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第十二章 蘇生

「……私…先生のこと……何も知らずに…」

絞り出すように言った言葉は、すぐに涙で途切れた。


澤井は何も言わず、ただ視線を落としたままだった。

強がるように腕を組み、表情は崩さない。

だが、その沈黙が何よりも正直な答えに思えた。


澄香は両手を膝の上で握り締め、視線を落とした。

真剣な目で、ようやく言葉を見つけた。


「確かに、やっぱり怖いです…

誰かのために、必死にやったことの結果が無念だと

自分の"選択"で打ち消したような気がして…

私はそれで、終わろうとしていたから…」


澤井は視線を落としたまま耳を傾ける。


「先生は違う。悔やんで終わりじゃなくて、それでも、"次は誰かを救おう"って決心して、ここにいる。

本当に、強くて、優しい人です。ちゃんとわかってます。変わる必要なんてないです」


澄香の声は震えていた。

だが、"救いたい"という想いがどれほど苦しいもの

なのか、理解した者にしか出せない響きだった。


澤井はゆっくりと顔を上げる。

その瞳に宿る光が、初めて同じ高さで交わった。


「……強いのは、そっちだ。

俺は今、お前に救われた」


その一言に、澄香の涙が溢れる。

静かな夜の中で、二人の傷が寄り添った。

窓の外から初夏の夜気が網戸越しに流れ込み、二人の寄り添った傷を、ゆるやかに包む。


澄香は涙を拭ったあとの指先を見つめていた。

目の奥は熱いのに、不思議と胸の中は静かだった。

誰かとこんなにも心の奥まで話をしたことはなかった。


「……静かですね」

ふと漏らした声が、小さく響く。


「まあ、うるさいよりはいい」

澤井の声はいつもより柔らかかった。

彼もまた、ようやく肩の力が抜けたように見えた。


沈黙。

それは気まずさではなく、言葉を選ぶための間だった。


「……なぁ」

澤井は何かを決めたように、話し始めた。


「俺は、もう誰も信用しない、近づかない。

仕事も、家でも、これからも、一人で生きていくつもりだった」



「──お前と出会うまではな」


澄香は言葉を失う。

ただ、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。


「初めは、仕事でやってた。医者として、救いたいと願う苦しさが無念に終わらないように。俺はそれに怯えていたから…」


澤井は震える声で続けた。

「だが、お前が自分を取り戻していくうちに…変わった。怖さでも、医者として救いたかっただけだけでもない…俺自身が……お前を失いたくなくて、ここにいてほしいからだって」


彼は一度、目を閉じて息を整えた。

誤魔化続けていた葛藤を、解き放つように。



「澄香……これからも、俺と一緒に生きてくれないか?」


澤井が初めて口にした自分の名前に、心臓が跳ねた。

澄香の目から涙が溢れ出す。

泣くつもりなんてなかったのに、温かさが溢れて

止まらなかった。


「私も……先生と一緒に生きていきたい…」


澤井はゆっくりと立ち上がり、澄香のそばに歩み寄る。

そして、ためらいがちに手を伸ばし涙の残る澄香の

頬を指でなぞった。


「……ありがとな、生きててくれて」

低く掠れた声が、耳元に落ちた。


澄香はゆっくりと瞳を閉じる。

気づけば自分の頬が彼の胸に触れていた。

鼓動が、確かに生きている音として伝わってきた。


──ようやく私は、生きていてよかったと思えた。

澄香の胸の奥で長く凍っていたものが、

静かに溶けていった。


「……もう少し、このままでいさせてください…」

「……好きにしろ」


分かっていることなのに、無骨さがあまりに優しくて澄香の胸が熱くなった。

腕の中に、長い時間が流れる。

互いの心臓の音だけが、夜の静けさの中に重なっていた。


やがて、澤井が彼女の顔をそっと上げさせた。

その瞳に映るのは、どこまでも真っすぐな光。


「……ずるいな、澄香は」

その一言のあと、唇が触れた。


それは熱でも激情でもない。

長い孤独をようやく終わらせるような、

静かな祈りのキスだった。


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