私の転機
生まれてから“何となく”過ごしてきた人が、自分の人生に目覚める瞬間っていつだろう。
学校に進学した時だろうか。他人に恋をした時だろうか。それとも、気付かないままに過ごし、無為に時間を浪費するだろうか。
―――生まれて十数年にして、ようやく私は人生の薄情さに気付く。
家ではない何処へ向かわなければ、世間は『何を考えているんだ』とばかりに嫌な目を向けてくる。
これまで親に言われるまま過ごしてきた私にとって、「何処の高校に行くの?」は、多大なショックだったのだ。流されるまま流されてきた私に、明確な目的意識なぞは、当然ない。頭を殴られたような衝撃のまま、無駄に図書館に通っては”真剣に考えていますよ”の表現をし、最終的には自分の将来像など考え付かず、やはり親に言われるまま近くの高校に受験した。
その時、模倣をすべき身近な他人、クラスメートはどうだったかと言えば、やれ「兄弟が通っている」だの、やれ「制服が可愛い」だの、何事か話をしていたはずだ。けれど、私にはさっぱり違いが分からなかったし、単純な理由にしか思えないそれらで決めるのも憚られた。親との衝突を避けたように、ただ、面倒事を回避しただけ。それだけの理由で、後は普段通りの、学校のテストを受ける時と同じく適当にしていたら、良くも悪くもなく普通に進学できたものだから、“高校に来た”という実感が無くても仕方が無い。私、なんでここに居るんだろうって、ぼんやりしていても最もだと思う。
強い眠気を押して起き出し、朝2本目の電車に乗る時は特に。
灰よりも白に近い早朝の朝は、少しひんやりとしていて肌寒い。まだ春先だからと長袖を着て家を出たのは大正解で、乾燥した夜の名残を含んだ風がすっと吹いても、心地良いなぐらいで済んでいる。しかし、温かな自分のベッドを思い出して、恋しく感じるのはまた別問題だ。ぺたりとうつ伏せで、頬に当たる布の感触に目を閉じられたら、どれほど良いだろう。想像して目を閉じたら、「ふあぁぁ」と大きな欠伸が出た。
『2番ホームに、電車が、参ります』
ちらりと向かいのホームの時計を見れば、待っている電車が到着するまで後10分。スピーカーから流れた放送に、のんびりと黄色の点字ブロックから一歩下がる。次いで、お決まりの『黄色の線より~』の放送がかかって、我ながら、タイミングの良さに少しにやけた。
それにしても、と思う。我が街、シティ・ロマージュは、学校が集まる学園都市として有名だが、”都市”とは名ばかりの僻地で、電車の本数もぐっと少ない。今日だって、とても早く校舎に着く時間か、遅刻するかの二択しか選べない時間形態だ。それなのに、同じホームに電車が来るだなんて、と、珍しい事に感じられる。
離合するのだろうかと、余計な事を考えている横で、ひらりと、何かが動いた気がした。ぽやっとしていた頭を切り替えて、顔を向ければ、長さ15cm程の長方形のカードが落ちている。反射的に拾い上げて左右を見れば、斜め後ろ、多分そこからひらりと舞ってきただろう箇所に、物凄い美人を見つけて目を剥く。
ぱっとみてスタイルが良いとはっきり分かる、胸が出て、腰のくびれがある、凹凸メリハリの付いた体つき。手足が細く、華奢に見える、背の高さ。少し伏せ目がちの目は柔らかなもみじ色で、唇もぷっくりしており、肌は白く、ふわふわの赤茶の髪が揺れている。それが自分と同じ制服なのを見て、「あ、これが制服が可愛い」なのかと、ぽろりと目から鱗が落ちた。
「ありがとう」
ポカンとしていると、目の前に来た美女が口を開いた。落ちついていて色っぽい柔らかな声で、制服のリボンから同じ年とわかるにも関わらず、そうは見えない色気にかっと頬が熱くなる。
「え、あ、……これ、貴女の?」
やっとそれだけ言って、拾ったカードを向けた。その時に気付いたが、カードには綺麗な神殿の絵が描かれており、つい、もう一度そこに目を向ける。そのすぐ後、カードを受け取ろうとしていた美女の指先が、不自然に止まった。
『【深く昏い聖殿】』
周囲の雑音に掻き消されそうな、美女の甘い声音。言われた単語が耳に飛び込むようにはっきりと聞こえ、「え?」と少しだけ驚いた。それまでほとんど無表情で、少しだけ苦手だと感じた美女の顔が、微かに目を見張っている。何かに驚いたのだろうと思うが、視線の先を確認しても、渡そうとしたカードがあるだけだ。それには確かに、“聖殿”の文字。単に珍しいカードだっただろう、きちんと拾えて良かったと思ったのもつかの間、美女が戻ってしまった無表情で、ぐっと手首を掴んできて驚く。
「貴女、お名前は―――?」
眠そうな半眼だけれど、鋭い緋の瞳が覗きこんできた。急に名前を尋ねられるだなんて思わなかったが、それに驚愕して、手首を掴む彼女の力の強さを忘れる。どうしてだか、彼女の必死さの理由を頭の中に探すより、同じ制服仲間を見つけて安心したのかなと、自分の基準で考えてしまった私は――
「二ノ宮、万里…」
―――反射的に答えていた。
「そう」
ぱっと手を解放され、ようやく私は彼女の力の強さに気付いたわけだが、友達という名の仲間作りが必要だったこの時の私には些細な問題で、途端に興味を失ったように短く頷いた彼女の手を取る。触れた時、軽く、彼女の緋色の目がまたたいた様にも思ったが、あまり表情の変わらない彼女の事、見間違いだったかもしれない。
「同じ制服だし、行く方向はいっしょでしょ。私は、万里。ええと、貴女は―――?」
ぱちりと、今度ははっきり彼女の瞬きを見る。
「“レイナ=シェイラン”」
ざわり、と、小さく周囲が動いたのも感じたが、その名前の意味を知らない私は、うんと頷いただけで。
「一緒に行こうよ、“レイナ”」
こうして彼女、他校でも有名な“魔女”は、私の言った事に微かに微笑んで、手を取った。
☆ ★ ☆
―――数十世紀ほど昔の事。
人類は自らの発祥の地である、惑星アースの中にぎゅうぎゅう詰めで生活していた。そろそろ人間の数が増えて住む場所や食糧問題などなどが見え出す時期、彼らは新たな土地を求めて、宇宙へと目を向ける。この時の人類の科学力では隣の惑星への移動も何十年もかかるからと、二十年計画で惑星アースの傍に宇宙ステーションを造り、宇宙への足がかりにしようとしていたらしい。そんな頃の惑星アースに、彼らはやって来た。
当時、隣の銀河系でやっと発見されたばかりの、水の存在を確認できたとかで注目されていた、惑星グランディス。この星には単細胞生物のような生命の存在する可能性が示唆されていたものの、恒星から遠い星である為に星の水は凍り付き、早い自転の為に常に吹雪が襲っているような状態であるとされていた。とても人が住める状態でないはずのそこから、惑星アースの人類と似たような高度な知的生命体がやってきたのである。
彼らは、人間を全く模倣した―――両手で道具を作り、服を着て言葉を話し、二足歩行をする――姿であった。また、奇跡的に遺伝子構造も似ており、両者での生殖も可能。さらには、思考形態が動物的なだけでなく、植物ネットワークにも似た構築を持つ高位生命体であり、その当時の人類の科学力では到底追いつけない知的文化を持って、極寒の惑星をテラフォーミングしていたのである。
『人類史上初、宇宙生命体との接触』に、惑星アースは上から下への大混乱で、蜂の巣をつついたようだったと歴史の教科書には書かれている。後に、彼らと和平条約を結んだアース系の主要国、今では東洋系、西洋系と二分されてしまった国を主軸として、アース系人類の宇宙開発は進み、全銀河系植民地化が始まった。
そうして、アース系人類の中でも、東洋系人類をメインとした人々が、テラフォーミングが成功した惑星ロマージュに住みついてから、数世紀が経つ。
惑星グランディスの技術を取り入れた弊害として、人間らしさを失い、もはや機械の部品のような生活―――寝そべられるだけのスペースに住み、チューブで生命維持を行い、高度化した仮想空間で精神活動を行うという恐ろしい現状がある―――を惑星アースが行っている一方、惑星ロマージュでは、少々昔堅気な、コンロで火を起こして料理し、洗濯機で洗濯ものを、掃除機でゴミを除去するような、不便な生活を行っていた。
テラフォーミングする際、今では映画と化している、数世紀前の街並みをモデルに街作りが進んだらしく、その映画から名前を取って、惑星ロマージュと名付けられたのだとは、住んでいる皆が知っている事だ。唯一の欠点としては、テラフォーミング出来た地区が他の惑星に比べて小さい事だろう。現に、我が街は、学園都市:ロマージュと惑星の名前を宛がうぐらいで、後は西側にある工場都市や、そのさらに西側にあるオフィス街までがテラフォーミング可能な土地だったというから、その狭さは想像できるのではないだろうか。
さて、その学園都市はというと、華々しい繁華街である中央地区を中心に、落ち着いた雰囲気の北地区、住宅地が広がる東地区、海に面した南地区、オフィス街である隣町と接する西地区と、5つの特色ある地区が集まって形成されている。
商業区でもある中央地区には学園都市の名物である名だたる学校が並び、日中は学生や彼らを相手にする商人や大人だらけだが、夜になるとほぼ無人になるという特異な現象が起こっており、人口分布も、学園都市の名の通り5割が子どもで、残りがその家族という構成で、お年寄りなどは隣町の方が多い、ちょっとばかり特殊な土地柄だ。必然的に、他地区から中央地区へ、または西地区への交通の便が発達し、一番端である東地区に住む私は、毎回、始発の次の次ぐらいには電車に乗らないと遅刻してしまうという現状である。