吾輩も猫である 名前は一応ある
吾輩の家系をたどると、明治時代に夏目漱石の小説のモデルになった先祖がいる。
苦沙弥先生という人に飼われていたが、ビールに酔って水瓶に落ちて溺死してしまったようだ。
その子孫なのだから、吾輩も猫である。
名前は一応ある。
「タマ」という。
まことに残念な名前である。
主人の劣悪なセンスのなせるわざである。
吾輩が犬なら「ポチ」と名付けられたことだろう。
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70過ぎの主人は土建会社を立ち上げて一代で財を成した成金である。
先祖の飼い主の苦沙弥先生と違って教養がなく、くしゃみをした直後のような面相をしている。
妻を亡くした後、会社を息子に継がせて本人は現在、団地の一軒家に一人で悠々自適の生活を送っている。
3月に入って隣りの空き家に女性が引っ越してきた。
見るからに水商売関係と分かる60過ぎのけばけばしいマダムだ。
マダムはインコを飼っている。
越してきた翌日、マダムは縁側に出て来て軒先に鳥かごを吊るした。
庭の隅からそれを見ていた吾輩は、鳥かごのインコに向かって「ウウウ」と低く唸った。
するとマダムは、しゃがんで庭の草むしりをしていた吾輩の主人に大声で呼びかけた。
「ご主人、大丈夫ですか!」
え? と隣家に首を向けた主人はマダムと目が合い、瞬時に恋に落ちてしまった。
マダムはちょくちょくお茶を飲みに来るようになった。
「この間は驚きましたわ、てっきりご主人の心臓発作だと思って。猫ちゃんだったんですね」
「ばか猫で困ったもんです。ワンとでも鳴いてみせれば可愛げもあるんですけどな、ハハハ」
主人にそう言われたのを機に吾輩は一念発起し、犬の鳴きまねに取り組んだ。
しかしながら猫の悲しい性でまず「ニャー」が口を突いて出る。
そのため「ニャーワン!」という具合でものにならない。
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吾輩には彼女がいる。
シャム猫のキャサリンだ。
食べてしまいたいくらいに可愛くて、実際に時々食べる。
キャサリンはキャットフードの缶詰に描かれている猫であり、吾輩は2次元の恋愛をしているのである。
今日もキャサリンを食べた後、主人の横で寝ているとマダムがやってきた。
吾輩を間において主人とマダムは炬燵の角を挟んで座った。
「スナックを娘に任せてるんです退屈なので私も時々応援で出ようかと思いますの。けど、若い時の服は着れないし」
持参したファッション誌を広げてマダムは主人の顔をチラチラ見る。
どうやら服を買ってもらう算段らしい。
白いアイシャドウを塗っているマダムは、目をパチクリすると年老いたメジロのように見える。
「これなんか、私に似合うんじゃないかしら?」
老けたメジロ主人に色目をつかってスッとにじり寄った。
するとマダムの膝がしらが炬燵の中に潜りこんでいた吾輩の頭を直撃した。
吾輩は痛みに耐え切れずに思わず叫んだ。
「ニャーワン!」
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数日後の午前中、隣家の縁側が日当たりがいいので吾輩はお邪魔して日向ぼっこをしていた。
ガラス戸一枚を隔てたリビングでマダムは来客と話をしているようだ。
話の内容からすると弟が小遣いをせびりに来ているようだ。
「姉さんも余裕がないなら隣りの元社長のオヤジは金づるにできないのかい?」
「それなんだけどね、あんなにケチだとは思わなかったわ。服をねだったら『似合わん!』って言われたのよ、思い出しても腹が立つ」
「じゃ、その腹いせに大金をせしめようじゃないか」
「何をするの?」
「オヤジの家族は会社を譲った息子以外には?」
「子夫婦に娘がいるわ。社会人になったばかりのその孫娘をえらく可愛がっているみたいよ」
「名前は?」
「そこまでは知らないわ」
「まあいいか、その娘をエサにしてオレオレ詐欺をしかけよう」
「大丈夫? バレたりしない?」
「バレてもいいんだよ」
その後はひそひそ声になったので吾輩は聞き取ることができなかった。
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吾輩が家に戻ってしばらくすると電話がかかってきた。
吾輩はすぐにまた隣りの家に走った。
案の定、弟の横でマダムが受話器を手にしている。
「おじいちゃん? 私よ、助けて! 会社で経理のパソコンの操作を間違って私がお金を横領したことになってしまったの。弁済しなければ警察ざたにするって」
午後になってインターホンが鳴った。
主人にくっついて玄関に出ると制服姿の警官が立っている。
「私、この3月からこちらの団地担当の交番勤務になった久保です。今日は定例の巡回連絡で参りました」
その警官はマダムの弟だったが、そうとは知らない主人は聞かれるままに家族構成などを答えた。
「ところで、最近特殊詐欺の案件が多発していますがお宅には不審な電話などありませんか?」
「それがですな、お巡りさん。さっき午前中にありました、孫娘から。警察に相談に行こうかと考えていたところです」
「ほう、何か疑わしかったんですか?」
「だいいち声が年寄りみたいでおかしいと思ったんですが、泣き声だからかすれているのかなと」
警官は口角にかすかな笑みを浮かべたが主人が続けて電話の内容を告げると深刻そうな声で言った。
「確かにあやしいですね。今すぐお孫さん本人に確かめてみませんか?」
孫娘の携帯に電話をかけて話を終えた主人は晴れ晴れとした顔つきになった。
「お巡りさん、横領の話はでたらめでした。孫娘は家に電話もしていないということでした」
「やっぱりそうでしたか。ところでご主人、お金の受け渡しについてはどう指示されました?」
「会社の上司が事情を説明がてら明日の昼前にやって来るというのでその時に200万円渡すことになっています」
「それはちょうどよかった。未遂だと罪が軽くなりますから一旦お金を渡してもらえませんか? 私が近くで張りこんでいて逮捕しますから」
偽警官の勧めを真に受けて主人は銀行へお金をおろしに行き、帰宅すると炬燵で寝てしまった。
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いよいよ吾輩の出番である。
吾輩は炬燵の上に放りだしてある預金通帳をくわえて交番に行き、居合わせた警官の前でポトリと落とした。
警官は驚いて通帳を拾い上げ、名義人を確認した。
交番から連絡を受けて主人がすぐに駆けつけてきた。
いきなり一発ポカリと殴られたがその後は吾輩の思惑どおりになった。
「あの、久保さんはおられんのですか?」
「久保? 誰ですか、それは?」
こうして、翌日変装してお金を受け取りに現れたマダムの弟は逮捕の運びとなった。
交番の警官は彼をパトカーに押しこむと主人に声をかけた。
「猫ちゃんのお陰で一件落着です。何かごほうびをあげたいものですね」
主人も笑顔で応じた。
「ええ、そうしましょう」
主人は機嫌よくペットショップへ出かけると缶詰がたくさん入った袋を抱えて戻ってきた。
「タマ、お前の大好物だ。好きなだけ食べろ」
吾輩は甘えて主人に体を擦りつけた後、ふたを開けてもらった缶詰を食べ始めた。
しかし、いつもと違ってひどく不味い。
缶の横腹を見てみるとキャサリンではなくブルドッグが描かれたドッグフードだった。
どこまでも残念な主人である。




