあまりコーヒーが得意ではないので、飲みやすそうなものを探す。

「開くんはコーヒー得意じゃないからね。ふふっ。お姉ちゃんは、ココアをオススメするわ」

 ちょうどウインナーココアにしようとしていたところだったので、先手を取られた気分だ。逸美ちゃんが俺の趣向を把握しているのもいまに始まったことではないので、

「しょうがないから、ココアにしてあげるかな。せっかくオススメしてくれたんだし」

 と素直に言っておく。

「開くんったら素直じゃないなあ。そんな言い方しちゃって」

 逸美ちゃんは不満っぽいことを言う割に楽しそうに笑いながら、自分のコーヒーを飲み干して、俺のココアとブレンドコーヒーのおかわりを注文した。

 ココアとコーヒーが来るまでのあいだ、逸美ちゃんは得意の博学を語って聞かせてくれた。内容は最近仕入れたらしいコーヒーに関する知識であり、バリスタだのパウリスタだの似たような単語が並ぶと意味がわからなくなってきた。よくメモも見ずに言えるものだと感心する。

 そしてココアとコーヒーが運ばれてくると、逸美ちゃんは軽く吹き冷ましてから口をつけた。

「うん。ブレンドコーヒーもおいしい」

 も? ということは、さっきのは違うものだったのか。俺には見ただけでコーヒーの種類を見分ける知識はないので、聞いてみる。

「さっきはなに飲んでたの?」

「アメリカンコーヒーよ。ここに来たのははじめてだけど、どっちもおいしいわ」

「俺にはコーヒーの味の違いがわからないよ」

「だったら飲んでみる? ここのは飲みやすいと思うよ」

 たまには飲んでもいいかと思い、一口もらうことにする。差し出されたカップを手に取って、飲んでみる。

「……ああ。おいしいかも」

 思ったよりおいしかった。やっぱりインスタントとは違うんだなと、馬鹿みたいに当然なことを思いながら、逸美ちゃんに返す。

「でしょ? わたしも、開くんのココアもらっていい?」

「どうぞ」

 まだ俺自身も口をつけていないココアをそのまま差し出す。逸美ちゃんは「うん。おいしい」とブレンドコーヒーを飲んだときとたいして変わらぬ感想を言って、俺も手渡されたココアを飲む。

「ホントだ。おいしい」

 ちょっとまだ熱かったけど、おいしいものはおいしい。逸美ちゃんが微笑ましい光景でも見るような顔で俺を見つめ、

「開くん。ココア、熱くなかった?」

「うん。全然」

 とうそぶいてみる。

「久しぶりだよね、こうやってふたりで出かけるの」

「そうかな?」

「そうよ~」

「まあ、確かにちょっとした買い物とか食事とかくらいだもんね。ほぼ毎日会ってるけど、普段は探偵事務所から出ないからさ」

「たまには、こういうところに来てゆっくりするのもいいと思わない?」

「そうだね。たまにはいいかもね」

 こういうささやかな時間も俺は好きだ。

しばらく二人で静かに大人しく味わっていると、店内に流れていた音楽が止まった。そこで思い出す。今日は現場検証をしに来たんだった。

「逸美ちゃん」

「なあに?」

 まず、今日聞いた情報について報告していこう。

「浅野前さんと今朝話したんだけどさ。浅野前さん、凪と知り合いだったっぽいんだよね。予備校がいっしょでさ。で、浅野前さんが新聞を見ていたところを、凪から声がかけられたみたい」

「意外な組み合わせね」

「それで、浅野前さんが言うには、連続放火事件についての情報は、凪のほうが詳しいらしい。今日が予備校の日だから、会ったら聞いてみるって」

「そっか」

「他には収穫なし」

 郷ちゃんには会うことさえなかった。一日で一回くらいはすれ違うかとも思っていたけれど、考えてみればいままでだってたまにしか見かけなかったのだ、意識するようになったところで、会わないものは会わないというものである。

 今度は逸美ちゃんから、

「わたしのほうもひとつあったわ。今日ね、開くんが見てきたっていう公園に行ったの」

「午前中?」

「そう。探偵事務所に行く前にね。ゴミ箱は新しいものになってたね。聞き込みできる人はいなかったわ。それで、カードも確認したんだけど、『太陽』の逆位置。意味は延期・失敗・落胆・不調。まず、この意味についてはどう思うかな?」

 逸美ちゃんは解説から質問に変えていく。しかしそう聞かれてもな。単純な話ではない。

「意味なんていくらでも取れるけどね。でも、延期と不調が自己を表現しているもので、落胆は相手に与えるもの。ないし相手への感情。そして失敗はどちらにもカテゴライズできる。そう分けることができるんじゃないかな。まあ、あくまでこれを、犯人からのメッセージとして考えれば、だけど」

「なるほど。そうかもしれないわね」

 これ以上逸美ちゃんがなにも言わないことから、この話題はもう終わったのだろう。他に考えられることもないしな。

 見ると、逸美ちゃんのコーヒーはあと一口分しかなかった。俺のココアも一口分だけ。

「そろそろ行く?」

「そうね。お金は、事務所の経費を使っちゃおうね」

 所長はそういうことには疎いから、経費や資料の管理は逸美ちゃんが担っている。全面的に探偵事務所の管理をしている逸美ちゃんが言うのだから、そうさせてもらうか。まあ、逸美ちゃんも大雑把で細かいことは気にしないタイプなのだけれど。

 ついでに。

 いまのうちに聞き込みをしてしまおう。どの店員さんがどこまで知っているかはわからないけれど、おおまかなことはスタッフ間で情報が共有されているはずだ。

 とはいっても、店員さんが多く働く人気のオシャレなお店という感じではないため、マスターらしき人がカウンターの向こうにいるのと、ウェイトレスが一人しかいない。片田舎で村長をやっていそうなおじいさんマスターより、若いウェイトレスに聞いたほうが話が早いだろう。

「逸美ちゃん。俺、ちょっと聞いてみるね」

「聞くって?」

「事件についてに決まってるでしょ」

「そうよね」

 と苦笑いを浮かべる逸美ちゃんである。おいしいコーヒーに満足して、本来の目的を忘れていたようだ。

「すみません」

 呼びかけると、女子大生くらいでバイトらしきウェイトレスがやってきた。

 軽い営業スマイルを作って問いかける。

「あの。聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

ウェイトレスは薄い微笑を浮かべた。落ち着いた店内にはちょうどいい愛想に思える。

「なんでしょう」

 聞き方は二つ。

 自分も放火の被害に遭ったと言って情報を集めている不自然さを失くしてから情報を引き出すか、なにも知らないフリをして聞くか。相手に警戒心がないいま、ラクなのは後者だ。

「いつもあるメニュー看板がなくなってたんですけど、なにかあったんですか?」

 たぶん自然に聞けたのだろう。ウェイトレスは特に訝ることなく答えてくれた。

「先日、放火されてしまったんです。最近この町で起きてる連続放火事件で、うちも放火されてしまって」

「それは大変でしたね。すみません、変なこと聞いちゃって」

「いいんですよ。むしろ、それだけで済んでよかったです」

 このまま会話が終わってしまいそうな流れだ。焼けたメニュー看板がどうなったのかくらいは聞いておきたい。燃え尽きてしまったのか、形だけは残っているのか。

「大丈夫だったんですか? お店のほうは」

 いかにも心配するように聞くと、ウェイトレスは俺の気遣いにむしろ感謝するような顔で説明してくれた。

「ええ。おかげさまで。通りかかった人がすぐに気づいてくれたみたいで、店には火の手が回らなかったんです」

「そうでしたか。でも、メニュー看板が燃えてなくなってしまったのは残念でしたね」

と断定してみる。

 するとウェイトレスは笑って、かぶりを振った。

「いいえ。燃えてなくなったワケではないですよ。もう使えないとは思いますけど、お店の脇にはまだ置いてあるんです」

「そうでしたか。でも、使えなくなってしまったんですね。早く犯人が捕まるといいですね。どんな人かはわかりませんけど」

 ここで、「どんなヒトかわかりませんけど」というワードに引っかかってくれないか、様子を見る。

「そうですね。どこの誰かは知りませんけど、これ以上の被害は出さないでほしいですね」

 ワードには引っかかってくれたみたいだけど、心当たりはないような言い方だった。一件目だし、こんなものだろう。

「すみません。お会計、お願いします」

「はい」

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