5.
「んん……! やはり、パーティはバルコニーで涼むに限りますねえ。ずっと中にいると、人酔いしてかないませんから」
隣で手すりにもたれるウォーレンは、そう言って呑気に伸びをする。
ひんやりする風が、ほんの少しだけ肌寒い。無意識に肌をさすったら、ライラの肩に何かがぱさりと掛けられた。見れば、ウォーレンが上衣を掛けてくれたのだった。
「ドレス、お似合いですよ」
お礼を言おうとしたライラの唇に人差し指を当てて、ウォーレンは微笑んだ。
「その薄水色、ユーシス様の瞳の色だ」
ほんと、読めないひと。
再び夜の庭園に視線を戻したウォーレンを眺めながら、ライラはそう思った。
飄々としていて、柔らかな笑みを常に口元に張り付けて。それでいて、こちらの内面をすべて見透かしたような目をしている。精霊ルチアの力による部分もあるのだろうけど、彼の観察眼の鋭さは、おそらく生来のものだ。
(こういうひと相手だと、少しは鼻を明かしてやりたくなっちゃうのよね)
なんだかむずむずと悪戯心が湧いてきて、ライラはウォーレンを見上げた。
「なにか話したいことがあったから、私をここまで連れてきたんですよね?」
「は……」
黒髪が揺れて、ウォーレンの紫水晶のような瞳がぽかんとライラを見下ろした。ややあって、彼は声をあげて笑った。
「はは! 驚きました。私、これでも『なにを考えているのかわからない』とか『胡散臭くて気味が悪い』と言われるたちでして。なのによく、私の本心を引き当てましたね」
「でしょうね。後半はもはや、ただの悪口ですけど」
「ご慧眼、思わずドキリとしてしまいました……。どうです? ユーシス様ではなく、私に鞍替えするというのは?」
「そうやってまた、煙にまこうとしても無駄ですからね?」
ライラが釘をさすと、再びウォーレンは「あはは! これはいい!」と笑った。よほどお気に召したらしい。
ひとしきり喜んでから、ウォーレンは思いのほか真面目な表情で、ライラに体を向けた。
「私はただ、あなたにお詫びしたかったのです」
「お詫び、ですか?」
「ええ。我が愛しの主、サーシャ・メディエール卿の非礼を」
そう言うと、止める間もなくウォーレンは跪いた。そして、戸惑うライラの手を取り、瞼を閉じる。
「ユーシス・エミリア=ウェザー殿下に対する、サーシャ・メディエール卿の非礼、我が主に代わり深くお詫びいたします。心ない言葉の数々、誠に申し訳ありませんでした」
柔らかな風が吹き、ウォーレンの夜の帳と同じ艶やかな黒髪が揺れる。その美しい面差しは、どこまでも真剣だ。ややあって、ライラは尋ねた。
「どうして、ウォーレンさんが謝るんですか?」
「我が主は、私のすべて。この身、心、髪の一本に至るまで、私は彼女のものだからです」
夜の闇と窓から漏れ出した淡い光を背負って、ウォーレンは静かにライラを見つめる。その紫の瞳に、嘘偽りの色はない。
なぜそこまで、サーシャのことを。そう思ったとき、ウォーレンは立ち上がって続けた。
「メディエール辺境伯家は、王家から分かれたひとつです。そのことはご存じでしょうか」
「は、はい。代々、魔術師の家系であるということも、小耳に挟みました」
「十分です」
少しだけ微笑み、ウォーレンは続けた。
「メディエール家には、代々の魔術師が残した貴重な記録が数多と残されています。失われた秘術。賢者の石のレシピ。女神ユグラテの伝承に至る魔術研究……。中には、一般には禁忌のものとされるものもあった。その最たるものが」
「――悪魔の研究、ですか」
「ご明察。やはり、あなたは勘が鋭い」
悪魔の研究。それ自体は、禁忌でもなんでもない。なんなら、北の砦をはじめとする四砦では、いまだ翡翠の洞窟に封印されるイフリートの本体を滅ぼすために、その弱点を探るための研究を必死に続けてきた。
だが、メディエール家が行っていた研究は、少し毛色が違う。それは、純粋な悪魔への興味が発端となっている。
その力の根源は何か。精霊の魔力との違いは何か。なぜ人を襲うのか。なぜ、精霊を毛嫌いするのか。
人は、悪魔と同じ領域に至れるのか。
「その手段として、今から150年ほど前、メディエール家でもずば抜けた才能を持つ魔術師が、ひとつの仮説を立てました。それが、人工の悪魔の生成です」
その昔、大悪魔イフリートは悲劇の王子クロードの体を奪い、王子の魔力と融合することで、さらなる強大な魔力を得て魔王へと至った。同様のことを、人の意識を保ったまま行うことができたなら、人は悪魔と同格に戦う力を得られるのではないか。
その仮説の下、魔術師は禁忌の扉を開いた。彼は、悪魔の魔力の残滓――瘴気を身体のうちに取り込むことによる、悪魔の疑似憑依状態を作り出す研究を始めた。
瘴気は毒だ。体の内に入れば、内側からダメージを与え、ひどい場合には死に至る。魔術師は、その毒を無効化しながら、魔力の恩恵だけを受けられる方法を模索するべく、新たな魔術式の構築に明け暮れた。
けれども、その研究は命の犠牲を伴うものだった。
「その魔術師は、比較的魔力の強い孤児を金で買い、屋敷の地下に隠していました。そして、構築した魔術式を彼らに刻み、その効果を確かめたのです」
「そんな! まさか、そのひとたちは……」
「ええ。たくさん死にました。彼らは孤児です。しかも魔術師は彼らを金で買った。誰が怒るでも、誰が涙を流すでもない命です。もちろん、残酷な言い方をすれば、ですが」
淡々と告げるウォーレンに、ライラは唇を噛んだ。
理屈ではそうだろう。だけど、到底許される行為じゃない。
沈黙するライラに、ウォーレンも首を振った。
「ええ、そうです。許されざることを、彼はした。――研究が実を結ぶより先に、研究は王家により凍結され、魔術師も幽閉されました。そして、すべては闇に葬られたのです。しかし、王家はいまだメディエール家を警戒し、距離を置いている。アルフォンス王子が我が主を呼ぶのを聞いたでしょう、――魔女、と」
アルフォンス王子の、サーシャ・メディエールを見つめるときの憎々しげな表情の理由が、ようやく理解できた。
そして、メディエール家をよく思っていないのは、アルフォンス王子だけではない。王家からの不信は、臣下にも影響を与える。だから先ほどライラを囲んだひとたちは、ウォーレンがサーシャの名前を出した途端、怯んだ表情を見せた。
「我が主は、幼い頃から歯がゆい思いをずっとしてきました。彼女もまた、魔術の天才です。あの幼さで、精霊との契約を果たすほどに。ですが、我が主が輝くほど、メディエールの名が陰りを落とす。そうして彼女は、メディエールが生んだ新たな魔女として、畏怖と嫌悪を向けられるようになりました」
「……だからサーシャさんは、ユーシス様が許せなかったんですね」
少しだけ理解できて、ライラはぽつりと呟いた。




