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手と足  作者: 仁崎 真昼
3/25

第三話

 僕は手のひらに乗った小さな金属片を見て呆然としていた。

「……王銭?」

「ええ。組合の方から懸賞金が出ていますので」

 眼鏡をかけた受付の男性が物静かに答える。それは淡々と事実を述べているだけとでも言わんばかりで、庶民はまず手にすることのない大金を目の前にしているようには見えない。組合の人にとってはこんな大金もそう珍しくないのだろうか。

「そいつらは鳴り海の盗賊団と自称する一派でして、手口は大胆ながらも非常に逃げ足が速く、中々捕まえることができなかったんですよ。最近余りの無法っぷりに〈(ノヴァジ)〉に指名されていたのですが、頭と幹部連中に逃げられていましてね。こうして懸賞金が出たわけです。頭のレギーなんかは一昔前に四十八傑に名を連ねたこともあるほどでして」

 いやあ、お手柄ですよ、という声が遠くから聞こえる。しかし、そんな言葉は僕の頭には入ってこない。頭に血が上ってくらくらする。

 王銭一枚で一体どれだけ暮らせるのだろうか。一食三〇ボアトだとして、一日一〇〇ボアトだから……一〇〇〇日! 一〇〇〇!? 三年以上!? いや、食費以外を考えるとその半分くらいか。いやいやだとしてもおかしいよこれ。ちょろちょろっと六人殺して一晩でこれ? はあ? なんだこれ。なんなんなんなんだこれ。

「あ、僕の方たちが現在この街に駐留されていたので、報告すればそちらからも報奨が出るかもしれません」

「へ? いやいや、こんなにもらってるのにこれ以上報奨が出るとかそんな詐欺みたいにうまい話は――」

 出ました。

 僕は町の外の森のなかで、手のひらに乗った二枚の王銭を見て呆然としていた。

「これは夢か」

「ふーむ、王銭二枚か。中々に大物だったようじゃな」

「ムツ、どうしよう」

「とりあえず我に対価を払え」

「あ、そうだった」

 僕の村から町までは遠い。人の足だと一番近い村まででも丸一日はかかるのに、盗賊退治の報奨を出しているようなそれなりの規模の町までは、それこそ三日以上はかかる。出不精な僕がそんな場所に気軽に来れるのはムツのお陰だった。

「いつもはだいたい一割くらいだけど……二〇〇〇〇ボアトの食べ物ってあるかなぁ」

 凄く高級な飲食店で夕食を取って二〇〇〇ボアトくらいか。けどムツが入れるような場所じゃないしなあ。それにムツは好き嫌いが多いから下手な食べ物だと無駄になる可能性もある。装飾品とかは興味ないし。どうしよう。

 僕が悩んでいると、ムツが僕の背中を尻尾で叩いた。

「我は酒でよい。それよりワニト、お主はその金の使い途が決まったか?」

「いや、全然」

「くくく、であろう。そこでだ、我によい考えがある」

 ムツが獰猛に笑う。これは何か悪いことを考えている顔だ。

 と警戒してみたものの、僕はこのお金の使い道に困っている。村長や兄への借金はこの前払い終えたばかりだし、今までのお礼に何か物を贈るにしても王銭二枚は多すぎる。村に何か施設を作るかとも考えたけど、流石にそこまで村のために何かするほど僕もお人好しじゃない。

 僕は迷った結果、ムツに先を促す。

 ムツは尻尾をはたはたとさせながら答えた。

「嫁じゃ。嫁を貰うのじゃ。お主ももう大人。そろそろ所帯を持ってもよかろう」

 えぇ。

「……あのね、ムツ。確かにお金は人の世界では大きな力を持つけど、お金をたくさん持っている人に女の子が寄ってくる訳じゃないんだよ? ほら、お互いの気持ちとか、性格が合うかとか、色々あるの」

「あまっちょろいことをぬかしおる。しかし、実際貧乏人に雌は寄ってこぬ。それは、ながーい間生きておる我はよく知っておるぞ?」

「うっ」

 痛いところを突かれてしまった。

「けどさ、実際にね、お金目当てで寄ってきた娘を僕が好きになれるかどうか、あんまり自信ないというか。いや、選り好みするような立場じゃないのはわかってるんだけど」

 理想としては、愛のある生活がいい。あんまり即物的すぎるのは好きじゃないし、そういう人を好きになれる気もしない。

 しかし、ふふん、とムツは得意気に僕を見下ろす。

「だったら主が気に入る娘を買えばいい。主が気に入った奴隷の娘をな」

「えぇー……」

 そう来たか。

 言いたいことを言えたらしいムツは凄く満足げだ。けど僕はムツの言葉になんて返したらいいのかわからない。アホなのかと聞き返すべきか、全く話にならないと切り捨てるべきなのか。

 無難に話を続けてみることにしよう。

「いや、あのさぁ。奴隷はさ、一方的に買われるわけなの。拒否することもできないし、文句言うこともできないし。妻にする相手を強制ってのは、あんまり」

「ならば、買う前に本人の意思を確認すればよい。相手がいやがるようならまた別の奴隷を探すとかの」

「ごめん。そもそも奴隷を買って嫁さんにするっていうのかなんかもう。心が痛むというか、人としてやっちゃいけないことのような」

「奴隷であり妻であることが気になるなら、買ってすぐに奴隷から解放すればよい。そうすれば別に問題なかろ」

「それは、問題ないかもしれない、のか? けど結局買ってるしなぁ。なんか家の雰囲気がギスギスするだけじゃない? それならまだ地道に探した方が」

「馬鹿が。それで見つかるならなにも問題ないわ。あの辺境の地にたまたまお主が気に入ってお主のことを気に入る未婚の若い雌がやって来るとでも? 夢を見るのは成人するまでにしておけ」

「ぼ、僕には定期的な収入がないしな。やっぱり一家の主となるなら」

「来年からは畑も作ると言っておったであろう。なに、王銭二枚もあるのじゃ、きっとどうにかなる」

 どうしよう、なんとかなる気がしてきてしまった。

 僕の心の迷いを敏感に感じ取ったのか、赤い舌をちらちらとさせながら、ムツが囁く。

「とりあえず奴隷を見に行けばよい。そもそもお主の気に入る奴隷が見つからぬ可能性もある。結論を急ぐ出ない。まずは、見てから、の」

「ま、まあ、見るだけなら」

 ああ、流されてしまう。

 僕は初めてのお使いに出る子供のように王銭を握りしめ、町の中へと送り出されたのだった。

 この町は大きい。総人口が数十人とか、そんな僕の村とはまさに桁が違う。建物は立ち並び、道は入り組み、あちこちにたくさんの店がある。道に迷うなんて容易いだろう。だから僕は迷わないようにいつも真っすぐ目的の店に向っていて、そのためいつも行く開拓組合と肉屋と果物屋しか場所を知らない。

 当然奴隷商の場所も知らない。

「困ったな」

 道行く人に訪ねるには、奴隷商という単語は強烈だ。しかし、いつも行く組合で聞いて変な空気になるのも嫌だ。

「……とりあえず、酒屋を探すか」

 僕は通りを適当に歩き始めた。

 町を歩き回るのは初めてではないが、酒のような嗜好品を売る店を探していると、いつもとは違った場所に目が行く。道端で装飾品を並べている浮浪者のような男。入るには狭い階段を地下へと降りてゆかなければならない謎の店。屋根はついているが何も売っていないがらんとした広場。店頭に商品が飾られているなら分かりやすくていいのだが、入らなければ商品が見れない店とか、店名では何を売っているのか推察できない店とか、そんなので商売は成り立つのだろうか。

 簡素な服を着て田舎者丸出しの挙動でうろついていると、酒屋はすぐに見つかった。

「らっしゃい」

「ここって酒屋ですよね。二〇〇〇〇ボアトくらいのお酒ってありますか?」

 何故か店員に睨まれる。

「冗談は別の場所で吹いてな坊主。んな高級酒がこんなちんけな酒屋においてあるわけないだろうが。それに」

 店員は言葉を切ってじろじろと僕の格好を観察する。そして、まるで安い肉を上げたときのムツのように鼻で笑うと、馬鹿にするような口調で言い放った。

「そんな大金持ってるようには見えねぇな」

 ごもっともな話だった。僕の服は全部合わせても二〇〇ボアトくらい。そんな貧乏人が酒のような嗜好品にそこまで金をかけることは普通はない。店員の見立ては非常に正確だ。

 すっと王銭を示し、すぐにポケットにしまう。

 店員はあんぐりと口を開けた。

「どこなら売ってるか教えてもらえますか?」

「坊主、悪いことは言わねぇ。自主しろ」

「悪いことはなにもしてないのでしません」

 店員さんはまた値踏みをするように僕を眺め回す。そして、不意に僕に向かって短剣を投げてきた。

「うわあっ」

「……別に武術ができるわけでもないわけか。まあいい、俺には関係ないこった」

 抗議しようと口をパクパクさせる僕を気にも留めず、店員は何やら紙片に書いて僕へと飛ばす。それに目をやると、何やら店名らしきものが一つ書かれていた。

「この町で一番良い酒屋だ。道中ひったくりに会わないよう気を付けな」

「今まさに短剣で刺されそうになりましたけどね」

「そりゃ驚いた。この町も物騒になったもんだ」

 何食わぬ顔でそう答える店員を半目で見つめながら、僕は礼を言って店から出た。

 紙片に書かれた地図に従って歩いていくと、教えてもらった酒屋はすぐに見つかった。しかし、確認のために場所を聞いた時の町の人の不思議そうな顔を見て、余裕があればもう少し余所行きの服にはお金をかけようと心に決めた。

「お、おじゃまします」

 酒屋は、思わずそう呟いてしまうほど、僕には不釣り合いな場所だった。

 艶のある木製の床、ひびどころか染み一つない壁。天井から垂れ下がる硝子細工のランプの橙色の光が、入り口狭く窓もない店内を薄暗く照らしている。思わず下駄箱を探すが見つからず、僕はためらいがちに靴を履いたまま店内に踏み込んだ。

 入り口の正面に細長いカウンターがあり、その向こうには店員らしき人と整然と並んだ酒瓶がある。

「いらっしゃいませ」

 五〇を過ぎているだろう店員が一礼した。その所作からは気品のようなものが溢れ出ていて、なんだか気恥ずかしい。

 僕は王銭を握りしめながら、カウンターの前まで歩いていく。店員さんはそんな僕を気にすることもなく、硝子の瓶を磨いている。なんとなく声をかけることを気後れしながらも、僕は要件を告げた。

「ええと、あの、ここで高級なお酒が買えると聞いたんですが」

「どのようなものをお探しでしょうか」

「二〇〇〇〇ボアトくらいのもので」

 店員が片眉を上げる。

「贈り物ですか?」

「え? はい。そうです」

「なるほど。でしたら好みなどはおわかりでしょうか。酒は単純なようでいて驚くほどの種類があります。それほどの金額の酒であればいずれも筆舌にしがたいほど美味ですが、やはり相手の好みに合わせたものの方がより美味しく感じます」

 物静かに語る店員さんに、僕は驚きを隠せない。こんな浮浪者のような格好をした客に対して金の持ち合わせも聞かず、淡々と自分の職務をこなす。こういった人を玄人と呼ぶのだろう。先程の酒屋の店員とは大違いだ。

 しかし、ムツの好みか。

「うーん、とにかく量を飲みますね。で、えーと、あっ、穀物酒より果実酒の方が好きだって言ってました。なんだか苦すぎるのは嫌いだって。他には……何かあったかなー」

「ふむ、承りました。では少々お待ちください」

 店員さんは後ろを振り返り、しばし瓶の並んだ棚を眺めた。そして、ややあって一本の酒瓶を手に取る。

「こちらはいかがでしょうか。青桃(ウィタポポ)の果実酒でございます。海を越えてはるか南方から取り寄せた逸品でございまして、その香りは生の青桃より芳醇であり、舌触りは製造の過程で何重にも濾したことにより非常に滑らか。甘く、しかし酒精の苦さも失っていない、素晴らしい一品です」

 続いてその酒瓶を五本並べた。

「こちら品質に比べて非常に安く、五本で二〇〇〇〇ボアトとさせていただきます。きっとお相手の方も満足する量でございましょう」

 おお、量のことまで考えていてくれたとは。まあ一つ店員さんに計算外があるとすれば、お相手が人間じゃないってことだろう。多分ムツはこの量なら一瞬で飲み干す。

「はい、ではこれでお願いします」

 そう言って僕は王銭を一枚差し出した。店員さんは全く動揺することなくそれを受け取り、カウンター下の箱をかちゃかちゃと鳴らした。そして、店員さんは僕におつりとして、ずっしりとした袋を差し出してきた。

 忘れていた。王銭の価値の大きさを。恐らく厚銭が二百枚ほどこの中に入っているが、枚数を確認することはしなくていいだろう。というか重い。凄く重い。お酒も五本ともなるとかなりの重さだ。これはつらい。

 そうして店を出ようとして、思い出す。

「あ、あの、奴隷ってどこで買えますか?」

「ほう、奴隷をお探しですか」

「あ、はい」

 恥ずかしいが、おそらくこの店には二度とこない。そう思うと少しは気が楽になる。

 店員さんはふむふむと頷いた。

「この街には奴隷商は三軒あります。ですが、恐らくあなたの目的に沿えるのはソリア商会でしょう。奴隷の質は高く、数は多い。美人もたくさんいますよ」

「え、あ、う」

 目的はばっちり悟られていました。まあ、若い男が大金持って奴隷商へ向かうなんて、目的を考えるまでもないか。

「隣の通りをまっすぐ北に進めば突き当たりにあります。お気をつけて」

「はい」

 あー、店員さんの視線が優しいのが心に来る。

 僕は礼を言って店を出た。

 このまま商会に行こうか悩んだが、酒瓶がガチャガチャとうるさくて重いので一度ムツのところへ届ける。そして、なんだまだ買っていないのかと煽ってくるムツの声を背に、再び町へ。

 ソリア商会へは、迷うことなくたどり着けた。

 大きくきらびやかな店だ。店頭には商品である奴隷の似顔絵が並べられている。外からでは分かりにくいが奥行きは広いようで、これなら一〇〇人くらいは奴隷がいてもおかしくはない。流石玄人の店員さんの紹介。

 豪奢な扉を開けて、中へ入った。

 入り口から入ると、そこは廊下になっていて、受付らしき台の手前には、美人のお姉さんがいた。その横を通らなければ奥にいけない構造を見るに、まず話しかけるべきだろう。

 だけど。

 話しかけづらい。

 僕が躊躇していると、お姉さんの方から呼び掛けてきた。

「買い取りですか? 借用ですか? 売却ですか?」

「か? え、しゃく……?」

 目を細めて観察される。あまりいい気分じゃないけど、えーと、えーっと。

「買い取りです」

「ご予算は?」

「あー……」

 どのくらい出そうか。今後の生活を考えるとあまり大金は使いたくない。けど嫁さんを買うのに金をけちると言うのも。いや、金で判断する方が駄目なんだろうか。というか買っちゃっていいのか。今更か。

 悩む僕に見切りをつけたらしいお姉さんが次の質問に切り替えた。

「どのような奴隷をお望みですか?」

「あ、はい。できれば、あの、若い……じょ、女性を……」

「承りました」

 お姉さんはさらさらと手元の紙に何かを記すと、手元の鈴を振った。

 カラカラと澄んだ音が響き、奥から中年の男性が現れた。その男性はお姉さんから紙を受けとると、僕に話しかけてきた。

「いらっしゃいませ。私は奴隷管理部のカルトと申します。以後お見知りおきを」

「えっ、はい」

「では、ついてきてください」

 カルトと名乗った男性は廊下の奥へと進んでゆく。有無を言わさない展開の速さに、僕はこくこくと頷くことしかできない。建物の奥へと進むのには少し抵抗を感じるが、考える暇はない。

 僕は廊下の手前の方にあった一つの部屋に通された。

 僕を椅子に促し、自身も向かいの椅子に座ると、カルトさんは早速切り出す。

「早速ですが、具体的な用途をお教えください。それに合った娘を連れて参りますので」

 僕は出されたお茶を口から吹き出さないように慌てて飲み込んだ。

「よ、用途?」

「はい」

 にこやかに見つめてくるカルトさん。そんなに見つめられても言いにくいことは言いにくい。

「あの、よ」

「よ?」

「嫁を……」

 顔から火が出そうだ。

 しかし、カルトさんの反応はあっさりしたものだった。

「なるほど。では、求める技能はありますか? 料理が得意な娘、畑仕事に慣れている娘、極めて見目麗しい娘。様々ですので」

 恥ずかしさで身悶えしている僕に、極めて穏やかにカルトさんは言う。

「大丈夫、変なことではありませんよ。人の少なくなってしまった集落の方が嫁探しに奴隷を見に来るなんてよくあることです。そう言った方々は大切に扱ってくれることが多いので、奴隷からしても悪い話ではありません。わかりました、とりあえず二、三人見繕ってきましょう」

 そっかそっか。

 これが単なる気休めじゃなければ、あとでムツを誉めておこう。

 カルトさんが部屋を出ていく。少しの居心地の悪さを感じながら、お茶の味を楽しむ。うん、おいしい。これで心臓が爆発しそうじゃなければ心置きなく味わえるのに。

 ほどなく、カルトさんが戻ってきた。後ろには三人の女性を連れている。

「お待たせしました」

 並んで立つ三人を観察してみる。

 右は南の方の人だろうか。髪が黒く背が高い。非常に優雅に笑っていて、なんとなく近寄りがたい。

 真ん中は金髪の少女だ。なんとなくあか抜けている雰囲気を感じるけど、笑顔が少し不自然。なんか無理して笑ってるみたい。

 左の娘は、めっちゃ目付き悪い。やばい、睨まれてる。不機嫌そうな感じを隠そうともしていない。歳は同じくらいだろうか。

「いかがでしょうか。何れも処女であり、最低限の家事や読み書きはこなせます」

 うむ。

 なんというか、やっぱり無理かもしれない。

「君、名前は?」

 左端の娘に話しかけると無視された。

 しかし、カルトさんが睨み付けると、渋々呟いた。

「マレア」

 駄目そう。基本的に罪を犯すか身売りするかのどっちかで奴隷になるんだけど、この娘は奴隷になったことに納得してなさそう。買っても逃げられそうだ。

 真ん中の娘に話しかける。

「君は?」

「ひゃい、ミィハはミィハといいます」

「そうか。家事は得意?」

「いえ、あんまり、あや、苦手ではないです。けど」

 表情が硬い。その視線を辿ってみると、僕の身なりを見ているようだ。

 そこで合点がいった。彼女たちは買われる側だ。しかし、彼女たちだって意思はあるし、希望はある。できれば優しくて頼りになり、格好よく、そして、金のある相手に買われたいはずだ。そうして考えると、僕はどうだろうか。服は安物で古くさく、体つきは細くて頼りない。こんな奴に買われたいと思う人はいないだろう。

 試しににっこりと笑いかけてみると、ひきつった笑いで目を逸らされた。

 心折れそう。

 最後の望みをかけて右端の女性に話しかける。

「君は?」

「わたくし、コタナ・ナと申します」

 普通の対応だ。僕に対して嫌悪感を抱いたりはしていないみたい。

「家事とかは?」

「一通り教え込まれています。料理も得意です」

「僕の村田舎だけど、平気?」

「住む場所はあまり関係ないでしょう。要は生きていくのに十分であるかどうかです」

 やった。なんて素晴らしい女性だ。

 カルトさんに耳打ちする。

「彼女は、その……」

「とてもお安いですよ、一五〇〇〇〇ボアトです」

 一瞬聞き間違えたのかと思ったが、顔を見る限り本気らしい。

 なんというか、高い。相場を知らないのでそれが適正かはわからないが、想像していたよりはるかに値段が張る。所持金で足りることは足りるが、買ってしまえば金がほとんどなくなってしまう。

「あの」

「資金がありませんか? たしかに少々高く感じるかもしれませんが、むしろ相場より――」

「いえ、一応ありますが」

「え?」

 カルトさんに驚いた顔をされた。なんでだ。

「相場がよくわからないので聞いてみようとしただけです」

「あ、ああ、そうですか。そ、それならいいんですがね。一応予算をお聞きしても?」

「っていってもギリギリ払えるくらいです。今後のことを考えると、もう少し抑えたいですね」

 見るからに安堵した顔をするカルトさん。なんでだろうか、商品は売れた方が嬉しいんじゃないだろうか。それとも、こうした高価な商品を扱っている場合には、考慮しなければいけないことでもあるのだろうか。

 カルトさんは再び笑顔になると、手を揉み始めた。

「そうですね、でしたらこちらのミィハなどいかがでしょう。まだ一四歳ですが、お客様もまだお若く、お似合いでしょう。月のものも来ております」

 視線を向けると、ミィハは微かに俯いた。

 とても見た目は愛らしい。だがこれは難しそうだ。

 というか、そもそも奴隷を妻にしてうまくやっていこうという考え方がよくなかったのかもしれない。たまたまお金が入ったからって舞い上がったら駄目だな。いい教訓になった。

 帰ろ。

「ありがとうございました」

「え、決まりましたか?」

「はい、今日は買わずに帰ろうと思います」

 途端にカルトさんが慌て出した。

「お気に召しませんでしたか? 他の娘も連れてきましょうか」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

 僕に妻なんて早かった。

 カルトさんはまだ何か言いたそうだったが、僕の買う気が完全に失せているのを悟ったのだろうか。諦めたように首を振った。

 案内されて部屋を出る。長い廊下をとぼとぼ進む。

 ほんの少しだけ、期待してたりもした。だが、現実はこんなものだ。帰ったらムツにバカにされるんだろう。だけど、買ってもうまくいかないだろうと感じてしまったんだから、しょうがない。

 そんなことを考えていると、廊下で二人組とすれ違った。

 一人はカルトさんと同じ服を来た老人。

 もう一人は、車輪のついた椅子に座った、目の覚めるように、美しい女性。

 思わず振り返ってしまう。

 少し前方でそれに気づいたカルトさんが振り返る。

「いかがしました?」

「……い、今のは?」

 少しの間の後、カルトさんが答える。

「うちの商品です。ですが、あれは」

 そう言って言い淀んだ。

「あの、買えませんか? 特別な奴隷とか、そんなのでしょうか。いえ、見るだけでも構わないので、一度。一度会わせてくれませんか」

 なんでこんなに必死なんだろうか。僕にもよくわからない。ただ、頭がかーっとなってなんかうまく考えられない。

 捲し立てる僕に、カルトさんは何かを考え、そして頷いた。

 再び部屋に通される。先程と同じ部屋だが、三人の奴隷はもういない。

 ややあって、カルトさんが椅子を押して入ってくる。その椅子には、彼女が座っている。

「これは、ベルンといいます。値は六〇〇〇〇ボアトほどですが、少々問題がありまして」

 カルトさんが彼女の全身を覆っていたコートを脱がした。

 後になって考えてみれば、それは一目惚れだったのだろう。

 艶やかな黒髪、整った目鼻立ち。

 どこか厭世的な無表情に、感情の読み取れない瞳。

 しかし、椅子に座ったまま動かない、そんな彼女のコートの下には。

 手も足も、一本もなかった。



※※※



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