epilogue and prologue
鮮血が月夜に軌跡を描き、そいつの肩が地面に落ちた。
彼はただ、逆袈裟斬りを放っただけだ。 銀色に光る切っ先は腰の辺りから骨を陶器のように砕き、腹筋、大胸筋を切断し、そして、鎖骨を砕いた。 たったそれだけであった。 刃を振るった理由としては、邪魔である以外彼には理由が無い。
そいつの上半身切断部から赤い糸が見えているが、彼はそれを経験から、筋肉の筋だろうと見当を付け、自分の技術を鑑みる。
「……………」
突然、金属音にも似た生物の声が夜に包まれる広葉樹林を基礎とした森林に轟く。
恐らく、血の臭いで鳴いたのだろうと、彼はそいつの死体を感情も無く見つめ、戦闘の邪魔にならないように横合いから蹴りを入れ、夜風にざわめく森に退かす。
彼の立っている道は、街へ続く唯一の道だ。 この森はあまりに人間が寄り付かない事から、開拓や整備をされていないのだろう。 所々に浅い穴が見られる。 しかし、彼には好都合だった。 もし、この道が活気ある道であり、もし、人が居たら、面倒が増えるだけだ。 今や死体に変化したそいつの様に、また物をせがまれるのはうんざりであった。
「………」
ワシャ、と草が踏みにじられる音が彼の耳に滑り込む。 『あれ』が自分
えもの
を狩猟しに来たのだ。
月光を反射し、銀色に光る両刃剣の機鋒を斜め下後方に向け、腰を落とし、重心を下にやる。 数多の血により赤く錆びた両刃剣の表面には何か象形文字のようなものが彫られていた。
彼の視線を数十m先にゆらりと動く赤い点に向ける。
「依頼だ」
彼は太い男の声でそう呟く。 それに呼応するように『あれ』が跳び出す。
体長3m程ある生物。 胴体は黄と黒の薄汚れた虎。 顔は赤い四つ目の猿。 尻から大蛇のような尻尾が生えていた。
『あれ』の銘を、鵺と呼ぶ。
鵺が地面を蹴る度、重低音が彼の横隔膜を揺らしている。 しかし、気にした様子も無く彼は直線に駆ける。 両刃剣と地面の接触面から黄塵が宙に舞っていた。
地面が揺れ、鵺が跳ぶ。 獲物との間合いを必殺の間合いにする為。
ガガッ、と音を上げ、彼は巨大な両刃剣を振り上げ。
刃の先は彼を押し潰さんとする鵺の左前脚を切断。 そして、彼は凄まじい慣性力を右手で打ち消し、横一直線に振るが、
鵺は残された三本で3m程飛び退く。 鵺の左前脚だった空間には四つ目と同色の血液が滝のように流れ出ていた。
彼は痛みに狂う鵺を見据える。 先ほどの一発で仕留めるつもりであったのだ。 これでは鵺がどんなに狂っていても迂闊に襲ってこない。 彼の、全体の認識では鵺とは一撃で仕留めるべき相手なのだ。 成獣に成ると人間に匹敵する頭脳を持つが…………
「…………子供か」
彼は楽な仕事であった、と口の端を歪める。 頭脳がない鵺など、ライオンを狩るのと何一つ変わらない。
「これで、鵺を討伐した称号が貰えるなんてな。 はっ、一石二鳥だな」
凶悪な笑みを浮かべた男が腰を落とし、刀身を肩に掲げる。 鎧が肩の切断を防いだ。
ギロリ、と鵺の幼獣が彼を警戒するように睨む。 切断された左前脚は土に塗れ木材にも見え、先ほど分かれた左前脚の断面はすでに短い黄色の毛で覆われていた。
「…………」
ワサワサと、風が森を洗う。
彼は巨木の枝のような柄を強く握りなおし、
速素学生物変化『舜尺』を発動。
巨大な両刃剣を肩に携える男が打ち出された弾丸のように鵺との間合いを詰め、厚さ5cmの両刃剣を下から上へ振り上げる。 突然の事に戸惑っている鵺の胸骨を砕き、勢いのまま表皮を切り裂く。 しかし、機鋒は鵺の背から顔を出したところで止まる。
鵺は状況を判断できず、アドレナリンの異常分泌により痛みを通り越し、鉄骨を振り回すような一撃が、
「爆ぜろ」
彼が口元を歪めて言った瞬間、
両刃剣刀身に刻印されている熱素学炎系『火燐』を発動し、鵺の背面がボコッと膨らみ、肉片、血液を振りまきながら爆風を生み出す。
鵺は爆発の威力にうつ伏せに倒れるが、彼は力素学生物変化『鬼力』を発動し、支える。
そして、苦にした様子も無く横に吹き飛ばす。
ドコンッ!!と凄まじい音を上げた鵺はビクビクと身体が振動。 これは鵺特有の現象だ。 生まれた直後から力素学生物変化『鬼力』がDNAに刻印されていたのがまだ持続しているのだ。 人での死後硬直に近い。 だが、数十秒後、ピタリと止まる。 それはまだ、幼獣であったからである。 幼獣の場合、『鬼力』を完全に使い切れていない結果であった。
彼は鵺の胸から背にかけて突き刺さる両刃剣をズリッと引き抜き、そして、仕留めた獲物の首を刎ねる。 空中に血を振りまきながら鵺の頭が舞った。
「ふぅ」
彼は両刃剣を担ぎ、血に塗れた鵺の頭を
掴めなかった。
圧縮された空気の大玉が彼の鎧を砕き、ザザザザザザザと吹き飛ばす。 続けざまに空に巨大な影。
「ッ!!」
横転していた彼は身体に残留していた『鬼力』を使い、腕の力で無理やり横に飛ぶ。 両刃剣の切っ先は地面を這う。
バコンッ、と地面が、道が蜘蛛の巣状に破壊され、道から捲り上がった赤土色のサッカーボール程の岩が両刃剣を握る男の鳩尾に突っ込んだ。
彼は吹き飛びそうになる身体を右足で支え、何とか立つ。
砂利を含む粉塵の中に成獣の、
「鵺か」
彼は脇腹の具合を調べながら、唇をかみ締めるように呟いた。 手の感触から骨の損傷はないようだ。 グイッと『鬼力』の反動により軋む身体を奮い立たせる。 そして、三回目の『鬼力』を発動。
それに応じるように黄塵の中の影が咆哮。 砕けた鎧が振動する。
彼は両刃剣の強く握り、二度目の『舜尺』を発動。
月を背にして土煙を切り裂き、『舜尺』により爆発的な速度、『鬼力』により爆発的な腕力の必殺の一撃で彼は、『鵺』に挑む。
土煙の中、黒い影が彼に向かって一直線に発射され、彼は巨大な得物を上から下へ振る。
ズシャッ!!と肉を切り裂いた心地よい感触と切断音を彼は感じ、
吹き飛ぶ。
耳に己の骨が無茶苦茶に砕けた音が反響し、ノーバウンドで十数m滑空し、赤土色の道路にゴミを捨てた様に転がった。
「はぁ、はぁ」
彼は拉げた足を気にしている間も無く、この空間の支配者を、顔を上げて見る。
土煙は消え去り、ぼやけた視界に真っ二つの鵺の死体が横たわっていた。 勝ったのだと彼は自覚し、直ぐにそれが儚い虚だと認識する。 死体には首が無いのだ。 その証拠が啓示する未来は、自己の死のみだった。
その死体より二周り大きい体躯を翻し、成獣の鵺は――――――
彼は一瞬、光ったのを見た。 それは熱素学類の発動の光だ。 しかも、自分も好んで使っていた炎系統と、あまり使わない風系統の合成系なのだ。
彼は合成技を好かない。 合成技はタメが長く、時間を要する。 この時間は神がお与えになった懺悔の時間なのか、それとも、死を目前にして、ただただ恐怖に怯える時間なのか。
彼は左半身が麻痺を起こしているが、『鬼力』により、力ずくに頬を上げる。
笑いたくなった。 殺されるのは決まっていたからだ、当然の報いだと、彼は自分を蔑める。
そして、笑う。
死ぬ前は笑ってやるのが一番だと考えたからである。 誰に笑ってやるかなんて決まっているのだ。 それは、
摂氏2000度の死の烈風が道を疾走した。