6.
『それが真実だとしてさあ。仕方なくとか、脅されてとか、てめえ以外はどうでもいいわけ。お前は砦の仲間を裏切った。てめえの主を大悪魔である俺さまに差し出した。俺に手を貸した時点で、てめえは立派な共犯なんだよ』
「黙れ。妻の命を握られていなければ、貴様なんかに従いはしない!」
『つれねえなあ。俺はてめえのために、第一部隊の連中も襲ってやったのによ』
イフリートがぼやいた途端、ダグラスの顔が強張った。第一部隊、つまりウィルフレドの隊を襲ったのはイフリートだった。前日の夜、隊が砦に戻り次第、ウィルフレドへの尋問を行うことになる。毎夜送っていた魔術伝令で、ダグラスがイフリートにそう伝えたから――。
「俺は……お前に、ウィルフレドを襲えなんて言ってない」
『けど、助かったろ? ユーシスがウィルフレドから直接話を聞いたら、てめえがこれまでユーシスに嘘を吐いてたことがバレちまう。だから何も言えないお前の気持ちを汲んで、俺が連中を襲ってやったんだ。おかげでてめえは、ユーシスに捕まらずに済んだ』
「そのせいでウィルフレドは死ぬところだったんだぞ!」
『ふっ、馬鹿言え。本当は、奴が生き延びて焦っているくせに。奴が完全回復したら、お前はまた窮地に立たされる。だから慌てて、森にユーシスを連れ出したんだもんな』
「違う、俺は……」
ダグラスは頭を抱えた。そうではないと、本当に言い切れるだろうか。ウィルフレドが助からないと聞いたとき、ほんの一欠片、心の隅で、安心した自分はいなかっただろうか。ライラが規格外の精霊魔術でウィルフレドを救ったとき、喜びより先に胸を占めた焦燥は……。
イフリートの分身をユーシスの寝室前まで運んだ夜。ダグラスはユーシスに「ウィルフレドがユーシスの部屋があるフロアから降りてきたから、不審に思って様子を見にきた」と報告した。だけど、真実は逆だった。目撃されたのは、ダグラスだったのだ。
分身が寝室に忍び込んだのを見届けたダグラスは、妻の安全が確保されるまではと、他の者が邪魔しにこないように階段を見張っていた。そのとき、ウィルフレドに遭遇してしまった。
“なにやら妙な気配がしませんか”
ダグラスを疑うことなく、ウィルフレドは眉を顰めてそう言った。彼曰く、ぞわぞわと嫌な感じがして目が覚めて、部屋を出てきたのだという。
ウィルフレドの動物的な勘の良さに舌打ちしそうになりながら、ダグラスはウィルフレドを宥めた。自分も気になって一通り見回ったが、特に異常はなかった。いたずらに騒ぎたてすれば、砦の主であるユーシスの名誉を傷つけることになるかもしれない。今夜のことは他言せず、部屋に戻りなさいと。
ウィルフレドは不満そうだったが、ユーシスの名前を出せばすぐに退いた。後日、ウィルフレドが「あの夜は部屋を出なかった」と答えたのも、そのためだ。ダグラスがあえてユーシスやほかの隊員もいる場で尋ねたので、「他言しない」という約束を守ってダグラスが誤魔化したのだ。
そしてウィルフレドが部屋に戻ったのを確認したあと、ダグラスはイフリートに妻にかけた早贄の印を解かせるため、ユーシスの寝室に再度向かった。そこで、イフリートがユーシスの体を奪うのに失敗したことを知った。
『てめえは、てめえの保身のため、ユーシスに嘘を吐いた。ウィルフレドがあの夜の真実をユーシスに伝えないように。ユーシスに、ウィルフレドへの不信感を抱かせるために。俺は、その嘘を守るために協力しただけだ。な? 俺たち、いい協力者だろ?』
「違う……違う!」
『認めちまえよ。所詮、お前はその程度だ。自分が一番かわいくて、自分のためなら仲間の命なんざいくらでもくれてやることが出来る。――わかったら、大人しく俺をユーシスのところに連れていけ。これ以上、てめえのつまんねえ泣き言に付き合わせるな』
どくりと、瘴気が震える。イフリートの威圧で、あたりの空気まで重くなったようだ。上手く呼吸することさえが出来なくて、ダグラスは長距離を走り終えたあとのように浅く息をしながら震えた。
(ここまでなのか……?)
妻の命。お腹の子の命。そして仲間の命。すべてを天秤にかけられたいま、ダグラスにできることはもうない。抵抗は無駄。このまま、大人しくこの悪魔をユーシスの所に連れて行いくしか、家族を守ることは出来ないのか――。
ダグラスが絶望したその時、凛とした声があたりに響いた。
「よかったですね。移動する手間ならありませんよ!」
「は? んわっ、く!?」
瘴気をかき消すように澄んだ魔力の暴風が吹き荒れる。思わず目を覆ったダグラスは、次に目を開いたとき驚愕した。
「ライラ様……ユーシス様!」
なぜ。そのセリフは喉に張り付いて出てこなかった。
黄金の髪をなびかせて『聖女』として立つライラと、その隣で剣を構える美しい砦の主・ユーシス。本体を率いて先に進んでいるはずの二人の登場にダグラスが固まっていると、輝く黄金の眼差しで、ライラがイフリートをまっすぐに射抜いた。
「観念しなさい、大悪魔。あなたのことは、私がここで成敗します!」




