漠然な出会い
三階建てのボロい寮の寂れた壁に面する階段から、
「え?」
と空にキナイの声が響き渡った。
話がさかのぼり3分前。
「始業式に遅刻ってさ、やば過ぎだろ!!」
キナイはガラステーブルに乗っている昨日の27時まで、気力をすり減らしながら夏の宿題(終わってない)を手に取り、黒色の学生鞄に雑に突っ込む。 奥の方でクシャ、と心地よい音が発生したがそんなの気にしていられない。
キナイは壁に掛かる貰い物の円時計に目を向ける。
横に一直線だ。
逆算しても、そもそも、始業式が始まっている。 そして、このクソ暑い中、学生達が立っている頃だ。
結果オーライと言いたいところだが、彼の場合そうはいかない。
学力不振のキナイは、自分が叱られる映像が、網膜を通さずとも、脳内再生のフィルムがフル回転だった。
「これは、ヤバイ!! すっげぇーヤバイ!!」
黒髪の寝癖が明後日の方向に向いているキナイは学生服を着ようと、クローゼットを開けたが、
「うっそぉぉぉぉ!! くっそ!! クリーニング屋から取ってくるの忘れたぁぁぁぁぁ!!」
仕方なく、キナイは冬服の無駄に厚い学生服を着る。 中から赤いTシャツが見えていた。
ああ、それと、と言ってキナイはこれまた分厚い学生書を鞄に突っ込み、立て付けの悪いドアを開ける。
きぃ、と無駄な効果音を付けて、開かれた扉の先には晴れ晴れとした青空。
こんな日に長袖を着ている自分に憂いを覚え、はぁ~とキナイはため息をついた。
(こんなに青いなら海に行くべきだよなぁ~って、こんな事考えている場合じゃない)
キナイは太陽が燦々と降り注ぐ直線的な通路を走り、壁にぴったりと張り付いた階段の一段目に差し掛かったところで気付いた。
「なんだこれ」
白い。
第一印象は白だった。
白いシーツに覆い隠されていて、何がなんだか分からない。 心なしか人の形をした起伏があるような気がする。 恐らく、酒で飲み明かしたおやじだろうとキナイは見当を付けた。
面倒事が立ちふさがった気がするが、ここを通らないで下りる事は彼には不可能なので、仕方なく一段、一段、忍び足で下りていく。
一歩、近付くごとにはっきりと人の形だと分かる。
キナイはそぉ~と、赤く錆びた手すりを掴み、その物体を越えようと足を伸ばす。
が、
ガバッ!! と、キナイの足首が死人のような白い手に勢い良く掴まれた。
「え?」
キナイは錆びて軋んだロボットのような動きで、その腕を見る。 白い。おやじじゃないと彼の頭を駆け巡り、
「なにこれ? いや!! なんだよ――――」
「――――水」
「は?」
「みず」
と、可愛い女の子の声がした方向は白いシーツ物体だ。 キナイは恐る恐る、その白いシーツをツンツンと足の先でつついてみる。 感触から、人間だ。
「みず、くだしゃい」
また、あの声だ。
(なんだ、酒癖悪いだけか女の人か)
キナイは疲れたように今日二回目のため息を付いて、
「水って、居酒屋行ってください」
と、ガバッと白いシーツをめくった。
「みずぅぅぅ…………」
そこには白髪、赤眼のしおれた可愛らしい少女がキナイを見つめていた。
部屋は太陽が燦々と差し込まれ、夕飯のとりがらスープの匂いが立ち込めていた。
コップに注がれた水道水をグビグビと美味しそうに飲み干す少女をベッドに座りながらキナイは見ていた。
目は血のように、ルビーのように赤く、腰まで届く髪と肌は先まで白い。 見た目はスレンダーというより、幼い体つきだ。 顔も同様で、二重が印象的な大きな瞳に、控えめの鼻。 赤みがかった頬。 そして、装飾も何もない黒いワンピース。 まだ、年端もいかない少女だった。
そして、その少女があまりにも美味しそうに飲む水道水は、実は純粋な雪解け水ではないかと、彼は頭の端で考えていた。
そんなどうでもいい事を考えているキナイは、あっ、と思い立ったように口を開く。
「あのさ、名前は?」
その少女は五回水が注がれたコップを、ガラステーブルに、ガチンッ、と置き、
「普通は自分から名乗るべきだと思うよ。 じゃなくて、思いますよ」
「え?」
ああ、そうだよな、とキナイは言葉を繋げ、
「俺の名前は、キナイ・フローレンツです。 学生してます」
じゃ、私の番だね、と元気を取り戻した少女は言う。
「ステラ・アルカイ。 人間です」
ステラ・アルカイと名乗った少女はなんだか嬉しそうな顔をして言った。
一方のキナイは難しい顔をして、
「あの~人間って、あれですよね。 皆に適用すると思いますけど」
「ん? もう少し、自己紹介して欲しいの? 別に良いけど、驚かないでね」
キナイは頭を縦に振る。
「私は、この国から858km北東に存在する『ロンディニウム』出身で、」
「は!? ロンディニウムって、そんな、万が一つもない嘘を」
キナイは呆れたように呟いた。
すると、ロンディニウムから来たと言う少女は、ぷくぅーと頬を膨らませて、
「ロンディニウムから来たもん!! 嘘じゃないもん!!」
「じゃあ、もし来たとしたって、こことの関係知ってるだろ?」
「うん。 知ってるよ。 この国リアゲルは素学が発展した国だって。 人口は約540万人。 王権主義国家。 そして、国連所属の先進国。 それで、ロンディニウムは宗教国。 国民全員がキリスト教徒で、人口は約3882万6000人。 コンクラーヴェで決まった教皇様が統治する国。 簡単に言うと、国連と仲が悪いんだよ!!」
少女は自慢話をするように話したのだが、キナイはどうも納得できなかった。
彼女も言うように、このリアゲルとロンディニウムは国交断絶の一歩手前にまで来ているのだ。
リアゲルの中枢は巨大な塀に囲まれた近代的な都市だ。 そこでは、素学を専門にした学区が多い。 彼も素学学区の一員だ。 そのお陰か、国連の中でも飛びぬけて未来に向かっている。 片や、ロンディニウムは、古の国。 歴史を重んじ、神を奉る宗教国。 素学は神の理を反するらしく、彼らは、使用方法は多少、変わるが、素学を魔術と名付けて行使していた。
問題は素学と魔術のそこにある。
神を科学的に研究するのが、リアゲルとしたら、疑問を持たずに神を信じ続けるのがロンディニウムだ。
その相反する思想がぶつかり、絡み合い、少しの振動で切れるほど国交が切れ掛かっているのだ。
「だから、リアゲルに入れないだろ? リアゲルに入るには身分証明書、提出しきゃ。 っつか、この地区に入って来た時点で、色々とおかしいよな。 お前、ここの学区にどうやって入った? もしかして、あの壁、飛び越えたのか?」
「ん? う~ん。 逃げてきたよ」
「は?」
キナイは自分でもアホらしい声を出していた。 白銀の長髪の少女は、また話せて嬉しいのか、ワクワクした面持ちで言葉を紡ぐ。
「なんかね、すっごい筋肉の人たちが、剣みたいの向けて、証明書見せろって言うから、無いって言ったら、帰れって言ったんだよ。 だから、帰ったフリして、強行突破したの。 そしたら、その筋肉達が凄い顔して追うから、逃げたって訳」
「じゃあ、それが本当なら、俺、犯罪者、かくまってるじゃん。 いや、そもそも、逃げ切れる訳ねぇよ。 警備兵から逃げ切るって……ありえない。 攻撃みたいなの食らわなかったのか?」
「あっ、聞きたい?」
少女は目を輝かせる。
「ま、まぁ」
「うん。 攻撃は食らったよ。 痛かったけど、でもね」
「でもね?」
少女は彼女の脇にある何かを右手で掴み、バッと両手を使い、広げる。
「これが守ってくれたの!!」
彼女の手には白いローブがあった。 キナイがシーツと認識していたものだ。
「それが、どうした? 魔術の粋だって言うのか?」
「うん!!」
淀み無く少女は頷いた。
「…………住所どこ? お兄ちゃんが送ってあげよう。 もう、始業式は終わってるし、もう行くの面倒だし」
「え? 住所はロンディニウムのキササギ大聖堂の―――――」
「――――――違うって、そんな嘘じゃなくて、学生寮の住所だよ!!」
「嘘じゃないもん!! ホントだもん」
ムッとした顔をした少女に、キナイは、
「……証拠は?」
と、この少女の意味不明な言動と夏休みの宿題の疲れのダブルパンチである多大な疲労を隠そうともせず、呟いた。
「証拠? 証拠ならあるよ。 これ、開けてみて」
ムッとしたままの少女は、白いローブともう一つの手持ち、少女の身長ほどの長細く硬いカーボン製であろう円柱をグイッとキナイの前にズイッと出す。 その円柱は、塗装も、装飾も何も無い。 今のこの地区では逆に珍しいよりの物だ。
キナイは正直に受け取り、
「どうやって開けるの、これ?」
と尋ねた通り、裂け目一つ無いのだ。 また、無駄に重く、中は空洞には思えなかった。
「横にして」
「こう、か?」
円柱はキナイに掴まれたまま、床と水平になる。
それを見て、少女は、うんと頷き、今までと違う真剣な表情で赤い目を見開く。
「万物を構成する第二の素よ。 我が声を喰らいて、糧にせよ」
その声に呼応して、赤い閃光が黒い円柱の側面にゆっくりと走り、裂け目が出来る。
少女は亀裂が入ったのを見て、よし、と呟き、
「開けてみて」
と、気楽な笑顔を浮かべてキナイに言った。
一方のキナイ。 驚きを隠そうとはせずに、その円柱と少女を交互に見ていた。
声だけで反応する素学を、彼が知る限り、存在していない。 かの偉大な素学士、イアンペルド・カルシエンスは、こう言葉を残した。
『素学とは、体そのもの』
その言葉の通り、体の一部に素学式が体に触れていないと発動する事は皆無。
(マジで、魔術? 違うぞ。 魔術なんて無いんだ。 それはロンディニウムが言ってる事で、ただの脅し文句だよな。 そうだよ。 素学=魔術だよ。 これは音声認識のなんかだ)
うんうん、とキナイは自己完結した後、
「開けるぞ」
と、キナイはパカッと円柱を竹を縦に割ったように真っ二つに割る。
中に納まっていたのは、円柱ほどの白い棒。
杖にも見えるが、それにしては無骨すぎる。 しかし、どこか厳格で神聖な雰囲気が漂っていた。 触れたものの穢れを払拭するかのような白が部屋の窓を通り抜けた太陽光を反射する。
キナイはその白い棒を嘗め回すかのように見るが、
何も宗教的なものは見当たらない。
ふと、筒の裏側に目を向けると、
「…………警備兵の詰め所にお兄さんとい一緒に行こうか」
割れた円柱を元に戻し、なるべく満開の笑みでキナイは優しく言った。
「嫌だ。 お腹減った。 ラーメン食べたい」
ふんっ、と少女は腕を組み、明後日の方向に顔を向けた。
「でもさ、詰め所でラーメン食べれるよ。 しかも、俺ん家には無いし」
「私が買って来る。 お金頂戴」
「いや、詰め所行った方が早いと思いますけど……」
「だ・か・ら!! ここで食べるの!!」
突然、バンッ!!とガラステーブルは手加減なしで叩かれ、少女の叫び声が寮内に冴え渡る。 少女の顔に焦りと恐怖が滲んでいた。
突然、豹変した少女に圧倒されたキナイは、少女の白く細い腕を掴み、引く。
「叩くなって、ほら、行こうぜ。 詰め所。 っつか、なんで、そんなに行くのそんな嫌なんだ? その黒い筒は拾ったって事にしろよ。 な? そうすれば、そんな危険な物、持ってなくてすむし」
「絶対、駄目」
「いや、だからさ」
「駄目なの!! そんなの絶対信じてもらえない。 私は何で逃げてるの? そんなのすぐにばれちゃうよ!!」
「お前が悪いんだろ? 強引に入るから。 そうだな、俺も一緒に謝るからさ」
少女は必死に頭を振りそれを否定する。 顔は叫んだせいで赤く染まり、大きな目の下には大きな隈があった。 それでキナイは気付く。 今日の話では無い事に。
だから、こんなにも焦っていたのだ。 一日中、追い回された敵の本拠地に抵抗もせず、出て行くなど、考えたくも無かったのだ。
だからこそ、
「そういう問題じゃない!!」
「そういう問題だって、誤解を解けば何とか成るんだよ、嘘でもさ。 本当は違うんだろ? ロンディニウムから来たなんてさ」
キナイは問う。
お前はロンディニウムの住人かと。 答えは分かりきっていたが。
「ロンディニウムから来たの!! じゃ無かったら、追われてないよ!!」
「ん?」
少女が、どこか引っかかる言い方をする。
「ロンディニウムじゃなきゃ? じゃ、ロンディニウムじゃなかったら、追われてないのか?」
「うん。 こんな目に遭ってないよ!!」
「じゃあ、お前、追われてるのって」
「ロンディニウムからだよ……」
少女は伏目がちに答えた。 光り輝くものを直視できないように。
なんかね、短くなってしまった…………
もう少し、掛け合いやりたかったけど、まぁ、こんなもんか。