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D=Buster's ~空威張り交響曲~  作者: 和砂
第一章:黒い石の噂と私の望み
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神期祭

 ずきりと後頭部が痛んだ気がして、万里はそっと手をやった。触れれば、たんこぶと軽い痛みが走る。思わず眉根を寄せた瞬間、後方からため息が聞こえた。


「お兄ぃ、やん…」


 嫌な場面を見られたと肩口から振り返り、厭味ったらしく万里は言う。すると、掃除の為に三角巾の中に長い髪を押しこめている彼は、消耗品のワイパーを持った手を腰に当てた。


「また、転ぶのではないか」


 昨日の出来事から、存外にそそっかしいと、遠慮なく兄は言う。それに対し、出掛ける間際だった万里は、出鼻をくじかれたような嫌な顔をした。シンプルながらも上品に見える、ちょっとお高いエナメルの靴を履いて、大きな靴箱の片側の扉に取り付けてある全身鏡で出来栄えを見ていた時だ。


「またその話。今日はデートだから、大人しくしているよ。見て。ヒールだって無い、ぺったんこ!」


 白を基調に青いレースをあしらったデザインシャツは、ボタンの並びに沿ってレース様のドレープが作られていて可愛らしくあり、今日の神期祭のテーマ色である、青と白だ。それに合わせた、黒い下地と薄いレースの二重スカートは、膝当たりで肌が透けて薄布が撓みを作り、美しく見える。止めとばかりに、抑えめの青のカーディガンを羽織った彼女は、そう言って、片膝を曲げて足を持ち上げ、もう片方で立ったまま、持ちあげた踵の方を兄へ向けた。次には両足を床につけて、うんざりしたように両手を腰に当てる。


「もう、これ以上引き止めないで。遅れちゃうから!」


「では、せめて、タクシー」


「中央地区での集まりだよ? 交通規制まであるのに、無理だよ」


 この話もずっと続いている。先日公園で転倒して後頭部を強打し、一時病院預かりとなった彼女を、兄は極端に心配していた。過保護と言っても良いぐらいで、あの日からこの週末にかけて、日常生活でも彼女が何もできないよう、自分がさっと家事をしてしまう有り様だった。家族として嬉しくある半面、しばらくは用心して大人しくしていたのだから、前々から約束している『友達と神期祭』ぐらいは実行させてもらわねば。特に、目玉である美人レイナが不参加であるから、人数合わせの万里は絶対必要であると、謎の使命感に駆られていた。

 「もーぅ、遅れるー!」と癇癪を爆発させ、悲鳴の様に言う妹に何も言えなくなったか、渋々兄は、段差では用心する事、不審者に近寄らない・ついて行かない事を約束させて送り出した。小さい子どもかと、再び万里は憤慨するが、年の離れた兄が家を出たのはまだ万里が小さい頃だったと思うと、それも仕方がない事かと思う。


「いー」


 なるべく早足で駅に急いだ万里は、入場ゲートを通った途端、人の多さに悪態をついた。兄との問答が無ければもう少し早い時間に電車に乗れただろうにと、渋い顔をする。それに、東地区の友達はレイナぐらいしかいないので、一緒に行ってくれる人物が居ないのも味気なかった。

 電車に乗っても席には座れそうにないからずっと立ったまま、鞄から何かを取り出す動作もできない、ぎゅうぎゅう詰め状態。イヤホンを付けて音楽で時間を潰すことも出来ず、彼女は、普段より多い人混みにもまれて、中央地区の駅を出た。


「うわぁ」


 駅の間口は、中央という環境に合わせて無駄にどんと広いのだが、そこから隙間もない程、どっと人と共に押し出される彼女。地面より段数分高い階段の上から時計台の方を見れば、帯の様にずらりと人が移動しているのが見えた。中央公園は広大だがこの人数は入りきるのかしらと、彼女は人の多さに圧倒されて言葉を漏らす。なるべく早くに合流したいとの不安の他、しかして、彼女は新たな問題が気になってしまい、軽く下唇を噛んだ。

 20分前、電車に揺られている際に来た連絡は、白樺高生以外の知り合いも集めたというもので、万里は人見知りな性格からの緊張感が両肩に乗っている気がしている。合流出来なくても困るが、合流しても緊張状態は続きそうだ。万が一、待ち合わせに互いが見つからない時は、デバイスで連絡を取り合う手筈となっているのだから大丈夫と、心中で自分を慰め、お守り代わりのデバイスを見て時刻を確認し、人に揉まれた分、乱れた髪型や服装を整える時間が欲しくなって、彼女は足早に階段を駆け降りた。











 待ち合わせは、時計台の足元にある中央広場から、南に抜けた先の噴水地点。中央広場で催し物があるそうで、そちらに人が集中すると予想して選ばれた、本会場から外れた所だ。それでも、休憩場所として避難して来た人がまばらに居り、賑やかな雰囲気には変わりない。

 六段程の階段を上がり、同じ数だけ下がり、時計台が正面に見える小広場の中心、噴水の傍で万里は止まる。ポケットでは落としてしまうと、普段はしないバックインした鏡を取り出し、本日の髪型の出来栄えを確認する。外跳ねの癖がある髪の毛を内巻きにする技術力はないので、編み込みで少しでも女の子らしくした髪型は、スタイリング剤を使って長持ちするようにしたのだが、また纏め髪からほつれている箇所を見つけて、慌ててワックスを付けた。


「よし」


 通年、人見知りで友達の少ない万里は、人混みを無事に通れる自信がなく、出不精でもあったため、神期祭のイベントに参加しなかった。けれど、本日は――レイナの紹介という伝手があっての事だが、同校の友達との参加である。気合いは十分だと、声に出る。

 さて、神期祭は、蒼穹の女神さまを讃えるお祭りであるからして、周囲は女神の色である白と青の衣装ばかり。万里もその中の一人として溶け込んでいる。その場にいれば、一種のテーマパークに遊びに来たかのような、不思議な錯覚を受け、変な一体感を感じられるだろう。女性は白をメインに青の刺し色、男性は青に白の縁取りが基本だと、蒼穹信仰の神官さまが小さい頃に教えてくれた通りの光景が広がっており、万里は意図せず頬が緩むのを感じた。


「へへへ…」


 白樺高の生徒会は、ホチキス事件(万里が特売日を捨てて業務に協力した日だ)から、学校ですれ違ったら話をする間柄である。東洋領では珍しい金髪と明るい性格の会長は、人懐っこい彼が万里によく声をかけてくれるので随分慣れたし、似たような性格テンションの副会長も、モテの参考にと、染める髪色を相談された事だってある。また、会計か書記のどちらか覚えてないものの、彼らと同学年の、先輩である女生徒二名からは『お菓子を食べる様子が可愛い』と、よく餌付け、もとい、可愛がられている自信があった。

 本当は無口なレイナの分までしゃべると、彼女とワンセットに考えられている節もあるが、不在の彼女の分まで雰囲気を盛り上げて、沢山彼らに褒めてもらおう。美人な同性の先輩と一緒に居て、霞まない程度には服装に気を付けていたので、まずは格好から褒めてもらおうと、わくわくした気分の万里は鏡を仕舞うと、軽い足取りで隅のベンチに移動した。

 10分前は動きそうになる爪先を我慢し、5分前になるとそわそわと左右を見る。3分前は一人ぐらい来るだろうと小広場の出入り口を凝視し、1分前になったら流石に慌て過ぎかもと座り直した。待ち合わせ時間を過ぎてしまうと、万里は秒針を睨み、その進みが思っているよりもゆっくりな事に眉を下げる。待ち合わせから10分程過ぎると、万里の眉根はすっかり下がり、悲しい表情となっていた。

 腕時計型のデバイスを確認するとそろそろライトアップイベントが始まる時刻となり、時計台の方から蒼穹の女神を讃える歌が聞こえて来る。きっと、本会場に集まっていたコーラスが合唱しているのだ。


「まだかな…」


 今日は白樺高生徒会以外にも待ち合わせ人が増えたらしいから、時間がかかっているのかもとの思いは、もうすっかり萎んでいる。そわそわと呟いた万里が把握している通り、噴水の周囲は、5分前ぐらいから、イベントを見ようと時計台の方へ移動してしまった人が多く、少し寂しい。今、噴水周囲に集まっている人は、カップルが二組と、同じく待ち惚けしている同世代らしき少年・少女、それから仕事帰りなのか、足早に横切って行くスーツ姿の大人が数名だった。


「おかしいなぁ」


 不安げに呟き、万里は再びデバイスを見た。時刻が過ぎ、待ち合わせ場所を間違っていないかと確認メールを送っているものの、返事は来ない。すっかり萎んでしまった彼女の気持ち同様、目の前の噴水の水も、いつの間にか止まってしまい、静かなものでだった。

 丸い溜め池と噴出口の置物と化した噴水を、ぼんやりとつまらなさそうな表情で眺めていた万里は、コーラスと共に歓声が上がっている時計台広場の様子を感じて、ため息を吐いた。もう諦めて本会場へ先に行こうと考えて立ち上がり、申し訳程度に乱れたスカートを叩く。今まで座っていたベンチに別れを告げる視線を投げた後、二歩ほど足を進めた瞬間、思いもよらず、目の前の噴水がばっと水を噴き出したのに、彼女の足は止まった。次いで、困惑する彼女の顔めがけて、正面から閃光が襲ってくる。


「わっ」


 もう周囲は薄暗く、外灯の明りを頼りにする程であったので、暗がりに目が慣れていた万里や周囲の人の、小さな悲鳴が聞こえた。眩しさに細めた目で様子を窺う彼女だったが、その明りは人工的だし、急に周囲のスピーカーから音楽が流れて来たので、これも何かのイベントなのだろうと予測する。実際、いつの間に現れたのか、噴水前に四人の人影が見えたので、蒼穹の女神が魔族に苦しむ人々へ遣わせた、四人の使徒を現しているのだとピンと来た。

 それと当時に強い光はおさまり、白い神官服を模した衣装の四人組は、固まったポーズから、変調した音楽に合わせて動き出す。ばっと四人が各方向へ片手を伸ばしたかと思えば、ぐにっと縮まるように肘を曲げ、音に合わせて四人同時に向きを揃えた。次にはタンタンタンと、リズム良く片足を蹴り上げたかと思うと、バラけ、各自が各自、個々独特の動きで観客を魅了していく。切れのあるダンスを中心としたパフォーマンスかと思えば、一人が構え、一人が組んだ手に足を乗せた瞬間、ぽんと重力を無視したように飛び上がり、ぐるんと空中で回転して着地する、アクロバティックな動作もあった。

 噴水前にたむろしていた観客たちは、一瞬呆けたものの、すぐに歓声を上げる。祭のテーマカラーでない、スーツ姿の大人たちも、思いもよらない遭遇に足を止めて眺める姿勢だ。万里も、すっかり時計台広場に向いていた体を戻し、ベンチから二歩前で銅像になったように立って、頬を上気させて彼らを注視する。

 四人の使徒を模したパフォーマー達は、裾の長い神官服で良くぞと感心するほどに、高く跳び、手足を大きく振りあげ、時に体の柔軟を生かして後方へ回転移動し、手の力だけで飛び上がって音に合わせて着地して見せた。そこから一転、四人の同時の動きを見せたかと思うと、今度はその場5M範囲から抜け出し、四方へと視線を投げる。プロの動きに魅了させられた人々は、その視線によって足を後ろに動かし、自然と彼らが通れるだろう道を作っていた。そして、四人の使徒は、その花道を移動し始める。

 癖のある金髪は第四の使徒を模してあるらしく、少年らしい小柄な体で愛嬌を振り巻きながら右手奥へ。その隣にいたのは、長い灰色髪を複雑に結った第三の使徒らしい人物で、綺麗な顔立ちから微笑みや投げキスの過剰サービスをしながら、女性陣が多い右手手前に移動したようで、そこから「きゃー」とも「ひゃー」とも聞こえる黄色い声が上がっている。そして、左手奥側へ移動していったのは、肩口まである茶髪の第二の使徒。落ち着いた物腰で優雅な特徴があったのだが、彼は使徒のリーダーではない。

 と、万里の正面が担当だったらしい、最後の使徒と目が合う。小さく微笑んだ表情で、こちらに足を進めており、万里はわっと緊張した。彼女の後ろは、ベンチと低木が植えてある行き止まりだから、その場から動かない様に気を付けていたのに、彼は真っ直ぐこちらを目指している。万里を目指して歩いてきた使徒が、違いなく彼女に向かって手を差し出してきた時、万里は息を止めてしまっていた。

 彼は三十代前と思われる男性で、カラーコンタクトだろう、朱の縁取りの金の目をしている。気付いて、プロ凄いと、万里は心中で喝采した。蒼穹神話で、使徒たちは朱金色の目が共通している。髪色は各自で違っていて、金髪の目の前の彼は、最後の第一の使徒だとはっきりわかったからだ。

 さて、感動したのか緊張しているのか、差し出された手にためらう万里に嫌な顔をするでなく、彼は漸く動いた万里の手を捕まえた。音楽が変わったと思った瞬間、彼はくいっと軽く万里の手を引っ張っただけで、二人でダンスするように、彼女だけをくるりと回した。そして急な視界の回転によろめく万里を軽く支えて、誘導するように前へ動かさせる。万里の頭の中は、プロ凄いの、喝采の嵐だった。ダンスなんて知らない彼女を、手を引いたり、軽く肩を押して回したりと、まるで一緒にワルツでもしているように演出してしまう。

 生徒会の皆とは合流出来ていないが、気合いを入れた衣装でイベントに来て良かったと、万里はくるくる回されながら笑顔になった。彼女が楽しんでいるのがわかったか、つられて使徒の格好をしているパフォーマーも笑みを深める。彼の中で興が乗ったのだろう、さっと強めに手を取られると、ぐんっと前に二人で踏み出した。きゃらきゃらと世界が回る。万里は、自分が息をしていないのではないかと思った。それぐらい、視界はキラキラしていたし、胸がいっぱいで高鳴っていた。でも、耳に届く音が次第にゆっくりとなっていくのに気付いて、ダンスの時間が終わるのだろうと、彼女は物凄く残念に思う。こんなイベントに遭遇するのは、きっと、宝くじを当てるようなものだなと、急に冷静になった。


「お嬢さん」


 そんな折、ダンスの相手から声をかけられて、万里は彼を見る。彼は長めの前髪をしているので、その表情が見にくい。何だろうと思っていると、ぽんぽん肩を叩かれるので、先程同様、右に回転した。ばっと自然に右手が伸び、左手同士が繋がれる。そして反発した力に逆らわず、互いに回りながら正面に戻った際に、しっかり、彼と手を繋ぐ。それに違和感を感じて、万里はきょとんとした。繋いだ右手をぎゅっと握りこまれ、握手するのとは違う感覚に、万里が「え?」と声を上げる。


「記念にどうぞ」


 言葉を最後に、彼は自然と彼女から離れて距離を取った。ぽかんと足を止めた万里に向かって、一礼した彼は、観客たちと踊っていた他の使徒同様、再び噴水の傍へと集まって行く。盛り上がっていた音楽は、ゆっくりと消えるような微かなものとなり、終わりを感じさせる。集まった四人の使徒は、くるっと観客側を見ると、もう一度礼をして、その動作のまま、胸元の金の鎖の留め金を引きちぎった。

 神官服を模した彼らの衣装は、肩に大きな布溜まりを作っており、裾の長いローブにも見える。留め金を取った事で、その大きな布の塊はずるりと彼らの肩から零れそうになったが、その勢いのまま、彼らは空へ投げ上げた。ばっと、彼らの手から放たれた大きな布の塊は、面白いように四人の姿を隠す。


 わあぁぁ――と、一際大きな歓声と拍手が起こった。


 宙に舞った布が地面に落ちると、もうそこに、先程の使徒たちの姿はない。万里もまた、それに気付いて手が痛くなるほど叩き、先程のパフォーマー達を讃えた。終わらない拍手に、『お楽しみいただけましたでしょうか』というアナウンスが響いて、噴水前の観客達は、パフォーマンスが終了した事に気付いた。

 「ほぅ」と息を吐いたのは、彼女だったか、別の人なのか。噴水前に落ちた布を、スタッフTシャツを着た係の人が回収する様を眺め、万里はふと、握り締めた手に残る、変な感触を確かめた。そっと開いて覗いたそこには、女性物にするには少々無骨な銀の台座と、素材の質感を消さない原石そのままの様な、直径1cmはある、黒い石が中央にあしらわれた指輪が転がっていた。記念品にするには高価そうなそれだったが、彼女が逡巡したのは短く、あまり悩まずに「宝くじ」と小さく呟いて、大事にポケットに仕舞った。

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