第一話
僕の魔術の適性は、力属性火魔術。
水や土魔術とは違って田を耕すには不向きであり、風や力魔術のように狩猟に適しているわけでもない。竈の火程度ならば適性が低くても点けられるし、鍛冶が盛んなわけでもないので高温の火種は不要。身を守る盾にも使えず、できるのはただ外敵を焼き払うことだけ。
体があまり強くなく、魔術に一縷の望みをかけていた僕が役立たず扱いされるのも、それは仕方のないことだった。
両親が死んだのは一二の時。この村では成人は一四からだが、こんな役立たずを養いたがる奇特な知り合いはおらず、唯一の家族である兄も新婚ホヤホヤ。既に自分の立場を自覚していた僕は、なんやかんやと理由をつけて兄夫婦の誘いを断り、村外れで独り暮らしを始めた。
田を耕すことはできない。だが、小さな菜園を育てることくらいはでき、また、自分用の肉を得ることくらいならば魔術で行える。毛皮が焦げてしまっても売るわけでもなし、肉に火が通ってしまったら食べればいい。水浴びは川で行えるし、衣服なんて着れればいい。家は廃墟を譲ってもらう。冬の寒さは藁で凌ごう。そんな安直な思考で始めた暮らしだったが、意外と悪いものではなかった。
その場しのぎの狩りを行い、余裕があれば笠や籠を編み、暇なときに魔術を磨いては、稀に野盗を返り討ちにして賞金を得る。農耕を主な生業とする村で僕が変人扱いされるのも、当然のことだったろう。
恵まれている環境だとは決して言えなかった
。けど、僕はそんなのは全く気にしていなかった。
※
一人暮らしを始めてから、あっという間に六年の月日が流れた。けれど、比較的仲の良かった幼馴染みにさえ毛嫌いされてしまった僕が嫁など迎えられる訳もなく、未だに村外れに一人暮らし。変わったことと言えば魔術に熟練したことと、近くの森の主と仲良くなったことと、村の子供たちにやたらなつかれたことくらいだろう。
「ワニト、お主も妙な人間よのう」
「そう? 僕はムツの方が変わっていると思うけどね」
三七の拳大の炎が僕の周囲を飛び回る。
「人は群れるものじゃ。寂しさを怖れ、温もりを求める。太古の昔に人が毛皮を捨ててから、それはずっと変わらんかった」
僕の二倍くらいの大きさの朱尾狐――ムツが、寝転んだままくわとあくびをした。
「ははは、それはきっと両親のせいだね。両親が僕に炎なんて名前をつけたから、こんなんになっちゃったんだよ」
「もし名が在り方に影を落とすというのなら、もっと猛々しいおのこになっておろう。なんじゃ、その女子供のような長髪は。生っ白い腕は。そんなんでは雌など寄って来はせぬぞ」
「うっ」
これでも最近は筋力がついてきたほうなのだが、ムツの評価は厳しい。だがまあ、僕の虚弱さは成人して以降快方に向かっているので、まだまだこれからだ。
炎球を消して木材と小刀を取り出す。今日の修行は終わったので、最近気に入っている彫刻に移るとしよう。
「ムツだって変だよ。人なんかと仲良くしてるだからさ」
「ワニトは特別だ」
「最近は村の子供たちとも仲がいいじゃないか」
「あれは……」
珍しくムツが言い淀む。
「我は寄るなと脅しておるのに、しつこく付きまとってきて、我は辟易としておる。全く、ワニトの知り合いでなければ腕の一本くらいくろうてやっておるぞ」
「へー」
その割りには楽しそうなのだけれどな。
僕がにやにやと見ていることに気づいたムツが、五つある尻尾のうちの一本を僕の顔に叩きつけた。
「……痛い」
「無礼の罰じゃ」
そう言ってムツはにやりと獰猛に笑った。傍から見たら気絶しそうなほど迫力のある笑みだが、最近表情が読み取れるようになってしまった僕には、上機嫌そうだな、としか思えなくなった。
とんとんと木製の扉がノックされる。
「はーい、どちらさまですか」
村の人にムツを見られたら何を言われるかわからない。僕はムツを隠すように布を被せると、部屋を覗き込まれる前に扉を開けた。
「ワニトー、遊びに来たよー」
しかし、そこに立っていたのは、まだ十にもならない四人の子供だった・。
僕がいくらか気を緩めると、その隙を塗ったかのように隙間から中を覗いてくる。そして、布に隠れたムツを見つけると、止める間もなく歓声をあげて部屋に入り込んできた。
「ムツー遊ぼー」
「やっぱりいた!」
「こら、乗るでない」
「毛ふっかふっか」
「尻尾! 尻尾!」
「掴むな!」
「ぐるるーってやって、ぐるるーって」
「あ、土産持ってきたよー! 食えー!」
「や、やめ、ワニト! なんとかせんか!」
口から穴鼠の死骸を吐き出しながら、ムツが僕に救援を要請する。このまま見てるのもおもしろいだろうけど、そうすると報復をされるのは僕だ。ほどほどで止めておこう。
「はい、ちびども。いい加減にしとかないとムツが怒るぞ」
そう言ってとりあえず男の子二人を引き剥がす。
「えー、がおーってやるの?」
「違う。ムツが怒ると村に来なくなる」
「じゃーしかたにないなーもー」
その二人をぽいっと寝床に放って残りの女の子二人も引き剥がした。
「あん、ふわふわー」
「けちー、けちワニト」
「はいはい、ほどほどにな」
痛いから手は噛まないでほしい。男の子より女の子の方が聞き分けが悪いってどういうことだ。
ちびどもの連携攻撃から解放されたムツが苦々しげに言う。
「まったく、なんと怖いもの知らずなわらべどもか。火の森の主と怖れられたこの我にベタベタとくっついてきおって。ワニト、子供の躾はきちんとせねば、いずれ命を落とすぞ」
「やーい、怒られた!」
「ワニト情けなー」
ごもっとも。だがちびども、原因はお前たちで、怒られるべきはお前たちの両親だ。僕は肩を竦めるだけに留めておいた。
フン、と鼻を鳴らしたムツにちびどもが話をせがむ。ただし、今度は大人しく寝床に座ったままだ。基本的に好き勝手生きているこいつらが痛い目を見ていないのも、こうして引き時を本能的に心得ているからだろう。
「ムツー、またお話しして」
「涙熊となわばりあらそいしたのとか」
「えー、たくさんの騎士を追い払ったのが聞きたい」
「間違っておうち燃やしちゃったときの話がいい」
「わかったわかった。まったくしょうのないわらべどもじゃが、偉大なる我の身上を知りたいと言う殊勝な心意気は認めてやろう。特別にお主らにはとっておきの武勇伝を聞かせてやろうではないか。あれは、そうだの、三○年と少し前のことじゃろうか……」
まだ三年ほどの付き合いだが、ムツが酷くおしゃべり好きだということは知っている。だから、こうして話をせがまれてまんざらでもないように見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。この辺り一帯を締める高位の魔獣が人間と仲良くするだなんて、やっぱりムツは変わってる。そんな言葉を口にすると、またムツはむくれるのだろうけど。
彫刻を始めようと再び小刀を手に取ると、ちびどものうちの一人、リョエに裾を引かれた。
「どうした?」
「あのね、そういえばね、おとうさんがワニトをよんでた」
「え、またなんか言われるのかな」
「目をね、こーんなにしてたから、言われると思う」
そう言ってリョエは手で目尻をつり上げた。
リョエの父は村長だ。そして僕は嫌われている。理由はいくつか考えられるけど、恐らく一番大きな理由はリョエの姉であるルナカと僕が幼馴染みだからだろう。歳が近く、互いに未婚で、小さな村ゆえに同世代が他にいない。要するに村長は溺愛している愛娘が僕みたいな馬の骨にとられないか、気が気でないのだ。幼い頃はともかく、最近は露骨に毛嫌いされていると言うのに、まったく無駄な心配をご苦労なことである。
また無理難題を押し付けられるのだろうか、と暗澹とした気分になりながら、僕は小刀を置いた。
「そこでな、我は言ってやったのよ。我の尾はなるほど、未だ三本しかない。しかし主の稚拙な曲芸を捌くことなぞ、一本あれば事足りるとな」
「ムツ、ちょっと出掛けるから」
「ん? おお、好きにするがよい。我も好きにする」
「はいはい、くれぐれも村の人には見つからないようにね。それとちびども、いつも言ってるけど、ここでのことは絶対に秘密だからな。言ったらムツと会えなくなるからな」
「はいはい」
「しんぱいしょー」
「いってらっしゃい」
「ムツ、続き続き」
実に不安になる反応だが、まあ大丈夫だろう。なんやかんやでもう半年だし、ちびどもは意外と口が固い。
僕はしっかりと扉を閉めて家を出た。
村外れに住んでいる、というのは実は少し語弊があって、実際には僕は村には住んでいない。村はその縄張りを示すかのように低い木の柵で囲われていて、その中が村ということになっているのだけど、僕の家はその外側にある。といっても村の端から見える範囲にはあるのだから、まあ村外れに住んでいるといっても、間違いではないだろう。
他の村とも繋がる道に沿って村長宅へと向かっていると、前方から二人の女性が歩いてきた。
片方は件の幼馴染みルナカ。もう一人は僕の義姉であるシャトさんだ。
「あら、ワニトくん。珍しいわね、村に何か用事?」
僕に気づいたシャトさんが話しかけてくれる。
「はい、なんか村長に呼ばれたみたいで」
「あらら、またお小言? 未来の息子には厳しくしたいのかしら」
「まさか、そんなの」
「ありえないです」
ルナカが鼻息荒く僕の言葉に被せてきた。いや、ルナカが僕を嫌いなのは知ってるけどさ、そこまで露骨に嫌がらなくてもいいと思う。知ってるけどさ。
「本当に?」
「まあ、多分」
「ないです」
「絶対に?」
「まあ、多分」
「絶対ないです!」
面白がっているのがバレバレだ。シャトさんは笑いをこらえるようにして僕に目配せする。
ルナカはきっと眦をつり上げ、僕を睨み付けた。
「シャトさん、早く行きましょう。こんなのには関わるだけ時間の無駄です」
「あらあら」
シャトさんはルナカに手を引かれて歩いていってしまった。手に持っている瓶を見る限り、川に水汲みにでもいったのだろう。
「二人とも美人なんだけどな」
一人は人妻で、もう一人には嫌われていて、まあどうしようもない。僕は名残惜しさを感じながらも再び村長宅へと歩き出した。
ほどなくして村につく。民家は十数件しか見えないが、これで全てだ。
小さな村だ。なにせ総人口が八○人しかいない。それでもなんとかやっていけているのは、ここが元々肥沃な土地だからだろう。まあ、なんでそんな場所なのに人が少ないのかと言うと、危険な未開の地である開拓地近くであり、大都市とは遠く離れた田舎だからなんだけど。
村長宅とは名ばかりの襤褸屋の戸を叩く。
「こんにちはー、ワニトです」
「……入れ」
中から聞こえてきたのは低い男の声。威厳を出そうとしているのだろうけど、妻の尻に敷かれていることを幼い頃から見ていた僕には、些か効果が薄い。
「僕に用事があると聞いたんですが」
「……やはり、リョエは貴様の家に入り浸っているようだな」
「うぇ!?」
冷や汗が吹き出る。今回の呼び出しはそういう罠だったのか。
「い、いや、これから森の方に遊びに行こうとしてるところに出会っただけです。別に入り浸ってなんか」
村長はしどろもどろな僕の顔をぎっと睨み付けると、短く舌打ちをした。
「まあいい、今回はそのことじゃない」
「え? あ、はい。ではなんですか?」
なんだろうか、最近は大人しくしてたはずだけど。
「最近、害獣駆除をサボっているようだな」
一瞬何を言ったのかわからなかったけど、すぐに半月前に害獣狩りを手伝ったときのことを言っているのだと気づいた。
「サボってるだなんて言い方しないでくださいよ。あれは僕の仕事じゃないんだし」
「いいや、あれは貴様の仕事だ」
「へ?」
「きちんと報酬として粟をもらっただろう」
「あれは奥さんが――」
「ああ、報酬として与えたのだ」
お礼としてくれたはずだけど、狸め、と心のなかで毒づく。偉そうに言ってるけど、ここに奥さんが居れば後頭部にたんこぶ作っているだろうに。
しかし、以前からちょくちょく援助してもらっているし、家主がこう言っている以上、素直に従うしかない。後で奥さんにそれとなく告げ口しとこう。
そんなことを考えていると、裏の方から声が聞こえてきた。
「あなたー、少し手伝ってくれない」
その瞬間、村長の顔が青ざめた。
「わ、わかった、ちょっと待ってくれ! おい、いいか、これからはしっかり仕事をこなすのだぞ」
「と言われましても、僕はまだ――」
「あなた! 今すぐなのよ。早く手伝ってちょうだい!」
「わかった! 今行く! ほれ、さっさと帰れ!」
村長に手に持っていた杖で押され、僕は素直に家から出ていく。扉がゆっくりと閉まってゆく中、後ろの方から二人の会話が聞こえた。
「すまんすまん」
「どうかしたの? 声がしたようだけど、お客さん?」
「い、いや、少しな」
そのあまりの慌てぶりに、僕は思わずくすくすと笑ってしまった。
ちょっとムッとはしたけど、なんだかんだ言って村長一家には昔からずっと世話になっている。多少横柄な命令でも恩返しのチャンスなのだし、これからは害獣に気をかけるとしよう。
守備隊兼警備役兼火葬屋兼害獣駆除係
……また役職が増えてしまったなあ。
※