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D=Buster's ~空威張り交響曲~  作者: 和砂
序章:私の転機
3/20

 電車の窓から見える街並みは、すっかり暗くなって電気がぽつぽつ付き始めていて、電車内の明暗差で、まばらに人が座る中、隣同士で並んだレイナと万里の姿を窓に映していた。レイナは眠そうな半眼ながらも、自分の荷物だけ纏めて綺麗に座っているのに対し、隣の万里は、重たい荷物を足元と膝上に置いて、先程の出来事が心を占めている為か渋い顔をしている。すらりと座るレイナと、ぶにっと縮みこむ万里は、とても友達同士で帰っている風には見えない。その事実に気付いて益々渋い顔になった万里に、視線は向けないまま、レイナは「どうしたの?」と普段通りの単調な声で尋ねた。それに何と答えたものか、万里は膝上の荷物にもたれたまま。


「何か変なの見たの。……呪われたらどうしよう…」


「ん、んー?」


 そこでレイナはようやく万里の方へ視線を向け、片手を頬に当てたまま、のんびりと見つめた。


「呪われた感じはないわよぉ」


 まじまじと眺めた後にのんびり言われて、万里は彼女の優しさに感謝しつつも、「レイナ、霊感あったっけ?」と顔を上げた。


「ないわ」


「ないのかよっ!」


 無表情が常の癖にちょっと悪戯っ気がある彼女にあっさり答えられて、万里は反射的に突っ込み、次いで脱力したようにもう一度荷物に顔を伏せた。「お野菜悪くなるわよ」の声に、「うるへぇ」とぼやく。


「何か、こう、白っぽい? いや、緑? 人影っぽいのに、左腕が、こう、でっかく腫れてるっていうか」


「―――あぁ。駅で見たって言った奴?」


 急に話始めた万里に合点がいったか、レイナが何の感情も見えない半眼で頷いた。


「じゃあ、大丈夫よぉ。あそこの性質が悪いのは、もっと直接的にホラーな感じだから」


「十分ホラーだったよ!?」


 レイナの言に、くりっと首を傾げた異形の姿を思い出して万里は声を荒げたが、「万里。声が大きい」と、ばさりとレイナに注意されて、口を噤んだ。


「怖かったのは、わかったわぁ」


「うん…」


 再び消沈する万里を若干心配したのか、レイナは「うちに来る?」と声をかけた。


「貴女、≪一人暮らし≫だったわよね?」


 レイナの言葉に、不意に、キンッと、耳鳴りがなったような気がして、万里は瞬きした。最近耳鳴りが多いなと、レイナの顔を見上げると、彼女もまた、半眼に多少の不可解さを宿して、片耳に触れている。外からの音だったかと、ちらりと周囲を見たが、そういう風にしているのは万里とレイナだけの様だ。単なる偶然と片付けて、万里は、少し考えた後に首を振る。


「大丈夫」


 ―――キンッ。


 もう一度、耳鳴りが起こり、万里は軽く眉を顰めて右耳を押さえた。今度はレイナが、彼女の様子に「どうかした?」と尋ねて来たが、万里は何でもない事のように「耳鳴り。最近多いんだよね」と手を離す。


「そう?」


 やけに心配そうな色の目で、レイナは万里を見た。そこにひらっと、彼女の鞄から何か落ちる。丁度身をかがめていた万里は、少しだけ手を伸ばしてそれを拾った。


「―――これ、よく落ちるのね。他にも、カード、あるの?」


 以前も見た【聖殿】のカードに万里は苦笑し、レイナに手渡す。


「………ありがとう」


 ぴっと慣れた動作でカードを受け取ったレイナは、少々難しい顔で、けれど礼を言った。しばらくそれを眺めて何事か思案していた彼女だったが、さっとしまうと、少し真剣に「≪万里≫」と声をかける。


「貴女、最近、変わった事が――――…」


「あ、レイナ、駅だよ」


「――…っ」


 電車が駅に到着し、レイナの言葉は途中で途切れた。次いで、万里の声に促されるようにゆっくり立ち上がったレイナだったが、電車を降りる前、もう一度万里の方を振り返る。変化の少ない顔ながら、何か思い悩んでいるような色を見て、万里は「どうかした?」と首を傾げた。その動作は大変能天気に見え、レイナは「いいえ」と首を振る。


「デバイスコード、送ったわ。何かあったら、連絡して」


 彼女が言うや否や、万里の携帯型連絡装具――通称:デバイス――が、ポーンと光った。普段からメールや電話を行うそれに、友達コードが送られたのに気付いたのか、万里は途端に笑顔になる。


「わ、ありがとう! 家に帰ったら連絡する」


「ん。じゃあ、また、明日」


「ばっははーぃ!」


 現金なもので、満面の笑顔で片手を振って通り過ぎる万里。その様子を、見えなくなるまで眺めたレイナは、次に足元を注視するように動きを止めた。


「【|深く昏い聖殿(トライ=ダーシェ)】……沈黙する太古の聖域、潮海の主殿、そして…」


 ざぁっと、冬の置き土産のような冷たい風が吹き、レイナはゆっくりと顔を上げる。万里を乗せた電車はもうとっくに闇の中へと消え、レイナの視界には、風に舞いあげられた桜の花びら数枚が映るだけだ。ぐっとレイナの眉根が寄り、険しい顔になって前を睨んだ。


「まさか」


 彼女の声に応えるものはなく、続けられない言葉に、レイナは口を噤み、目を伏せた。






 ☆  ★  ☆  






「ただいま~」


 レジ袋の取っ手部分は伸びきり、指に食い込んでもう限界だ。電車を降りて、駅から自宅までの道のりの遠い事、遠い事。ようやく一軒家の玄関門が見えた時万里はへろへろで、ふにゃけた声に動きのまま家の中に入った。明りのついていない玄関で、どんっと荷物を置く。


「っ、あー。疲れたぁー」


 言って万里は、20cm程の上がりかまちに腰かけ、浮腫んだ足からローファーを引っぺがす。行儀が悪いが、ころんと転がった靴を揃える気にはならず、早々に上がり込むと、手探りで壁にある電灯スイッチを探した。


『≪おかえり≫』


「え?」


 ―――パチ。


 万里の指先がスイッチを探る前に、ぱっと明りがついた。明りにぐっと目を細めて、顔を腕で庇う万里だったが、急に現れた人の気配に驚いて目を凝らす。


「どうした、挨拶もなしか? それに、靴は揃えよと、常々言っておろうっ」


「え、えっ?」


 まだ目が慣れなくて瞬きを繰り返す万里だが、薄い視界に足元のレジ袋を取られ、持ちあげられるのを見た。それから相対した相手の足先、グレーの靴下を認識する。足は、自分より大きい。それから着ている服も女性物には見えない、ごわごわした厚手の繊維服だ。男性、それも、自分より年上の。そう認識して、驚いて目を庇う腕を払い、万里は顔を向けた。


「貴方っ、だ…―――」


「どうした、≪万里≫?」


 叫ぶように出された万里の声は、被せるように言われた言葉に消えた。キンッと再び耳鳴りを感じた万里だったが、半開きにした口をゆっくり時間をかけて閉じると、一度瞬きしてから、開く。


「“お兄ちゃん”…?」


「まったく、しょうもない奴よな。今晩は我が作る故、大量に買って来るなと言ったはずだぞ?」


 万里に似た顔立ちの、20代ぐらいの青年が呆れたように腕組みする。黒のハイネックにモスグリーンのパンツ姿の彼は、女性のように長い黒髪を、後ろで一つに纏めていた。少しだけ青みがかった反射を見せる、綺麗な黒だと見惚れるように、万里はぽかんとしてしまう。


「え?」


「何だ、忘れておったのか。まぁ、良い。靴を揃えて、手を洗え。それから食事だ。早よう、来い」


 彼は、ぴっと脱ぎ散らかされた万里のローファーを指し、次いで、洗面所の方を指す。それからくるりと踵を返すと、「はー。どうするのだ、こんなに」と重たいレジ袋に文句を言いながら、キッチンとリビングに続くドアに消えた。それを見送って、まだぼんやりしていた万里だが、しびれを切らした兄がドアから上半身を出して、「靴! 手洗い! 早よう、来やれ!」と大声を出すと、「はぁい!」と慌てて靴を揃える。


「あれ?」


 ローファーを揃えた万里が、見慣れない、黒の、男物のデザインシューズを目に留めて声を上げた。すると、キンッと耳鳴りが再び鳴って、甲高く、身の芯をしびれさせるような音に、万里は両耳を抑える。


「やだ、今、ぞわってした」


 靴を取ろうと屈んだ姿勢から、ぱっと身を起こして悶える万里。すると、再び兄の声。


「万里ぃ?」


「今、行きまぁすっ」


 そうだ、あの黒い靴は兄の物だったと、万里は思った。そうして気付けば、リビングには温かな明りが漏れているし、心なしか、食事の良い匂いがする。「あぁ」と、万里は感嘆する。そうだ、一人暮らしを心配して、留学していた兄が帰って来てくれたのだ。思い出して、万里は、心がほわりと温かくなるような気分になった。


 まぁ、実際は、学校をやめて俳優になると言って、兄が実家に帰って来ただけなのだが。何かの役者さんの影響から、古風なセリフの混ざる変な言葉をしゃべるようになって抜けなくなったとか、そんな事を言っていたような気がする。


「そうだよね…」


 私は、もう、一人じゃない。

 心中で浮かんだ言葉に、万里は思わずにまっと笑みを浮かべて、急かす兄の声に、急いで身を翻した。

 手洗い後、リビングのドアを開け、開口一番に「お腹、減ったぁ!」とダイニングテーブルに着く。白いご飯に豆腐の味噌汁、鯛の塩焼き、それからちょっとした漬物とほうれん草の御浸し、と、普段“ご飯と出来あい”、“ご飯とスープ系おかず”の万里には、久しぶりのごちそうに思える。その時点で、あれっと万里は首を傾げた。


「ていうか、お兄ちゃん、料理出来たっけ!?」


「バカにしておるのか、お主。文句は、喰ってから言うが良い」


 何故か兄が料理出来ないイメージを持っていた万里は、自信満々に言う彼の言に曖昧に頷いて、それもそうだと、箸を握る。


「いっただきまーすっ………うまっ!」


 お腹がすいていたのもあったのかもしれないし、久しぶりに人が作った料理を食べたからかもしれないが、兄の言う通り、確かに彼の料理はおいしかった。ぱっと明るくなった万里に満足したか、食材を冷蔵庫に収めた彼もまた席に着いて、彼女と同じ様に箸を取る。


「いただきます。まぁ、当然だな」


 同じ様に食べて、味に満更でもないように頷いた兄の姿に、万里はピンときた。学校に真面目に行っていたというイメージが何故か少ないので、きっとバイト三昧で、スキルの幅が増えたのだろうと勝手に思ったのだ。


「お兄ちゃん、料理屋でもバイトしてたんだっけ?」


「……まぁ、そんな所であるな」


 味噌汁を呑み込んで言う万里に、ちょっとだけ嫌な顔をした兄はそうして頷く。あんまり聞いて欲しくないのかもと思って、「そっか」と適当に流した万里は、その時、ポーンとデバイスが鳴ったのに気付いた。


「ん?」


「あ、レイナかも。…そっか、帰ったら連絡するって言ってたんだった。ごめん、ちょっと」


 言って万里は箸を置くと少しだけ食器をずらして、鞄に付けたパスケースを取る。そこから小さな突起を出すと、手首に付けたデバイスに滑らせた。ピンと小気味よい音と共に、デバイス上空にホログラム画面が展開する。


「おぉ」


 兄が感嘆する声が聞こえ、その理由がデバイスの最新モデルだからだろうと思いつた彼女は、得意気に兄に視線を投げた。普段使いが机に置いての作業に慣れている万里は、空中作業を、画面ロックを取るパス入力までで止めて、食器をずらして空けたスペースにデバイスを置く。すると、机上に画面と同じくホログラムのキーボードが出現し、彼女は慣れた様子でそれを打ち込んだ。『Sub:ちゃんと帰れた?』の返信そのままで、『大丈夫だよー。今、ご飯中♪』と短く入力、そして送信。


「おー…」


 目を丸くしている兄に向けて、「良いでしょ。最新モデルだよ」とにかっと笑う。そんな万里に、兄は一旦箸を置いて席を立つと、万里の後ろに回るように移動して、そのままデバイスを覗きこんだ。


「便利な機械だな。他にあるか?」


「あれ、お兄ちゃん、デバイス持ってなかったっけ? あ、だから、連絡出来なかったんでしょ。私のにも、ログが無いもん。わかった、私のお古があるから、あげる。二階にあるよ」


「ふむ。後で、お主の部屋を訪ねよう」


「うん。じゃあ、残り食べちゃおう」


 デバイスの横のスイッチを押してスリープモードに移行させた万里は、再びデバイスを手首にはめて、箸を取る。彼女の言に素直に頷いて、元の席に戻った兄もまた、食事を再開させた。しかしデバイスが気になるのか、兄は食事中、ずっとそれについて質問してくる。万里も変だなとは思いながらも、一人一台は持つデバイスの、一般常識的な質問にぽんぽん答えた。最も、彼女の得意分野であるデバイス操作に関してだったので、しゃべりやすかったのもある。一通り答え終えた時には食事が終わっており、万里は自分から洗い物を申し出て、カウンターキッチンから、ダイニングテーブルで食後のお茶を楽しむ兄を眺めた。


「お兄ちゃん、時代錯誤は言葉だけにしなよ。何で、デバイス持とうと思わなかったの? 不便でしょ」


「機会がなかったのだから、仕方なかろうが。しかし、まぁ、使い方は大凡理解した。テレビもなかったでな、今後は活用させてもらおうぞ」


「げー。私、今日、見たいドラマがあるのに」


「年上には譲るものぞ。さて…」


 悪い予感に顔を顰めた万里にそう言い、兄はダイニングテーブル上にあったリモコンを取ると、座ったまま背後を振り返り、ダイニング続きのリビングにあるテレビを付ける。パチパチと適当に変えていたが、彼は当然ドラマなどに興味なく、ニュース一択で固定する。


「あーあー」


 万里の不満そうな声にも素知らぬ顔で、真剣にそれを眺めた。


『―――先日の汚職疑惑について、S=ルーデル氏は全面的な否定を主張していましたが、四日未明、情報犯罪者、所謂、ハッカーからの匿名通知により、都市警護隊ガーディアンは、氏の事務所や邸宅の家宅捜査に―――』


 流れていたのは、三か月前から世間をにぎわせている話題である。星間連合の議員でもあるS=ルーデル氏の汚職事件など、一般市民の万里には直接的に関係ないのだが、テレビを見る彼女の顔はやや渋い。


「どうかしたか」


 顔はテレビの方に向けているのに、頭の後ろに目でもあるのか、表情の変わった万里に兄が声をかけた。「なぜ分かる」と眉根が寄った変な顔になった万里だが、「別にー」と誤魔化した。そこで洗った食器を全て洗いかごに入れた彼女は、つりさげてあるタオルで手を拭くと、「じゃあ、私、部屋戻るね」とリビングから逃げ出す。



 兄の姿が見えなくなって、一度ため息で調子を整えると、万里は鞄を持って二階へあがった。ずっと家では開かずの間だった部屋が、兄の部屋だと理解して、これまで意識的に入らないようにしてきた事を納得する。その斜め向かいの部屋が自室だ。趣味で貼った、水族館をイメージした大きなエイと魚の群れ、遠近法で小さくしてあるジンベイザメのウォールシールを見てから、中に入って鍵をかけた。

 部屋に入って正面は、置き型デバイスが目立つ勉強机。その隣は、部屋を狭くするベッド。後は中ぐらいの三段ボックスと、万里の部屋はシンプルだ。けれど、現代社会に平均的な様相の部屋の中で、一人一台は確実に持っているデバイスの類は、一般的とは言えない物となっている。特に置き型のデバイスは、彼女自身が高速処理に特化させてカスタマイズした、世界に一つの代物であった。



 一般的に、万里の手首や目の前にある置き型のデバイスは、N=Worldに繋がる為の、大切なツールである。今やN=Worldは、航空技術からの応用である精神物理化技術を用い、デバイスへの接続だけで、手軽に電脳空間を五感で体感できるようになっており、電脳世界に精神として入り込み、実際の社会生活のように物を持つ事で情報を得、物を食べる事で味覚や嗅覚までも共有出来るようになっていた。

 それを支えるのは、worldを利用する各人の“意識”。これを惑星グランディスの秘匿された特異的な技術で増幅させて、複雑怪奇な電脳世界N=Worldを構築しているのだという。当然、万里もそれにお世話になっている一人だが、それだけではない。


「危ない、危ない。これは、誰にも秘密だから―――」


 近づいた万里を認識したか、置き型デバイスがフリーズモードから復活し、青白い光を発し始める。それに近づきながら、先程ダイニングで兄に見せたように、パスケースの端をスライドさせて何かを出すと、万里は置き型デバイスの右横、一見、何か分からない場所に滑らせた。


『Welcome N=World』


 デバイス前に大きく展開されたホログラム画面には、一般的なNet=Worldを示す画面が表示されている。そうして万里はパスケースから出た金具を、今度は指し込み、隣のコードを引っ張って、腕のデバイスに接続した。デピッと、先程の画面がずれて、モザイク様を示す。それから2秒、3秒。丁度5秒経つと、少しだけ画面表示が違っていた。


『Welcome D=F=world』


 にっと、万里の顔に強気な笑みが浮かぶ。彼女は、鍵をかけたドアをもう一度確認すると、ゆっくりベッドに座って、壁に寄りかかった。


「ログイン、【0734hzBoXpQ】 “藍蓮”」


 ピンッと、手首のデバイスと置き型の両方のランプがついた。瞬間、万里の視界は蛍光グリーンに染まる。高速で光が走るそこは、もう、自室ではない。


『ウィザード:あらん。いらっしゃい』


『朱珠:よう、“藍蓮”。この間の、ニュースになってるみたいだぜ』


 狭い自室に居たはずが、万里の視界は、高校の体育館に居るように少しだけ広く開けている。蛍光グリーンの壁に絶えず光を走らせる背景に、二人の人影が見え、万里は慣れた様子で手を振った。ここが、体感型Net世界に接続した時の風景である。実際の体は半覚醒状態でベッドにもたれかかっている事だろうが、電脳世界でも“自分”という意識を見失わない様に、各人、自分の意識を元にキャラクタアバターを作成し、個人特定されないように調整を入れた姿を取っていた。


 ここでの万里は、“藍蓮”と名乗る、20前後の女性の姿をしている。体つきなんかは本物よりも成長しているし、特にプロポーションは願望が入って、実際の胸のサイズより2カップも上に設定していた。髪なんかは、青や赤など、アース系では絶対に現れないグランディス系人類のように、真っ青の長髪。実際からかなりかけ離れた姿と言っていい。


『藍蓮:やっほー、二人とも。ニュース見た見た。こんなに大事になるって知ってたら、絶対受けなかったわ』


『朱珠:何言ってんだよ、一番の功労者だろ? 【鍵開け】の藍蓮』


 ここでの会話方法は、かなり奇妙だ。耳には声として彼らが設定した音が聞こえているのだが、視界の端には、チャットログのように会話の連なりが記録されていく。音として意識していない際も助かるものの、確実な記録となって残っていくコレに時々ひやりとしながら、藍蓮となった万里が苦々しく言った。と、朱珠と表示される、これまたド派手な真っ赤な髪の男性アバターが、最近付いてしまった藍蓮の二つ名を呼んでからかう。


『藍蓮:やーめーてー。あの件のせいで有名になりすぎて、都市警護隊ガーディアンに狙われてんだからっ』


 気付いた時には両親は他の惑星に仕事で赴任しており、一人暮らしをしていた彼女が、暇を持て余して開始した遊びがWorldである。最初はNet世界の表側であるN=Worldを利用する一人であったが、彼女の意識とN=Worldの構築は相性が良かったのか、うっかり精神体で電脳世界に干渉する術を編み出して以来、Net世界の裏側であるD=Fサーバの存在を知り、そこにアクセスするようになった。

 そして限界を試すゲームをするように電脳世界に干渉する術を編み出して行き、当時、アース系情報統制で最高峰スタンドアローンといわれていた【クリスタ=Roof】を解錠してしまったのである。何人もの【鍵師】が挑戦して挫折していたそこを攻略したと、“藍蓮”の名前は一気にD=Fサーバに広がり、それに伴って都市警護隊ガーディアンにまでマークされるという、言い訳のできない立派な犯罪者となってしまった彼女である。本当なら、小心者の彼女の事、今日もINするのが怖いぐらいなのだが、しかし。


『藍蓮:でもそれより直接的な危機が迫っているのよ、私には』


『朱珠:えぇ? 何だよ、それ。メシウマな予感しかしねぇ』


 薄情なイケメンアバターを睨みつけ、藍蓮は、カウンターデザインを作りだしてそこに座る、落ち着いた赤の髪の美女アバターに顔を向けた。


『藍蓮:何だったっけ、あのアタッカー』


『ウィザード:“緑深”?』


『藍蓮:そう、それ』


 頷いた藍蓮に、それまでニヤニヤしていた朱珠も『あー…』と、納得した顔で視線を逸らした。


『朱珠:\(^o^)/』


『藍蓮:わざわざ手入力までして、煽っていく?』


 どんな時もスタイルを崩さない朱珠に今度こそ苦言を言い、藍蓮はD=Fサーバを愛用するハッカー達の掲示板で見たスレを思い出していた。一種には、都市警護隊ガーディアンの手先だとも言われている、狂犬のようなハッカー、“緑深”。D=Fサーバで有名になると、確実に一度は彼に絡まれるらしい。そして最悪な事に、自己防衛できないと、個人情報を抜かれて特定されるという話だ。自慢ではないが、単なる攻略ゲーム感覚の藍蓮に自己防衛など出来る気がしない。そのため、噂ではD=Fサーバを開設した一人だとされているウィザードに助けを求めにきたのだ。


『藍蓮:で、ウィザード。匿ってほしいんだけど』


『ウィザード:月50万で、手を打つわぁ』


『藍蓮:足元見て来たっ!!』


 本体は学生である藍蓮に、そんな大金用意できるわけはない。歯噛みする彼女に、目深にレースの付いた黒いフードを被る美女アバターは、心底不思議そうな顔をした。


『ウィザード:貴女、【クリスタ=Roof】を攻略したんでしょう? あそこの情報なら、100万単位で売れるじゃないの』


 大企業の社内情報から大物政治家の個人情報まで何でもござれな場所を攻略しておいて、と、ウィザードが顔を向けると、真っ青になった藍蓮が弱り切った表情で下を向く。


『藍蓮:……私、そんな事するために攻略したんじゃないもの…』


『ウィザード:飽きれた娘ねぇ。リターンがなくて、リスクばっかりじゃない』


『藍蓮:うぅう…』


 こんな大事になるとはと、藍蓮は項垂れる。こんな状況にあると、もう自首した方が安全ではないだろうかと考え始めた時、仕方なさそうにウィザードがため息を吐いて、彼女の頭を撫でた。


『ウィザード:貴女、本当に、まだ子どもみたいねぇ。だから、3回までは、特別よ?』


 項垂れた藍蓮が訳のわからない顔をすると、彼女はすっと立ってカウンターを指し、そこに彼女を導いた。言われるままカウンター下に座り込んだ藍蓮だったが、次の瞬間、ウィザードの行動の意味を知る。


『緑深:“ウィザード”。 “藍蓮”の情報が欲しい』


 来客を示す電子的な鐘の音の後、視界の端に表示されたアバター名に、藍蓮はびくりとした。そして自分のHNまで呼ばれて、息がとまった様に思った。そんな緊張で固まっている万里を足元に隠しながらも、ウィザードは呑気に彼に声をかける。


『ウィザード:あらん、いらっしゃあい。でも、残念ね。彼女、今さっきまで居たのよ?』


『緑深:ちっ。次はいつ来る?』


『ウィザード:さぁ、どうかしら? 彼女、この間の件でガーディアンにも追い駆けられているらしくって、しばらくは自粛するって言っていたから』


 緑深と呼ばれる男は、もう一度舌打ちする。それからどんっとカウンターに衝撃が走り、藍蓮は首を竦めた。どうやら緑深が力任せにカウンターを叩いたと見えて、ウィザードの『あらあら』という声を出す。


『緑深:とにかく情報をくれ。警戒心が強いのか、情報をやり取りする場に現れない』


『ウィザード:まぁ、でしょうね。ネタを探しに攻略した訳じゃないらしいのよ』


『緑深:何?』


 ウィザードの言に、緑深は心底驚いた声を上げた。顔は見えないながらも、二人がどんな表情をしているか、声の調子から分かってしまった藍蓮は、そんなに非常識な行動をしていたのかと、冷や汗をかく。今までは特別な場所を見つけたという気分だけで行動していたのだが、D=Fサーバとは、思った以上に怖い場所みたいだ。


『ウィザード:ね、変わっているでしょう? でも、ごめんなさいね。私もあまりよく知らないの』


 D=Fサーバの創設者と噂されるウィザードは、Worldの大半を支配し、情報をやり取りする元締めである。その彼女が言った言葉に、流石の緑深も驚いた様子で続けた。


『緑深:≪お前≫が、か?』


『ウィザード:分かっているのは、【mpusALL】、【天球】を筆頭に、難攻不落と呼ばれる場所で、彼女が鍵を開けているって事。噂では、惑星グランディスにも通用できる万能鍵マスターキーを造り出せるんじゃないかって話もあるけれど、本人にやる気はないそうよ』


『緑深:全て、自分の力試しとでも言うのか? ふざけた奴だ』


 ウィザードの提示した情報は、後半のグランディスの件を除いて、間違ってない。それを聞いてさらに苛立たしそうに言った緑深の声に、藍蓮はもう、生きた心地がしなかった。今すぐに震えて悲鳴を上げそうな心持ちで、彼が早く去る事だけを念じる。


『ウィザード:まぁ、そう言わないで。可愛らしい娘よ、彼女』


 とりなす様に言ったウィザードに、緑深は深くため息を吐いて、踵を返したらしい。


『緑深:……また、来る』


『ウィザード:あら、もう行っちゃう………あららぁ』


 『せっかちねぇ』と呟いたウィザードは、そうしてちらりと、足元でマナーモード状態の藍蓮を見た。


『ウィザード:どぉ? 相手のオーラは覚えた?』


 瞬間、藍蓮ははっと顔を上げる。アバターには個々の波長がオーラとなって現れると表現したのは、数日前の自分自身だ。それによって、藍蓮は鍵開けをしていると言っても良い。その彼女なりの、Net世界の理解の仕方を覚えていたウィザードが、気を使ってくれたのだと気付いて、藍蓮は彼女のおみ足に縋りついた。


『藍蓮:一生、恩に着ますっ!!』


 もはや、恐怖とそれからの解放で、藍蓮は滂沱の涙を流していた。それに嫌そうな顔をするでなく、表情を隠した麗人は嫣然と微笑む。


『ウィザード:よろしくねぇん』








 ☆  ★  ☆  







「―――り、万里」


 N=worldにログインしていても、現実世界での音も脳内では認識している。脳がそれを認識すると、補助作用としてデバイスから信号を送らせるように設定していた藍蓮は、そうして現実世界でも呼ばれている事に気付いて即座にログアウトした。ぱちっと一度瞬きしてworldの景色と違うとはっきり認識すると、左手首のデバイスからコードを抜いて自動で巻きとらせ、慌ててベッドから立ち上がる。


「はぁい。今、開けまーす」


 バタバタとドアノブに取りつきドアを開くと、予想通り、兄が軽い不機嫌で万里を見下ろしていた。そう言えばキッチンでデバイスをあげると言ったなと、謝ろうとした万里に、彼は一言。


「風呂だ」


「あ。…はい。すぐ準備する」


 なんだと拍子抜けしてそう答えた彼女だったが、踵を返して階下へ戻ろうとする兄を「待って」と呼びとめた。


「お兄ちゃん。はい、これ、デバイス」


「おぉっ、これか」


 くるりと振り返った兄に差し出すと、途端に喜色を浮かべる彼。早速、ひっくり返したり、折り畳み式のそれを開けてみたりなど、ぺたぺた触り始めた。そんな彼に、万里は一度ポケットを探り、それ専用のロックとなる細広い5×10cmの長さの金属板を取り出して、差し出す。


「私、持ってるデバイスには自動ロックをかけてるの。これ、解除キーね」


「どこで使うのだ?」


「ここ。端にある溝に滑らせると……」


 言いながら万里は実際に電源を付けて実演するため、小さなカードを滑らせる。すると、開けたデバイスの上半分からウィンドボードが投影される。最初の場面は、テンキーのような表示で、万里はパスを解除した。


「よし。…あとは、お兄ちゃんの好きな番号を入れて登録して」


「ふむ……」


 万里に促された兄は、ささっと番号を入力し、そして登録済みの電子音が鳴った。ちらりと確認するように万里に視線を向けた兄に頷くと、彼はデバイスを畳んで手に持つ。


「それね、星間連合から支給される威嚇銃プラーのホルダに取りつけるタイプなの。後は大丈夫?」


威嚇銃プラー?」


「うん、そう。一日三発だけ使える、感電銃だよ。お兄ちゃんは、持ってるでしょ?」


 ロマージュのような田舎では滅多に使わないが、成人である18を超えると、星間連合から自衛と個体識別の為に、当てれば痺れてしばらく動けなくなるぐらい威力のある、精神銃が支給されている。16である万里はまだ持てないが、今年24の兄は持っているはずだ。小さな憧れを交えて兄を見つめている万里に気付いているのか、「あぁ」と短く兄は頷いた。


「そうだっ。私のデバイスコードは、これね。お兄ちゃんのも登録しとくよ?」


「うむ。頼む」


 ポーンと互いのデバイスが鳴り、後は少しの操作でデバイスコードは登録される。粗方終わったと理解した兄は、そうして旧式のデバイスを手に取ると、満足そうに笑った。


「じゃあ、私、準備してくるねー。お兄ちゃんは後で良いの?」


 髪が濡れていない兄を見上げて言うと、彼は何でもない事の様に「もう入った」と言う。全然水に濡れた後の感じがしない所を見ると、万里は結構長くworldにインしていたようだ。二ノ宮家には掟があり、最後に入浴した者が洗濯当番となる。


「わ。じゃあ、私…」


「洗濯、よろしく頼むぞ。きひひ」


「ずるーい!」


 にやにやと笑って階下に降りる兄に向って言うと、万里は慌てて準備に走った。

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