4.
その日、マイヤー家は、客人と野次馬とその他もろもろでごった返すこととなった。
「いいおとこねぇ〜」
「ほんとねぇ。まあ、きれい〜」
窓から家の中を覗き込んでのんびりと歓談するのは、山ですれ違ったマーサおばあちゃんをはじめとする村のおばあちゃんズだ。ニコニコと微笑み合う彼女らの視線の先にいるのは、先ほどライラが助けてしまった王子、ユーシス。
おばあちゃんズの眼差しに涼やかに微笑んで応える彼をよそに、マイヤー家のおんぼろ屋敷の中はてんやわんやの騒ぎだ。
「これ、テーブル奥に持ってって!」
「ビール追加入ったよ! まだ樽にある?」
「いやあ、いい食いっぷりだ! 追加の肉も焼いておくか!」
「……申し訳ありません、ユーシス殿下。狭くて。おまけに騒がしくて」
ライラと並び、ユーシスの向かいに座って恐縮するのは、ライラの父・ハリーだ。
ユーシスが身分を明かした直後。助っ人の村人を何人か連れてルイが戻ってきたことで、たちまち第一王子とそのお付きの兵が裏山にいることが村中に明らかとなった。
驚いたのはライラの両親だ。なぜ王子一行が裏山にいたのかはわからないにせよ、王子が直前まで負傷していたこともあって、とにかく我が家にお迎えしなければと慌てふためく。
それを見た村人たちが「なにやら面白そうだぞ」とマイヤー家に集まる。結果、王子一行もてなすためのご馳走やら酒やらを、急遽用意するのを手伝ってくれたのだ。
(私も裏に逃げたい……)
水をちびちびとなめながら、ライラは出来るだけ気配を消そうと小さくなっている。ちなみにルイは「お客さんいっぱーい!」とはしゃぐ妹たちの相手をしているし、母・ローズは村の人たちと一緒に御馳走の準備をしている。
ライラも母たちに加勢しようと思ったのだが、「お父さんを一人にしないで!?」と半泣きの父に引き留められて、ユーシスの正面に無理やりつかされた。
さて。地元感満載な――およそ貴族的とは言えないざっくばらんなおもてなしに恐縮しきる父ハリーに、ユーシスはまったく気にしてなさそうに朗らかに微笑んだ。
「突然押しかけたにもかかわらず、温かなご歓待に感謝します。いい村ですね。皆さん明るく、元気な方ばかりで」
「そう言っていただけて恐縮です。みんな、殿下に一目会いたいと集まってしまいまして」
「何言ってるんだい! あたしたちは、領主さまが心配で駆けつけたんだよ」
近くを通りかかった村の姉御肌・カミラさんが、ビールを置きながら茶化す。まわりにいた村の人たちも同調して頷いた。
「真っ青になって慌てる領主さまの顔が頭に浮かんだからなー。仕方あるめえよ」
「領主さまといい、奥方といい、嬢ちゃんといい。マイヤー家にはほんっと、よくしてもらってるからなあ。たまには役に立てるなら万々歳だよな!」
「慕われているんですね。あなたも、あなたのご家族も」
ご家族も、のところで、ユーシスはライラに視線をやった。甘やかな眼差しが自分に注がれているのを感じて、ライラはますます気まずい思いをする。
何か発言を求められている気がして、ライラは水が入ったグラスを両手で握ったままもごもごと口を開いた。
「大したことじゃありませんよ。所領はいまやこの小さな村だけですし、もちつもたれつ、みんなで助け合ってたら、自然と仲良くなっただけで……」
「それも一因かもしれませんが、マイヤー家の人柄によるものではないでしょうか」
「私たち、そんな大した者じゃありません。ごく普通の、ごく一般的な貧乏領主です」
「おいおい、バカ言っちゃなんねえぜ。俺たちがどれほど、マイヤー家に世話になってると思ってるんだ」
ちょうどタイミング悪く、肉屋のトムさんが山盛りチキンの皿をテーブルに置きながら、会話に飛び込んできた。それに、村の人たちが再び盛大に賛同する。
「お国にいただいたお屋敷を売ったお金で、病院や子供たちのための学校、薬の調合所なんかをこの村に作ってくださったのよねえ」
「維持費もバカにならないってのに、代々にわたって守ってくださって。そのせいで本人たちは、私たちとおんなじような貧乏暮らしでさ」
「けれども、蓄えはきちんとされていてね。食物が育たなかった年に、私たちのために食物庫を解放してくれたわ。私たちが飢えなかったのは、マイヤー家のおかげよね」
(嬉しい。嬉しいけど、いまはやめて、村のみんな……!)
ライラは内心で悲鳴をあげた。みんながマイヤー家の評価をあげようと、王子相手にアピールしてくれているのはわかる。気持ちは嬉しいが、みんなが褒めれば褒めるほど、何かから逃げられなくなるような予感がする。
怯えるライラをよそに、ユーシス王子は澄んだ湖のような目を細めて、嬉しそうに頷いた。
「さすが聖女エルザを排出した家系ですね。他者を思いやる姿はまさに聖人。それは、私を助けてくれたときのライラさんを見ていてもわかります。彼女は見ず知らずの私に駆け寄り、瞬く間のうちに怪我を癒し、瘴気の毒をも祓ってくれました」
「まさかライラが、最大回復まで使えるとは思いませんでした」
いまだに信じられないという顔で、父はまじまじとライラを見た。
「いえ、すみません。この子は昔から、私や妻よりもずっと器用に魔術を扱えるんです。親バカにも、この子は天才かもしれないと思ったこともありましたが、まさかここにきてそんな大それた魔術まで出来るようになるなんて……」
「あれはその、火事場の馬鹿力というか。人間焦ると、思いもよらない力が出ることってあるよね……?」
ひやひやしながら、ライラは必死に誤魔化す。ライラが聖女エルザの生まれ変わりであることや、その力のほとんどを受け継いでいること。それは両親も知らないことだ。
そんなふうに焦っていると、意外にも王子が助け舟を出してくれる。
「治療の技はもちろんですが、怪我の大小はこの際問題ではありません。相手が誰であれ、まずは救おうとする優しさや。見返りを求めようとしない高潔さ。私はあのとき、ライラさんの中に聖女エルザの姿を見た気がしました」
「これはまた随分、もったいないお言葉を頂戴しまして」
あまりに惜しみのない称賛に、さすがの父も恐縮するよりも先に面食らったようだ。ユーシスに答えながら、父はチラチラとライラを見てくる。ルイが村のひとたちを連れて戻ってくるまでの間に、一体何があったの。そんな心の声がいまにも聞こえてきそうだ。
(私だって、誰かに説明してほしい!)
ライラが胸の中で投げやりに叫んだそのとき、ありがたいことに王子のほうから話題を変えてきた。
「ところでご厚意に甘えてしまい、申し訳ないのですが……。今晩、村のどこかに野営をさせていただくことは可能でしょうか。本来なら今日中に街道を抜けて町に出るはずだったのですが、私が負傷したせいで行程が狂ってしまいまして」
「いやいや、野営などと仰らずに! もちろん、今晩はお泊りいだくつもりでした」
両手を振って慌ててから、父は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ただ、私たちの家はごらんのとおりの狭さでして……。全員分、別々の部屋をご用意することが難しく、そこだけはご勘弁いただけますでしょうか」
「屋根の下に泊まらせていただけるだけで段違いです。恩に着ます」
ホッとしたようにユーシスは微笑んだ。――かと思えば、不意に彼は村人たちの耳に入るのを避けるように、意味ありげに声を潜めた。
「それと……もし、差し支えなければ。ライラさんと今夜、個人的にお話をさせていただけると嬉しいのですが」
「え?」
「はい?」
ライラと父ハリーは揃ってきょとんとする。するとユーシスは、ほんの少し気恥ずかしげに目を伏せた。
「驚かせてすみません。ですが、これだけは誓わせてください。私がこのようにお誘いしたのは、ライラさんが初めてなのです」
(お誘い??)
反芻して、ライラはようやく理解した。王族であるユーシスが、年頃の娘を個人的に誘う。貧乏暮らしが板につきすぎて、そういう駆け引きと無縁な生活を送ってきたから初めはピンとこなかった。
お誘いとは、そういうことだ。
「考えておいてください」
唖然とする父と娘にそう囁いてから、美貌の王子はもてなしの席を後にした。