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私のあお空

作者: 荻野雅嗣

今から肉炊こか〜。

と言う親父の野太い声が厨房内に響きを渡った。


ここは堺市内、浅香山にあるうどん屋”野崎製麺所”。


家族1人を除いて親族が一丸となって営んでいるうどん店だ。


祖父の芳郎が和歌山の日高から出てきて”めしや”を始めたのがきっかけだった。

創業以来、地元の人々に愛される人気店だ。


まず仕込みは牛肉から炊いていく。

淡路島の玉ねぎを透き通るまで炒め、そこに手切りの国産和牛を加えてさらに炒めていく。


九州、霧島連山の畜産農家が丹精込めて育てた和牛で肉の旨味がぎっしりと詰まっており、なかなかの逸品だ。 


ある程度火が通ったら、くつくつと炊いていく。

鍋に濃口醤油、黄ザラ、赤ワインを入れて煮込んでいく。


30分ほど煮込めば肉うどんの肉の完成だ。


この肉丼の賄いは好評で裏メニューとしてお客様に提供していたが、隠し切れなくなって、他のうどんとセットで提供するようにした。


席に設置している入れ物に入れているお漬物、日野菜漬けは軽い箸休めになりそうだ。


他に定番のきつねうどんや玉子丼、他人丼などもお客様に人気があり、冬季限定でニシン蕎麦も提供している。

また、生姜やミョウガ、釜揚げしらす、大葉を使った夏ちらしも好評で夏の間お出ししている。


うちは、飲食業を核とした事業展開をしており、不動産賃貸業や貸しビル業、消防設備など幅広い業務をしている。

いわばペンタゴン経営の一種だ。


利益剰余金をプールして自社ビルも堺東の方に建てており、野崎ビルヂングという名のビルを保有している。


以前、父から不動産の登記簿を見せてもらったことがある。

会社のサイトを見ると昭和50年に有限会社から株式会社に改組、2008年に自社ビルを持った。

社名は株式会社野崎興産という。


社員の慰労会や社員旅行も毎年行っており、例年は紀南串本だが、収益が倍増した時はなんと、海外グアムに行ったこともある。

私が高校生の頃だ。


そのまま女子大の英文学科に進み、卒業後は船場にある中小の貿易商社へ。


おもにコーヒーや海産物などを扱う企業で通関業務も行っていた。


そこで5年間働いた後、野崎興産に入社。

法律学を学んだ兄貴の手解きを受け、宅地建物取引主任者の免状も取得した。


その兄貴の友人が私の婚約者、勇人さんである。


先日、神戸の少しリッチな洋食屋でプロポーズの言葉を受けた。

つまり、Reservedというわけである。


付き合ってまもない頃はこんな気の強い、融通の効かない女のどこが良いの?とツンケンしていた。

いわゆるタカピーな女ということだ。


彼の誠実な態度、そして優しさに惚れたのだった。


優しくしないで愛を止めないでという言葉もあるように、私の警戒心は徐々に氷解していった。


ちょっと小洒落た洋食店、メニューはおまかせのみ。


オードブルには白身魚のカルパッチョ、スープは南欧風の冷製スープ、メインはラムチョップの香草焼きか鯛の香り揚げ。


赤ワインは2度おかわりした。

酔いが回ってきた時、彼が不意に大丈夫か?と声をかけてくれた。


今日は遅いからこれくらいにして、自宅に送るよと言って2-3万握らせてくれた。


自宅の住所が書いた紙を見せここまで行ってくれるかなと、流しのドライバーに頼んだのだ。


良かったら僕も乗ってくよとも言ってくれたが、いい1人で帰るからと軽く拒否した。

ごめん、怒らないでね。

可愛げのない女。

いつもの性格が出る。

最後に身体にきいつけやと言われ、別れた。

長い夜だった。


翌日、二日酔いの頭で皆目何も覚えていない。

覚えてるのは、彼が優しく介抱してくれたのとラムチョップの味くらいかな。

と思うと自分の不甲斐なさに悲しくなってくる。

悲しいやら腹立たしいやら。

自分って大嫌い!!


そう思いながら彼にメッセージを送る。

昨日は迷惑かけてごめんね。

悪気はないんだけどついああいう風になってちゃうんだ。


そうすると彼から、気にしてへんよ。との一言が。

酒乱とはいかないものの悪酔いしてしまうのが私のクセで悪気はないと言うんはいつもあんただけ、今度やったら参加NGやから。と女友達にきつく言われる始末だ。


少しは甘え上手になった方がええでと彼。

ほんの少し意地っ張りな私と温和な彼。

優しい男なんて今まで殆ど記憶にも残らなかった。


彼の包み込むような笑顔と別れ際の軽い抱擁。


そういう行為があれば誰しも、この2人が深い仲にあり、かつ肉体関係があると高校生でも気づくだろう。


バカのように見つめ合い、愛し合った二人にもうなんの障壁もないようにも思えた。


彼の中で壊れてしまいたいと思ったあの夜も、1人悔し涙を流した夕暮れも全て嘘のように瞬時に色褪せて消えてしまった。


バカみたい。

そんなんだからいつも女の子にそっぽ向かれるんでしょ。

と、つい強気な態度になってしまう。

そのまま強い口調で詰ると。


そっちこそ、なんやねん。

いつも、ごちゃごちゃ抜かしよって。

いちいち、俺のいうことに口出ししよって

アホちゃうか!!

ちょっとは芝居せんかい。

ほんま、腹立つわと彼氏は声を荒らげる。


に対して、次はないからと言って、薬指から婚約指輪を抜き去り、道端の花壇に放り捨てご愁傷様という顔をし、人波の中に消えた。

そこに涙など微塵もなかった。


小雪がちらちら降りしきる。

凍てつくような寒い冬のことだった。


友人からお前の婚約者がターミナル駅で男と口論になっているのを見たという目撃情報が相次いだ。


彼は1人、俯き洋酒を傾けながら思った。

あいつのわがままを全て、聞いてやれなかった俺が悪い。

優しすぎたのかな。


婚姻に至らなかったのがせめてもの救いだという風に自らを慰めた。


俺の他に男がいたなんて。

許し難いというより、その様な予兆はあった。


彼女のファンデーションの残り香がするマフラーを見て彼は思う。

あいつに今俺は何が出来るだろう?


ナイトキャップをするつもりはないが深酒にならぬよう早めに床についた。

まんじりとしない夜を明かした。


意地を張って、彼からのメッセージをまだ見ていない。


お前を責めるつもりなんか毛頭ないと言う一文とともに、「もう一度やり直してくれへんか。」と彼らしい言葉で素直に綴られていた。


一気に蒸留酒を煽る。

キーンという音が頭上に舞った。

明日は午前様決定だ


バカ丁寧な優しいだけの男とムダに俺様気質のバカ男。


天秤にかけるのも馬鹿馬鹿しいが一晩待ってみようという妙な企みが頭をよぎる。


自分の運に賭けてみようと思う。

新たな旅立ちだ。

罪の意識がないと言ったら嘘になるが、三十路を前にした新たな旅立ち。


期待に胸を躍らせ、ベッドに潜り込む。

考えるまもなく眠りに落ちた。


朝、ふいに目が覚める

手元の置き時計を見るとまだ6:00前。

アルコールがまだ抜けきっていない。

腫れぼったい目をしている。

少し枕が濡れていた。


急いでシャワーを浴びる。

シャボンの匂いが妙に心地よい。

闇がパッと晴れたように清々しい気分になる。


Don’t worry be happy.というのが私のモットーだ。


久しぶりの1人きりでの朝。

寂しさがないわけではないが、ともかく前へ。 


食前のもずく酢の酸味で一気に目が覚めた。

あとは、食パンをこんがり焼き、インスタントのじゃがいものポタージュに湯を注ぎ、納豆入りのオムレツも作る。

あと、カリカリに焼いたベーコンも。

それに、ハチミツ入りのヨーグルトとコーヒーを添える。

いつもの朝ごはんだ。


食後のコーヒーをすする頃には昨日のことなんか一切頭から抜けていた。

美香ってほんとに切り替えが早いよね。

羨ましい限りだよ。

と友人からもよく言われる。


残務や引き継ぎを終えれば最高のバカンスだ。

新天地への航空券とビザは手に入れた。

パスポートは予め取っておいた。


行き先はオーストラリアのケアンズ。

英会話は今一つだがグラマーには自信があり。

まずは半年間のつもりで、ワーキングホリデーの制度を活用して行ってみようと思う。

せっかくの海外だし思いっきり楽しんでこいと兄貴からも言われている。

ぶっちゃけ、ファンキーなお前のことやからどうせこうなるやろなて思てたと苦笑する。


その前哨戦として、新潟の妙高高原で数ヶ月リゾバという名の休暇を楽しむつもりだ。


スキー焼け、あかぎれ、凍傷という言葉があるように瀬戸内海気候の大阪とは全く環境が異なるし、そのまま凍死するんじゃないかと思うくらいものすごく寒かった。


リゾート地のホテルの客室のベッドメイクや清掃などが主な仕事でそれらの業務を日々淡々とこなしていた。


朝食はスクランブルエッグにウィンナーソーセージ、コールスローなどのサラダ、こんがりと狐色に焼かれたトーストにコーンスープ、それにネーブルオレンジなどがついた。


昼食は適当におにぎりなどを頬張る。

あとはどデカいカップ麺と。

痩せの大食いになったのは、兵庫県警の機動隊を目指していた兄の影響かもしれない。

エディコンプレックス、ブラコンの影響も多少なりともあるだろう。

昔から頼れる兄貴で私たち姉妹はその後ろを追いかけてばかりかいた。


夕方はおむすびにちょっと塩分がきつい味噌ラーメンや白ごはんに冷奴に豚汁などで済ませることが多かった。


そんなのでお腹空かないんですか?

と二十代前半と思しき女子が声をかけて来た。


うん、大丈夫だから。

心配しないでとニコリ。

彼女は新田絵梨23歳。

埼玉の新座出身で祖父母の家が同じ新潟の十日町にあったとのこと。

聞けば、今回リゾバ初体験とのこと。


ばあちゃんの家の雪掻き手伝ってたから、こんな雪へっちゃらですよとてへへ、と笑いながら言う。

その天真爛漫さがなぜかすごく愛おしかった。


それから、顔を合わすたびに話しかけて来た。

話すとなかなか、面白い子だ。

私の経験談を話すと食い気味にがっついてくる。


時には一緒にパウダースノーのゲレンデで滑ることもあった。

中級コースでコーチに指導を受けながらのスキー体験。


最初はボーゲンもままならなかったが、スキー上級者の絵梨の教えもあってメキメキと腕を上げていった。


なんでも5歳の時からストックを握っているらしい。

そりゃ、上達する訳だ。


最後の日、実家の住所とLINEを交換して別れる。

元気でね。

またね。

絵梨が笑みを浮かべる。

それに応えるようにそっと手を振る。

電車と新幹線を乗り継ぎ、家路に着く。


オーストラリア行きはまたの機会にする。

後日航空券の返金処理を済ませ、散歩がてらランチに出かける。


カフェでブランチを摂る。

ロコモコ丼のセットメニューをオーダーする。


メインでロコモコ丼が中央にドーンとあり、そこにサラダとベーコンとオニオンが入ったコンソメスープ。

そして自家製のブルーベリージャムを添えたヨーグルトなど。

食後に出されたジンジャーティーを飲む頃には芯から冷えていた身体がじんわり温まっていった。


また来ます。

美味しかったです。

と言って店を出る。

カフェ・ウッドストックか。

スマホのグルメ情報サイトを開く。

ブックマークしてアプリを閉じた。


冬特有の鈍色の空。

今にも小雪が散らつきそうだ。

実家に子猫のコロンとノエルを預けている。

急がねば。


堺の実家に連絡を入れる。

母が電話口に出た。


弾むような声で「意外と元気そうやんかあんた。どこに傷心旅行やと思てたらちゃうかってんな。

新潟、お米とおかき、煎餅は美味しいけど、今の季節あんな寒いとこ、私はよう行かん。

城崎温泉が関の山や。

まあ、異国やなくてほんまに良かったわ。

時差ボケもあるし。

言語の壁はあるし。

社員旅行でみんなでグアムに行ったのが最後や。

そういえば美香、あの時はまだ高校生やったな。

というか今晩、うちで久しぶりに家族で焼肉パーティーするけどあんたはどうする?」

「それを先に言うて、お母さん。うん、もちろん食べて行くけど。」とご相伴に預かることにした。


玄関のチャイムを鳴らす。

妹の理沙が出た。

お姉ちゃん、久しぶり。

なんかちょっと太ったんちゃう?

と茶化してくる。


妹の旦那さんは大学で建築学を専攻したアーキテクト、一級建築士で和泉市にある工務店で働いている。

現在居住しているのも和泉市に程近い、堺の三国ヶ丘だ。


将来は土地家屋調査士になると言って業務の傍ら、神戸の大学を出た兄の教えを受けながら、民法や不動産登記法など、日夜、六法片手に法律の勉強に勤しんでいる。


まあまあ寒いから中入りやと母。

姪っ子や甥っ子も含めて総勢12名。

大宴会となった。


途中からロースやハラミ、カルビの区別がつかなくなり、半ばカオス状態だった。


馴染みの精肉店がえびの高原の肥育農家から宮崎牛を仕入れて一頭買いしているのでクオリティーは確か。

うん、旨い。

幸せ。


カクテキやナムルにも箸が伸びる。


ワカメスープを白ごはんにかけ汁かけ飯にして一気に胃に流し込む。

誰しも家族にしか見せない顔があるよね、ごめんね絵梨ちゃんと心の中でつぶやく。

勢いよく酔いが回って来た。

慌てて水を一杯飲む。

気付けの水は甘露のように甘かった。


今日はもう遅いから泊まって行ったらどうなん?とオカン。

そうするわ、オカンと一言。

つい、オカンと言ってしまった。

顔から火が出るほど恥ずかしいが、今日だけはそんな言葉に甘えることにした。


そういえば、こういう家族で集まってわいわい食事をする機会って最近めっきり減ってしまったな。

地域の親睦会を兼ねて浜辺で皆で地引網&BBQなんかも面白そうだなと夢想する。

そんな、夜だった。

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