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彼のヒトが還る場所

作者: 谷川瑞生

「正午を過ぎている」

 男は小さく呟く。

 青空の下、長閑な草原を見渡しながらその辺に腰を降ろした。

 男は旅をしていた。その傍らには一匹の猫が座り、ざらざらした舌をつかって毛づくろいをしている。真っ黒で、ライム色の瞳をして、細長い尻尾の猫だった。

 その辺に捨てられていた猫で、愛着はなく名前すらつけていない。何故なら男にとってその猫は器でしかないからだ。

 男は自分の居場所を探していた。その探す過程のなかで一番邪魔になったのは時間だった。

 まずは時間を何とかしようと思い、自分が生まれ落ちた村で有名な魔術師にその方法を教えてもらった。

「自分の時を止めたいなら、他の器に移せばいいのです。その際は生きた器に限られますよ。ただ上乗せされた器の時は死に近づくのがほんの少しだけ早まります。つまり移し替える機会を逃せば貴殿も一緒に死ぬことになります。十分にお気をつけください」

 そう教えてくれたあの人は、どうしているのか男は知らない。あれから村がどうなっているのかも分からなかった。

 時間を失った男が懐中時計をポケットにしまうのは滑稽に思えるが、それ以前に腹時計を止める方法を聞いていなかったので昼食を摂ることにした。

 くたびれた鞄から取り出したのは、サンドイッチ。焼き目のついたパンの間に、燻製されたカリカリの肉と固まったチーズが挟まっている。一口かじれば香草の爽やかな香りが鼻から抜けていった。

 錫製の水瓶を掴み、硝子のマグを用意し、少々の水を入れて猫に差し出す。すると猫が水の匂いに気づき、一度だけ鼻を近づけたと思えば、端整な顔をつっこんで飲み始めた。その様子を少しだけ観察し、男は草原に視線を戻した。

 ここも自分の居場所ではない、そう直感した。長閑ではあるが、受け入れてくれないだろう。認めていないのなら、自分もそう思っているのだろう。その何かを肌で感じていたので、早々に立ち去るつもりだった。

 昼食を終えて、片付けをしていると猫が耳を小刻みに震わせ、にゅっと首を伸ばすので男もつられて顔を上げた。

「おや、懐かしい顔を見つけました」

 そう言って額の汗を拭うのは、あの魔術師だった。村の人口の減少により魔術師もすぐ外に出たらしい。それから男に教えたことを同じく魔術師は一羽の黒い烏に時を移し、自然の力が強い場所を探して渡り歩いていると言う。

 喉を潤し、一息ついた魔術師が質問してきた。

「貴殿はどんな理由で旅をしているのですか」

 それは魔術師に言っていないことだった。別に隠すつもりはない男はすぐに答えた。

「己の居場所を求めている」

 魔術師は感慨深い面持ちで頷いた。視線を草原に向けた。

「それは満たされましたか。ここをいい場所だと思いましたか」

「いや」

「そういうことなのです」

 意味が分からず男は首を傾げた。

 魔術師は一瞥し、微笑んだ。

「いい場所だな、と思うことは貴殿の旅の終焉であり、つまり――土に還りたい場所なのです。貴殿は時を失ってもなお土に還ることを憧れているのです」

 男は目を大きくし、肩の力が抜けた。

 陽が燦々と照る草原に風が吹く。青々とした草が柔らかに揺れる。緑の濃淡をつけて二人の横を通り過ぎた。心の窮屈さを取り去って、奥底から力がわいてくるような気がした。

「貴殿は時を止めてどうですか」

 別れ際に魔術師が訊ねた。

 男は視線を落とし、足下にいる猫を見つめ、ややあって顔を上げ、口を開いた。

「悪くない」

 男は魔術師に背を向ける。延々に広がる草原がそこにあった。歩き続ければ、いずれ何処かの国に着くだろう。

 自分の居場所を探して、男は進む。

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