第二章7 『アンテナ』
四時限目は体育だった。
授業は男女別で、別クラスの男子と合同だった。
体育なんてできることならサボりたいところであるが、チーム編成と校庭の都合上、俺は現在、他チームの試合を応援するでもなく見学していた。
「連続放火事件、昨日もあったね」
そう言ったのは、俺の幼なじみの晴ちゃんだった。
「だね」
晴ちゃんは俺が探偵をしていることを知っている。それに、信頼できる相手だから、話してもいいだろう。
「実はさ。昨日依頼が来たんだよね、連続放火事件の犯人を捕まえてほしいって」
俺がどんな事件に関わろうとそんなことよくあることだと理解しているので、晴ちゃんは驚くでもなく言った。
「そっか。だったら開ちゃん。おれが知ってること、話そうか?」
聞きたいことを話してくれる。対人能力が高く、人が求めていることを自然に察せられる、実に晴ちゃんらしい申し出だ。
「うん。ありがと」
「いいよ」
さすがは幼なじみというべきか、これで利益関係にならないのが晴ちゃんのいいところだ。
さて。
晴ちゃんが最初に言ったのは、どうということもないことだった。
「おれも新聞は読んだよ。でもね、放火されたのは、昨日の十一時頃だそうだよ」
「へえ。十一時頃か。新聞には十一時十分頃に通行人が発見したってあったけど」
「クラスの子が言ってたんだよ。十一時頃に、チラッと炎らしきものを見た人がいるって。おそらく、火種だ。それが大きくなったところを通行人が見たんだろうね」
なるほど。
別に晴ちゃんのクラスに情報通が揃っているということもないだろうけれど、細かいところをよく聞けたものだ。
「でも、この十分の誤差が埋められたところで、意味があるかはまだわからないね」
「おれもたいしたこととは思ってないよ。あとはざっくりとした目撃談だけど、高校生はあの時間帯、塾や予備校の帰りとかでよく通るみたいだね。逆に、大人の通行が少ないらしいよ」
「高校生か。確かに俺も、これは高校生の可能性も十分あると思ってるよ。噂が高校生中心ってのもあるしさ」
「でもさ、開ちゃん。たとえ高校生に絞れたところで、それ以上は厳しいと思うよ。この学校だけで千人近くの生徒がいるのに、この周辺の高校生すべてを合わせたら、容疑者が何人になるかわからない」
ほんと、晴ちゃんの言う通りだ。
「まあ、だからこそ、現行犯で捕まえられたらいいと思ってるんだ。次の放火予想が立った日に、張り込みをしようとも考えてる」
タロットカードなどから犯人のメッセージを解き明かしたり、現場や目撃談から推理を展開したりするのもひとつの手だが、現段階では情報が少な過ぎる。ゆえの張り込みだ。
「そういえば、それって凪くんから聞いたのが始まりだったんだよね? 昨日、凪くんを見かけた人がいたって聞いたよ」
「凪が?」
いや、でも、どうしてかは、まあ想像できる。独自に調査でもしているのだろう。興味を持ったことは徹底的に調べるタイプであったし、昨日もタロットカードの確認をしていたくらいだ。しかしわざわざそんな時間に赴くとは、物好きなヤツだ。
「だから、もしかしたら凪くん、現場を見たかもしれないし、凪くんに相談すれば、なにか進展するかもしれないよ。凪くん、頭良かったから」
頭良かった、ねえ……。確かに勉強はできたけど、ちゃんとした高校選びもできないヤツだからな。俺以外の人からしたら頭が良く見えたとしても、俺から見たら違う。凪は理屈に適う事象を理路整然と理解し説明できる点と思考の柔軟さは評価に値するが、正直、昔はおふざけばかりの大馬鹿だった。ただのトラブルメーカーだった。
あの大馬鹿をよく知る俺は、呆れたように言った。
「別に、あいつは全然頭良くないよ」
晴ちゃんはくすっと笑う。
「そんなこと言って、勉強できるかどうか以外での本当の頭の良さって点でも、開ちゃんは凪くんのことを一番わかっていて評価できてるよ」
「全然そんなことないよ」
と、俺は嘆息した。
しかし晴ちゃんは柔らかく笑うだけだ。
俺は思い出したように言った。
「そういえば、昨日また会ったよ、凪に」
「え? 凪くんに?」
「晴ちゃんが話したいって言ってたよって言ったら、それは光栄だとか言っててさ。関心はあるみたい」
「覚えていてくれたんだ、凪くん。ちょっと安心したな」
「なんか晴ちゃんのこと、自然に周囲にアンテナを張れる珍しい人だ、みたいなこと言ってたよ。俺もそれには賛成だけど」
晴ちゃんは苦笑交じりに大きな肩をすくめる。
「アンテナなんか張ってないって」
それぞれが異なる種類の情報に関してコネクションがある凪と晴ちゃん。二人と話せば、どこか解決の糸口が空から垂れてきそうな気配がある。
もし機会があるなら三人で考えるのも悪くはないのかもしれない。
「凪と晴ちゃんが話せば、いろいろな情報がリンクしそうだよ」
晴ちゃんはふふふっと優しく笑った。
「開ちゃん、おれが凪くんと話したところで、それほどの効率を上げられるかは微妙だよ。リンクしても発展しない。もし効率を上げるとするなら、開ちゃんあってだね。それに、もしも事件を解決する際には、逸美さんがいないといけない。開ちゃんの思考の効率を上げられるのは逸美さんだけだし、適切な知識の供給も、逸美さんからでないとダメだと思う」
「確かに知識は誰よりあると思うけど」
前に凪に言われたことがある。
「逸美さんのような人を、知識人というのだろうね。ぼくが知る中でも断トツの知識量を有している。なにより、偏っていないところがいいね。真似できない」
逸美ちゃんを評して真似できないとした凪。あいつも知識は豊富だけれど、確かにその点においては逸美ちゃんには敵わない。いまだって逸美ちゃんは、あの探偵事務所でタロットカードの本でも読んで、知識を蓄えていることだろう。
晴ちゃんは試合をしている選手たちが蹴る砂ぼこりまみれのサッカーボールを目で追いながら、
「開ちゃんは思考を深める明晰さと、素早く計算する頭の切れのよさもある。それを生かすのは知識や情報だ。凪くんの持つ情報や逸美さんの知識が開ちゃんを助けてくれるよ」
「どうかな」
言いたいことはわかるけれど、凪は信用ならない。
「あとさ。いや……」
と晴ちゃんは口ごもる。
「なに?」
「……うん。こんなこと言うのもどうかと思ったんだけど、言うね。凪くんなんだけどさ。あの子は少し考えが読めないんだ。意図的になにかを隠している感じじゃなく、思考が普通と違うっていうか、認識が普通ではないと思う。別に、凪くんの目には赤いものが青く見えるとか、そういうんじゃなくてね。見た目には穏やかなんだけど、内に怜悧さがあるっていうのかな」
鋭い。俺みたいに付きまとわれて散々迷惑をかけられたわけでもないのに、そこまでわかるとは。さすがは人間通だと内心驚く。たぶんあれは、怜悧ってより、割り切っているって感じなのだと思うけれど。
「あいつは、見た目通りのやつじゃないよ」
「開ちゃんが言うなら、やっぱりそうなんだね。凪くんの結論や判断には非情さがあるかもしれないと思ったんだ。彼の基準がおれにはわからないからなんとも言えないけどさ。だから、安易に信用しないで、しっかり吟味してほしいんだよ、開ちゃんには。心配なんだ」
「ありがと。でも平気。別に凪のこと全部信用しているわけじゃないし、あくまで凪から見聞きしたことはデータのひとつとしか考えてないよ」
「うん。ならいいんだけど。おれの証言の信憑性も高いとは断言できないから、そのことも覚えておいて。けど、なにかあったら相談に乗るからさ」
「うん、ありがとう。相談させてね。あと、またなにか情報が入ったら教えて。なるべくなら、多くのデータを持っているほうが、もしものとき危険を回避できるし」
晴ちゃんは優しい笑みを浮かべ、うなずく。
「わかった。なにかあれば言うよ」
笛が鳴って、俺たちの試合の番になった。晴ちゃんとの会話も切り上げてコートに入っていく。