8.
「観念しなさい、イフリート! あなたの企みは、ここで私が砕く!」
『その輝き……その魔力! てめえ、あの時の聖女か!』
憎しみもあらわに、瘴気が揺れる。やっぱり。ケマリがライラの正体に気付いたように、イフリートにも、ライラが聖女エルザの生まれ変わりであることがわかるらしい。ならば話は早いと、ライラは不敵に微笑んだ。
「ひさしぶり。すっかり弱くなっちゃって、随分と見る影もないけれど。そんなでも動き回れるなんて、さすがは大悪魔と褒めてあげるべきかしら」
『てめえまで転生してるだなんて……嬉しいぜ! 俺が本当の力を取り戻したら、真っ先に八つ裂きにしてやりたいのが、てめえなんだからよ!』
「勝手に言ってなさい! その日は永遠に来ないのだから!」
言いながら、ライラは片手を空に向けた。そして、身体の中に感じる繋がりを掴みながらその名を叫ぶ。
「ケマリ!!」
『あいあいさ!』
ぴかりと空間が光って、変身を解いたケマリが出現する。今頃、本隊は突如としてライラの姿が消えたので騒ぎになっているだろう。とはいえ、あちらはユーシスに変身したハンスに任せておけば大丈夫だ。
ケマリのもふもふボディを見た途端、イフリートの分身はますます怒りをあらわにした。
『わずらわしい、犬っころめ! また俺さまの邪魔をするか!』
『いえーい! イフリートくん、お元気? まあ、元気だろうと元気じゃなかろうと、君はここで僕たちに倒されるんだけどね!』
『こんの駄犬がぁ……!』
イフリートの影が動き、鋭い茨のようなものが飛び出す。それは鞭のようにしなりライラとケマリに迫るが、届く直前でガキンと金属と金属が打ち合う激しい音が響いた。ユーシスが剣を振るい、ライラとケマリを守ったのだ。
剣で茨を退けながら、銀の髪をゆらしてユーシスが叫んだ。
「ライラさん、いまだ!」
「はい!」
ライラは目を閉じ、集中する。この魔術を使うのも300年ぶりだ。だけど、身体は変わっても心が覚えている。まるでつい昨日のことのように、何をすべきか思い描ける。
「ケマリ、魔断ちの聖杖を!」
『もちろん! ライラ、君に授けよう!』
ケマリの体が輝き、ライラへ祝福の力が流れ込む。それはウィルフレドたちを救った時とは異なり、ライラの手の中で実体と化す。細く、美しく。光を編み上げるようにして形作られたそれは、前世でもイフリートの力を削いだのと同じ、聖杖だ。
聖杖を両手で掲げ、ライラは唱えた。
「“御使いよ、光の導き手よ。闇を裂き、闇を挫き、白き炎で魔を断ちたまえ――!”」
「『|精霊の恵みからなる浄化!』」
ライラ、そしてケマリが声を合わせる。その力は眩く清らかな炎となって、イフリートに襲いかかった!
『ギャアアアアアアアガガガアアアアア!!』
避けることも出来ずにもろに炎を浴びたイフリートは、全身を包まれて、耳をつんざくような悲鳴をあげる。実体を解いて逃げようとするも、炎は瞬く間に燃え広がり、瘴気を焼き尽くしながら清めていく。それは、魔の力で出来た悪魔にとっては、まさしく炎で全身を焼かれるような苦痛だ。
イフリートの分身がのたうちまわるのを前に、ライラはくらりと眩暈を感じて、慌ててたたらを踏んだ。
(まだ……! ここで倒れるわけにはいかない!)
いける。イフリート本体を相手取った前世と違って、弱り切った分身なら、このまま魔力の暴力で押し切れる。だからこそ、気を失ってはダメだ! ライラが両手に力を込めたとき、背後から包み込むようにして誰かが聖杖に手を添える。肩越しに振り返れば、ユーシスがライラを支えていた。
「ライラさん、俺の力も!」
「はい!」
ケマリとも違う、力強く、そして温かい魔力が体に流れ込む。包み込むように優しく、それでいて気高い魔力は、まるでユーシス本人を示すかのようだ。その温かさに勇気づけられ、ライラはさらなる魔力を聖杖に託す。
「大悪魔イフリート! あなたの好きにはさせない!!」
『ガアアアアアアアアアッッッ!!!!』
ガンッと聖杖に手ごたえを感じた。ライラとケマリ、そしてユーシスの魔力を込めた精霊魔術が、イフリートの分身の魔術核を砕いたのだ。イフリート、さらには辺りを満ちる瘴気まで、一瞬で灰色の砂へと化した。
(やった……?)
手ごたえはあったものの、相手は分身とは言え、300年前に王国を恐怖の渦に突き落とした大悪魔だ。油断せずに聖杖を向けていると、崩れ落ちながらイフリートは悔しそうに吐き出した。
『クソ……あと少しだったのにな。けど、これくらいで俺様に勝ったつもりになるんじゃねえよ』
「どういうこと?」
『大悪魔である俺様が飛ばした分身は三つだ……。つまり、せっかく俺様を倒しても、第二、第三の俺が、てめえらの首を狙っている……。それまで、仮初の平和って奴を愉しむがいいさ……』
三つ? そんな馬鹿な! そうケマリが驚愕するのにニヤリと笑ってから、イフリートの分身は完全な灰となって空気に溶けた。同時に、あたりに満ちていた毒の気配も、急速に薄れる。そんな中、ユーシスが胸を押さえて目を丸くした。
「早贄の印が、消えた? そうか、術者が消えたから!」
「本当ですか!? ユーシス様の印が消えたということは、妻の印も……?」
「ああ。きっと、今頃解かれたはずだ」
力強く頷いたユーシスに、ダグラスが先ほどとは違う涙を流す。――最後に気になる言葉を残しては言ったが、とりあえず目の前の危機は去った。そのことに、ライラは今度こそ本当にほっとした。
「ユーシス様も、ダグラスさんの奥さんも……。本当によかった……」
「ライラさん!」
ぱたりと倒れたライラを、ユーシスが受け止めてくれる。そういえば昨日も同じように倒れたばかりなのだと、ライラは自分で笑ってしまう。これは本格的に体を慣らしていかないと、しょっちゅう目を回してユーシスに叱られてしまいそうだ。
心配そうにのぞき込むユーシスに、ライラはへらりと笑った。
「すみません……。安心したら、力が抜けちゃいました」
「いいんだ。また君に無茶をさせてしまった」
「無茶だなんて思っていません。私が、イフリートに負けたくなかっただけ」
達成感が胸を占めるのを感じながら、ライラはユーシスを見上げる。姿かたちはすっかり変わったのに、ライラを気遣うその表情は、前世で守りたかった少年の表情と重なって見えた。
だからライラは、にっと笑ってその名を呼んだ。
「やりましたね、クロード様。私たちの勝利です」
「……うん、そうだね」
ありがとう、エルザ。
その声と同時に、何か温かくて柔らかいものが、ライラの額に触れた気がしたのだが。急速な眠気に襲われたライラは、それが夢か誠か、確かめることは出来なかった。




