10.
「ごめんね。みんな、ライラさんがウィルを救ってから、すっかり君のファンなんだ」
中庭からライラを連れ出したユーシスは、そう言って眉尻を下げた。ライラが魔術師たちに囲まれて困っているのを遠目に見て、急いで救出に駆けつけてくれたらしい。
やれやれと溜息を吐くユーシスに、ライラは首を振って苦笑した。
「気にしないでください。それより、助けに来てくださりありがとうございます」
「あれくらいで助けただなんて。よほど多くのものを、俺は君からもらっているのに」
身を乗り出したユーシスに、ライラは一瞬ドキリとした。――そういえば、ユーシスは王城への報告をまとめたり、ダグラスの処分やその後の事後処理で忙しくしていたから、こうして二人で話すのは久しぶりに感じる。
僅かに頬が熱くなるのを感じて、ライラは慌てて目を逸らした。
「……それより。さっきのあれ。いくらなんでもやりすぎではありませんか?」
「あれ?」
「魔術師の皆さんの中から私を連れ出してくださったときのアレですよ! 皆さんが見ている前で、抱き寄せるなんて」
頬を赤らめ、ライラはじとりとユーシスを睨む。ライラとユーシスはいまだ、表向きは婚約者ということになっている。それを利用したのだろうが、魔術師たちが道を開ける中を颯爽と近づいてきたユーシスは、いきなり皆の前でライラを抱きしめたのだ。
ライラの恨めし気な目を見て、ユーシスは「まあまあ」と苦笑した。
「おかげでみんな、気を使って離れてくれたでしょう? 手っ取り早くあの場からライラさんを連れ出すには、溺愛演技が確実かなと思って」
「確実ではありましたけど、心臓には悪いです! 北の砦の内部に潜んでいたイフリートの協力者を暴いたいま、私たちが婚約者の振りをする必要もなくなったのに」
「っ! ……そう、だね」
ライラとしてはほんの愚痴のつもりだったが、それを聞いたユーシスは目を見開くと、なぜかしょんぼり気落ちしたように目を伏せる。ユーシスは溜息を吐いてから、聞こえないほどの小さな声音で何かをこぼした。
「……全部終わったら、伝えよう。そう思ってたんだけどな」
なんだろう。よく聞こえなかったが、ユーシスがひどく悔しそうなことだけはわかる。下手に口もはさめずライラが困っていると、ユーシスは意を決したようにライラを見た。
「ライラさん。君に選んで欲しい。ここに残り、共にイフリートと戦うか。マイヤー村に戻り、元の生活に戻るか。――君が望むなら俺は、俺たちの契約のすべてを明らかにし、君をマイヤー村に送り届けようと思う」
「いいんですか?」
「俺がライラさんに頼んだのは、俺を呪った分身を倒すまでだ。二体目、三体目の分身は、俺たちの契約には含まれていない」
きっぱりと、なのにどこか辛そうにユーシスは告げる。何ていったらいいかわからず戸惑うライラに、ユーシスは再び視線を落とした。
「……ライラさんの力はやはり偉大だ。俺自身、その輝きに勇気づけられた。砦の主として、王家の一員として、俺たちと一緒に戦って欲しいと思っている。だけど、このままライラさんを巻き込んだら、君は本当に『聖女エルザの再来』になる。ライラさんの意志や願いと関係なく、マイヤー村での穏やかな暮らしに、二度と戻してあげられなくなる。引くなら今しかない。森でイフリートを消し飛ばした君を見て、そう思ったんだ」
「ユーシス様……」
胸がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
ユーシスは北の砦の主であると同時に、この国の王子だ。彼の立場なら――王国を一番に考えるなら、ライラの意志を尊重する必要はない。ただ一言、「力を尽くしてイフリートと戦え」と命じるだけでいい。
なのにユーシスは、ライラに選べという。なんて不器用なのだろう。なんて馬鹿正直なのだろう。だけど、その誠実さは、優しさは、ライラの胸を打った。
だから改めて、ライラは自分がどうしたいのかを冷静に考えた。
(私がどうしたいか……そんなの決まってる)
聖女と呼ばれることに、戸惑いはある。自分はそんなに大した人間じゃない。聖女として崇められ、慕われ、最前線で皆を引っ張っていくほどの力も気概もない。
だけど――だけど。
目の前で苦しんでいるひとがいるなら助けたい。自分にできることがあるなら力を尽くしたい。そうして今度こそ――今度こそ、誰かの犠牲の上に成り立つものではなく、完全な平和の世界で、皆で喜びを分かち合いたい。
そういう未来を、ライラが見たい。
「私、決めました。ここに残ります。残って、残り二体のイフリートの分身を倒します」
「だけど、それじゃ……」
「いいんです。――『聖女』を背負ってでも、手に入れたいものが出来たから」
「手に入れたいもの?」
目を瞬かせたユーシスの手を、ライラは両手で包み込んだ。春の温かな日差しの下、ライラはまっすぐにユーシスを見上げて宣言する。
「勝ちましょう、ユーシス様。勝って、生き残って。そして今度こそ、平和な世界で一緒に笑いましょう」
「ライラさん……」
ユーシスの美しい薄水色の瞳がきらりと光り、その白い頬に僅かに赤みが差した。かと思えば、彼はこつりとライラに額を合わせた。
沈丁花の香りがふわりと風に混ざる中、ライラはどきまぎとされるがまま固まった。
「ゆ、ユーシス様……?」
「ああ、もう。ずるい、反則すぎる」
「あ、あの?」
「無自覚なのも質が悪い」
褒められているのだろうか。それとも怒られているのだろうか。意図が読めずに戸惑うライラの耳に、掠れたユーシスの声がぽつりと届いた。
「こんなの…………ますます、好きになってしまう」




