第二章5 『ルール』
今日一日だけでも、連続放火事件について大きく前進したんじゃないだろうか。伊倉晴気と話をして、探偵事務所にはその事件の犯人を捕まえてほしいという依頼が舞い込み、浅野前まひると蒲生郷里から話を聞き、そして三時間ほど前には柳屋凪と放火現場を訪れタロットカードの確認と現場検証をした。
しかしそれよりずっと俺の頭にあるのは、久しぶりにゆっくりしゃべった幼なじみの蒲生郷里のことだった。
郷ちゃんとは、俺が小学一年生のときまで幼馴染として姉弟のような付き合いがあったから、アルバムには写真も残っていた。会って話せば懐かしさも蘇るもので、鮮明ではない記憶を写真で補正するように、アルバムを開いてしばし思い出に浸った。
自宅や庭先、いまでもボンヤリ覚えている郷ちゃんの家、運動会の写真などが当時を想起させる。
ずっと自分よりも大きな郷ちゃんばかりを見てきたけれど、写真を見ればやっぱり子供、あの郷ちゃんがこんなに小さかったのかと思うとおかしくなる。
昔から、郷ちゃんは真面目で厳しい性格をしていた。まるで隊長のように遊び回る郷ちゃんのあとを、いつも追いかけていた。なにか遊びをするときには、ルールを生真面目に守る郷ちゃんだったので、俺がルールを破るとよく叱られたものだった。
たとえば、郷ちゃんの家でかくれんぼをしていたときのことだ。
「はいっ! きょうちゃんみっけ!」
「なぬ! よく見つけたな。おしいれの二段目というのは、見つけにくいはずなのだが」
仁王立ちして腕を組み、自己反省している郷ちゃんの横を郷ちゃんの母親が「あらあら」と通りかかり、
「よかったわね、開くん。見つかって」
と笑うのを見て、郷ちゃんの眉尻がくいっと上がった。
「もしや開! 母さんに聞いたな?」
「だって、きょうちゃん見つからなかったんだもん」
「あれほど母さんには聞くなと、言っておいたであろうが!」
と説教をはじめた。言い訳を言っても無駄だった。しかし、説教するだけではない。
「では、方角だけは聞いてもいいことにする! それ以外はダメだからな! ルールだぞ!」
そんな具合でルールが作られる。
テレビゲームをしていたときもすぐに「そいつはつよいから使ってはダメだ!」とか言って、やたらルールを重んじるのだ。公平を説いてはルールを作り出すような、そんな人だった。
ホント、懐かしいな。
考えたら晴ちゃんと仲良くなったのは郷ちゃんが引っ越してからだったので、二人に接点はない。晴ちゃんには話したことさえあまりなかった。せっかく郷ちゃんとまた話す機会ができたけど、その喜びを晴ちゃんに言っても伝わらなさそうだ。逸美ちゃんも同様で、郷ちゃんが引っ越してから逸美ちゃんに出会ったから、やはり話せない。
もし言うなら、凪相手のほうがおもしろくなるだろう。
凪の情報線はどこから張られているのか不明だけれど、逸美ちゃんほどではないが知識量も極めて多く、俺が思ってもみないところで情報同士が結合する。つまり関連付けがなされるのだ。
「……なるほど。○○事件を思い出すよ」
と、舌が回り出す。
身近な対人関係だけに特化した晴ちゃんとは違い、ものや場所、知識や噂など様々な情報が繋がるので、凪に蒲生郷里の名前とその詳細を話せば、なにかしらのリンクが発生するのではないかと思った。
今日は気分ではなかったので話さなかったが、また会うことがあれば話してもいいかもしれない。
そうだ。パソコンでタロットカードについて調べてみるか。逸美ちゃんのように本を読むまでしなくとも、上辺だけの知識なら多少は載っていることだろう。詳しいことはそのつど逸美ちゃんに聞くとして、大雑把な知識を頭に入れておくとした。
翌朝。
昨夜の放火が新聞の片隅にでも載っているハズだから見てみようと思っていた俺だったが、朝一番にしたことは新聞を開くことではなく、ケータイのメールを確認することだった。
浅野前さんからだった。
『おはようございます! 浅野前です!』
本文は。
『なんと!
噂通りに昨夜放火がありました!
場所は古本屋さん近くの歯医者さんです!
さいわいボヤですんだようですよ!
あとは現場を見ないとわかりませんね!
以上! 報告でした!』
朝っぱらから事件のメールなんて見たら嫌でも目が覚める。この感じじゃ、朝から俺のことを家の前の玄関で待っていて、いや、ベルを押して呼び出して、放火現場まで連れていかれ兼ねない勢いだ。
押しが強くて行動力がある浅野前さんのことだ。リスのような可愛らしいくりっとした目をしばたたかせて、いまも家の前に立っていて……なんて姿、想像に難くない。まあ、家を教えた覚えなんてないから知ったことではないけれど。
リビングでは、花音がもう準備を整えていた。準備万端、いまにも走り出しそうな笑顔で、
「おはようお兄ちゃん!」
「おはよう」
残りの小学校生活を惜しむというより全力で楽しもうという顔で妹はランドセルに羽根が生えたように軽々と背負う。
朝食を食べながら聞いた。
「花音はもう学校行くの?」
赤いランドセルを見せつけるようなポーズで、妹は楽しそうに言う。
「そろそろね! じゃあ、時計の針があと一周したら行く!」
なんで一周待つ必要があるんだ。
足踏みをしている花音を横目に、俺は朝食を食べ終えて歯磨きを始める。
「お兄ちゃん、いってきますっ!」
「いってらっしゃい」
歯ブラシを口にくわえてそう言って、一応新聞を見ようと今朝の朝刊を開いてみる。
しかし。
一度開いて閉まったはずの玄関のドアが再度開いて、妹が大きな声で呼びかける。
「お兄ちゃーん! だれかまってるよー! 女のひとー!」
誰だ? 嫌な予感を抱えつつ、洗面台で口の泡だけ出してから玄関に出てみると、それは予想通りの人だった。
浅野前まひるである。
短いツインテールと赤いリボンを揺らし、接客するみたいに丁寧なお辞儀をする。
「おはようございます! 明智さんっ!」
朝から溌剌とした元気な声だ。体育会系の部活の後輩がわざわざ家に迎えに来たような気分である。
「おはようございます」
俺と浅野前さんのファーストコンタクトだけ興味深げに見ていた妹だったが、
「いってきまーす!」
と家を出て行った。浅野前さんは妹に、わたしは学校の先輩ですと自己紹介したそうだ。それ以上に深い意味はないと思ったのだろう。
浅野前さんは、軽快な足取りで出かけて行った花音を見て、
「明智さん、妹さんがいたんですね! 明智さんに似て、可愛い妹さんです。いいですね、兄妹」
で。なんでここにいるんだ、この人は。どうして俺の家を知っているのかも疑問だけれど、それくらい郷ちゃんに聞けばすぐにわかるし、まずは迎えに来た理由から聞かないとな。でもその前に。
「メール見ましたよ。ありがとうございます。ちょうど、新聞で確認しようとしたところなんです」
「そうでしたか! 待っててください。新聞ならここにありますよ」
頼んでもいないのにカバンから新聞を取り出す浅野前さん。
「これです」
事件の記事が見えるように折りたたまれていて、これはおそらく、俺が確認とか言い出さなくても、朝一で俺に見せるつもりだったようである。
目を通すと、確かに記事にある通りだ。メールと内容は一致している。
「浅野前さんは新聞で知ったんですか?」
「はい! 本当は張り込みでもしようかと思ったんですけど、明智さんが解決してくださることだと思ったので」
「で、浅野前さん。どうしてうちの前に?」
浅野前さんは即答する。
「決まってるじゃないですか! 新聞を見ていただき、事件についてなにかわかったことがあるか聞くためですよ。情報の交換は大事ですからね。ささいな情報でも、わたしは明智さんに報告する義務があります」
義務って……。普通、こんなふうに自分が動き回ってまで情報を伝えようとする依頼者はいないんだけどな。ただ、彼女の好意には感謝すべきだ。
「ありがとうございます。助かります。でも、浅野前さんは頑張らなくても大丈夫ですよ。俺や逸美ちゃんが頑張ることですから」
「いいえ! そういうわけにはいきません! わたしもできる限りのことは、手伝わせてくださいっ」
彼女にずいっと詰め寄られると、どうも断り切れない。
「えっと。じゃあ、無理がない範囲でお願いします」
「任せてくださいっ!」
やっぱり押しの強い子だな。いくら凛として一見さんには近づきにくい雰囲気の郷ちゃんでも、きっといまの俺のようにこんな調子で押し切られたのだろうと、容易に想像できる。郷ちゃんはあれで、頼まれたら断れない人のよさと面倒見のよさがあるし。
浅野前さんは腕時計を見て、
「どうぞ、わたしは待ってますので、準備をしてきてください。明智さんっ! 今日はいっしょに登校しましょう!」
にっこりと笑う笑顔が少し幼げに見える先輩を横目に、たまにはそういうのも悪くないかと思い直す。