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9.



 イフリートの分身をライラが消し飛ばしたのと同じ頃。森に発生していた広大な瘴気の澱みも、瞬く間に浄化されて消えていった。


 あとで魔術師部隊が詳しく調べてわかったことだが、突然発生した澱みはイフリートの分身が自らの魔力を大樹が根を張るがごとく伸ばした結果、生まれたものだった。よって、分身が破れて消えると同時に、瘴気も力を失って霧散したのだ。


森に出た討伐隊の損害はゼロ。最初にひどく負傷した第一部隊の面々も続々と前線に復帰している。分身とはいえ大悪魔イフリートと対峙するという異常事態の中で、死者ひとり出さないという奇跡を北の砦は成し遂げた。それが誰のおかげか、今更語るまでもない。


 一方で、裁きを受けなければならない者もいた。副司令ダグラス・クレゲイン。彼は、自らがイフリートの協力者だったことを告白した。


 ダグラスがイフリートに従ったのは、家族を人質に取られたため。だけど、ダグラスがイフリートに手を貸したせいでユーシスは早贄の印を刻まれ、第一部隊は多数の犠牲を出すところだった。通常なら、家を取りつぶされてもおかしくないほどの罪だ。


だけど、ユーシスはそうしなかった。


最愛の家族の命を握られたら、誰もがダグラスと同じ過ちを犯すだろう。それに、側近がそのような窮地に追い込まれているというのに、自分は何も気づいてやれなかった。それは自分の落ち度としか言いようがなく、ダグラスを罰する理由にはならない。

 

 ユーシスはそのように告げ、ダグラスを副司令の任から解き、数か月の謹慎を言い渡すにとどめた。皆に掛けた迷惑は、これからも砦の皆のため身を粉にして尽くすことで返せ。泣き崩れるダグラスに、ユーシスはそう付け足した。


 そうそう。一連の騒動とは別に、もうひとり北の砦から姿を消したものがいた。中央から監査官として派遣された文官、ハンス・クレゲインだ。彼は、イフリートを倒したライラたちが討伐隊の本隊に合流したときには、すでにそこを離れていた。


 いつも柔和な笑みを浮かべていた彼が、偽ハンスだったということは瞬く間に北の砦に知れ渡った。だけどユーシスは偽ハンスの行方を追わなかった。それどころか「どうせ見つからないから放っておくように」と周囲に語った。その言葉の通り、事件から七日経った今でも、それらしい人物の目撃情報は見つかっていない。


 なんにせよ、少しずつだが、北の砦は日常に戻りつつある。本物の文官を通じて、イフリートの分身を巡る騒動は王城に報告された。今後の対応については、近々王都で大規模な召集がかけられる予定だ。ユーシスも当然これに参加する予定だが、まだ少し猶予がある。ウィルフレドほか第一部隊の数名はリハビリのためしばらく砦を離れていたが、今日の午後には戻ってくる。


 そんな中、ライラもまた、日常と非日常の岐路に立つひとりだった。





(あ。沈丁花の香り)


 風に運ばれきた甘い香りに、ライラは顔を上げた。中庭のどこかで、春を告げる花が咲いている。沈丁花は毎年マイヤー村の調合所近くにもたくさん咲いていたから、なんとなく懐かしい感じがした。


 隣のケマリも香りに気づいて、スンスンとアーモンドのような鼻をひくつかせた。


『わー、春の匂い! 僕、この香り大好き!』


「ケマリは毎年、沈丁花が咲くと、花の近くでお昼寝してたもんね」


『そうそ。春の日差しでお腹がぼかぽかして、外で寝るとさいっこーなんだよねー』


「沈丁花と関係なく、ケマリは外で寝るのが好きでしょ?」


 ライラがら笑うと、ケマリは『まあねー』と空中でくるりと回った。


『だけど、変なかんじ! ライラとユーシスの契約は一年だったのに、ユーシスを狙ってた分身を倒しちゃったね』


「え?」


『分身は他にもいるみたいだけどさ、ユーシスの早贄の印は消えたよ。ライラとユーシスが契約したのは、ユーシスの呪いを解くまでだよね。これからどうするの? 契約はおしまい?』


 純粋にケマリに問われて、ライラはぱちくりと瞬きした。


(そっか。北の砦の脅威は去ったし、これからは極秘にイフリートを追う必要もなくなるから……)


 ユーシスの印は消えて、イフリートの協力者も捕まった。一連の騒動を受けてイフリートの分身が逃げ出したことは明らかになったから、もう秘密にしておく必要もない。これからは、イフリートの分身を討伐するため、大々的に人員が集められる。優れた治癒魔術の使い手や、精霊と契約する魔術師も、きっとわんさか動員される。


 ユーシスが、正式な魔術師でもないライラの手を借りる必要は、もうないのだ。


 残り二体の分身を倒すまでは手伝うつもりでいたライラは、なんともいえない表情でケマリを見た。


「私、村に帰っていいと思う?」


『んー。僕に聞かれてもねえ。ライラが手伝いたいなら残ればいいし、帰りたいなら帰ればいいんじゃない? だけどね。残ったら君、今度こそ『聖女』になっちゃうよ』


 ケマリがそう言った直後、タイミングよく近くを通りかかった砦の魔術師たちが、歓声をあげてライラに駆け寄ってきた。


「ライラ様!」


「ケマリ様まで!」


(ひ!)


 あっという間にライラは魔術師たちに囲まれた。ライラは腰が引けるが、魔術師たちはキラキラと目を輝かせて、ライラとケマリを見た。


「先のイフリートの討伐、お見事でした! イフリートといえば歴史に残る大悪魔ですが、ケマリ様と契約するライラ様は、まさに現代の聖女様ですね!」


「私たち、いつもみんなで言っているんです。ライラ様がいてくだされば百人力だって」


「え、いや、あの……」


「イフリートの分身が何体出てきても、ライラ様とケマリ様がいてくださればこの国は安泰ですね!」


 魔術師たちの勢いは止まらない。ケマリなんかは得意げに胸を張っているが、ライラは前世を思い出して狼狽えた。


(私、本当にこのままでいいの?)


 聖女は希望だ。どんな暗闇の中でも、人々の心に光を灯す。自分にその役目を果たせるだろうか。自分にその覚悟があるだろうか。


 ライラが困っていると、魔術師たちの後ろから凛とした声が響いた。


「ライラさん!」


 ここにいる誰もが聞き覚えのある声に、魔術師たちが慌てて割れる。彼らの向こうで僅かに上がった息を整えているのは、北の砦の主・ユーシスだった。


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