3.
『殺してやるぜ、聖女サマ!』
アルフォンスの剣を抜いた魔王が、地面を蹴って飛び掛かってくる。ライラは冷静に軌道を見極め、強化した体で背後に飛び退る。なんなく剣を逃れつつ、ライラは内心、ぐっと握りこぶしを固めた。
(アラン、じゃなくて、ウィルフレドさんに実践訓練をお願いしてよかった!)
作戦のラスト一週間、ライラは魔術の特訓もさることながら、簡単な防御や回避ができるようにウィルフレドに稽古をつけてもらった。おかげで、なんとか前世の勘を取り戻せている。
(いける!)
手ごたえを感じたライラは、周囲をサッと見渡す。先ほど瘴気を浄化したときに、一緒に回復魔術も放った。そろそろ動ける者がいるはずだ。
確信を込めて周囲を探したライラの目が、ぽかんと自分を見上げる東の砦の主、クラウディアを捉える。なんなら、他にも何名か、意識を取り戻せたようだ。
安心したライラは、新たな斬撃を軽々とよけながら、クラウディアに叫んだ。
「魔王は私が相手します! クラウディアさんは、皆さんを連れて山を下りてください!」
「し、しかし。奴は強敵です。あなたが聖女エルザに並ぶ力を持つといえども……」
「大丈夫です。私、聖女エルザ本人なので!」
「……は?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、クラウディアが固まる。その間に、今度は瘴気の波がライラを襲う。せっかく回復したひとたちを巻き込まないよう、素早く瘴気を祓いつつ、ライラはもう一度大声を出した。
「説明はあとです、あと! 魔脈があった岩場では、怪我が治っても、まだたくさんのひとが気を失っています。そのひとたちの救助をお願いします!」
「あ、ああ。わかった!」
クラウディアほか動ける者たちが、動けない者たちに手を貸しながら、のろのろと退避を始める。
よかった。これで、戦いに怪我人を巻き込まずに済む。ライラはホッとしたが、次の瞬間、アルフォンスの顔をした悪魔が剣を手に斬り込んでくる。
とっさに聖杖で防御したが、衝撃でじんじんと手がしびれる。顔をしかめるライラをさらに押し込みながら、魔王はにやりと笑った。
『余裕だなぁ、聖女サマ。この俺様を、たった一人で相手しようだなんざ!』
魔王からの魔圧が増し、ライラの体が後ろに吹っ飛ぶ。そのままライラは背後の崖に激突し、砂塵が派手に舞った。
「ライラ殿!」
魔脈のあった岩場まで下山しようとしていたクラウディアたちが、立ち止まって悲鳴を上げる。
けれども視界が晴れたとき、クラウディアたちは違う意味で目を瞠った。石を払いながら岩から降りるライラが、まったくの無傷だったからだ。
(ぶつかる瞬間、背中側の防御を強くしたんだけど、うまくいってよかった)
大丈夫、ちゃんと戦える。確信を込めて、ライラは笑みを浮かべた。
「それに、一人で相手してあげるなんて言ってない!」
『っ、ちぃ!』
ライラの背後から、黒い靄を纏った何かが、矢のように飛び出す。顔を歪めて一撃を受け止めた魔王が、火花を散らす剣の向こうで、驚きに目を見開いた。
『てめえ、その力は……!?』
「ああ、わかるんだね」
何か――ユーシスが、端正な顔に不敵な笑みを浮かべる。
瞳は禍々しく、赤く。白い肌のあちこちを黒い文様が纏い、普段は輝く銀髪も先端に向かうほど黒く染まる。
ユーシスが手に力を込めると、蛇がまとわりつくように、ぶわりと瘴気が剣を覆う。
見間違えようもなく魔の力を揮って、ユーシスはかっと目を見開いた。
「どういう気持ちだ。お前と同じ、魔王の力で斬られるのは!」
ユーシスが一旦離れ、すぐに剣で猛攻撃を始める。それを間一髪であしらいながらも、魔王の顔に強い苛立ちが浮かんだ。
『どういうことだ。なんで人間風情が、魔王の力を得てやがる!』
――その問いに答えるには、魔脈の走る岩場にまで、時を戻す必要がある。
“我、いまを見極め、いまを選定する者なり。――映し出せ、我が精霊眼!”
ライラたちに励まされ、サーシャとルチアが、最後の可能性を掴むために精霊眼を解放する。サーシャはかなり長い時間、ここではないどこかを必死に眺めていたが、ついに「見つけた!」と叫んだ。
“……なるほど、な。わらわがいて、ユーシスがいて、ライラ殿がいる。すべての条件が揃って初めて、視えてくる可能性だ”
固唾をのんで続きを待つライラたちに、サーシャは興奮さめやらぬまま口を開いた。
“われらが勝機を掴む手は、ひとつだけ。ユーシス。ヌシを魔王にする”
“それって……”
“昔、凍結された禁術っていう、あの?”
ウォーレンが教えてくれたことを思い出し、ライラは驚愕した。
150年前、メディエール家の魔術師が研究していた禁術。瘴気を取り込むことで疑似的な悪魔の憑依状態を生み出し、人工の魔王を生み出す技。
それは完成することなく、闇に葬られた。ライラが指摘すると、サーシャは頷いた。
“その禁術を、いまここで完成させる”
“完成させるって……研究のせいで、たくさんのひとが命を落としたんですよね”
“ああ。じゃが、我らなら出来る。ライラ殿が聖女エルザの、ユーシスがクロードの生まれ変わりだからこそ、成立する禁じ手じゃ”
その言葉は、現実となった。
かつてユーシスは悪魔と完全に融合し、魔王の力を得た。幸か不幸か、ユーシスは悪魔との同化に耐性がある。加えて、禁術の素地となるのは大陸を覆いつくす瘴気だ。その大半は、イフリートが放ったもの。
つまりイフリートとの融合に高い適性を持つユーシスだけが、メディエール家の禁術に適合し、魔王へと至る可能性を秘めている。
だけど、それだけでは不十分だ。300年前、ユーシスの意識はイフリートにより体の奥底に追いやられていた。
禁術により疑似的に魔王として覚醒できても、ユーシスの魂が眠りについてしまう可能性もある。そのまま体だけ暴れ出すようなことがあれば、それこそ目も当てられない。
そこで、ライラの出番だ。300年前、クロードの体からイフリートを引きずり出し、奥底で消えかかっていた幼い王子の意識を救い上げたがごとく。ユーシスの意識が途切れないように、魂を保護し、瘴気による浸食を防ぐ。
魔王と戦い、勝利したライラ。魔王そのものだったユーシス。そして、魔女とまで恐れられる稀代の魔術師サーシャ。その三人が集って、初めて実現する反則技。
その結実によって、ユーシスは魔王の力を得た。
「正面きってやり合うのは初めてだな、イフリート。その体、返してもらうぞ!」
鋭い一撃が、ユーシスの剣から放たれる。瘴気の塊が槍のように飛び出し、防御に徹する魔王の――アルフォンス王子の体を襲う。
その背後から、もうひとり、ウィルフレドも飛び出した。
「ひさしぶりだな、イフリート。第一の分身のときは世話になったが、もう遅れはとらない。300年前、エルザと一緒にお前を倒した男、聖騎士アランの名を頭に刻んどけ!」
『く……はっ!』
ウィルフレドの一撃を受けたアルフォンス王子の体が地面にのめり込み、固い岩場が割れた。兄譲りの端正な顔が苦痛に歪み、口から血が僅かに零れる。
効いている。有利に戦えている。
だけど、このままではダメだ。アルフォンス王子がもたない。
激しくぶつかり合う三者を前に、ライラはぎゅっと手を握り合わせた。
(っ、ケマリ! お願い、急いで!)




