8.
「契約婚約、ですか?」
再び不思議なことを口走るユーシスに、ライラは戸惑いつつも繰り返す。するとユーシスは、美しい銀髪を揺らして頷いた。
「俺がライラさんのことを知ったのは、偶然、兵たちが君の話をしていたからだ。マイヤー村という小さな村で作られる回復薬の質が、ここ数年で飛躍的に伸びている。聖女を出した村に、良い作り手が現れたらしいと」
「げほっ!」
ライラは思わず咳き込んだ。
たしかにライラは、時々村の調合所を手伝って、回復薬を作っている。その薬の評判がとてもいいのだと、村のみんなが喜んでいたのも知っている。まさか評判が、北の砦にまで響いていたとは思わなかった。
「俺は胸が騒いだ。以前から思っていたんだ。俺は300年の時を経て、クロードの記憶を持ったまま再びこの世に生を受けた。それは、自分だけなのだろうか。ほかにも……例えば聖女エルザは、同様に転生してはいないだろうかと」
それでユーシスは、こっそりマイヤー村を訪れた。その時は正真正銘、付き人をひとりだけ連れたお忍びだったのだという。
そこで彼は、信じられない光景を見た。
「私が見たのはライラさん、そしてケマリ様だった。二人は前世と変わらず仲睦まじく、信頼を預け合っているように見えた。なにより、ライラさんには前世の記憶があるとわかった。その時、俺がどれほど嬉しかったか!」
目を輝かせ、嬉しそうに話すユーシス。……正直、色々と言いたいことはある。つまりあなたは、立ち聞きしたのか、だったり。せめてその時、声を掛けて欲しかっただったり。
だけど今は、ユーシスより先に怒らなければならない相手がいる。
「ケ……マ……リ…………」
『ひっ!?』
ライラがゆっくり見上げれば、ケマリの小さなボールのような体が空中ではねた。そのモフモフボディを捕まえて、ライラは両手でぐりぐりとした。
「だから昔から、姿を見せるときは周りをよく確かめてからにしてって言ったでしょー! やっぱりケマリのこと、目撃されちゃってたじゃない!」
『うわぁぁぁん! ごめんよ、ライラ! まさか僕の姿が見える人間が、近くにいるとは思わなかったんだよー!』
「村にいなくても警戒するの! 前からそう言ってたでしょ!?」
『うわぁぁぁん!』
ライラがケマリをぐりぐりするのを、ユーシスは目を丸くして眺めていた。それも無理もない。こんなモフモフでちんちくりんなボディをしておいて、これでもケマリは、光の精霊の中でも大精霊と呼ばれるすごい精霊なのだ。
一通りライラがぐりぐりしたところで、ユーシスは話を再開した。
ユーシスは、ライラがエルザの生まれ変わりだと気づいて以来、ライラを北の砦に呼ぶ方法を考えていたのだと話す。
「俺の身に刻まれた早贄の印。これが現れたとき、俺は北の砦の中にいた。あの場所には厳重に結界が張り巡らされ、さらには無数の聖騎士に魔術師が揃っている。――なのに俺のもとにたどり着けたということは、北の砦の内部にいる誰かが、イフリートに手を貸したのだと考えています」
「まさか!」
ありえない。そう首を振りかけて、ライラは考え直した。
(ううん。それ以外に考えられない。だってイフリートは、とてつもなく弱体化しているうえ、本体ではなくて分身なのだもの)
逃げ出してからすぐに何も行動を起こさなかったのは、それだけ消耗していたからだろう。たった半年で北の砦の結界を破れるとは思えない。だが、誰かが中からイフリートの侵入を手引きしたと考えれば筋も通る。
「おそらく、イフリートの分身の狙いはこの身体だ。300年前と同じく俺の体を奪い、殺戮を行うことで力を取り戻す。もしくは、『第一王子』という立場を利用して、本体の封印を解くための隙を作ろうとしているのかもしれない」
「なるほど……。ユーシス様の肉体を一時的に奪って操るだけなら、弱体化したイフリートの分身でもできますものね」
「だからこそ、ライラさん。君に北の砦に来てもらいたい」
そう言って、ユーシスは真面目な顔で手をひらりとやった。
「君は、クロードの記憶を持つ俺と同じで、聖女エルザとしての記憶がある。くわえて、今世でも光の大精霊ケマリと契約し、規格外の魔力を持っている。そんなあなたに、対イフリート防衛線に加わっていただきたい」
「待ってください。戦力としても求められているのはわかりました。だけど、どうして婚約する必要があるんですか?」
「その理由は主に二つだ」
冷静に瞬きをして、ユーシスは指を二本立てた。
「ひとつは、イフリートとその協力者の目を欺くため。相手は、北の砦の最奥にまでイフリートを招き入れている。協力者も、北の砦でそこそこ要職についている可能性が高い。だからこそ、君を砦に呼ぶことで、相手を警戒させたくないんだ」
「もうひとつは?」
「ずばり説明が楽だから、かな。魔術師でも聖騎士でもない者を、北の砦、それも総司令の側近に呼ぶには、それなりの理屈が必要だ。だけど、ごく一部の者しか、俺に早贄の印が刻まれたことを知らない。その上で理屈を通すのは難しいんだ」
早贄の印について、秘密にするには賢明だとライラも思う。
悪魔の大半が大陸を去ってから、早贄の印への人々の恐怖心は緩和している。たまに悪魔が誰かに早贄の印を刻んでも、大事になるまえに悪魔本体が退治されることがほとんどだからだ。だから以前のように、ユーシスが闇雲に迫害されることはないだろう。
だが、相手がイフリートとなれば話は変わってくる。イフリートが幼い王子の体を奪い、魔王となって王国中を虐殺して回ったことは、王国の歴史における最悪の事件とされている。そのイフリートの分身が逃げ出したとあっては、人々は恐怖し、大混乱となるはずだ。
「その点、婚約者というものはいい。『そばにいて欲しいから』という理由だけで、君を北の砦に呼べる。しかも君は、破格の魔力持ちで、俺の恩人だ。君を砦に呼び寄せるのに、誰も文句は言えないよ」
「だから私を、『恩人』にしたかったんですね」
呆れ半分、感心半分。ライラは肩を落とした。
ユーシスが用意したシナリオは、たぶんこう。
魔獣に襲われて負傷したユーシスを、偶然通りがかった娘が助けた。なんとその娘は、かつて王国を救った聖女の末裔だった。甲斐甲斐しく世話を焼く娘に運命的なものを感じたユーシスは、娘に求婚し、婚約者として砦に連れ帰った――。
(……ありそう! ありそうってか、結構ベタ! 王道展開!)
その辺の街角の飲み屋で、吟遊詩人が歌っていそうな筋書きだ。その筋書きを成立させるために自らを傷つけたのだと思うと、もはや執念すら感じる。
「あの怪我。魔獣の爪にやられたって言ってましたけど、瘴気に穢れた武器か何かで、自分で傷を作ったってことですよね? どうしてそこまでしたんですか。もっとひどい反応がでたら、命を落としていたかもしれないのに!」
非難の色を込めて、ライラはユーシスを睨む。ライラに怪我の治療をさせたかったなら、普通の切り傷でも事足りる。瘴気の毒を身体に取り込むなんて危険なことをしなくてもよかったはずだ。
するとユーシスは困ったように笑った。
「昔から言うでしょう。嘘を吐くときは真実を混ぜろ。あの時、ライラさんが必死に私を助けてくれたのは、俺が瘴気の毒に苦しんでいたからだ。そうでなければ、君は俺を医者に預けてしまったかもしれない」
「そ、そんなことは……あるかもしれないですけど。何もあそこまでやらなくたって!」
「それに、ライラさんなら必ず瘴気を祓ってくれると信じていたからね」
さらりと吐かれた言葉に、ライラは思わず口をつぐむ。魔術灯の灯りが照らす中、微笑むユーシスは嘘を吐いているように見えない。
(どうしてユーシス様は私を信用できるの……?)
前世での不甲斐なさが喉元までせり上がり、ライラはぎゅっと手を握る。ライラは、エルザは、幼い子供だったクロードに何もしてあげられなかったのに。
そんなライラの姿をどう受けとったのか、ユーシスは顔が見えないほど深く頭を下げた。
「女性に対し、ひどく失礼な頼みごとをしているのは承知している。だけど、イフリートを世に解き放たないために君の力が必要だ。――もちろん、契約の報酬も用意します。ライラさん。俺に力を貸してもらえませんか?」
「わかりました。やりましょう」
「え?」
こんなにあっさり了承すると思わなかったのだろう。綺麗な顔をぽかんとさせて、ユーシスがぱちくりと瞬きをする。それを見て、ライラは肩を竦めて苦笑した。
(ユーシス様の――クロード様のお願いじゃ、断れないわ)
クロードを救えなかったことを、前世でエルザはずっと後悔していた。だからこそイフリートを封印したあと、魔術院に残って欲しいという誘いを断って田舎に帰ったのだ。
前世では叶わなかったけど、今度こそクロードの――ユーシスの力になれる。ライラに断る理由があろうはずもない。
(まさか婚約者になってくれと言われるとは思わなかったけどね!)
きらきらと輝くユーシスのご尊顔を前に、ライラは少しだけ照れてしまう。
今の彼には、ボロボロの衣装をまとって、冷たい石づくりの部屋の隅に丸まっていたときの面影はない。仮初とはいえ、ザ・王子様然とした魅力的な男性と婚約することになるなんて、聖女として生きた前世ですら夢にも思わなかった。
いまだ戸惑った顔をしているユーシスに、ライラは明るく笑って手を差し出した。
「じゃあ、さっそく確認をしましょうか。私たちの契約婚約の取り決めを」
「……ええ!」
まじまじとライラの手を見てから、ユーシスはふっと笑みを漏らす。
大きな手がライラの手を握って、二人の契約が始まった。
よかったらブックマークや↓☆パチリとお願いします!