第七話
夕方、僕が家に帰るのと入れ違いにチビどもは帰っていった。僕はあれから害獣駆除を行っていたため、昼間に何をしていたのかは知らない。
「ただいまー」
「遅かったな、旦那様」
「遅いぞ、ワニト」
ただ、心なしか、ムツとベルンが仲良くなってる気がする。一人と一匹の間の距離が近い。まるで親が子を膝の上に載せているかのような距離感だ。
戸惑いながらも、僕はベルンの横に座った。
「嘘をついても仕方ないから正直に話すよ。機構的な義手や義足は難しいってさ」
「知ってるさ。商人にも何度か試されたからな」
「けど、できることはあるかもしれない」
平然と答えるベルンにそっと肩を寄せてみる。
側頭部で頭突きされた。すごく痛い。
「ベルンは魔術苦手?」
「正直、苦手だと思う」
ベルンは珍しく、伏し目がちに答えた。常に胸を堂々とした態度のベルンが、背を縮こまらせて視線を下げるというのは、何かあったのだろうか。それとなく観察してみるけど、その心の内は見えない。
「思うっていうのは?」
「幼い頃少しだけ適性を調べたが、芳しくないということでそれ以降は魔術には触れていない。魔術はあまり好まない家系だったからというのもある。一応手足をなくしてから挑戦してみたが、身近に詳しい人はいなかったからか上達しなかった。商館でも教えを乞うたが、私には……」
ベルンの左手の肘が、微かに僕の腕に当たった。その腕の意図はわからなかったけど、なんとなく震えている気がした。
「私には、教えない方が商品として価値があるだろうと」
ベルンの言った言葉の意味がわからなかった。
そしてその意味を理解したときに、怒りで我を忘れそうになった。つまり商人たちは、ベルンが何もできない人形である方が売れる、と考えたのだ。抵抗も何もしない生きた愛玩具として、売ろうとした。
「落ち着けワニト」
ムツに尻尾で頭を叩かれた。その勢いで僕は反対側の壁まで吹き飛び、薄い壁に頭突きで穴を開けた。
視界が明滅する。
凄く痛い。
「っ……たぁー……」
「ふむ、やり過ぎたか? まあ生きておるじゃろ」
「死ぬかと思ったよ馬鹿ムツ!」
頭を引き抜いて抗議するが、ムツは素知らぬ顔で尻尾を使ってベルンを抱き上げている。そして、僕のことを馬鹿にするようにくわっとあくびした。
僕はさらに怒鳴り付けようとして、家の外壁に気づいた。
「ああ! 壁に穴が!」
どうしよう。お金……はあるか。後でデデーさんに頼もう。今はとりあえず、タンスで塞いでおいて、ってなんか頭から血が出てるし。穴の縁で切ったか。いろ、どうせ大した傷ではない。まずはベルンに事の次第を聞いて、もなにも意味ないか。というか商人から見れば僕も似たようなもの。ベルンからしてもそうだ。落ち着け落ち着け。
頭を冷やす僕にムツが静かな声で語りかけてくる。
「落ち着いたか? 主の殺意の混じる魔力は慣れぬ者には障る。大事無いか、ベルンよ」
「……はい、少し驚きましたが、大丈夫です」
「よろしい」
気づけば、無意識に魔力を起こしてしまっていた。ベルンの方を確認すると、少しだけ顔色が悪そうにも見える。魔力を練らなくて良かった。練ってたら家が燃えてた。
まあそれと家が壊れたのは別だけど。覚えとけよムツめ。
「ごめんごめん。けどまあ、そういうことならベルンが全く魔術を使えない訳じゃないかもしれないから、ちょっと訓練してみよう。もし魔術が使えれば、何かを操ることができる。それが玉属性なら手として使えるし、力属性でもベルンが動く助けになる。やってみない?」
そんな僕の提案に、ベルンは少し考えたのちに乗ってくる。
「お手柔らかに頼むぞ、旦那様」
「……結局ベルン頼みでごめんね」
「道は自分の力で切り開くものさ」
男らしいベルンの態度に、僕は思わず感嘆してしまった。
話が纏まったところで、僕は魔術の訓練の段取りを考えることにした。しかし、僕が魔術を練習し始めた時のことを思い出すが、この村に魔術師と呼べるほど魔術を扱える人はいないので、最初デデーさんに教えてもらったこと以外は我流だ。教本なんかはないし、正規の訓練方法を知っているわけでもない。なので、どうすればいいかわからない。
ベルンに向かい合うようにして座る。
「えーと。そうだな。まずは、魔力を励起させる。魂魄を打って、波を立てるんだ。できる?」
ベルンは目を瞑ってぷるぷると震える。しかし、魂魄の方はぴくりとも反応せず揺蕩っている。
「だめだ、できない」
少ししょんぼりしてるようにも見えるベルンが可愛らしくて笑ってしまった。慌てて抑えるが、もう遅い。ベルンの目付きが若干きつくなり、唇が尖っている、ように見える。心なしか。
どうしようか挽回策を考えるが、これもこれでいいので放置することにした。
「じゃあ、魂魄が震える感覚を覚えてみようか」
「どうやって?」
「乱暴だけど、こうする」
僕は支えてないと危険だから、と言い訳をしながら、ベルンの肩を両手で支えた。
自分の魂魄を撓ませ、一気に解放する。そうすることでベルンの魂魄に向けて、強めの波動を飛ばす。
波動に押された魂魄がぶるぶると震え、ベルンは辛そうに顔を歪めた。
「いま、のは。陰属性魔術か?」
「いやいや、魔術なんて大層なもんじゃないよ。魔術は魂魄で魔力に干渉するものだけど、これは魂魄で直接魂魄に干渉するだけ。霊撃とか言ったりもする」
「ああ、発気か」
少し辛そうだ。やり過ぎただろうか。
しかし、今、ベルンの魂魄はぶるぶる震えている。普段意識しない魂魄の動きを感じるには、こうして無理矢理動かしてしまうのが一番早い。今の感覚を感じ取れてもらえれば、少しはわかるはず。
「頭が、ぐらぐらする。少し気分が悪い」
「魂魄に集中して。心の臓の近くにある、体の中心当たりの、なんか熱いような冷たいような、不思議な塊。水っぽいけど、形があって、火みたいに揺れている……揺れてるのがわかる?」
ベルンは再び目を閉じた。
僕は黙って、ただベルンが落ち着くのを待った。声もかけない。待つしかない。願わくば、何かを掴んでくれることを祈って。
少しして、ベルンが長く息を吐いた。
「やってみようか」
「うん」
ベルンは目を閉じたまま、自身の胸に手を当てる。すると、ベルンの魂魄が少し蠢いた。
「だめだ、できない」
「いや、できてる。大丈夫。もう一度」
しかし、今度はぴくりとも反応しない。ふわふわと漂うだけだ。小さな掛け声と共に体に力が入っている様子がわかるが、魂魄は全く動かせていない。
「できてるか?」
「うーん、今度は動いてない。もう一度」
「どうだ?」
「もう一度」
「もう一度」
「もう一度」
「もう一度」
何度も繰り返していると、少しずつ魂魄が気合の呼気に反応するようになってきた。魔力も少し起きたみたいだ。
「魔力が起きた。なにか感じない?」
「なんだろうか、チクチクする」
「それが魔力。感覚はみんな違うらしい。僕は熱く感じる」
キラキラと輝いて魔力を感じながら、僕はベルンから少し離れた。
で、次は、とやって見せようとして慌てて抑える。ここで僕が僕の魔力を起こすと、ベルンの魔力をかき消してしまうからだ。僕は魔力を起こすことはあまり得意ではないけど、ベルンの弱弱しい魔力なら簡単に上書きできる。
「次は魔力を練るんだけど、今回はまだいいや。とりあえずその魔力を動かしてみて。魂魄で押す感覚。具体的に想像できた方がいいかな、持ち上げてみて」
「んんー……」
ベルンの滓かなと息とともに、魔力が僅かに浮き上がる。
操ること自体はできてる。いいぞいいぞ。
「動いてる感覚はある」
「いい。操ることはできてる。大丈夫、ベルンは魔術を使えるよ!」
「ひゃっ」
思わず興奮してベルンの肩を掴んでしまった。ベルンは体勢を崩して倒れかけ、ムツの尻尾に支えられる。すかさず僕の頭めがけて飛んでくるムツの別の尻尾。吹っ飛ぶ僕。
「お、驚かさないでくれ旦那様」
「ご、ごめん。けどベルンは大丈夫。魔術は魔力を起こして、練って、操るんだ。この三つができれば問題ない。ベルンは操ることはできてる。起こすのは苦手みたいだけど、ここは鍛えたらなんとかなることが多い。要するに体力をつけるようなものだから、ほら、貧弱な人だって毎日走ってたら多少は体力がつくだろ?」
ベルンはポカンとした顔をしている。嬉しくないのだろうか。僕は自分が魔術を使えるって知ったときは凄く嬉しかったのに。
「け、けれど、まだ練ることはしてない。それができない可能性もあるのでは?」
「それは、魔術の属性決定の行程なんだ。僕ならば、その行程で火の魔力を練り上げる。で、本来はここでどんな属性を扱えるか調べることを魔術適性の検査と呼ぶはずなんだけど、ベルンはした?」
「……いや、してない。言うなれば、起こす、ということができるかの検査をしただけだ」
「なら、大丈夫。ここで適性、つまり練り上げられる属性がなかったら、魔術の適性が無いといえるけど、そんな人はほぼいない。だから、ベルンは大丈夫」
「そう、か」
僕は立ち上がって、僕の方へ倒れてくるベルンを受け止める。慣れない魔術の使用による疲労が来たらしい。今日はもう限界だろう。
あとはこれで玉属性だったら文句無いんだけど、まあそこは追々調べよう。
ムツが満足そうに呟いた。
「うむ、魔術師見習いといったところかの。ベルンよ、主は運が良い。ワニトは間抜けな男じゃが、魔術の腕だけは一流じゃ。祝おう。酒をもて」
「待って待って」
完全に酒を飲む気でいるムツが酔っぱらう前に聞いとかなきゃいけないことがある。
「ムツ、ムツは義手や義足の役割を果たせる魔導具とか、そういった類いの伝承に心当たりはない?」
ムツは水を差されてやや不機嫌になる。
「……今考えねばならんか?」
あ、駄目だこれ。
目が座っているムツを見て一瞬で諦めた僕は、ベルンに目を遣る。ベルンはふるふると首を横に振った。
僕はムツの陽気な鼻唄を聞きながら、酒を取りに一度家を出るのだった。
††