5.
西の砦の主、サーシャ・メディエール。
年若い少女でありながら砦の主に抜擢された彼女は、天才と評されるほどの魔術の達人である。
加えて、彼女の生家であるメディエール家は、古くにウェザー家と別れて成立した王家の分家。しかもサーシャは、現王ゲオルグの姪御にあたる。
ゆえに、直系のユーシス、アルフォンスには序列はやや劣るが、サーシャもまた王位継承闘争に名を連ねる一人である――。
と、いうことを、ライラはあとで詳しく知った。
とにかくライラは、御前会議が終わってすぐに、ハンス(旧)に声を掛けずにはいられなかった。
「ハンスさん!」
サーシャはウォルターと話しており、廊下には彼一人で先に出たらしい。追いかけていったライラが背後から声を掛けると、ハンス――ではなくウォーレンは、かつてと同じくにこやかな笑みで振り返った。
「おひさしぶりで、ライラ様。お元気そうで何よりです」
「お元気そうで……じゃ、ないですよ! どうしてハンスさんがここにいるんですか? っていうか、今までどこにいたんですか。森に一緒に出たままいなくなっちゃったから、魔獣に襲われたんじゃないかって心配したんですよ!」
「あはは。困りましたねえ。そんなに一気に質問されたら、答えられませんよ」
ニコニコと笑って、ウォーレンが手を振る。……そも、彼はウォーレンでいいのだろうか。北の砦でも彼は、思いっきり偽名を名乗っていた。先ほども、さもサーシャ・メディエールの側近のような顔をして現れたが、またしても偽名を名乗っている可能性もないわけじゃない。
そんなライラの疑わしげな目が伝わったのか、ウォーレンは苦笑して首を振った。
「ご安心くださいな。今日ここにいるのは、正真正銘、私自身ですよ」
「ということは、ハンスさん……じゃなくて、ウォーレンさんというのが、あなたの正体なんですか?」
「左様にございます」
黒服を纏った胸に手を当て、ウォーレンは笑みを深める。そして、優雅な仕草で腰を曲げると、演者のように恭しく名乗りを上げた。
「あらためまして。わたくしは我が麗しの主、サーシャ・メディエール卿の一の従者。名は、ただのウォーレンと申します。以後、お見知りおきを」
「……やはり、ね。今日ここに来たら、君と会えるんじゃないかと思ったよ」
「ユーシス様!」
やや呆れを含んだ声に振り返れば、いつの間にかそこにはユーシスがいた。そういえばユーシスは、ウォーレンがサーシャに続いて現れたときも、ライラと違って特に驚いてはいなかった。
ウォーレンが北の砦から姿を消したときも、ユーシスは「どうせ追いかけても無駄だから」と早々に捜索隊を打ち切っていた。やっぱりユーシスは、ウォーレンの正体に気付いていたんだろうか。
そのように思っていると、ユーシスは軽く肩を竦めた。
「サーシャ……メディエール卿が契約する精霊ルチア。その左目を預かる、神出鬼没の従者がいるという噂は、私も耳にしたことがあった。まさか、自分の砦でその相手に会うことになるとは思わなかったけれど」
「はは、照れますね。私のことが、そんなふうに噂になっているなんて」
『なるほど。君のその目は、ルチアの力だったかー』
ケマリもぽん!と空中に現れて、しげしげとウォーレンの目を覗き込む。
『ルチアが司るのは真実。真実を見通すこともできれば、真実を隠すこともできる。君が僕の変装に気付けたのも、正体を隠して北の砦に潜り込めたのも、ルチアの力を借りていたからだったんだね』
「さすがのご慧眼です、ケマリ様! ところで、そのモフモフボディ、少し撫でさせていただくなんてことは可能ですか?」
『お目が高いね、お兄さん! もちろん返事はウェルカムさ!』
きゃっきゃと戯れ始めたケマリとウォーレンに、ライラは拍子抜けした。
北の砦ではあやしさがぷんぷん匂っていたウォーレンだったが、蓋を開けてみれば、れっきとした西の砦の主の側近だったわけだ。そう考えると、正体に気付いたユーシスが「敵ではない」とすぐに警戒を解いたのも納得だ。
けれどもライラは、すぐに次の疑問が浮かんだ。
「あなたがサーシャさんの従者なら、どうして北の砦にいたんですか。それも正体を隠して、別の人の名前を語ったりまでして……」
「わらわがそう、ウォーレンに命じたからじゃ」
新たに響いた声に、ライラたちははっとして振り返った。そこにはやはりというべきか、漆黒のドレスに身を包んだ若き砦の主、サーシャ・メディエールがいた。
サーシャは大広間に姿を見せたときと同じく、漆黒のドレスの裾を床に引きずりながら、鈴を転がすような声で続けた。
「イフリートの分身と呼ぶべき魂の欠片が、翡翠の洞窟から逃げ出したこと。そのうちの一部が、北の砦に潜むこと――。わらわはその二つの可能性を、我が契約精霊・ルチアの目により予見していた。ゆえに、ウォーレンを北の砦に向かわせた。ルチアの目が映した未来が、誠であるか確かめるために」
カツンと一際大きな音をたてて、サーシャはライラたちの前に立つ。小さな体は成人前の可憐な少女のそれなのに、佇まいはまるで一国の女王だ。
思わず息を呑むライラを、サーシャはルビーのような瞳で見上げた。




