感嘆
「ねえ、彦根城が見えるよ、綺麗だね」
高月渚が吹き付ける風の心地よさに目を細め、目の前に広がるどこまでも続く雲一つない青空と朧げな彦根城と彦根の街並みに感嘆していた。
「初めて来たのか?」
「ううん、子供の頃来たことあるよ、近所だし」
「そうか」
「うん、綺麗だね」
「ああ」
高遠忍の「ああ」は決して本心から出たものではなかった。
彼は高月渚のように目の前に広がる水彩画のような淡い夏の景色に感慨などなかった。
あるとしたらそれは高月渚の声だった。
彼女は彼に同意を求めたわけではなかった
。彼も同じ気持ちでいてほしいと言うより、彼女はただ思ったことを素直に口にしただけだった。
だからだろうか。彼も「ああ」と考えるより先に声が出た。
この景色が綺麗なのかはわからないけれど、高月渚には伝えなきゃいけないと思った。
伝えたいと思った。
「綺麗だな」
思いがけない彼の声に彼女は隣に立つ高遠忍を見た。
青い瞳は遥か遠い彼方を見ていて二人の視線は交わらなかったけれど。
「そう言う高遠君が一番綺麗だよ」
彼女はそう思ったが決して言わなかった。
そう言ったら、高遠君はきっと嫌がるだろうから。
「うん。綺麗だね」
彼はしばしの間、酒呑童子を忘れ、自らを忘れ、彼女が綺麗と言った景色に見入った。
「忍、早うせい、日が暮れる」
高遠忍を芙蓉の声が現実に引き戻した。
彼は芙蓉に感謝した。
彼女が言わなければ自分はずっとこの場所から動けずに、高月渚とこの景色を見続けたかもしれない。
彼は振り返り、歩き出した。
そんな彼の後ろを高月渚が音も立てずについてきた。
高月渚は口元に手をやり小さく笑った。
ああ、夏休みに入ったのだと彼女は実感したのだった。




