トラブルの予感
軽快なリズムを刻んで包丁が動く。切っている食材は、和食の王道、みそスープに入れるネギだ。小口ネギの爽やかな匂いに会心の出来を見、彼は満足そうに笑った。カウンタテーブル越しに見るテレビからは、前日まで流れていた汚職事件よりも余程注目されるニュースが発表され、昨夜から持ちきりの話題が、飽きることなく続いている。
『無信教であるグランディスの継承者が、アース系人類で広く信仰されている蒼穹神話(イース=ファルロット)に入信し、次の“花の儀”で大神官を任命されると、昨夜、発表されました。あの“的場コーポレーション”での会合でも、滅多に姿を現さないご令息だけに、周囲でも注目が多いと…』
特に興味はないのか、彼はテレビからあっさり視線を外した。火を止めた味噌汁にネギを入れて蓋をし、彼はテレビよりも余程関心がある事柄に、一度、二度と、二階の方を見やる。それからため息を吐いて手を洗い、エプロンの裾で拭きながら、階段下まで歩み寄った。多少の事では無理だろうと、すっと息を吸うと、怒鳴りあげる。
「起きろ“万里”っ、遅刻するぞ!!」
冷たい北風に閉じ込められていた冬は過ぎ、シティ・ロマージュはもうすっかり春である。桜の花びら舞う、暖かい季節がやってきた。清明になっただけあって、窓の外は良く晴れている。風もあって、心地よい朝だ。住宅地連なる都会とは言え、古き良き時代を感じさせる街並みを見渡せて、この部屋の景色はなかなか良い。けれど、今はそんな事は問題ではない。
『無信教であるグランディスの~…』
爽やかな朝には不釣り合いの、少し暗めのラジオニュースの声。そんな暗い声を嫌ったか、薄い掛け布団の中から女性の腕が出て、ベッドサイドに置かれた青いスケルトンラジオのチューニングダイヤルを回し、音楽番組に合わせた。今度は、穏やかな朝にぴったりの、ゆっくりとしたバラード曲と女性シンガーの歌声が、スピーカーから溢れる。
だが、それも長く続かず、突然部屋のどこからか、『ピッピッピッピ…』という目ざまし音が聞こえ、けだるい雰囲気は破られた。ラジオの歌は、いよいよサビのメロディに突入するらしく、盛り上がって来る。
「だあぁぁぁぁぁぁっ、もう!!」
不協和音に耐えかね、掛け布団を思い切り蹴り上げて身を起こしたのは、寝ぐせだけでなく毛先が少し外に跳ねる黒髪と、不機嫌そうに開けた黒目が印象的な、アース人類東洋系の少女、万里だった。上下赤の中華風パジャマ姿で、半分布団の中から部屋を見回したが、落ちて来た布団に埋もれてもがく。その間中、目ざましは鳴りっぱなしだ。
「目覚ましっ、…止めないと…っ」
やけくそ気味に言い、ずるっと這って置き型デバイスの前へと移動する彼女。画面には、デフォルメされたイトマキエイ型マスコットが、しっぽに時計を持って泳ぎ回っている。なかなか可愛らしいマスコットをタップして、万里はだるそうに前髪を掻きあげた。それから一転、物凄い早さで、ホログラムボードを打ち込む。指が机を打つ音と共に、画面には何重ものアプリケーションが開き、普通の人が見たら、すっかり気が滅入るだろう。
「ちぇっ。もう少し寝ておきたかったんだけどなぁ………あ?」
ぼうっと置き型デバイスと、壁にある掛け時計とを見比べていた万里であったが、時計の針が遅刻ぎりぎりを指しているのを発見し、顔を青くする。途端、その事実を念押しするように、階下から兄の「遅刻するぞ!!」の声が届き、彼女の口から悲鳴が響き渡った。
「きっぃ、やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――っ!!?!」
☆ ★ ☆
腕時計型のデバイスの時刻表示を何度も確認しながら駆けるも、そんな事をしても秒針の進む早さが変わるわけではない。もたつきながら室内靴に履き替え、元々の髪の生え方だけでなく、寝ぐせを付けた彼女――万里は、一年の教室が一回で良かった、また自分のクラスが玄関から手前側の棟で良かったと、勢いよく教室のドアをスライドさせた。
「おっ早よう!!」
もう担任が来てHRが始まっていようとも構うものかと、ある種の覚悟を決めて開けた彼女が見たのは、怒鳴るような挨拶にぽかんとするクラスメートの姿だった。皆が皆、万里に注目している中、奥の窓際の席に座るレイナが、何の動揺も見えない無表情で片手を挙げる。
「遅よう」
「お早う!」
冷えた空気に即座に返答し、担任が来ていない事を確認した万里は、ほっとしたようにレイナに歩み寄った。万里の勢いに何事だと驚いていたクラスメート達も、教室中央の時計を確認して万里の慌てように納得し、次第に関心を薄れさせていき、また親しい人間と話を始める。そこでようやく普段の空気に溶け込めたと、自分の席に荷物を置いた万里は、にかっと微笑んで後ろを振り向き、ピースサインをした。
「セーフ!」
「限りなくアウトだわぁ。先生が来てないの、単に教師間での朝礼が長引いているだけでしょう」
「先生が来てないんだから、セーフよ、セーフ」
無表情で正論を言うレイナに、もう一度繰り返して鞄を机の横に引っ掛けた万里は、そこで「あれ」と気が付いてレイナを見た。
「先生、朝礼長引いてるの? 何で?」
「そうね、多分…」
何も考えていないだろう万里の質問に、レイナはちょっとだけ片手を顎にやって考えるような仕草を示した。けれど、物静かな彼女が何事か口を開く前に、彼女たちの話を聞いていたレイナの前の席の――多分嘉島だったと思う――男子生徒がくるりと振りかえる。
「あれだろ、桐葉の番犬の話っ」
「……番犬? 見回り番の事?」
急に話に入って来られて万里はちょっとだけ目を見開いたが、そんな事はお構いなしに嘉島(仮)君は、黙りこくったレイナの方を気にしている様子で、そちらに会心の笑顔を浮かべて、「あんた、噂の”魔女”だろ?」と手を差し出した。
「すっげぇ不気味って噂だったから、すっげぇ不細工だって思ってたのに、すっげぇ美人だよな!!」
確かにレイナは美人なので、見惚れるのも重々承知なのだが、万里は熱心にレイナを見る嘉島(仮)君に反感を持った。良く言えばムードメーカーの様な人物かもしれないが、万里達の会話をぶち切って、大層失礼な事を言った上、語彙力の低さを勢いで押し通そうとする感じが、勘に触る。それに、レイナは万里と話をしていたのに、万里には背を向けて完全遮断しようとするその姿勢が。もう一度言うが、レイナは美人だ。それは、わかる。けれど、だからといって、美人だけ優先して、他を切り捨てるような彼の現金な姿勢が汚らわしい物に感じて、万里ははっきり顔の表情を歪めた。「けれど、まぁ世の常だよな」と渋々文句を噛み殺す万里をちらりと見て、レイナはキラキラと思慕を向けてくる嘉島(仮)君をもう一度見たが、彼が差し出す手には何の反応もせず、軽く息を吐いた。
「お褒め頂きありがとう。お近づきに、貴方にちょっとだけ助言をしてあげる」
「へ?」
手を取ってくれない事の不満が顔に出た彼だが、レイナが小さく目を合わせ、口を開いた事で喜色を浮かべて身を乗り出した。それに僅かに身を引いたレイナは、何を考えているのかわからない半眼で続ける。ふてくされて、もう授業の準備をしようとしていた万里ではあったが、耳に聞こえた言葉に興味が湧いて、二人を見た。
「学校が別だからって、二股、……三股? は、良くないわ」
「え?」
嘉島(仮)君の声が出た瞬間、万里はちら見ではなく、ぐるんと二人を見た。無表情ながら、後ろに下がる姿勢が嘉島(仮)君を忌諱しているように見えるレイナと、ぽかんと固まる嘉島(仮)君。ぎょっとした万里が、「え?」と声をかけると、ようやく万里を気にし出したか、嘉島(仮)君が目を見開いて万里を見た。何だか、睨むような彼の目を見て、先程のレイナの発言の真実味が増した万里もぎょっとする中、レイナは元々半眼でわかりにくい視線を下に落とした。
「さぁ、HRよ」
レイナが言うや否や、教室のドアが開いて、「ほら席につけぇ~」と担任が入って来た。万里と嘉島(仮)君はレイナの衝撃発言に固まっていたが、気の抜けた担任の声に我に返ると、嘉島(仮)君はばっと勢いよく前を向き、万里ものろのろと席についた。先程の嘉島(仮)君の目線の強さが本気に見えて、もやもやとする万里だったが、「静かにしろぉ」と変な抑揚を付ける担任を無視するわけにもいかない。各人のおしゃべりが治まって静かになると、担任教師はHRの開始を告げ、恐らく、今日の職員朝礼で言われたのであろう話を始めた。
「結局、春先に出る不審者注意の話だったじゃん」
もっと何かしらの事件的な話があるかと、どこか非日常に関心がある万里が拍子抜けした声で不満を示すと、昼食の為に机を向かい合わせで座るレイナは、「平和で良いじゃない」としれっと言った。それはそうだと、兄特製の弁当から卵焼きを口に入れた万里は、今日あった出来事を想起しながら、少し言いにくそうに声を顰めた。
「ねぇ、あのさ。朝の二股って話なんだけど…」
「事実よ」
何てことなくレイナが返答し、他人事であるのに万里は「うっ」と詰まった。それから何事かもにゃもにゃしていたが、さらに身を屈めて続ける。
「だから、何で知ってるのよ」
「私、顔が広いの」
実際に、彼の彼女という人物に心当たりがあるのだろう、きっぱりと言ったレイナに、万里は「どこで知り合うのよ」とある種の畏敬を持って呟く。そして、他人の痴情に立ち入るのを心苦しく思い、顔を顰めた万里だったが、野次馬根性は隠せないか、渋い、変な顔を上げた。
「それって、その、…彼女たちの方には言ってあげないの?」
「私も別々に聞いてそう判断しただけで、彼女たちとお話する機会がなかったの。でも、薄々感づいている様子だったから、時間の問題でしょうね」
「うわぁ…」
修羅場を想像したか、ますます眉根が寄った万里を眺めながら、レイナはクロワッサンに、もしゅっと噛みついた。無表情でもきゅもきゅ噛み締め、嚥下し、「明るい印象だったでしょう、彼」と説明してくれる。
「素朴な顔立ちで明るいし、人気があったんでしょうね。だから、調子に乗っちゃったのよ」
確かに、入学したてでまだ仲間を探す空気の中、積極的にクラスを纏めようとする姿勢があったのを、万里も覚えていた。だから今日の様に、あからさまにレイナを優先して、万里を捨て置いた態度をとったのに驚いて、彼の人間としての程度に見切りをつけた。さらにレイナからの二股発言である。万里の、彼に対する好感度は底辺だ。最も、悲しいかな、ぱっとしない部類の万里に、彼が興味を引くとも思えないけれど。自分を蔑ろにされた悔しさと苛立ちを思い出した万里は、ふぅっと大きく息を吐いて感情を落ちつけようとし、気分を変えて取っておいたポテトの肉巻き――多分冷凍食品だ――にかぶりつく。加工品特有の旨さをじんわり噛み締めていると、教室前方で同じ様に食事を取っていた一団の声が聞こえて、そっちに意識が行った。
「えー、そんなおまじない聞いた事ないよぉ」
「だから、最近流行っているんだってぇ」
名前を覚えていないけれど、貴重な女子の会話である。万里は後ろを振り返って、ちょっと大きめの声で「何々、教えてーっ」と声をかけた。
「あ、二ノ宮さんも興味あるの?」
最近流行りのおまじないについて話をしていた女生徒が、仲間を見つけて機嫌を良くする。それを敏感に感じて箸を置いた万里は、「何々~?」と、興味津々な雰囲気を作って近寄った。女子の仲間作りには、演技も多分に必要なのである。
「あのね、私も別の学校の友達から聞いたんだけど、」
女子特有の言い回しから始まったおまじないの話は、よくあるパワーストーンに類似する話だった。例に漏れず、万里もそういうお話は嫌いでない。
「へぇ。黒い石なら何でもいいんだ?」
「そう! でねっ、窓際に置いて月の光を当ててから、肌身離さず持っておくと良いんだって」
「ふぅん」だとか、「へぇ」だとか、興味があるのかないのか曖昧な相槌をする周囲に、おまじないの話をした彼女は得意そうに言う。万里もうんうんと頷いた。
「願い事も何でも良いの?」
よくある恋愛のおまじないかなと思って尋ねた万里に、得意気な彼女は機嫌よく頷いた。「へぇ、良い事聞いた」と感心して見せ、万里は礼を言って、二個目のクロワッサンをもきゅもきゅ食べているレイナとの席に戻る。ごくっと大きな音を立ててクロワッサンを呑み込んだレイナは、「その話なら知っているわ」と、こちらも情報通を披露した。
「本当に流行っているんだね」
二人も知っているなら、それは確かに“流行っているおなじない”なんだろう。万里は月明かりに当てて持っておくだけという簡単な方法に、試してみても良いかもしれないとにこにこした。けれど、そんな万里の様子を見て、レイナは軽く眉を寄せる。
「万里」
「うん、何?」
レイナの声音がちょっとだけ低くて、万里はきょとんと彼女を見た。すると、無表情ながらも好物だろうクロワッサン――彼女は昼は必ず食べている――から口を外して、「あんまりお勧めしないわ」と真剣に言った。流行りものの話をしても、うんうんと頷くか、大して気にしていない様子を見せる彼女の、珍しい態度に万里は口を引き結ぶ。忘れそうになるが、レイナは他校でも有名な、“魔女”と噂の女生徒だ。どういう噂かはしっかり聞いた事はないものの、この間の駅での怖い体験や怖い噂話などなど、霊感的なモノを持っているのだと、万里は解釈している。だから、こういう態度の時は、オカルト(そういう)話だ。
「……こっくりさん的な話でもあるの?」
こう言ってしまうと、スピリチュアルな話が、さっとホラー色を帯びる。怖い話は苦手な万里は、ぐっと姿勢を低くして尋ね、対面のレイナは、ちょっとだけ考えた。
「そういうのじゃないけれど、強いて言うならば、“勘”」
「勘、かぁ…」
それはまた判断に迷うと、万里はミニトマトを口に入れた。口の中でぷちゅっとトマトを潰し、爽やかな酸味を堪能して呑み込む。その間、噂のおまじないについて色々考えを巡らせていた彼女だったが、そもそも三日坊主の自分が真剣に取り組むわけないなと見切りをつけて、「そっか」と終わらせた。次の話題はと、一瞬だけ視線を彷徨わせた万里だったが、丁度、向かいの窓の外、中庭を金髪の会長が通り抜けたので「あ」と思い出す。
「そうだ、レイナ。神期祭に、セントラルパークでイベントがあるんだけど、行かない?」
「週末?」
四月の第一週目の金曜日――今週末。そういう中途半端な時期に、蒼穹神話の一大イベント、神期祭はある。太古の時代、人間を襲って悪逆の限りを尽くしていた“魔族”を、人間の祈りによって降臨した女神さまが滅ぼしたというのが蒼穹神話の始まりで、その始まりを讃える宗教行事だ。
「そうそう。会長も一緒に行こうって」
「そう…」
レイナは、オーバー表現がないから感情が読みにくいと言われるが、無感動ではないし、行事ごとの付き合いは悪くない。けれど、即答されなかった返答に、万里は意外だなと彼女を見た。
「ごめんなさいね。予定があるの」
万里の視線の先で考える様子があった彼女であったが、結局断ってきて、「そっかぁ」と万里は肩の力を抜いた。会長もがっかりするかなと、そんな事を考えながら、これで完全にデートみたいなモノだなと、何だか尻の座りが悪い思いをする。自意識過剰だと自分を戒め、万里。
「じゃあ、会長には、私から連絡しておくね。でも、神期祭に先約があるって、意味深だね」
にやりと表情を作った万里に、やはり表情の変化はないまま、レイナが返す。
「そうねぇ。家族行事みたいなものよ」
「え、デートじゃないの?」
「色っぽい話はないわねぇ」
「そんなぁ…」
恋バナの予感にわくわく身を乗り出した万里に、冷静にレイナは首を振った。即座にがっかりする万里だったが、同時に、こんな美人にも相手が居ないと思って安心もする。乙女心は複雑だなと、軽く目を閉じて考え、ちらりと腕のデバイスを見た。
「神期祭、かぁ…」
ちょっと楽しみな気分を隠しながらぼんやり呟く万里だったが、また、視界に何かが落ちたのを見て、机を避けて体を伸ばし、床のそれを手に取った。
「レイナ。また、落ちてる」
「あら、ありがと…」
体を折り曲げたまま、拾った腕だけ上に上げると、慣れたレイナがカードを取った。魔女と呼ばれる理由の一つに、彼女がカード占いを趣味でやっている点があるが、それで使うカードだと、この間、レイナ自身に教えてもらった万里である。ひらりと頻繁に落ちるので、収納場所は大丈夫かと、万里は心配するだけでなくレイナに忠告しているのだが、どうも、効果はいまいちだ。
『【嵐】』
「ん? 今度のカードは、初めまして、かな」
いつも万里が手に取るのは、【深く昏い聖殿】である。違う名のカードと気がついて、万里は机の下から顔を上げた。レイナは、いつも通り、それをじっと見つめている。弁当を置いてレイナの背後に回った万里は、そこからカードを見た。
「凄く大きな竜巻の絵……見た感じ、絵の中の建物も壊れているし、台風の情景みたいな絵だし、あんまり良い印象を持たないんだけど、また、何かお告げある?」
「そうね、あまり良い意味ではないわ。簡単に言うと、“トラブルの予感”」
「えぇ!? 神期祭で、会長とデートの予定なのに」
まさか、また生徒会の仕事を手伝う羽目になるのではと、万里は嫌な顔をする。レイナはカードを凝視していたが、鞄から鍵ベルトがついている本型のカード収納を取り出すと、丁寧にそれを仕舞った。アンティークと言われても納得できる、綺麗な装丁の収納箱に万里の可愛い物好きの心が揺れたが、それに入れているのに鞄から飛び出してくるとはどういうことだと、そちらが気になって、万里は思わずまじまじとそれを見た。
「それに入れているのに、鞄から出てくるってどういう事なの」
「ちゃんと仕舞っているって、私、言ったわよ」
「…そうね、ごめん」
なるほど、忠告は余計なお世話だったと、万里は素直に謝る。「いいの」と簡単に許したレイナだったが、今度はカードでなく万里を振り返って、少しだけ眉根を寄せた。
「貴女、何か大きなことに巻き込まれるかもしれないわ。十分、注意して。寄り道しないのよ」
「うっ、レイナに言われると、何だか心配になる。ねぇ、トラブルの内容って占えないの?」
何せ、霊感のある(と、信じている)友人の言うことである。それも、大したことがなければさらっと流す彼女が、改めて言う事だ。すると、レイナは終わってしまっていた昼食の片づけをして机に空きスペースを作ると、先程の収納箱を開けてカードを出した。
「あ、良いの? ありがとう!」
占ってくれるのだと気付いて、万里は急いで席に戻り、お弁当の残りを片付けると、弁当箱を仕舞った。さくさくと慣れた手付きでカードを切り、一度机の上にバラけさせて両手で混ぜ、また一つに纏めてカードを切るレイナ。動作から占い師っぽさを感じた万里はわくわくとその様子を眺め、レイナに一度視線を向けられて、びしっと姿勢を正した。特に意味はなかったのか、万里からカードに視線を戻したレイナは、今度は何かの形に沿ってカードを一枚ずつ並べ出す。
「本格的…」
「そうでもないわ。本当に、簡単に、よ」
感嘆する万里に簡潔に言い、レイナは最後のカードを中心に置いて、それを最初に表に返した。
「………【白紙】?」
滅多に表情が変わらないレイナが、その時ばかりは目を大きく見開いたのを、万里は正面から見た。珍しい友人の表情に、彼女の手元のカードにも視線を向けた万里は、何も描かれていない、枠線だけの白いカードをぽかんと見る。
「白紙?」
「そうよ。別に分けておいたはずなのに…」
「え?」
分けておいたはずのカードが出れば、それは驚くだろう。レイナの言葉に納得した万里だったが、霊感がある彼女の言動は、一から十まで超常現象に通じているような、そんな気分になるのだ。何だか、嫌な予感がすると次第に表情が暗くなる万里に、レイナはそのカードを中心に戻して、次のカードを返した。
「【|深く昏い聖殿(トライ=ダーシュ)】」
レイナと出会った時や、この間の駅での出来事で見たカードである。馴染みある静かな聖殿の絵に、ちょっとだけほっとした思いを抱いて、万里は次を待った。
「【芽生え】、【嵐】、【赤髪の騎士】……【隠者】」
五角形に置いたカードを次々と開いて最後、レイナは、より難しい顔をしてそれを見つめた。暗い夜道で淡いランプを灯す、隠者の姿だ。
「ね、ねぇ、それって、どういう意味?」
もっと他に山札があるが、それ以上レイナは引くことなく、中心の白紙と五角形の頂点を司るカード達を眺めている。じっくりと眺めるものだから、痺れを切らした万里が催促したのだが、レイナはしばらく沈黙を示した。
「レイナぁ…」
「……難しいのよ。貴女に何か起こるのは、間違いないと思うわ。ただ、それが悪いことなのか、良いことなのか、私にはわからないの。だって、」
そこで一旦口を閉ざし、半眼で眠そうな目をレイナは上げた。そのまま指を万里に突き付ける。
「どんな結果であろうとも、それを望んだのは、貴女自身だから―――」
静かに指を向けられて、万里は目を白黒させた。意味が良くわからなかったのもある。そして、何だか自分が隠している事、特にD=F=worldについて言われたのではないかと、ちょっと面倒になっている現状を思い出したのもあった。ゆっくりと息を吐くと、万里は眉根を寄せた顔で席に着く。
「ふぅぅ、占い師って、すごく曖昧な事を言う~」
はっきり不満顔になった万里に、レイナは薄らと微笑むと、気を取り直したように「そうね」と頷いた。