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第9話 mixed lonelyness

 唯響は現実逃避で福岡を訪れ、美女とゲイに出会う。

 夏になるころ、僕と泰造は二人で、バスに乗っていた。長距離バスで、都会へ遊びに行ったのだ。僕はまだ、みかささんの影を追ってしまっているのだと、自覚していた。だがそれでも、僕は都会へ向かうしかなかった。

 僕はきっと、寶井君と健一君が結成したバンドに、くらくら来ているんだと思う。この二人のセンスが合わされば、幻想的で妖艶な世界観で、きっと同世代インディーズバンドでは右に出る者がいないほどの活躍をしてみせるのだろう。ドス黒い嫉妬と、これまで感じたことがないほどの焦りが、僕をみかささんの影を追う情けない男に変えてしまったのだ。

 でも目指す場所は都会。そこに居るのは、決してみかささんだけでは無い。僕は、違う場所を探しているのだ。現状の鬱屈を打破する、強い変化をもたらしてくれる場所が欲しかったのだ。


 お金はお母さんに借りていた。永や泰造と違って、バイトもしていない僕は借りるしかない。泰造とアニメイトへ行って、デパートで行われていたアニメのイベントも楽しんだ。それから僕たちは逃げるように、渋めの喫茶店へ逃げた。

 都会は美女が多い。もれなく、イケメンやおじさんと一緒にいて、心を何故か抉られてしまったから、オシャレじゃないお店へ入りたくなったのだ。

 身長が平均ある泰造はガタイがよくなっていた。出会ったころは少しぽっちゃりとしていた体を形成していた脂肪も、17歳となった今はドラムプレイを支える立派な筋肉へと変貌を遂げていたのだ。だからここへ来る前は「ナンパされるかも」なんて冗談を言っていたが、彼もまた僕と同じように、都会の汚れた部分に辟易しているようだった。

 店に入り、「いらっしゃいませ」と言ってくれた店員さんに、僕は目を奪われた。ギョッとしたとも言えるかもしれない。大きく尖った目が、笑顔を向けてきたのだ。蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。それは見たこともないほどの別嬪さんに対する、陰キャ的な言い訳なのだろうかと自分を訝ったが、それは半分正解、半分間違いであろう。随分と紐が両端から垂れたニット帽が良く似合う、オシャレな人だった。

 ここは静かで大人なお店なので、苦いコーヒーを飲む。砂糖を入れる前にひとくち、それだけで顔をしかめてしまって申し訳なかった。

 泰造はそのコーヒーを美味しそうに飲んでいて、歳下なのに大人びていると感じた。

 僕は、飲みきれるだろうか。苦いな。砂糖を入れても甘くなるだけで美味しさが増すわけではない。周囲を眺めながら、考える。いい絵がある。苦くて甘い。いい絵だなやっぱり。

 その絵はダークポップな絵で、悲しくて寂しい、それでいて強烈な意思が滲み出るエネルギッシュな個性があった。怖いくらいに幼げなタッチで、原始的な苦痛や恐怖を描いていた。この絵を見ると、泣きじゃくむ赤子を見ているような、真言を唱える仏を見ているような、経験に左右されない心の奥底、誰もが共通して萌芽させる根源的な恣意を掬いあげられるような感覚に陥ってしまう。

「苦いと?」という泰造の問いに、僕は「苦い。だけれども甘美」と答えた。

 絵のタイトルは、英語が苦手な僕には覚えておくこともできなかった。だがまたこの絵に会うために、この獏というお店の名前は忘れないでおこうと思う。


 外へ出て、公園に来た。ここは、歓楽街と健全な繁華街の狭間にある公営の公園である。

 商品レビューをするYouTuberや、羞恥心を欠いた中高生TikToker、おぢを待つ穢れた美女に、シンプルに人目を引くドラッグクイーンがいた。

「パパ活売春レディに興味が湧いたと?」

「うんにゃーその横」

「おカマの方?」

「なんか、古いけど、ナジャ・グランディーバとかハイビスカス江みたいな感じだね」

「古いのかどうかも分からんニッチな世界」

 このまま帰れば、きっと後悔をすると、僕の直感が叫ぶ。ベンチに座った男に声をかけようか葛藤する自分はまるで、傍から見れば三島由紀夫『仮面の告白』のラストシーンのようであろう。いいやそれは、自己認知の歪みである気もする。そして僕はゲイではない。

 兎にも角にも、僕は勇気を出した。

「何をされてる方なんですか?」

「あ、えぇワタシ? お仕事の合間です」

 話し方、声、仕草。間違いない。ゲイだ。

「実は田舎から遊びに来てて、まだ帰るまで時間があるので、是非お話をお聞きしてみたいなって思って、声をかけちゃいました」

「えぇーそうなの。ワタシでよければ、いいですよ全然」

 親切丁寧な言動で、僕はベンチの横に座った。泰造はずっとスマホを見ていて、僕の行動にあまり興味がなさげであった。

 僕はひとり、この見るからに異彩を放つ人物とのお話に集中することにした。

「お名前何て仰るんですか?」

「源氏名は『あおい』と申しますよよろしく」

「すごく失礼かもしれないですけど、ずっと、なんていうか、真面目そうな感じで意外でした。もっと怖い人なのかもって思っちゃって」

「まぁこんな風貌ですからねぇ。よく妖怪呼ばわりされるから、意外と第一印象は当たりかもしれないわよ?」

 そう言って、あおいさんは笑った。話してみればなんということはなく、常識ある男性である。だが、それが本質ではないような気配がしていた。良識という檻の向こうに閉じ込めた猛虎が、鉄格子の隙間から顔を覗かせているような、得体の知れない異物感が、しきりに感じられた。

 その正体に気づくのは、バスの時間ギリギリになった時のことであった。

「やっぱり飲みの仕事をしてるとね、自分とか誰かにとって嫌なことを率先して決断したり、摩耗してくものなのよ。でも、人が嫌がることをするのが仕事だから。それでお給料貰ってるんだから、やりきらなくちゃねぇ」

 あおいさんはゲイバーで働く男性で、もう長いことその仕事を続けているらしい。どのくらい長いかを聞いたら、総理大臣が10回くらい変わったと分かるような分からないような表現で伝えられたが、要は数十年はお勤めなのだ。そりゃあ心の奥に歪んだものがあってもおかしくはあるまい。檻の中の猛虎は、社会を生きれば誰もが育む己自信なのだと、気付かされた。

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