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第二章9   『借り』

 場所は二年五組の教室前だった。

 廊下がガヤガヤしているので、あまり気にせずしゃべれそうではある。まあ、ここが上級生の階の廊下であることを除けば、ではあるけれど。

「郷ちゃん、五組だったんだね。てことは、理系選抜だ」

「うむ。開は文系と理系、どっちにするのだ?」

「俺も理系だよ。で、郷ちゃんといっしょで選抜クラス」

「なるほど。クラス的にもわたしの後輩になるわけか。ならば、今度勉強を教えてやってもよいぞ。理系の勉強は難しいからな」

 逸美ちゃんは文系だったのであんまり難しい理系問題はできないと思うし、もし教えてもらえるなら助かる。

「うん。難しくなってきたら教えてよ」

「任せておけ。私の成績はクラス内では平均くらいだ。だからなんとかなろう。あと、浅野前も同じクラスなのだ。ただ、あいつはわたしよりも成績がよくないがな。しかしなぜか文系科目は出来がいいのだ」

 そんなことを言っても嫌味に聞こえないのは、郷ちゃんにそのつもりがないのと、このしゃべり方のおかげだろう。

 二年五組の教室を覗いてみる。

 なるほど。

 ここが、来年度俺が授業を受けることになる教室か。おしゃべりついでに下見ができてしまった。

「でだ、開。連続放火事件についてなんだが、わたしは今朝浅野前に話した。そのあと、お前の教室に行ってきたらしいな。たぶん、わたしのほうでは、浅野前から聞かされたであろう話しかしゃべれることはないと思うのだ」

「そっか」

 まあ、そんなところだろう。

「それにだ。放火があったとされる十一時十分頃、正確には十一時五分から浅野前と電話をしていたのだ」

「ふーん。郷ちゃん、浅野前さんと電話なんてするんだ」

 それはちょっと意外だな。

「うむ、電話くらいするぞ。コンピュータは苦手じゃない。SNSなどはよくわからんが、電話くらい現代人として朝飯前なのだ」

「郷ちゃんの場合、しゃべり方が現代人っぽくないけどね」

「なんだとぅ」

 と、眉を上げて、それから笑った。郷ちゃんには武士らしく手紙のほうが似合いそうだしな。それを本人も多少は自覚しているのだろうか。

「浅野前さんとはよく電話するの?」

「いや、でも数えるほどしかないな。昨日の電話だって、たわいもない話をしただけだ」

「え? どんな話?」

「こら! 乙女の話を詮索するでない!」

「郷ちゃんは乙女って感じじゃないよ」

「ええい、うるさい」

 郷ちゃんは照れくさそうに腕を組んで、

「……ただな、探偵事務所に連れて行ってくれて、ありがとう、と言ったのだ。開にも会えたことだしな」

 そんなことを言った。お姉さんぶってるけど不器用なアンバランスな感じがなんか可愛いな、とか思ってちょっと笑ってしまった。

 しかし、それは俺からも浅野前さんにはお礼を言いたいところだ。お節介な彼女がいなかったら、いまもこうして郷ちゃんとは話せなかったのだから。

 郷ちゃんに言葉を返そうかと思ったけど、照れくさかったので、ちょっと話を変えた。

「でもちょっと残念だよね、犬の置物」

「だな」

 燃えてしまった犬の置物。共通の思い出があるわけではないけれど、気持ちはたぶんいっしょだと思う。

「わたしはあの犬を特別気に入っていたわけではなかったが、あったモノがなくなるのは、少しさみしく思うな。おいしいスパゲティのあった喫茶店然り、ときたま父さんを迎えに行くこともあったパチンコ屋然り、昔利用していたレンタルビデオ屋然り、変わってしまったりなくなってしまったりするのはさみしい。人も同じでな、いた人間が離れてしまうのはさみしい。だから、こうしてまた開と話ができて、わたしはうれしいぞ」

 まいったな。こういうことをストレートに言われるのは、なんか苦手だ。

「うん。俺も、かな」

 明後日のほうを見ながらなんとかそれだけ言うと、俺の頭の上にポンと手が乗せられた。

「そうか。わたしにとって開は、特別だったからな。姉貴分としては、成長したおまえを見れてホッとしている」

 さっきは根性を叩き直すとか言ってたのに今度はホッとしたとか、やっぱり郷ちゃんなりのスキンシップみたいなものだったんだろうな。俺の家にまた来る口実作りというか。

 ちょっとはにかんでから、俺は廊下を歩く上級生の女子がこっちを見ているのに気づいて慌てて郷ちゃんの手をのけた。

「もうっ、人前でそういうことしないでよ。恥ずかしいでしょ。しかも二年生の廊下で」

「いいではないか」

「い・や・だ」

 ふふふと郷里は笑った。穏やかな口調で、

「開はかわゆい。昔はわたしより小さくて、きっといまではわたしよりも大きくなっているのかもしれぬと思っていた。でも、目線なんかも昔と変わらぬし、話してみればやっぱり変わらぬ。変わらぬものはいいな。開はいいな」

 なんだか懐かしんでいるけれど、俺としては郷ちゃんに身長で勝てないのが悔しかった。でも、やっぱり変わっていない郷ちゃんに安心もしていて、窓の外を眺める郷ちゃんの凛とした横顔を見て、

「郷ちゃんも変わってないよ」

 郷ちゃんはいいな、と、俺も思った。


 昼休みがあとどれくらいで終わるだろうかとふと気になったところで、教室から浅野前さんが元気に飛び出した。彼女は俺たちに気づくと、

「おや! 明智さんじゃありませんか! どうされました? もしかして、わたしに内緒のお話ですか?」

 テテテと子犬のように駆け寄り、期待のこもった瞳で俺の顔を見る。

「内緒とかじゃないですよ。さっき偶然会ったから、話していたんです」

「え? でも、ここは二階ですよ? 一年生の教室は一階、二年生が二階で三年生が三階です。ということはつまり、明智さんは二階にいたってことですか?」

 郷ちゃんが腰に手を当てて仁王立ちで、

「自販機で会ったのだ。そしてここに来たのだ」

 やっぱり郷里の説明はザックリだ。いろいろ省いているから、伝わるモノも伝わらない。

「自販機前でそのまま話してたんですけどね、あそこ人が来るから、移動しようってなって。それでここまで来たんです」

「なるほど。そういうことでしたか」

「わたしがいま、そう言ったであろう」

「あはは。蒲生さんの説明じゃ全然伝わりませんって」

 と、浅野前さんはおかしそうに笑った。

 郷ちゃんは眉根を寄せて、

「む。そうなのか?」

「はい。それはもう人間が魚に泳ぎ方を教わるくらいに。でもせっかくですから、いっしょにおしゃべりしてもいいですか? わたし、まだお二人の昔話をそんなに聞いてないので、知りたいです」

 今朝話してやったのでは足りないらしい。郷ちゃんのほうがひとつ年も上だし俺より当時の記憶を覚えているかもしれない。俺に関しては、覚えていても、物心がついていたんだかついていなかったのかわからないくらいだ。

「浅野前。時間はどうだ?」

 郷ちゃんが聞くと、浅野前さんは自分のおでこをポンと叩いた。

「そうでした! もうお昼休みは終わりだったんです。明智さん、次の授業まであと五分もありませんよ」

「そうですか。じゃあ、郷ちゃん、浅野前さん。また」

「はい。また情報が入り次第、連絡します」

「またな、開」

 上級生二人に見送られ、二年五組教室のすぐ脇にある階段を下りて行く。


 結局――。

 いろいろと話をしたけれど、郷ちゃんとは事件についてあまり話せなかったな。特に聞けそうなことはなかったからしょうがないとして、さてまずは、事務所に行ったら逸美ちゃんに報告だ。なにがあるわけでもないけれど、逸美ちゃんに話をすると、聞いてくれているだけなのに俺の中で考えがまとまるので、考えるのはそのときでいい。

 そういえば。

 おごってもらったリンゴジュースについては、あとで借りを返さないとな。昨日今日知り合った赤の他人でもない、幼なじみが相手なのだ。郷ちゃんのほうも浅野前さんが言うみたいに借りを返されたら構ってくれなくなるなんてことはないんだろうけど。

 まあ、でも。

 今回ばかりはせっかくだし、友好の証としてリンゴジュースはおごってもらったままにしておくか。郷ちゃんに対してだけは、借りを作っておいたほうが話しやすそうだし、そんな隙を作っておくのも悪くはないかもな、と思った。

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