お誘いと駅のお化け
日が落ちる時間が刻々と近づいてきた街の一角、万里は真面目に教科書を入れた重いリュックを背負い、両手に食材が入ったレジ袋を持って、帰路についていた。夕日に追われた影に目を落とし、赤いレンガで舗装された歩道を淡々と歩いて行く。車や人が通り過ぎる雑音の中、少しだけ休憩しようと足を止めた彼女の耳に、ゴリゴリゴリと硬い地面に車輪が回るような音が聞こえ、不快気に振りかえった。
「やっほう、万里ちゃん!」
新入生である万里の知り合いは多くなく、そして、夕日を反射してピンクブロンドにも見える、金の髪を持つ知り合いは一人しかいない。ロマージュは、アース系人類でも、主に東洋系の人間が移住した星なので、彼の鮮やかな髪は珍しく、絶対に間違えようもなかった。そろそろ重たいリュックとレジ袋で腕がしびれて来た今、このタイミングで何で見つかるのかなと、半場投げ槍になりながら、万里は弱々しく荷物を持つ手を振る。
「会長、今日は会議だったの?」
万里の通う白樺高等学校規定の、黒の学ランを着た彼は、実は二年生で生徒会長を務めている。生徒の模範となるべく違反なく制服を着こなしているが、その足元を見ると、そこだけ不真面目なローラースケート。彼は街灯の太い柱を捕まえると、勢いを殺す様にくるりと回って止まった。
何かコンプレックスでもあるのか、顔を隠す長い前髪が少しだけ動いたが、今日も彼の顔は口元しか見えない。それは、釣り上がるようなにんまりとした笑みが浮かんでいて、万里の声に嬉しそうに頷いた。
「うん、終わった所ぉ。万里ちゃんは?」
「見てわかるでしょう。買い物帰り、よ」
荷物の重さにうんざりしたのか、レイナに紹介された当初から馴れ馴れしい会長の態度に戸惑っているのか、万里は不機嫌そうな顔でため息を吐き、会長を見た。繰り返すが、会長はロマージュでは珍しい西洋系の血を感じる外見をしている。けれど、彼の名前は日比野 秋良と、バリバリの東洋系三世であるらしい。誰に対しても気どらないしゃべり方で人気がある彼なので、万里の言い方に多少の棘があっても全く悪びれせず、「あぁ」と納得の声を上げた。
と、彼は自然と万里の手荷物の片方を受け取り、にこりと微笑む。手伝ってくれるらしい事に気付いた万里は、軽くなった分だけ彼に微笑んで感謝し、歩きながら話す事にした。
「レイナに聞いたの。今週厳しいんだって?」
学園都市であるロマージュの問題の一つとして、学生の非行が挙げられるが、人口の大半が学生のこの都市では、生徒間の問題も生徒同士でと、捕捉・指導する事も生徒会の役目の一つとされている。学校間のネットワークがあるらしいのは知っていたが、情報通でもあるレイナから教えられた事を万里は口にした。「相変わらず、レイナちゃんには筒抜けだねぇ」と苦笑して、日比野は頷いた。
「うん、まぁね。でもさ、もうすぐ桐葉高校の副会長が決まるらしいから、またしばらくは平穏かなぁ」
「かの有名な“桐葉の見回り番”かぁ。見た事ないけど、強い人がなるのが伝統なんでしょう?」
ロマージュでも特に大きい、マンモス校とも言える桐葉高校では、生徒指導に特化した一団を組織しており、そのトップに副会長がなるというのが伝統だ。見た事はないものの、上級生にも下級生にも広く噂が広がっており、万里も自然と知っていた。その噂の副会長が、非行少年たちの報復を受けて入院し、新たにその役を選ぶ会議が続いていたらしいとは、レイナの言である。
「あそこの会長、桜瀬って言うんだけど、あいつが言うには物凄く強いらしいよ。見た目は、前副会長だった柔道部の彼に比べて、華奢だって話ぃ」
「へぇー」
適当に相槌を打つ万里に対して、「ところで」と日比野は続けた。
「万里ちゃん、明後日、暇?」
「何、藪から棒に。この前みたいに、不意打ちで生徒会の仕事の手伝いはしませんからね」
高校で初めての友達であるレイナの紹介だからと、最初は日比野にも気を許していた万里だったが、他所へ赴任中の両親からの仕送りで生活している彼女にとって、特売があるという最も重要な日に、膨大な書類をホチキスで留める資料作りを手伝わされて以来、彼には冷たい。とっぷり日も暮れた時間に女の子一人で、無責任に放り出した認識もあるからなのか、彼も唯一見える口元だけ苦笑いの表情にした。
「違う違う。ちょっと、気が滅入っちゃった事があってさぁ。だから、ぱぁっと遊びに行かない?」
返答に詰まるような、聞こえにくい声音で言われ、万里もぽかんとする。見れば、日比野も緊張しているらしく、少しだけ目線を逸らした。まるで、デートのお誘いだ。これまでそんな機会が皆無だった万里も、ちょっとだけ緊張し、しかし、考えたら笑いが出て、噴き出す様に笑顔となった。
「頑張っているんだね、会長も」
すると、多少は緊張がほぐれたのか、苦笑いしたまま、彼。
「酷いなぁ。これでも、僕、忙しいんだよ?」
万里としては、いつもふざけたような態度の日比野が、真面目に課題をこなしている事を感じての素直な感想だったのだが、彼は困った様にして笑う。この人懐っこさと無邪気さは憎めないなぁと、万里は笑った。
「それで、どこに行こうか」
「もう決めてるんだぁ。中央地区、セントラルパークに18時に。時計塔の前の噴水がライトアップされるらしいから、見たいって思ったんだよ」
そう言った日比野に、何かを思い出した万里は「あぁ」と声を上げる。
「そーか、明後日は…」
「そ、神期祭。忘れてたの?」
からかうように日比野は、口の端を上げた。それを見咎めて、万里は抗議する。
「女神さまが、破壊神を封じたのは、もうかぁなぁりぃ前の事でしょう? 人間が電気も開発していない時代の事でしょう? ちょっとぐらいボケても、女神さまは怒らないわよ」
「万里ちゃん、信仰心無さ過ぎるよ」
能天気に見える日比野に言われ、万里は気まり悪く「何よ」と口をとがらせた。
惑星ロマージュを含め、惑星ヴァルスや惑星アークスランなどなど、ともかく、惑星グランディス、惑星アースを除いた銀河系全域で信仰されている【蒼穹の神教】で、明後日は意味付けの深い日だ。
ほとんどの星間で主だった施設がライトアップされ、邪悪な破壊神を封印した蒼穹の女神と、その使徒を讃える歌が合唱される。各家庭でも、祝日を祝うホームパーティを催すのがいつの間にか習慣化していた。
日比野が誘ったのも、そうしたお祭りの一種だろうと想像出来、万里は「良いじゃない!」と肩を怒らせる。
「破壊神や魔族が居た形跡っていうのも、一説には、世界中を巻き込んだ大規模戦争の跡だって主張する学者さんもいるじゃない。物凄く大昔の事だし、今では魔族なんて、人間を襲う怪物はオカルティックな話で、“N=world”を盛り上げるぐらいよ。私が特に信仰心がないような風に言わないで」
「それは、そうだけど…」
口をへの字に曲げた万里が本当に苛っとしているのを感じたか、彼女をあやす様に口を濁した日比野は、またまた困った顔でよしよしと頭を撫でながら、諭す。
「でもそれは―――蒼穹神教では異端の考え方だからね。僕以外の人の前で言ったらダメだよ?」
撫でていた手を口元に持って行って、「しぃ」っと声を潜める日比野に、万里もちょっと言い過ぎた顔をして肩を竦めた。
「…わかってるって。あ、駅だ。会長、ありがとう」
「え、もう良いの? 万里ちゃん、東地区じゃなかったっけ?」
まさか電車にも付き合ってくれるとは思っていなかったので、万里は日比野の発言に逆にびっくりしながら、変な顔で首を横に振った。
「まさか、会長を家まで御供させるわけにはいかないでしょうが。ここで良いわよ。ありがと」
「そう?」
何処となく釈然としない様子の日比野から荷物を受け取り、万里はその重量に「うっ」とする。心配そうに眺めてくる日比野に気を使って、元気に階段を上がりながら、彼女。
「じゃあ、会長。明後日18時、20分前に、セントラルパーク噴水前に集合ね!」
「うん、楽しみにしてる~。あ、レイナちゃんも連れてきて良いからね~」
高校入学してからレイナ以外に友達が出来ていない万里に気をつかったのか、それとも美人なレイナも一緒だと楽しいのか、念を押してきた会長に、ちょっとだけ何とも言えない視線を向けた万里だったが、色々言うのも面倒と、手を振って話を切った。
「はぁい。じゃあ、また明日っ」
階上から金の頭が雑踏に消えるのを見て、万里も増えて来た人ごみを避けるように階段を駆け上がる。
レジ袋が指に食い込んで痛いのを我慢し、渡り廊下を横切った。いつも利用する東地区行きの電車は、駅端の6番ホーム。自動販売機過ぎて、駅トイレ前を通過すれば、もう人影は少なくなる。
ちかちか、ちかちか、と切れかけの電球が瞬く下を潜った際、タイミング良く『6番ホームに、電車が、参ります』と機械響きの女性の声が聞こえ、万里は早足になった。
待ち時間なく電車が来てくれて良かったと、何気なく右手側、中央地区駅の奥の方を見た万里。ちかちか、ちかちかと、明暗を繰り返すそこで瞬きを繰り返しながら、さっき通り過ぎた自動販売機の赤を目に入れたと思った瞬間、ざっと視界がぶれる。
いつも見ている景色が、一瞬だけ、ほんのり桃色によぎった。
駅の周囲に植えてある桜の花びらでも舞ったかと思ったが、そうでないのは、すぐにわかる。「何?」と言おうとした口が、体が、上手く動かない。重い水の感覚が体を支配しているかのような、そんな抵抗感を感じて、万里は混乱に声を上げようとした。
すっと息を吸い込んだ、その瞬間、そこで、何かと目が合う。
キンと耳鳴りでもしそうな、音のない空間となった駅ホームで、こちらに気付いたように、それが顔を向けたのが見えた。酷く鋭い、綺麗にカットされたエメラルドの様な硬質な輝きを秘めた眼光が飛びこんできて、びくりと体が固まる。それは人影に近い形をしていたが、丁度、左腕に当たる部分が肥大しているのも見えて、その異様さに再び万里の息は止まった。
骨、だろうか。肥大した左腕からは、黄味がかった白の細長い物体が乱雑に突き出しているのも確認できる。そうじっくりと観察する一方で、万里は足がすくんで、全く動く事が出来ない自分にも気付いた。
―――やばいやばいやばいっ!
水みたいに重たい空気の中、視界の先にある、緑の目に白っぽい、怪異としか思えなくなった人影は、こちらに狙いを定めるように目を細めたのが、心の中で『やばい』を繰り返している万里にはわかった。人影は何か疑問でもあるのか、くりっと首を傾げて見せる。それがまんま、ホラーな絵に見えて、万里はとうとう両手のレジ袋を落とした。
――――――どさっ。
ふぁんっと、同時に目の前を何かが遮る。それは耳障りな金属音を立てて止まり、シュンッとドアを開けた。
『19時26分発、東地区行き電車です』
「――――――ひゅぁっ、」
いつも利用する電車だと気付いた瞬間、呼吸を取り戻した万里は、変な声を出した。それからゆっくりと左右を見、周囲が怪訝そうにこちらを見ているのにも気づく。単に荷物を落としてしまった女子高生を不思議そうに見る目だったのだが、件の女子高生が真っ青になっていれば、怪訝な顔にもなるだろう。
「あ。…あ?」
体は、動く。声も、出せる。そして周囲は普段通りの、人の気配のする、いつもの駅。途端に先程の緊張感から解放された彼女は、「はぁ~~~…」と長く息を吐きながら、落とした荷物前にぺたりと座りこんでしまった。
「何な、んっ……、今の…?」
緊張に口が乾いていて、上手く動いてくれない。けれど声に出したら、先程のぼやけた緑の目の人影が、くりっと首を傾げるホラーな光景を思い出してしまい、万里はぶるりとする。すると気配もないのに、上の方から聞きなれた淡白な声が降って来た。
「【おばけ】にでも会った?」
ばっと顔を向ける万里が見たのは、下から見上げると余計に胸が強調される、美人な友達の姿。
「レイナあぁ~」
知り合いの姿に何だか泣きたい気持ちになって、座りこんだそのまま、彼女のおみ足としか表現できない美脚に抱きつく。けれど、無表情がデフォで、声も艶やかな癖に単調な彼女は、あっさり「離して。困るわ」と片手でしっしっとした。
「何よ、冷たい~。私、今、すごく大変な事に遭ったんだから~」
「ふぅん?」
まだ立ち上がる気になれない万里に合わせて、しゃがみこんだレイナはそうして小首を傾げる。ちくしょう、美人だなと一種の敗北感を感じながら、万里はとりあえず、荷物を持って立ち上がった。いつまでも座っていてはおかしな人に思われる。立ち上がり、スカートをはたく万里を、今度はしゃがんだままのレイナが見上げていた。眠そうなもみじ色の瞳が、くるりと光る。
「ここの駅って、何か怪談あったっけ!? 変なのが見えたんだけど!!」
恐怖を振り払うかのように声を強めた万里を、「ふむ」と一度頷いて、レイナはするりと立ち上がった。
「色々あるけれど、どれが聞きたい?」
「うわ、そんなにあるの!? やめてよ、お腹いっぱいだからっ」
普段の調子を取り戻してきた万里は、自分から聞いておいてそんな事を言った。当然レイナはその無表情で「理不尽」とぼそりと呟いたようだが、万里の知るところではなく、そうして「あ」と別の事に気付いて彼女はレイナを見た。
「レイナ、東地区だったでしょ。どこまで?」
「貴女の駅から、2個手前の駅よ。貴女と会った日は、お使いをして遠出した朝だったの。言う機会はなかったわね」
「そうなんだ。良かった、一緒に帰ろうっ。途中まででいいから、誰かに一緒にいてほしいのっ」
彼女たちがそんな会話をしていると、発車の汽笛が鳴る。レイナはしれっとした表情のまま、万里を見て電車を指した。
「とりあえず、乗ったら? 荷物も多いし、座れなくなるわ」