10.
(……うわ)
自分をまっすぐに見つめる、薄水色の美しい瞳。その中に吸い込まれそうになって、ライラは慌てて目を逸らした。それでも、頬が熱くなるのを止めることはできない。
部屋に戻らなくちゃ。一瞬、そんな考えが頭をよぎる。だけど、それを見透かしたように、ユーシスに手を引かれた。華奢なライラが、鍛えているユーシスに敵うわけもない。気が付くと、ライラは倒れこむようにしてユーシスの腕の中に囚われていた。
「す、すみません! ユーシス様を下敷きにするなんて……」
「ライラさん、わかってる?」
ライラの細い腰を、ユーシスの広い手が捕らえる。魔道具が編み出す柔らかな光が、ライラの影をユーシスの上に落とす。まるで現実のことじゃないようにその影を眺めるライラの頬を、ユーシスが反対の手でそっと包んだ。
「こんな時間に、男の部屋を訪ねるのがどれくらい危険か。――俺はもう、前世の、何もできない小さな子供じゃないんだよ」
「そ! そんなの、わかってます……。非常識だったのは、謝ります」
「怒ってるわけじゃない。ただ、理解してほしいだけだ。ライラさんは非力で、男に力づくでどうにかされたら、逃げられない。何かあったら、傷つくのはあなただ」
「みくびらないでください。なんの考えもなしに、誰かの部屋を訪ねたりしません。それに、ユーシス様はその……特別だから」
「何が? 俺の何が、大丈夫だと思ったの?」
真剣に問われ、ライラは困ってしまった。
(何って……)
ユーシスの真摯な人柄を、ライラは知っている。ユーシスは決して、嫌がる異性を無理やり押さえつけて、何かをする人間じゃない。
ユーシスを信頼しているから。それが答えでは、ダメなのだろうか。
(だけど、本当にそれだけ?)
たとえば、信頼しているという意味では、ウィルフレドも同じだ。だけど、相手が彼だったのなら、こんな時間に訪ねたりしなかった。朝を待ち、いの一番で捕まえて、話をしただろう。
明日を待っていられないくらい重要な話だったから。いや。それも答えとしては不十分だ。同じ話でも、ウィルフレドが相手だったら翌朝まで控える。
かといって、迷わなかったわけではない。その証拠に、ライラはユーシスに声をかけられるまでノックもできなかった。なんとなく気恥ずかしかったし、勇気は必要だ。弟や父を相手にするのとは、全然違う。
「……会いたかったから?」
無意識に呟いた言葉に、自分でハッとした。
そうか。緊急性の高い内容だとか、そんなのは後付けの理由でしかない。
パーティではほとんど一緒にいられず、ユーシスが戻ってきてからも、バタバタと会話はできなかった。単に、それが物足りなかった……。
もっと、ユーシスと話したかった。
突き詰めてしまえば、たったそれだけのこと。
そのことに気づいた途端、ライラは頬の熱が上がるのを自覚した。
ぱっと顔を隠したライラは、追いかけようとするユーシスの腕から抜け出して、慌てて自室へと駆け込んだ。
「ライラさん?」
「すみません、ユーシス様! 夜分お邪魔しました。……おやすみ、なさい!」
パタンと扉を閉じて、ライラはへにゃへにゃとその場に座り込んだ。
ただ会いたくて、声が聞きたくて、もう少しだけ一緒にいたくて。そんなのは、恋人が願うようなことだ。少なくとも、契約の婚約者でしかないライラが考えていいようなことではない。
それなのに、いったい自分は、何を勘違いして。
「穴があったら埋まりたい……」
羞恥心と後悔で、ライラは膝を抱えた。最後の呟きは、ユーシスにも聞こえてしまっただろうか。聞こえていたなら、呆れただろう。好きでも恋人でもない相手にあんなことを言われて、気持ち悪いと引かれたかもしれない。
全部、ユーシスが素敵な男性すぎるのと、自分の恋愛経験値が低いのがいけないのだ。どちらかだけでも違っていれば、こんなふうに、勘違い彼女面だなんて黒歴史を刻まずに済んだのに!
……ライラがひとりで頭を抱えていたのと同じとき。ユーシスはユーシスで、ばっちり聞こえてしまっていたライラの呟きを、咀嚼しかねていた。
(会いたかったって、俺に?)
そう、自惚れてしまいたくなる。だって他には考えられない。だけど、あまりに自分に都合が良すぎて、もしかしたら聞き間違えたんじゃないかとすら思う。
それくらいに、ライラの言葉は甘美な響きを伴っている。
「あー……」と呻いて、ユーシスはソファの背にもたれて、額を手の甲で覆った。
「ずるいよ、ライラさん。言い逃げは、ルール違反だ」
ユーシスのうらめしげなぼやきは、当然、ドアの向こうで羞恥に悶えるライラの耳には届かなかった。




