ウルタール巡り(三)
ウルタール巡りの最後を飾ったのは、アランの本来の目的である、良質なワインを求めての酒屋訪問だった。
ヒッポリュテが贔屓にしている貴族から紹介されたというその店は、クラシック音楽が似合いそうな気品ある内装に包まれていた。室内は、常にワインにとって最適な温度を保つための魔導具が稼働しており、静謐でひんやりとした空気が漂っている。
「ここの店主は、錬金術師でもあるらしい」
「蒸留酒の一部は、錬金術師が秘薬『エリクサー』を精製する過程で生まれたと言われて、その時の研究の副産物と言われている」
この国――いや、おそらくこの世界においても、エリクサーそのものは未だ完成に至っていない。
しかし、服用すれば傷を癒やす『ポーション』は実在している。
ただし、医薬品の類を調合する錬金術師には国が定める資格の必要がだった。
アランも市販品レベルの薬なら生成できるが、より専門的で高度な薬効を持つ医薬品を手掛ける資格までは持っていなかった。
「ようこそおいでくださいました、ヒッポリュテ様」
迎えてくれたのは、黒の礼装に白い手袋を嵌めた、モノトーンの装いが似合う壮年の男性だった。
狼を思わせる獣人の彼は、知性と野性味を併せ持った不思議な気品を漂わせている。
その傍らに立つ、気品あるドレスを纏ったミミミミ人の女性を見て、アランは「師匠が生きていればこのくらいの年齢だったろうか」と、ふとそんなことを考えた。
「おや……? もしや貴方は、エミリア・パラケルルス様のご子息のアラン様ですか?」
「えっ? あ、はい。養母なのですが……母をご存知なのですか?」
「ええ、仕事を通じて長い付き合いがありました。エミリア様は、うちの大切な常連様でしたから……失礼、申し遅れました。私はベルトフォルト・ラデン。こちらは私の右腕であり、妻のユミンです」
「どうぞよろしくお願いいたします、アラン様」
貴族のような立ち振る舞いを見せる二人が、まさか師匠の旧知の仲だったとは。
アランは驚きを隠せなかった。
彼女がこれほど格調高い店で酒を買っていたことも、そして自分に隠していた「エミリア」の顔がまだ多くあることも、今日初めて知ったのだ。
「どうぞ、ご試飲ください」
ベルトフォルトから差し出されたのは、深く澄んだ「青」のワインだった。
前世の記憶にもない、この世界固有の青いブドウから作られたワインは、最高級品の証だ。
「良いのですか? こんなに高価なものを……」
「ええ。これを用意し、貴方に飲んでいただくことこそが、私の望みでしたから」
ベルトフォルトは、遠い過去を慈しむような目で静かに語り始めた。
「少し、昔話をしてもよろしいでしょうか……恥ずかしながら、私は若い頃、錬金術師を辞めようと思っていたのです。結果も出ず、利益も上がらない。このまま続けて何になるのかと悩み続けている時、エミリア様が店にやってきて、こう仰ったのです。『お前の作った酒を持ってついてこい』と」
あの酒飲み、なんて無茶苦茶を……。
自分が代わりに謝るべきだろうか、とアランが内心で冷や汗をかいていると、ベルトフォルトの話は核心へと進んだ。
「彼女が連れてきたその場所には、まだ幼かった貴方がいました。エミリア様は貴方を見つめ、私にこう告げたのです。『お前には目標がない。だから、小さなことですぐ絶望する。……だから、この子が大人になった時、美味いと言わせるような酒を作ってみせろ』と。彼女は、私に新たな目標を授けてくださったのです。それからの私は、何かが吹っ切れたように、持てる錬金術の知識のすべてを注いでこの青いワインを作り上げました」
……まさか自分自身が、このワインの誕生に関わっていたとは。アランは衝撃に言葉を失った。
「それと、この器をお使いください」
「これは……真・水精霊鋼……!」
世に出回っている水精霊鋼は、鉄などを混ぜた廉価版だ。だがここにあるのは、エミリアが遺したオリジナルレシピによる、純粋な精霊の恵みそのもの。
真・水精霊鋼は、空や海を凝縮したような蒼い輝きを放っている。注がれた青いワインと器が共鳴し、幻想的な光景を映し出した。
「どうぞ。これが、私の目標として結実した『ウンディーネの雫』です」
正直に言えば、味の細部まではわからなかった。
けれど、蒼い器とワインの冷たさは、心の奥底に封じ込めていたエミリアとの記憶を鮮やかに呼び覚ましてくれた。
「……はい。本当に、素晴らしいワインです」
外を出ると温度差が、外の暑さをより感じる。
渡されたワインのラベルにはアラン・パラケルルスの名前を書かれていた。
少し歪んでいるが、この温かさを感じるこの文字はエミリアが書いたものだ。
錬金術師として尊敬はしていたが、身内としては手のかかる人だった。
布団で寝ることなく、作業台で寝落ちしたり、酒に酔っては自分やホテプにダル絡みしたり、控えめにしておけと言っても塩をつまんで酒を飲むという身体に悪い事をする。
なのに彼女は死んでから分かるようなことを平然と隠して天に旅立ってしまう。
なんとずるい人なんだろう。
「ニャルラト」
ホテブはアランのことを察し、足元にすり寄ってきた。
アランはそのままホテプを泣き顔を隠すように抱きしめた。
「アラン……」
ヒッポリュテは離れてはいないが、アランを見ないように背を向けてくれた。
結局、色々なことがあったウルタール巡りだったが、名残惜しさを残して外に出る頃には、太陽はとうに没し、夜空には月が昇っていた。




