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手と足  作者: 仁崎 真昼
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第四話

 僕が正気に戻ったのは、町から出て少し歩いたところでだった。

 手は例の車輪のついた椅子を押している。不整地でも走行できるように大きな車輪のついた、移動椅子。素人でも簡単に整備でき、分解組み立ての可能な一品。今回はおまけに無料でもらえたので少し得した気分。

「……」

「……」

 どうしよう。

 気づいたら彼女――ベルンを買ってしまっていた。

 貨幣袋はかなり軽いが、足取りは重い。軽くなった理由は中身が元の三割ほどになっているからだけど、重い理由はよくわからない。緊張か。後悔か。期待か。多分緊張が一番大きな要素だと思う。

 考え事をしていると、ムツとの待ち合わせ場所である大樹の根本についた。

「ムツー」

「おう、ワニト。うまくやっ……」

 珍しい、絶句してる。いつも泰然としているムツが目を見開いているなんて、明日は雪でも振るかもしれない。

 なんてとぼけてみたけど、まあ当然か。というか、冷静に考えてみれば僕はものすごいことをしてしまったんじゃないだろうか。手も足もなん奴隷の女の子を嫁にするために買う何て、変態だよ倒錯的だよ。

 ムツがはあああと大きなため息を吐いた。

「主のことじゃから普通の奴隷なぞ選ばんとは思っておったが、まさか不具の娘を選ぶとは。全く何を考えているのか我にはさっぱりわからん」

「人のことを変人みたいに言うのやめてよ」

「少なくとも普通ではない。色々な意味でな」

 人に失礼なことを言いながら、顔を近づけてじろじろとベルンを観察するムツ。するとなにかに気づいたのか、その表情が更に固くなる。

 ああ、うん。

「実は、足だけじゃなくてね」

 僕はベルンのコートの前を開く。すると、お洒落な服を着たベルンの胴体があらわになった。当然、そこに手足はない。左手は肘まで残っているけど、まあ手も足もない。

 ムツはあきれ果てたように天を仰いだ。

「……主にそんな性癖が」

「いや、違う! そうじゃないんだ! なんかうまくいえないけど、こう」

 必死に言い訳を考えるが、うまく言葉にできない。ムツはくわと口を開いてあくびをしていて、仮に思い付いても聞く気はなさそうだ。

 これから村の人たちにもこういう反応されると想像すると、やや気分が悪くなってきた。

 僕がうなり声をあげていると、ベルンが口を開いた。

「私は餌か」

 女の子にしては随分と低い声だ。少し嗄れている。それに、震えている。けど、嫌いじゃない。いや、むしろかなり好みだ。落ち着いた雰囲気としっかりとした芯を感じられる。

 なんでこんな感想を抱いているかというと、声を聞いたのは今が初めてだからだ。

 ん?

「酔狂だな。高い金を払ってこんなのを買うとは。食べる部位も少ないだろう?」

「いやいやいやいや、餌とかそんなんじゃないよ。ね、ムツ」

「ふむ。そういえば、処女は美味だったな」

「食べたことあるの!?」

「ないが、まあ若い雌は旨いと相場は決まっておる。人を食べたこと自体はあるぞ」

「ええ!」

 人を食べたことがあるのか。いや、ムツは肉食だし、人と争ってたこともそれなりに合ったらしいし、あってもおかしくはないんだけど。

 ちびどもの面倒をあれだけ見させておいて今更だけど、念のために告げておく。

「……食べちゃ駄目だからね」

「ふふふ、どうしようかのう」

 ムツは意地悪く笑うと、ぐわう、とベルンの顔の前で吠えて見せた。しかし、ベルンは僕の予想に反して悲鳴をあげることなどしなかった。怯える様子など一切見せず、毅然とした態度でムツを向かい合っている。目の前のムツの口内を観察しているようにすら見える。

 その反応があまりお気に召さなかったようで、ムツはふんと鼻を鳴らした。

「最近の人間は我を怖がらん。無知め」

「何言ってんの。怖がるから村には近づかないよう頼んでるんでしょ。町もそうだよ、近づいたら絶対教われるから近づいちゃ駄目だよ。面倒なことになるから」

 注意しながら、ベルンの様子を伺う。誤解が解けたのかはわからないけど、若干目付きが柔らかくなってる、気がする。いや、気のせいかも。

「ベルン、忘れてたけど僕の名前はワニト。こっちは友だちのムツ。僕の村とこの町は遠いから、往復するのに乗せてもらってるんだ。とても怖そうに見えるけど気のいい奴だから、できれば仲良くしてやってね」

「うむ。敬え。して、ワニトよ。帰りも乗せてやるのは良いが、その娘はどうする?」

「どうするって、あ」

 どうしようか。腕がないと捕まれないよな。

「僕が抱えるとか」

「その腕で? 二人とも落ちるに決まっとろう」

「う。ムツ、くわえられない?」

「間違ってがぶりとしてもよいならやってやる」

「駄目かぁ」

 そのまま侃々諤々話しかけた結果、ムツの首に大布をくくりつけ、赤ん坊のおくるみのようにすることで運んでもらうことになった。そのための布は町で調達してきた。ついでに兄夫婦と村長宅、チビどもへの土産も忘れないようにする。

 そして、移動椅子を教えてもらった手順の通りに分解し、纏めると、さっさと村へ帰ることにした。

「ベルン、問題あったら言ってね」

 僕はベルンを抱え、その軽さに驚いた。恐らく年齢は僕と大して変わらず、身長も座高でいったらほぼ同じはず。しかし、体重は村のチビどもと大して変わらないくらいだ。考えてみれば当然のことだが、それでも痛ましい気持ちになる。

 ベルンからの返事はないがおそらく、問題ないだろう。丁寧に布の揺り籠に乗せ、落ちないように服の一部をくくりつける。そして、ついチビどもにするかのように、乱れた前髪を整えてしまった。

 目が合った。目の色は焦茶色だ。まつ毛は長く、眉は整っている。唇の赤は、やや薄い。

 綺麗だ。

「そういうことは帰ってからやれ」

「ちちちちがうから」

 ムツにからかわれ、僕はベルンから慌てて顔を遠ざけた。そして、そのままムツの背に飛び乗り、ムツの首を通した紐の両端を輪っかにして手首にかけ、背にしがみつく。

 相変わらずのモフモフ具合だ。

「お願い」

「しっかり掴まっておれ」

 短い掛け声と共に、ぐんと荷重がかかった。僕たちの体は一瞬で人の全力の数倍にまで加速するが、ムツのしなやかな走行はほとんど振動を感じさせない。さほど腕力のない僕が引きちぎられずにムツの背中にひがみついていられる理由は、こうしたムツの驚異的な技術のおかげだ。

 ムツの足なら僕を乗せていても、町から村まで半刻(約一時間)と少し。ただし、ずっと乗りっぱなしは少し辛いから、ちょくちょく休憩を挟んで一刻ほど。

 日が傾き始めてから出発したというのに、日が沈む前には僕は帰ってくることができた。

「うぐぐ、腕が、腕が」

「肉をつけい。次からは休憩を減らすからの」

「そんなあ」

 村からは家が陰になっている場所でムツに下ろしてもらった。僕の腕は疲労でプルプルと震えているが、泣き言は聞いてくれない。僕はベルンが道中で落っこちていないことを確認すると、腕を撫でさすりながら荷物を下ろして行く。

「こっちは、兄さんち。こっちは村長さんち。こっちはチビども」

 積み荷はすべて無事だ。ああ、ベルンを下ろすために移動椅子組み立てよう。

「いやー、ありがとうムツ。いつも本当に助かってるよ。これで後すこーしだけ休憩を増やしてくれると本当に助かるんだけど」

「構わん。が、その願いは聞けんな。我も主に苦しい思いはさせたくない。しかし、これも主のためを思ってのことなのじゃ。運動せよ。筋肉を鍛えよ。強くなくてはこの世界を生き抜くことはできん」

 愉快そうに嘯くムツに文句を言いたくなるけど、僕が貧弱であることは全くの事実なので、何も言えない。

 ムツは地面に伏せて毛づくろいを始めた。

「ああ、酒は冷やしておけ。後日のみに来る」

「肉も用意して待っておくよ」

「できれば生の肉が良いんじゃがのう」

「それは無理。最近は加減して焼けるようになってはきたけど、事前に来る日を教えてくれないと腐っちゃう。釣りは慣れてきたから魚なら用意できるけど」

「魚は好かん」

「だよね」

 そんな話をしていると、無事に移動椅子は組上がった。簡素な作りで助かった。おそらく素人が組みあげることを想定してくれていたんだろう。でないとあまり頭の良くない僕がくみ上げられるはずがない。

 ベルンをそっとおくるみから抱えあげる。揺られ続けて気分が悪くなってないか心配していたけど大丈夫そうだ。ただ、僕に触られても嫌がる素振りどころか一切の反応を示さないのが気になる。

 目は動いてるから、起きてはいるんだろうけど……。

「ワニト」

 顔をあげると、真剣な顔でムツが僕を見つめていた。

「主の選択じゃ。我も文句は言わん。しかし、これから大変に、多くの問題があるはずじゃ。心せよ――その娘を生かすも殺すも、主次第じゃ。一切の誇張無くな」

 ずしり、とベルンが重く感じられた。

 柔らかく、暖かい体だ。

 ベルンの方へ眼を向けると、再び視線が絡まった。何を考えているのだろうか、と疑問には思うけど、その目からは感情は一切読み取れない。

「頑張るよ」

 僕が短く答えると、くく、とムツは愉快そうに笑った。

「ではまたの」

 ムツは足音を立てずに森の中に消えていった。森にある家に帰るのだろう。

 さて。

「ここが僕たちの家」

 僕はベルンを移動椅子に乗せて後ろから押し、家の中に案内する。

 僕の家にあるのは小さな囲炉裏と、藁の敷いてある寝台。川から汲んだ水を保管する瓶、手製の燻製室、炊事場も兼ねた小さな机と三脚の椅子。あとは箪笥。一部屋にすべてがあり、一部屋しかない。

 ベルンの無反応さに、今更になって、この襤褸家が恥ずかしくなってきた。

 机に町で買っておいた麺麭と肉を取り出し、夕食にすることにする。移動椅子を机の前に移動させ、向かい合わせに座り、そこで気づいた。

 手がないから、ベルンは自分で食事できない。当たり前だ。子供でも分かる。

 いや、それだけではない。食事、着替え、水浴び、排泄といった生活の必須行動から、料理、掃除、洗濯といった家事、ありとあらゆる趣味が行えない。歩けず、動かせず、何もできず、見て、聞いて、話すことしかできない。

 そう、何もできないのだ。

 生かすも殺すもお主次第。ムツの言葉がのし掛かる。頭のなかで何度も繰り返し響く。

 ベルンはそんな僕を馬鹿にするように口の端を歪めると、僕に向かって近寄れとでも言うように顎で示すした。

 何も考えずに僕が近寄ると、次の瞬間胸に頭突きを食らい、背中から壁にたたきつけられた。ミシミシと肋骨が悲鳴を上げ、肺から空気が絞り出される。とても手足のない女性から繰り出されたものと場思えない威力だ。

 僕が混乱しながら床に座り込んでいると、ベルンは上半身を机に預け、麺麭を切り分ける短剣を歯を自分に向けて咥え、勢いをつけてまた体を起こす。そして、その短剣の柄を机にたたきつけるようにして、思い切り頭を振り落とした。

 そんなことをしてしまえば、短剣はベルンの喉に突き刺さり死ぬだろう。僕の肌が泡立った。

「まっ……!」

 ベルンに体当たりを食らわせ、生き覆いあまって寝台に倒れこむ。慌ててベルンの方を見ると、短剣は咥えたままだが、まだ喉に刺さってはいないようだ。すかさず短剣を奪い取り、ベルンの届かない場所に放り投げた。

 無事だ。生きている。しかし、面倒くさそうな顔をして僕を見ているベルンに、僕は思わず怒鳴ってしまった。

「何をしているんだ! 死ぬところだったんだぞ!」

 しかし、そんな僕をベルンは鼻で笑った。

「何をしているか、だと。は、見てわからないならお前は阿呆だな。喉に短剣が刺さったら人は死ぬだろう。私がそれを理解してないとでも?」

「そうじゃない! なんで、こんな!」

「死のうとしていた以外に見えたか? このまま慰み者として生きていくくらいなら、死んだ方がましだと考えただけだ」

「っ、……僕はそんなつもりじゃ……」

 ない、と言おうとして言葉に詰まった。

 ベルンと目が合ったからだ。ギラギラと強い苛立ちを込めて輝いている鳶色の眼と。それだけで金縛りにでもあったかのように、僕は動けなくなる。

 徐にベルンが口を開いた。

「なら、お前の目的はなんだ? お前が私を買った理由は? 目的は?」

 目的は、なんだっけ。

 問われて思い出すと、答えは簡単に見つかった。

「嫁を探してた、んだけど」

 最初は嫁探しだった。そして、諦めて帰るところだった。そう、僕は自分の愚かな考えを捨て、家に帰ろうとしていたんだ。

「こんな役立たずが欲しかったのか? 随分と頭がおかしいな。正気か?」

「そう、だけど。違う。そうじゃなくてさ」

 駄目だ、思考がまとまらない。昼間にベルンに会ってから、ベルンと向かい合っているとこうなってしまう。まるで陰属性の魔術をかけられてるみたいに、思考がふわふわしてしまう。

 ベルンの語気が荒くなる。どうやら怒っているようだ。

「こんな女でも子供さえ産ませられれば良いのか? 私は子供をあやすどころか抱くことさえできないぞ。自分で乳をやることもできない。お前が代わりに付きっきりになれるような環境にも見えないがな」

「違うんだ、そんなんじゃなくて。僕はさ」

「性欲を満たせればいいか? 面倒になったら捨てるか? それともこうなると考えが至らなかったか?」

「違う、わかってはいた。わかってはいたんだ。そうじゃなくてさ」

 ベルンが突然叫んだ。雷鳴のような怒鳴り声だ。

「ならさっさと私の口に餌を突っ込め! そして寝台で自分の欲望を満たせ! そして、さっさと捨てろ! さっさと殺せ!!」

 僕もつられて叫んだ。

「違うって!」

 気づくとベルンは泣いていた。怒った顔をして泣いていた。理由はきちんとは理解できていないけど、原因はわかる。僕が泣かせたんだ。目の端から溢れた涙が頬を伝って落ちて行く。

 ベルンを泣かせてしまった。僕はそれがすごく悔しい。

「ベルン、違うよ。違うんだ。役立たずだとか、子供を産めとか、そんなんじゃなくて! ただ、そういうごちゃごちゃを無視できるくらい……君と一緒にいたいって、思った、だけなんだ」

 情けない。自分が情け無さすぎて吐き気がしそうだ。こんなの結局何も考えてなかっただけじゃないか。

「……なんでお前が泣きそうな顔をしてるんだ」

 掠れた声で、ベルンが呟いた。

 慌てて目を擦って涙を散らす。

「君が殺せなんて言うから、悲しくて」

 見ると、ベルンはまだ泣いていた。

 手をそっと伸ばして、頬の涙をぬぐう。ベルンは一切の抵抗をしない。抵抗したら椅子から転げ落ちてしまうかもしれないからだろうか。いや、恐らくそうじゃない。弱みを見せまいとしているんだ。毅然とした態度で、自分の感情を押し隠しているんだ。

 ――こんなことさえ、自分でできない。そんな苛立ちを隠している。

「ベルン」

 そのまま、ベルンの両頬に両手をあてる。

「僕は君が好きなのかもしれない」

 ベルンは一切の反応をしなかった。恥じらうことも馬鹿にすることもせず、僕の目をじっと見つめ返してくる。

 どうしようか。自問するが、すでに答えは決まっていた。

 僕が思いついたような解決法なんてきっと愚かなやり方で、もっとずっと簡単な方法は山ほどあるだろう。効率的で、誰もが納得して、ベルンのためになって、ついでに僕のためにもなって、そんな冴えた方法が。僕は思いつかないけど、やり方なんてたくさんあるはずなんだ。けれど僕にはこれしか思いつかない。だから言おう。

 ベルンの笑顔を見るために。

「ベルン。僕は君の手足を探す。君の手となれる物、足となれる物を探して、見つけて、なければ作る。そして、君を自由にするよ。だから」

 ベルンの唇に接吻をした。唇が触れ合うだけの軽いものを。

「もしそうなったら、その時に考えてほしい。僕と一緒に生きることを」

 ベルンは僕のことが可笑しくてたまらないかのように顔をくしゃりと歪めた。そして、頬から涙が溢れ落ちた。



※※※※




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