6.
* * *
昔の夢を見た。
なんてことのない記憶だ。
忘れていたとしても、特に支障があるわけでもない。
思い出したとて、役にたつわけでもない。
なのに、ふと何気ない瞬間に見つけた、おもちゃの宝物のような記憶。
“殿下―!”
“どこにおられるのですか、殿下―!”
“王妃様がお呼びでいらっしゃいますよー!”
“うふふ”
誰も自分たちを見つけられない。そのことが得意で、隠れた衣裳部屋の奥でくすくすと笑いを漏らす。すると、隣の誰かが困ったように肩を竦める。
“そろそろ行かない? みんな君を探してるよ?”
“だめ! ぼくはあにうえと、かくれんぼするんです”
“一緒にいたのがわかったら、僕が怒られるんだけどなあ”
やれやれと隣の誰かが笑う気配がする。やがて、梃子でも動かぬぞと膝を曲げる自分の頭を、小さな手が撫でてくれた。
“わかったよ。もう少し付き合ってあげる”
“……うふ!”
うれしくて、楽しくて。自分は、もじもじと体を揺らす。
“あにうえ、チャレンジしましょう! 日が暮れるまでみつからなかったら、ぼくたちのしんきろくです!”
“それは困るなあ。僕もお腹空いちゃうし”
“大丈夫です。ぼく、お菓子もってます!”
“ふふ。アルは悪だなあ”
――なぜ、こんなことを思いだしたのかわからない。
むしろ、特に意味などはないのかもしれない。
だけど懐かしくて、胸がふわりと温かなもので包まれる記憶。
どこで道を違えたのだろう。どこで道は分かれてしまったのだろう。
考えて、すぐに思い直す。
ああ、そうか。変わったのは自分だけだ。
そういえば兄は、いまも昔も、ずっと優しかった――――。
* * *
「――フォンス! アルフォンス!!」
誰かに呼ばれた気がする。聞き覚えのある声に、アルフォンスはみじろぎをする。
だれが眠りを邪魔するのだろう。良い夢を見ていたのに。
良い夢、というのはそんな気がするだけだ。内容など覚えていない。だが、懐かしくて、胸が温かくなる夢。
それはそれとして、体が重いのはどうしたことか。
「目を開けろ、アルフォンス!!」
「…………なんです、兄上。そうぞうしい……」
苛立ちを覚えつつ、アルフォンスはのそりと目を開けた。かすんだ視界の先に、抜けるような晴天が広がる。そのまぶしさに、アルフォンスは思わず目をすがめた。
なんて澄んだ空だろう。雲ひとつなく、かげりもない。まるで、お綺麗で腹立たしい、兄の瞳の色のような。
そう思った瞬間、視界に本物の兄が飛び込んできた。
「アルフォンス! よかった!」
「意識が戻ったんですね!」
『ふぃー。さすがのぼくも、ちょーっと焦ったかもね』
「ライラ殿に、ケマリ様まで……? これは、一体……」
首を傾げたとき、ずきりと右肩が痛んだ。そこには既に傷はないが、痛みをきっかけに、体を奪われていた間の記憶が一気に流れ込んだ。
(ああ……私が、皆を……)
すべてを理解したアルフォンスは、目を閉じた。
自分を諌め、支えてくれた副官。頼りにしていた魔術師。ライバルでもあり背中をあずける戦友でもあった聖騎士たち。その誰もが、かけがえのない仲間だった。
その命を奪ってしまった。
意識がなかったとはいえ、この手で。
胸が押しつぶされそうになりながら、アルフォンスは顔を隠し、声を絞り出した。
「……何をしているのですが。私を罰してください。命を散らした者たちのために、一刻も、早く」
仲間が瘴気に溶けていく感覚が、こんなにも頭に残っている。
どれほどに無念だっただろう。どれだけ、あの世で自分を恨んでいることだろう。
こんな自分に、生きる権利などない。
ならば、いっそ。
苦悶するアルフォンスに、けれどもユーシスは静かに首を振った。
「拘束はしない。これから、王族としての責務を果たすことは求めるが、それだけだ」
「なぜですか? ……ああ、兄上は私に興味なぞおありではなかったですね。それとも、私が生き恥を晒して、惨めに堕ちるのがお望みですか。それならば、喜んでこの場で首を搔っ切りましょう。どうせ私は、これ以上なく堕ちたのですから」
「違う!」
大声で遮られ、アルフォンスは思わず言葉を呑む。訝しむ彼に、兄はまっすぐに告げた。
「私――いや。俺も、同じだった。前世からずっと、償い方を探してきた」
「兄、上……」
青空よりも少し薄い色の瞳を見つめて、アルフォンスは気づく。ああ――そうだった。イフリートに奪われた王子、クロードの生まれ変わりが、兄の正体だ。
記録によれば、クロード王子はイフリートが封じられた直後、意識を取り戻した。そこで彼は、贖罪の言葉を告げてから、短い生の終わりを迎えた。
(兄上は、ずっとひとりで、こんなものを背負ってきたのか)
あまりの重さに、背筋すら凍える心地がする。けれども黙り込むアルフォンスに向けるユーシスの眼差しは、どこまでも澄んでいた。
「俺といると、お前が母君につらく当たられるだろう――。そう距離を取っているうちに、お前への声の掛け方がわからなくなってしまった。だから、今更こんなことを言っても、お前を不快にさせるだけかもしれない」
だが、と、ユーシスが続ける。
「この件に関して、俺は先輩だ。その痛みも、虚しさも、胸をかきむしるような絶望も、何もかもが手に取るようにわかる。――だから、お前が、お前の償い方を見つけるまで、傍で支えさせてくれ。お前は俺の、弟なのだから」
穏やかな風が、荒れた丘を駆け抜ける。頬を何かが伝って、初めてアルフォンスは、自分が泣いているのだと気づいた。
ああ。やはり、そうだった。
突き放してきたのも自分。壁を築いてきたのも自分。
兄は、ユーシスは、ずっと昔から変わらなかったのに。
(……くそ。憎まれ口のひとつすら、出てこない)
突き放してやりたい自分もいる。けれども、幼子のように縋りたがっている自分もいる。つくづく面倒くさい性分だと、自分でも呆れてしまったとき。
ずびっと、真横で鼻をすする音がした。
見れば、それまで静かにしていたライラが、ぼろぼろと泣いていた。
(そういえば、ライラ様とケマリ様もいたんだったな)
今更のように思い出して、アルフォンスは赤面して顔を背ける。その横で、ユーシスは困ったようにオロオロとした。
「だ、大丈夫? どうして泣いてるの?」
「だっで……ザージャさんから、お二人のこと聞いたあとだっだから……。ずみません。邪魔したくなかっだのに……」
「邪魔だなんて思ってないよ。けど、落ち着いて。ほら。鼻かんで、ちーんって」
「チーン」
「…………私が言えた義理ではありませんが、呑気ですね」
突如流れるほのぼのした空気に、アルフォンスはようやく憎まれ口を叩けた。
というか、本当にのんびりしている場合ではないだろう。イフリートの記憶によれば、カルスト山のあちこちに傷ついた聖騎士や魔術師がいる。東の砦のクラウディアや、西の砦のサーシャらが救助に当たっているのだろうが、そちらに合流すべきではないだろうか。
疑問に思うアルフォンスをよそに、もっと呑気にケマリが口を開いた。
『呑気ついでに、アレなんだけどさ。イフリートの瘴気で消えちゃったっていう、南の砦のひとたち。助けられると思うんだけど、どうする??』




