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9.


(終わったようだな……)


 青く戻った空を見上げて、グウェンはホッと息を吐いた。知らず間に、かなり張りつめていたようだ。自覚した途端、肩や背に痛みがあった。


「空が戻った……。ユーシス様とライラ様が、魔王を倒したんだ!」

「ユーシス様万歳! ライラ様万歳!」

「聖女様のおかげだ!」


 同じく変化に気付いた者たちも、空を見上げて歓声を上げる。皆、民を守るために腹をくくってはいたが、魔王への恐怖は計り知れないものがあったはずだ。そんな中、大きな混乱なく民の避難誘導に尽力してくれたことに、改めてこみ上げるものがある。


 だが、部下たちをねぎらう前に、ひとつだけやらねばならないことがある。


「皆の者、聞け!」


 肩を叩き合ったり、抱き合ったりする兵や魔術師たちに、グウェンは大声で呼びかける。魔術の拡声により、その声はあたりに強く響き渡る。何事かと瞬きする部下たちに向けて、グウェンは表情を引き締めたまま続けた。


「我に続け! 此度の件を裏から操る逆賊を、この手で捕らえるのだ!」


 ――そうしてグウェン率いる北の砦の一部隊は、国王の居室に乗り込んだ。


 王国の頂点に立つ者にふさわしく、部屋の中は華麗な装飾が施されており、重々しい雰囲気が立ち込めている。しかし、その最奥の寝台に横たわる王は病のためにやせ細っており、どこかチグハグな印象を見る者に与えた。


「……思いのほか、早く来たな」


 ひゅうひゅうと空気の混ざる掠れた声で、ゲオルグ国王はグウェンたちを迎えた。王の居室に乗り込んだというのに、その声に非難の色はなく、怒りもない。遅かれ早かれ誰かがこの場所に来ることを予想していたのだと、グウェンは気付いた。


「簡単なことです。呪いが解ければ、この部屋に入る我らを止める者は誰もいなくなった」


 王都に残った北の砦のメンバー、その後ろにさらに近衛隊をも従えて、グウェンは静かに告げた。


 そう。簡単なことだった。イフリートの分身が施したのは、簡単な認知齟齬魔術だった。


 その魔術はシンプルで、本来はここまでの効力を発揮するものではなかった。しかし、対象がこの国で最も疑われない人物であったがゆえ、真実を深くふかく覆い隠し、サーシャ・メディエールの精霊眼すらも欺いた。


「あなたですな、ゲオルグ陛下。悪魔イフリートの誘いに乗り、彼の者の分身を翡翠の洞窟から逃がして、今日の日まで手引きをしてやっていたのは」






 時は、今日より一年半ほど前、封印の儀にまで遡る。


 イフリートの封印から300年となるその日、イフリートは過去二回の儀式と同様に翡翠の洞窟内で封印の表層のみ解かれ、その力を削がれた。再び力を限界まで喪ったイフリートは封印され、翡翠の間には沈黙が戻った。


 ただし、表向きは。


「イフリートは二度目の儀式のあと、己の魂を切り離す準備をしていた。それを奴は、三度目の儀式の最中に決行し、成功させた。……だが、所詮は魂の切れ端。いくらイフリートと言えども、各砦の精鋭の魔術師による厳重な結界を、突破することは不可能だ。分身が現れたということは、脱走の手引きをした者が誰かを、我々は疑問に思うべきだった」


 問題が後回しにされたのは、それだけじゃない。


第一の分身が北の砦に現れ、ユーシスの身体に早贄の印が刻まれた日。ユーシスは直ちに、そのことや自身の秘密を、王都に報告をした。


 しかし、イフリートの一部が封印を抜けだしたかもしれないという一大事が、公にされることはなかった。それどころか、事態は北の砦の幹部にすら知らされなかった。


グウェンら幹部陣が、イフリートの協力者として疑われていたのは確かだ。だが、国を揺るがすほどの大事件をユーシス単独で調べさせるというのは、あまりに奇妙な話だ。少し考えればわかるはずなのに、今日までそれが疑問に上ることはなかった。


 そうし向けた者が、イフリートの術で庇護されていたから。


「三体の分身を世に放ったのも。第一の分身が動きやすいよう、手を回したのも。四砦の結束を分断させるため、ユーシス様の秘密を壁に血文字で書きあげたのも。すべて、あなたこそがイフリートの、真の協力者であるからですね」


 魔術師たちは部屋の隅々にまで術を張り巡らせ、剣士たちは鋭い切っ先を天蓋付きのベッドに向けている。びりびりと高まる緊張に肌が焼かれる心地がする中、ゲオルグ陛下はただ静かに、ホッと小さく息を吐きだした。


「――……左様。我が手引きし、我が奴らを世に放った。我が、悪魔の協力者だ」

「なにゆえ……! レミリア王国を統べる王が、なぜそのような愚かなことを!」


 思わず声を荒げたグウェンに、ゲオルグ王は目を向ける。瞳は凪いでいて、疲れたように無感動だった。


「そなたも、すぐにわかるであろう……。老いる虚しさや、死が迫る恐怖を」


 ゆっくり瞬きしてから、ゲオルグ王は己の手を掲げた。ひどく痩せて、乾いた皮膚が張り付いたようなそれは、既に骨のようだ。


「グウェンよ。我は死が恐ろしくなったのだ。我が体を見よ。今にも崩れ、死神にさらわれてしまいそうだ。そんな時に、イフリートに囁かれたのだ。奴の復活がかなった時、我に永遠の命を授けると」


 それが、一連の騒乱の真実だった。儀式の傍らでイフリートはゲオルグ王に取引を持ち掛け、王はそれを呑んだ。かくして王の手引きのもと分身は世に放たれ、今日まで続く混乱を世にもたらした。


 しばし言葉を無くしたグウェンは、表情をゆがめた。


「なんと、なんと愚かなことを……」

「そうであろうか。王の身でありながらと言うならば、我は別に王になりたくなぞなかった。死を目前にした時、我が身が最も可愛くなるのは当たり前の欲求だ。我を責めるそなたは、真の死の恐怖を知らぬにすぎぬ」

「だとしても、かの大悪魔と手を組むなど……!」

「どうせ、何をせずとも我は死ぬ。ならば、あぶくの夢に手を伸ばすのも悪くはなかろう」


 声だけで微かに笑ってから、王はゆっくり手を下ろした。薄い胸が、深い息を吐いた。


「――……だが、夢の終わりだ。第二の分身はユーシスらに倒され、片割れにすべての力を渡していた第三の分身も、同時に消滅した。そなたらが我が協力者だと気づけたのも、それゆえだ。サーシャも今頃、我の思惑に気付いたであろう。ここが、我の幕引きだ」

「あなたを拘束します、陛下。お許しいただけますな」

「その必要はない。言ったであろう、夢の終わりだ。此度の賭けにすべてを賭けたのは、連中だけではないということだ」


 ゲオルグ王の呼吸が浅く、少なくなっていく。多くの魔術師と剣士に包囲されながら、老いた王は心底無念にそうに呟いた。


「…………ああ。死ぬのは怖いなあ」


 その言葉を最後に、王の瞳から光が消えた。悪魔の協力者の、呆気ない最期だった。



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