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7.


 ぱちぱちと薪木が爆ぜる音がする。


 昨晩から今朝にかけてひどく冷え込んだ部屋の中は、時間をかけてようやく少しは暖かさを取り戻した。偶然なのか、はたまた誰かの意思が働いたのか。大雪が降るほどの寒さの中、一晩中、この部屋にいるのはきっと体に堪えたことだろう。


 何はともあれ、間に合ってよかった。エルザがホッと息を吐いたとき、弱々しい声が後ろから聞こえた。


「エルザ……?」


 魔術薬の空き瓶を整理する手をとめて、エルザは振り返る。すると、決して快適とはいえない固いベッドの上から、こちらを見上げる小さな王子と目があった。


 目を覚ましたらしいクロード王子に微笑んで、エルザはベッドのすぐ横に膝をついた。


「よかった。薬が効いてきたみたいですね。私が到着したときよりも、ずっと良い顔色をしてらっしゃいます」


「僕はどうしたの?」


「ひどい熱を出されたのですよ。とてもお寒かったでしょう。真冬の凍えるなか、私が到着するまでよくがんばりましたね」


 にこりと微笑みかけると、クロードはびっくりしたみたいに目を丸くする。いけない、いけない。王子相手にいくらなんでも気安く口をききすぎたかも。一瞬、エルザは謝るべきか悩んだが、それよりも先にクロードが口を開いた。


「君はいつからここにいるの。今さっき来たわけじゃなさそうだけど」


「えっと、いつからでしたっけ? たしか衛兵が私を呼びにきたのが明け方前なので、かれこれ半日近くいるんじゃないでしょうか」


「まずいんじゃないの? 僕と深く関わるな。僕の部屋に長居するな。君たちはみんな、父上や魔術師長にそう言われてるんでしょ」


「よくご存じですね。まあ、そんなことも言われていたような、言われていなかったような?」


「茶化さないで、大事なことなんだ。だって、言いつけを守らなかったら、君は……」


 それ以上は口に出すのも嫌だったのかもしれない。クロードの声がすぼんで、最終的に彼はふとんに顔を埋めるようにして黙りこくってしまう。不安そうなクロードの様子に、気がついたらエルザは、王子の小さな額をそっと撫でていた。


「大丈夫ですよ」


 ぽかんと。こぼれ落ちてしまいそうなほど大きく見開かれたクロードの双眼は、春の空のようにキラキラと澄んでいる。綺麗だな。素直にそんなことを思いながら、エルザは大きく頷いた。


「というか、子供はそんなこと気にしなくていいんです。あなたは子供で、さらには熱まで出してて。子供は子供らしく、わがまま言って大人を振り回してやればいいんです」


「……子供? 僕が?」


「子供でしょう、どう見ても。そして子供は、すべからく大人に甘える権利があります」


 えへんと胸を張るエルザを、クロードは呆気にとられたように見ていた。耳を赤くしたクロードは、やがてふとんを引っ張り上げると、もごもごとふとんの中で呟いた。


「エルザだって、中身は子供みたいなもんじゃないか」


「あ。いま、何か失礼なこと言いましたね? わかるんですよ、雰囲気で!」


「別に。それに許してくれるんでしょ? 僕は子供で、君は大人なんだから」


「甘えるのと悪口を言うのはぜんっぜん別です。ちゃんと謝らないと、エルザさん特製・マイヤー仕込みのミルク粥を食べさせてあげませんよ?」


「けち。イジワル。やっぱりエルザは、全然大人じゃない」


「大人ですー。少なくとも、クロード様よりはずっと!」


 エルザはつん!とそっぽを向いてみる。それに、クロードはくすくすと笑う。ようやく子供らしい表情が見れた。そのことに安心しつつ、エルザは魔術で保温を掛けていた小鍋の蓋を開けて、ミルク粥をクロードに見せた。


「食べましょうか。早く元気になるために」


「……うん」


 はにかみ頷いたクロードは、どこにでもいる普通の少年だ。生まれつき悪魔に呪われた、穢れの王子。王も、魔術師長も、衛兵もクロードを恐れて忌み嫌うが、とんでもない。少なくとも自分だけはクロードの味方であろう。改めてそうエルザは胸に誓う。


 だけど。だけど。


 ――ライラ(・・・)は知っている。この光景が、クロードがただの少年でいられた最後の時間であったと。次に会った時、クロードの体は既にイフリートに奪われ、美しかった大きく澄んだ瞳が悪魔の魔力で爛々と紅く輝いていたことを。


“ごめんなさい”


 最終決戦の日――大悪魔イフリートを封印し、洞窟から小さな体を運び出したあと。大粒の雨が冷え切った身体を叩く中、全身ボロボロになった少年がエルザの膝の上で涙を流す。ぽたぽたとエルザの前髪から絶え間なく水が落ち、クロードの頬を伝って地面に流れていく。


“ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。だれも救えなかった。誰も守れなかった。たくさん傷つけて、たくさん奪って、なのに僕は……”


“謝らないでください!”


 顔を濡らすのが雨なのか涙なのか、もはやわからないままエルザは叫ぶ。


“クロード様が悪いんじゃない。あなたが背負うべき重みじゃない。……いいんです。あんなやつのために、あなたが苦しむ必要なんて!”


“エルザ……”


 少しだけ苦しそうに、クロードが呻く。エルザがその小さな体を抱きしめたからだ。長くイフリートに蹂躙され続けた小さな体は、うちも外もダメージが大きい。それでもエルザは、クロードを抱きしめずにはいられなかった。彼がもう、精霊魔術を使っても助からないことを、ケマリに知らされていたから。


 やがてクロードは、諦めたようにエルザの肩に顔をもたれた。


“……やっぱり君は、変な人、だ……”


 体に感じる重みが増す。その小さな体から、生命が永遠に損なわれたことをエルザに知らせる。溢れのは悲しみか、何も出来なかった自分への怒りか。大雨の中、エルザは少年を腕に抱えたまま空に叫ぶ。




 もう、誰も。




「クロード様!!!!」


 ライラは叫び、がばりと飛び起きた。


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