天使の独り言(エンジェル・ダイアリー)
「あーっ、疲れた」
ラミエルがベッドで寝るというので仕方なく来客用の布団の上に横になった俺だったが、疲労の色は隠せなかった。
(大体何だってんだあいつは。俺が布団全部持ってきた頃にはもう熟睡しやがって。誰の家だと思ってんだよ)
もちろん俺の家ではないが、天使家の一員である俺に多少の敬意はあってしかるべきなのではないだろうか。それに俺が一生懸命布団を運んでいる間、この天使が言い放った言葉はいまだに俺の中でもやもやとなって残っていた。
「ああ、そうそう。寝てる間に間違っても私で童貞を卒業しようだなんて考えないでくださいよ。そしたら黒焦げどころじゃすみませんからね」
(何が悲しくててめーみたいな性悪女を初夜の相手に選ぶんだよ。大体顔が少し整ってるくらいで他は最悪じゃねーか)
顔が整っていることは認めよう。確かにラミエルの顔面偏差値は決して悪くはない。いや、むしろいい方だ。正直成田とならお似合いのカップルだろう。外見的にも性格的にも。あいつとくっついてくれればどれほど良かったことか分からないが、今それを言っても始まらない。まずは現状を整理することから始めよう。
(成田の家から俺の家に居候っつう形で入り込んできやがったこいつの名前はラミエル。雷を操る天使だ。そして、俺は明日から彼女に服従する証である雷の烙印をこいつに押されないように気を付けて生活しなきゃいけなくなった。押されたらその瞬間に俺の平穏な高校生活は幕を下ろす)
それさえ気を付ければこいつは無害なわけだが、お世辞にも俺1人でどうにかできるとは言い難い。味方は1人でも多い方がいいだろう。
(成田が当てにならない以上、俺が頼るべきはあいつしかいねえ。頼むぞ咲良)
俺はもう一人の友人である幼なじみの顔を思い浮かべながら眠りについた。
天使操が天使ラミエルの隣で寝付いてから数時間後、彼女がこんな寝言を呟いていたことはもちろん誰も気づかなかった。
「……早く、見つけなきゃ。むにゃ……」
「おはようございます操様。早く起きないと電気ショックしますよ」
どれほどの時間俺は寝ていたのだろう。ふと横からそんな声が聞こえてきた。
「電気……? ……いや、電気はダメだろ!」
まさか朝からツッコミ起床することになるとは思わなかった。何でこいつはこう俺に対して危害を加えることしか考えてないんだ。健康な状態で電気ショックなんかされたら逆に心臓麻痺するわ。
「おはようございます。ばっちり目覚めたようで何よりです」
「そりゃ、あんな起こされ方すればな」
俺はムスッとして時計を見る。何だよまだ学校まで2時間くらいあるじゃねーか。家のすぐそばに高校があるのにこんなに早く起きてどうすんだよ。
「まだ早いというのは十分分かっているつもりですけど」
パチパチッ! と何かが目の前で光り始める。あの色は……昨日の奴じゃねーか!
「おい、それってもしかして……」
「せっかくなので日課の雷の烙印を早いところ押してしまおうかと思いまして」
「おま、マジでやる気か!」
確かに昨日そんなことを言ってたが。有言実行すんなよ。すると、彼女はその手をすぐにひっこめた。
「……まあ、それは冗談ですけど。起きたばかりでそんなことやったら私の勝利が目に見えてますからね。ところで、操様の今日の帰りは早いのですか?」
「……いや、遅いと思うけど。何でだ?」
「そうですか、安心しました」
彼女がそんな質問をしてくるとは予想外だった。俺が家にいないと不安なのか、と一瞬ニヤッとしかけた俺は、次の彼女の一言でさらに肝を冷やすこととなった。
「あなたをどうやったら奴隷にできるかゆっくり考える時間があればいいな、と思ったんです」
「ならないっつってんだろうが!」
だめだ。こいつと話してるとツッコミが板についちまう。さっさと学校に行く準備をしよう。何より自分の家なのに居心地が悪すぎる。俺はカバンをひっつかむと、部屋のドアに手をかけた。
「戻ってきたら今度こそ雷の烙印押しますからねー」
ラミエルのそんな声が聞こえてきたが、俺は意図的に無視して家を出た。
天使操がいなくなった天使家では、ラミエルが自らの翼を大きく広げていた。
「……ふう。これで操様はこの家にはしばらく帰っては来ないでしょう。その方が私も自分の仕事をしやすいってものです」
彼女にはまだ誰にも言っていないある秘密があった。それは極秘任務であり、誰にも気付かれてはいけないものだった。その点前の家の住人である成田壮一はよく遅くまで遊んでいたために実に仕事のしやすい環境であった。ラミエルがそんな心地のいい環境を脱しようと思った理由は至極簡単なものだった。
(正体を明かしたまま仕事ができるというのはいいものですね。私が天使だということを話している以上、今回は仮に操様に目撃されても何の問題もないですし)
そう、成田壮一はラミエルが天使であることを知らない。それはもちろんそこまで話す必要もないと考えていたからに他ならないのだが、ここ最近になって彼女が成田に目撃されそうになる事案が何度も発生していた。彼女の成田に対する人に対して思いやりのないクズ、と言う発言はここから来たものだ。ラミエルが事情を伏せていた以上、話す必要がないという意味だと向こうが気付いてくれれば良かったのだが、そう言ったことにはまるで鈍感だった成田はある種のストーカーのように彼女を追いかけ続けた。結果、精神的に疲れてしまった彼女の方から別の拠点を探さざるを得なくなってしまったというのが事の真相なのである。
(とにかくあの人から離れることはできましたし、環境は同じくらい過ごしやすい状況。ここでなら、きっと私の任務も達成できるはず)
今度の家主である天使操には向こうがこっちに好意を持たないような接し方をしているので、間違ってもこちらの行動に興味を持たれるようなことはないだろう。その間にさっさと探し物を見つけてしまわないとならない。そうしたらこんな家からはさっさとおさらばだ。
「さて、それじゃ今日も元気に。レッツゴーです」
彼女は天使操の部屋のドアを開けると、窓枠から勢いよく外へと飛び立っていった。